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金沢 はこの項目へ転送されています その他の用法については 金沢 曖昧さ回避 をご覧ください 金沢市 かなざわし は 石川県のほぼ中央に位置する市 石川県の県庁所在地および人口が最多の市で 中核市 保健所政令市 中枢中核都市に指定されている 旧石川郡及び河北郡 かなざわし 金沢市金沢城址兼六園近江町市場ひがし茶屋街キゴ山から望む金沢市街尾山神社金沢市旗 金沢市章 1891年3月7日制定国日本地方中部地方 北陸地方 都道府県石川県市町村コード17201 4法人番号4000020172014面積468 81km2総人口456 335人 編集 推計人口 2024年6月1日 人口密度973人 km2隣接自治体白山市 野々市市 河北郡津幡町 内灘町 富山県 小矢部市 南砺市市の木梅市の花花菖蒲 サルビア 四季咲きベゴニア インパチェンス ゼラニウム すべて推奨花 市の歌金沢市歌 1923年制定 金沢市民の歌 1949年制定 金沢市役所市長 編集 村山卓所在地 920 8577 石川県金沢市広坂一丁目1番1号 北緯36度33分40秒 東経136度39分23秒 北緯36 56106度 東経136 6565度 36 56106 136 6565 座標 北緯36度33分40秒 東経136度39分23秒 北緯36 56106度 東経136 6565度 36 56106 136 6565外部リンク公式ウェブサイト 市 町 村市庁舎位置地理院地図 Google Bing GeoHack MapFan Mapion Yahoo NAVITIME ゼンリン表示ウィキプロジェクト金沢市中心市街地概要江戸時代には 江戸幕府 約800万石と言われる を除いて 大名中最大の102万5千石の石高を領した加賀藩 加賀百万石 の城下町として栄え 人口規模では江戸 大坂 京の三都に次ぎ 名古屋と並ぶ大都市であった 第二次世界大戦中にアメリカ軍からの空襲を受けなかったことから市街地に歴史的風情が今なお残っている 空襲の被害者やその遺族が少ない地域という理由から 終戦間もないころには国際交流を目的として来日するアメリカ市民の滞在先としても選ばれた また 長年の都市文化に裏打ちされた数々の伝統工芸 日本三名園の一つとして知られる兼六園 加賀藩の藩祖 前田利家の金沢入城に因んだ百万石まつり さらに庶民文化 加賀宝生や郷土料理のじぶ煮など などにより 観光都市として知られる 2009年にはユネスコの創造都市に認定された 国内では神戸市 名古屋市に続く3番目 クラフト amp フォークアート部門ではアジア初 日本海側の都市としては政令指定都市である新潟市 約77万人 に次ぐ人口を誇る 北陸の富山県 石川県 福井県を管轄する国の出先機関が置かれ 大企業の 北陸支社 北陸支店 も金沢市に置かれることも多い 中心市街地の香林坊 片町地区は北陸地方最大級の商業地として賑わっている 北陸3県で最大の都市といったイメージがある一方で 北陸地方の人口や主要機能が当市に一極集中しているということでもなく 地域の主要企業である北陸電力や北陸銀行は本店を富山市に置いている また 当市を中心とした金沢都市圏の人口規模は 富山市を中心とした富山都市圏より少ない 地理金沢市中心部の空中写真 南東から北西方向へ犀川と浅野川が流れる 1975年撮影の10枚を合成 国土交通省 国土地理院 地図 空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成 田上地区にあった旧浅川村役場跡 金沢市浅川出張所 1984年当時 地理区分 地理区分は中部地方 北陸地方 北信越地方に属する 石川県内の地理区分では 加賀地方に属する 地形 南東部は山地で 奈良岳 1 644m 金沢市の最高峰 犀川の水源 をはじめ 見越山 1 621m 大門山 1 572m 医王山 いおうぜん 939m などがある 平野に近い部分は丘陵地となり 戸室山 548m キゴ山 546m 野田山 180m 満願寺山 177m 卯辰山 141m などがある 戸室山 キゴ山は数十万年に形成された第四紀火山である 山地と平野の境界付近に森本 富樫断層帯が分布する 北西部は金沢平野で 犀川 別名おとこ川 浅野川 別名おんな川 金腐川 かなくさりがわ 森下川 もりもとがわ 伏見川 内川などが流れる 犀川とこれに合流する伏見川は日本海へ直接注ぐが 他の川は河北潟へ流れ 大野川を経て日本海へ注ぐ 海岸部は砂丘となっており 河口部分は北向きに曲がっている 犀川上流には犀川ダムや内川ダムがあり 上水道や灌漑などに利用されている 犀川と浅野川は市内を並行して流れ 犀川北岸と浅野川南岸それぞれの河岸段丘に挟まれた台地が小立野台地である 小立野台地の西端に金沢城趾や兼六園がある また 犀川南岸の河岸段丘は寺町台地と呼ばれる 気候 日本海側気候で 年中湿度が高く 雲が発生しやすい 特に冬には雨 雪が降る日が多い 平年の雷日数が全国の県庁所在地の中で最も多く そのほとんどは晩秋から冬に起こる 比較的好天が多いのは4月 5月と10月 夏にはフェーン現象が起きて最高気温が35 を超えることもある 梅雨の影響は太平洋側と比較して少ない 12月から2月にかけては雪や雨が多い 雷を伴ってあられや雹が降ることもある 1987年以降の暖冬に加え 1991年10月23日に金沢地方気象台が中心部にほど近い弥生地区から 海風の影響で気温が高めで雪が積もりにくい沿岸寄りの西念地区へ移転して以降 観測される降雪量は急激に減っており 北陸の他都市はおろか鳥取市よりも積雪量が少なくなることが増えた しかしながら 市の公表している積雪量 によると 気象台よりも兼六園のある市内中心部の方が積雪が多く 特に 金沢大学のある角間町などの内陸地域などは豪雪となりやすい このように同じ市内であっても海側と内陸では積雪量が大きく異なっている 降雪の深さ合計は平年で157cmと前々平年値 1971 2000年平均 の360cm 前平年値 1981 2010年平均 の278cmと比べて大きく減少した 気象台移転後の最深積雪記録は2001年1月16日の88cm なお金沢地方気象台が現在の場所に移転する前の最深積雪極値は三八豪雪の1963年1月27日に記録した181cm 最後に積雪が1mを超えたのは1986年1月28日の113cmまで遡る ただし 冬季の気温は曇りや雪の日が多く放射冷却が少ないため 最低気温は高め 1月の平均最低気温は1 2 であり 2000年代以降は暖冬傾向であること また 除雪 融雪の体制が発達していることなどから 冬季の都市生活に支障は少ない 湿度が高いため 伝統工芸の漆塗りや金箔製造に適している 金沢地方気象台 金沢市西念 標高6m の気候月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年最高気温記録 C F 21 2 70 2 23 6 74 5 27 1 80 8 31 6 88 9 33 7 92 7 36 1 97 37 4 99 3 38 3 100 9 38 5 101 3 33 1 91 6 28 4 83 1 24 7 76 5 38 5 101 3 平均最高気温 C F 7 1 44 8 7 8 46 11 6 52 9 17 3 63 1 22 3 72 1 25 6 78 1 29 5 85 1 31 3 88 3 27 2 81 21 8 71 2 15 9 60 6 10 2 50 4 19 0 66 2 日平均気温 C F 4 0 39 2 4 2 39 6 7 3 45 1 12 6 54 7 17 7 63 9 21 6 70 9 25 8 78 4 27 3 81 1 23 2 73 8 17 6 63 7 11 9 53 4 6 8 44 2 15 0 59 平均最低気温 C F 1 2 34 2 1 0 33 8 3 4 38 1 8 2 46 8 13 6 56 5 18 4 65 1 22 9 73 2 24 1 75 4 19 9 67 8 13 9 57 8 1 46 6 3 5 38 3 11 5 52 7 最低気温記録 C F 9 7 14 5 9 4 15 1 8 3 17 1 1 6 29 1 1 5 34 7 6 8 44 2 11 0 51 8 13 1 55 6 7 6 45 7 2 2 36 0 7 30 7 6 7 19 9 9 7 14 5 降水量 mm inch 256 0 10 079 162 6 6 402 157 2 6 189 143 9 5 665 138 0 5 433 170 3 6 705 233 4 9 189 179 3 7 059 231 9 9 13 177 1 6 972 250 8 9 874 301 1 11 854 2 401 5 94 547 降雪量 cm inch 67 26 4 53 20 9 13 5 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 4 24 9 4 157 61 8 平均降水日数 0 5 mm 24 9 20 2 17 5 13 4 11 8 11 6 14 2 10 4 13 2 14 1 18 2 24 2 193 6平均降雪日数 22 7 19 9 12 7 2 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 5 14 5 73 9 湿度 74 70 66 64 67 74 75 72 73 70 70 72 70平均月間日照時間 62 3 86 5 144 8 184 8 207 2 162 5 167 2 215 9 153 6 152 0 108 6 68 9 1 714 1出典 気象庁 平均値 1991年 2020年 極値 1882年 現在 旧金沢地方気象台 弥生町 1961 1990年平均の気候月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年平均最高気温 C F 6 1 43 6 5 43 7 10 5 50 9 17 4 63 3 22 2 72 25 2 77 4 29 4 84 9 31 2 88 2 26 7 80 1 20 9 69 6 15 3 59 5 9 8 49 6 18 4 65 1 日平均気温 C F 2 9 37 2 2 9 37 2 6 0 42 8 12 1 53 8 17 0 62 6 20 8 69 4 25 2 77 4 26 6 79 9 22 1 71 8 16 1 61 10 8 51 4 6 0 42 8 14 1 57 4 平均最低気温 C F 0 1 32 2 0 0 32 2 0 35 6 7 3 45 1 12 2 54 17 0 62 6 21 6 70 9 22 7 72 9 18 5 65 3 12 2 54 7 0 44 6 2 8 37 10 3 50 5 降雪量 cm inch 145 57 1 102 40 2 24 9 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 4 45 17 7 318 125 2 出典 NOAA 1961 1990 医王山観測所 平等本町 標高 420m の気候月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年降水量 mm inch 150 7 5 933 181 0 7 126 270 9 10 665 226 9 8 933 267 5 10 531 239 3 9 421 平均降水日数 1 0mm 11 7 11 3 14 5 11 0 13 6 13 8 出典 気象庁 平年値 2003 2020 金沢市雨温図 説明 123456789101112 256 7 1 163 8 1 157 12 3 144 17 8 138 22 14 170 26 18 233 30 23 179 31 24 232 27 20 177 22 14 251 16 8 301 10 4気温 C 総降水量 mm 出典 気象庁インペリアル換算123456789101112 10 45 34 6 4 46 34 6 2 53 38 5 7 63 47 5 4 72 56 6 7 78 65 9 2 85 73 7 1 88 75 9 1 81 68 7 71 57 9 9 61 47 12 50 38気温 F 総降水量 in 隣接自治体 北側に内灘町 津幡町 東側に倶利伽羅峠 医王山などの山地を挟んで富山県小矢部市 南砺市 南側に白山市 旧松任市 旧鶴来町 野々市市と接する キゴ山からみた金沢市街 2007年5月 卯辰山からみた金沢市街の夜景 2007年3月 金沢市街空撮 代表的高峰 大門山 溶岩円頂丘 戸室山歴史太平洋戦争以前 金沢 という都市名は 昔 山科の地 現 金沢市郊外 に住んでいた芋掘り藤五郎が山芋を洗っていたところ 砂金が出たため 金洗いの沢と呼ばれた という伝説による 金洗いの沢 は 兼六園内の金沢神社の隣りにあり 現在は 金城霊澤 と呼ばれている 古文書における 金沢 の初見は 高野山正智院聖教目録 に文明13年10月8日 1481年10月30日 付で記載された 加州金沢惣持寺 が知られている 権門体制から幕藩体制への過渡期の時代 荘園性の崩壊と重課税で混沌とした中世には 強い支持を得た本願寺関連の一向一揆 一向宗 が治めた領地であった 当時 比叡山 京都五山 本願寺に代表される寺社勢力は中国と盛んに交易し大量の銭貨を得 経済的に幕府を支える存在であり対立していた 中でも京都五山や比叡山とは異なり 本願寺勢力は基本的に荘園を持たず 信徒からの喜捨により資金を集めていた 領地からの不安定な年貢や関所の通行税に寄らず 人の集積や経済活動に伴う需要や生産性増加に合わせて 中国から得た銭貨を用いたマネタリーベース増加が適切に可能であったことから経済的に栄えて自然と寄付金が増加した 蓮如たちは小高い丘の上に寺院を建設しその下を門前町とする都市計画 寺と町をセットとしたという意味での寺内町 を持っており 尾崎御坊など北陸の寺社 城跡でも同様の地形で寺内町の名残が残る また 中世は幕府の内紛により権威が弱く地侍や盗賊がやりたい放題で 戦乱による財政難から度重なる徳政令で金融も麻痺していた 一方 本願寺の寺内町だけは 大量の資金 人材に恵まれ 規制緩和で酒や魚などの自由な商売が出来 軍事組織もあったため治安も良く 徳政令からも免れ 経済的に繁栄していた 従って 安心した暮らしを求めて帰依する者が多かったと考えられる そして北陸は石山本願寺の財政基盤として重要な地域として機能していた その中で 守護大名富樫氏一族の内紛に 地元武士 浄土真宗本願寺派と髙田派の内部抗争が入り混じった紛争が起こる これに勝利した富樫正親と本願寺派勢力が内部対立を起こし 本願寺が勝利したことで 戦国大名化した寺社勢力の自治が行われていた 延元4年 1339年 に金沢城址の場所に 本源寺 現西別院 が開創され 中世に寺社勢力が統治する直前には 棟梁 が田井城 金沢の旧奥村河内守の屋敷から出羽町にかけての土地 松山寺周辺は二の丸 成瀬内蔵助宅周辺は三の丸 八坂は馬場 を居城としていた 松田次郎左衛門の先祖は京の北面武士で 観應のころ 1350 1352年 に移り住んでいた 明応3年 1494年 州崎慶覚坊 近江の土豪出身 一揆にて富樫政親を滅ぼす に謀殺され 越中荒木村 現南砺市荒木 に逃れ 元亀8年 1508年 ごろには現南砺市城端に移り子孫は城端城に居住していくも 江戸時代には前田家から家禄千石を賜り城下町 金沢別院近く に屋敷を拝領し廃藩まで居住することになる 天文15年 1546年 本源寺を尾山御坊 金沢御坊 と定めて 戦国時代の一向一揆の本願寺の拠点とした 本源寺はのちに前田利家 利常による寄進地で再建 この寺内町 後町 南町 西町 後坊町 が現在の金沢市の原型と言える 天正8年 1580年 織田信長配下の柴田勝家の甥佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし その地に金沢城を築城した その際に西町 南町の外に堤町 松原町 近江町 安江町 金屋町 材木町が形成され 尾山八町 として城下町金沢の基礎となる 金沢城址 賤ヶ岳の戦い以降 前田利家が金沢城に入り 加賀藩の原型が形成された 一罰百戒が当たり前の封建時代で着実な占領政策を行い 徹底的に残酷な弾圧による恐怖統制を強いた 遺恨の痕跡や資料が旧加賀藩各地に残るとはいえ 顕著な加賀藩プロパガンダに成功し さらには寺社勢力を懐柔できたことが加賀藩にとっては大きい つまり 前田利家や加賀藩は一向宗勢力を中心とした寺社勢力の懐柔政策を以って利用し藩領の自治を行って行く 藩政初期寺社寺領の寄進は金沢市内中心でありほとんどが非一向宗寺院であった一方で 一向宗寺院に対して特例的に諸役免除などを行ったり 有力寺院 現南砺市の瑞泉寺や善徳寺など に前田家の子女を縁女として送ったりなど懐柔策を徹底し 触頭として機能させ強固な統治を行った 特に南砺市の有力寺院への縁女は江戸時代を通じて送られた そもそも農地開拓などは藩や武士の指導のもとで有力な農民や町民の協力が必要であり 武士の子女や縁女が送られ入ることもあった 利家は金沢城を人心の一新 羽柴秀吉に敵対した佐久間盛政色の一掃および一向一揆に加わっていた真宗門徒との融和 を意図して自身の出身地である尾張国にも通じる 尾山城 と改名するが定着せず 利家の晩年もしくは次代の前田利長の時代には再び 金沢城 の名前に戻した 城下町には二重の惣構が掘られ 環濠都市となり 現在でもその遺構を確認することができる 特に第3代藩主前田利常は宗徒の強い信仰心 つまり門主に対する絶対的信心や勤勉性を民政に利用することを考えた 金沢城の防備や 人別 現在の戸籍 を行うため 城下に散在していた寺社を3か所に移転 配置し 金沢城から南西の犀川流域 東側の卯辰山 南東の小立野台地の三ヶ所に集められ それぞれが寺町寺院群 卯辰山山麓寺院群 小立野寺院群となった 玉泉院丸庭園 慶長5年 1599年 に利家が死去すると 翌年には関ヶ原の戦いが起こる 利家の遺領を相続した長男の前田利長は 東軍の徳川家康につき 西軍に属した弟の前田利政の所領を戦後に与えられ 加賀国 能登国 越中国を有する大大名となる 第三代藩主前田利常の時代には 十村制や改作法といった農政改革を進め 支配機構の整備が行われ藩体制が確立した また 利常の 百姓は死なぬ様に生きぬ様に 百姓とゴマの油はしぼればしぼるほ程出る からその統治思想が垣間見える 第五代藩主前田綱紀は名君として名高く 兼六園の前身にあたる蓮池庭 れんちてい を作庭し 木下順庵や室鳩巣 稲生若水といった学者の招聘につとめ学問を振興した また綱紀は和書や漢書 洋書などの多様な書物の収集にも努め その書物の豊富さから新井白石は 加賀は天下の書府 と言ったと伝えられている 集められた書物や美術工芸品の収蔵品は尊経閣文庫と呼ばれ 現在では前田育徳会により保存管理されている その後金沢は150余年に渡り 加賀百万石の城下町として繁栄することとなる 参勤交代の時 前田氏は約2 000人の家来を従え 現在の価値で片道約7億円をかけて江戸との間を往来した 以下江戸時代の藩政史料や地図 明治初期の統計書に記録されている金沢町の人口をまとめる 但しその多くが町奉行支配場 本町 地子町 旧門前地 大工地 の町方人口に関するものであり 主に寺社奉行支配地 門前地 に居住した僧侶 神職ほか 武家屋敷や一部町方 寺社方に居住した士分 武家奉公人については人口に関する資料がほとんど残っていない 江戸時代から明治初期の金沢の人口 元号 西暦 家数 人口 備考 典拠寛文4年 1664年 9 868 55 106 本町2532戸1万9845人 地子町7336戸3万5261人 越登賀三州志 寛文5年 1665年 7 350 地子町のみ 改作所旧記 寛文7年6月 1667年 8 667 59 101 本町1332軒1万9840人 地子町7335軒3万9261人 稿本金沢市史 延宝年中 1675年ごろ 9 927 本町2186軒 地子町7081軒 金沢古蹟志 3 959 武家屋敷分 士分1677軒 足軽1953軒 小者305軒 延宝金沢図 貞享2年 1685年 8 448 地子町のみ 国事雑抄 貞享3年 1686年 8 326 地子町のみ 国事雑抄 元禄3年 1690年 13 601 寺社奉行支配地を含む 寺社243戸 山伏65戸 百姓85戸 非人4戸 穢多4戸 町其外遊民1万3209戸 加賀藩史料 17 601 金府家数凡1万3601戸 外に士家奉公人分家4000戸の合計元禄9年 1696年 11 927 本町2536戸 地子町9391戸 金沢古蹟志 元禄10年春 1697年 12 085 68 636 本町2285戸1万8949人 旧門前地大工地354戸2630人 地子町9446戸4万7057人 加賀藩史料 宝永7年6月21日 1710年 12 558 64 987 国事雑抄 宝暦5年 1755年 13 443 外に侍屋敷1365軒 但し知行持のみ 稿本金沢市史 文化7年8月 1810年 13 792 56 355 本町2540戸 旧門前地384戸 地子町1万0754戸 大工胆煎等114戸 越登賀三州志 14 909 町奉行支配地1万3792戸 寺社奉行支配地1117戸の合計文化8年 1811年 11 070 本町2112戸 地子町8958戸 但し本町4胆煎 地子町3胆煎分戸数不足 城下町金沢 天保9年閏4月 1838年 15 273 35 841 町方 寺社方合計 人口は15歳以上のみ 金沢町数人口調 安政4年2月 1857年 13 485 58 506 町方 寺社方合計 他支配2186軒を除く 本町2650軒1万2019人 地子町9478軒4万0803人 門前地1351軒5684人 金沢町家数人数高 15 671 町方 寺社方合計 他支配2186軒を含む 本町2784軒 地子町1万1281軒 門前地大工地1600軒文久3年5月以降 1863年 15 720 町方 寺社方合計 他支配を含む 本町3049軒 地子町1万1342軒 大工胆煎等127軒 門前地1202軒 町役人名帳 明治2年8月 1869年 15 715 1胆煎分戸数不足 町役人名帳 13 562 60 789 町方 寺社方合計 支配違2634軒を除く 金沢町家教調 16 196 町方 寺社方合計 支配違2634軒を含む明治3年閏10月10日 1870年 17 222 56 295 居住制限撤廃後 家数は集計不完全 人口は町方人別之者のみ 東郷3253軒1万2093人 西郷2263軒7943人 南郷6600軒1万8960人 北郷5106軒1万7294人 稿本金沢市史 明治4年2月 1871年 24 744 123 363 全身分合計 士族4932戸2万6028人 卒4607戸2万6888人 平民1万4907戸6万8810人 元神官39戸139人 寺院259戸1032人 御預人466人 金沢名数 明治4年8月 24 146 123 453 第1区3253戸 第2区3635戸 第3区882戸 第4区1836戸 第5区4068戸 第6区3369戸 第7区4103戸 石川県史料 明治5年1月29日 1872年 37 880 壬申戸籍による本籍戸数 人口 第1区5610戸 第2区5411戸 第3区6026戸 第4区2717戸 第5区6272戸 第6区5080戸 第7区6763戸 石川県史料 明治6年1月1日 1873年 35 788 109 685 本籍戸数 人口 金沢市統計書 34 580 日本地誌提要 34 883 明治八年共武政表 明治9年11月1日 1876年 23 995 108 758 本籍家数 人口 石川県史料 明治11年12月9日 1878年 23 937 108 263 本籍家数 人口 石川県史料 明治12年1月1日 1879年 23 915 107 878 本籍家数 人口 明治十一年共武政表 107 876 本籍人口 日本全国郡区分人口表 金沢城下は 1822年 文政5年 に藩主前田斉広が遠藤高璟に命じて測量を行い 1828年 文政11年 までに詳細な地図である 金沢十九枚御絵図 を完成させており 市内の状況把握が可能となっている 今津甚四郎書出候人数一巻 によると 享保6年 1721年 の金沢藩の15歳以上の御家中人口は6万7302人 おそらく武家奉公人を含む また 金沢市史 や 藩制一覧 によると 明治3年閏10月10日の旧家中人口は 華族1戸11人 士7797戸2万8683人 卒9703戸2万7038人 仲間 小者 平民扱い 2699戸5938人の合計20 200戸61 670人 但し戸数は成人男性数 名数 江戸時代中期以降 金沢城下町に居住する武家 武家奉公人人口は4万人から5万人で推移したと推測される 以下に2人の研究者による江戸時代から明治初期の金沢の推定総人口を列挙する なお土屋敦夫の推計人口には神社仏閣数と僧侶 神官人口 明治4年2月の時点で298箇所1171人 が加算されていない また斎藤誠治が明治11年調として 明治十一年共武政表 より引用している人口は 正確には明治12年1月1日調のものである 江戸時代から明治初期の金沢の推計総人口 年号 西暦 土屋敦夫 1980 斎藤誠治 1984 城下町 合計 武士町 居住 町人町 居住慶安3年 1650年 114 000寛文4年 1664年 86 300 31 200 55 100貞享2年 1685年 62 200元禄10年 1697年 111 200 42 600 68 600宝永7年 1710年 70 600寛延3年 1750年 128 000宝暦5年 1755年 116 600 44 900 71 700文化7年 1810年 68 900文政4年 1821年 114 600 46 500 68 100天保9年 1838年 73 500嘉永3年 1850年 118 000文久3年 1863年 73 600明治4年 1871年 122 900 48 100 74 800明治11年 1878年 107 878 江戸時代の金沢の人口は17世紀後半には10万人を超え 江戸 大坂 京の三都には及ばないものの 名古屋と並ぶ日本第4位から第5位の都市として発達し 美術工芸など現在に受け継がれる都市文化が花開いた 江戸時代は金銀複本位制であったため マネタリーベースの増加に金銀山を領内に保有 管理することは重要であった 特に 参勤交代などの出費 金銀 が定期的に必要な中で領内のマネタリーベースを増加させようと思うと 領内産物を大都市に輸出し貨幣 金銀 を得る必要があった為 江戸時代は大都市が不況に陥ると途端にデフレに陥る構造をしていた しかし 金銀山を有していれば 自前でマネタリーベースを増加させることができ 江戸後半にかけて それでも不足し藩札が重要となってきた 加賀藩は 越中七金山 加賀藩極秘金山でいわゆる黄金郷 尾小屋鉱山 金平金山 遊泉寺銅山 現小松市 刀利銀山 など 多数の鉱山を所有していたため 非常に経済的に潤っていた そのような経済的潤いが背景となり 文化が花開いた 江戸時代の武士の給与体系は石高制であり 基本的に米で支給されていた 従って 江戸時代末期になるにつれ 経済の発展と共に米以外の商品作物など高価なものが増え 武士はどんどん貧乏になっていった 逆に百姓は 農業のみに専念しているわけではなく工商などを営むことで 経済発展に寄与し裕福であった 従って 大多数の武士は農工商も営んで生計を立てていた また 加賀藩の十村制においては豪農と呼ばれる特別に裕福な者もいた 生産性の向上と共に 金銀山の採掘のみならず 藩は藩札によりマネタリーベースを増加できたことが要因と考えられる さらに 天明の大飢饉を境に北前船に代表される海上輸送が発達 1811年 文化8年 に加賀藩の御用商人だった銭屋五兵衛が海運業に参入し 蝦夷地との回漕業 大坂の米相場や保険まで行い 藩への献上金の見返りに北方領土やイギリス ロシアと密貿易を行ない 莫大な利益を得て加賀一の金持ちとまで言われていた 広く加越能では米の増産を奨励 絹織物の生産に努めた 尚 生糸 加賀絹は現南砺市と小松市が主体であった 1859年 安政6年 の開国以降 金銀の含有量をペースとした固定相場制になり 激しい自国通貨安であったため 当時の日本の生糸はヨーロッパの半値以下で購入できた 特に生糸貿易は成長産業として発展することになり 明治維新後の軽工業中心の経済の礎となった 幕末から明治維新のころの金沢は人口において東京 大阪 京都 名古屋に次ぐ日本第5位の都市であったが 明治時代に入ると産業 交通発達の基軸が太平洋側へと移り 明治20年ごろには六大都市を形成することになる神戸や横浜にも人口で抜かれる 金沢は明治維新後に城下町の大消費者であった武士の失業と士族授産の失敗により 特に経済が落ち込こみ激しい人口流出が起きたためである というのも 明治維新後の徴兵国論の布告により士族は軍事専門担当から外れたにも関わらず 露頭に迷うことを防ぐために秩禄が供給され続けたことで世間の反感を買い 士族は生活困窮に加え世間的にも肩身の狭い状態に陥っていた 以降 段階的に 家禄税 累進課税による徴収 家禄奉還制度 家禄放棄による現金 秩禄公債支給 農業用土地の低価販売 廃刀令 秩禄処分に至ったことで 不平士族により西南戦争が起き 翌年には加賀藩出身の士族により大久保利通が暗殺されるほどであった そして 明治10年代に士族 旧藩時代における平士以上の家系 の9割以上は転出したが もともと生活水準が比較的低くかつ他の生業に従事していた軽輩の武士は 明治維新による生活の急激な変化を受けることが比較的少なく ある程度は残ったと考えられている 万石以上の上級武士は 一部は中級武士と同様に公務職などに転身したが 一方で明治期以降の消息が不明な者が少なくなく かつての地位に対応した格式や生活習慣を引きずりつつ各方面からの支援も受けられないまま債務不履行や行き場がなくなった 無職の 者も多かったと推測される 尚 江戸時代 嫡子以外は藩につかえず町人や農民になれば藩士ではなくなっていため 末裔がいないという意味ではない さらに 近代化の日本において最大産業であった軽工業は旧加賀藩領では隣県の現富山県南砺市旧城端町 加賀藩時代の絹織物の主力都市 を中心に発展した しかし 没落した士族を救済する為に 長谷川準也 が 製糸 撚糸会社を設立し 当時全国で2番目の規模を誇った 全国初の官営範器械製糸工場は富岡製糸場 製糸織物業が金沢の産業として広がり 国内初の力織機も開発された また 北陸本線が全国的に見ても早期に敷設されるなどの鉄道導入が進んだりと 物資流通が変貌したことで 概ね金沢 大聖寺などの鉄道駅や市街地が発展していった さらに金沢には旧制第四高等学校 金沢大学の前身 や日露戦争の旅順攻囲戦で知られる陸軍第九師団が置かれ 学都 軍都として栄えていった 大正 昭和と電気機械化が進んだが 加賀藩時代に藩の有力財源であった銅の採掘権を取得した竹内明太郎 吉田茂の実兄 が 採掘の電気機械化とともに小松鉄工所 後のコマツ を設立 工作機械 鉱山用機械を製造した 1927年 昭和2年 1月 北陸地方が豪雪となり金沢市内でも3メートルの積雪を記録 家屋の倒壊が相次いだ また 同年4月21日には横安江町から火災が発生 強風に煽られ延焼して733戸が全焼する大火となった 第二次世界大戦中には軍管理工場の指定を受け軍需を支えた多数のモノづくり企業が金沢市を中心に県内に創立された 尚 陸軍第九師団の全国屈指の軍事演習場が 加賀藩時代には鷹狩場であった隣県南砺市立野原に造られ 立野原監的壕 が市の史跡として今でも残る 第二次世界大戦中は機銃掃射など があったものの大規模空襲を免れ 古い町並みが残った 石川県内では空襲で60人以上が死傷した 年表 第二次世界大戦後 1946年 昭和21年 金沢美術工芸専門学校 現 金沢美術工芸大学 開校 1947年 昭和22年 10月 第2回国民体育大会が石川県で開催 金沢市でも陸上やサッカー テニスなど多くの競技が開催される 10月 昭和天皇が市内に行幸 昭和天皇の戦後巡幸 国体 前述 への出席のほか 稚松小学校 絹織工場などを訪問 1948年 昭和23年 11月 石川県立病院 現 石川県立中央病院 が発足 金沢市消防本部 現 金沢市消防局 が設置される 1949年 昭和24年 金沢大学が開校 1950年 昭和25年 3月 金沢市立平和町児童図書館が開館 1952年 昭和27年 商工まつり 現 金沢百万石まつり が初めて開催される 1957年 昭和32年 9月26日 世界連邦平和都市宣言 1962年 昭和37年 3月15日 交通安全都市宣言 5月 金沢市観光会館 現 金沢歌劇座 が竣工 1963年 昭和38年 1月27日 金沢地方気象台 観測史上最大の積雪181 cmを記録 4月 北陸本線福井 金沢間電化完成 1966年 昭和41年 7月18日 金沢市中央卸売市場が開場 1967年 昭和42年 2月11日 北陸鉄道金沢市内線が廃止される 1968年 昭和43年 東部清掃工場を開設 1970年 昭和45年 10月 金沢バイパス藤江町 三日市町間が開通 11月11日 金沢市の木を梅に指定 11月 金沢港が開港 1971年 昭和46年 7月7日 奥卯辰山健民公園が開設される 1972年 昭和47年 10月18日 北陸自動車道金沢西IC 小松IC間が開通 移動図書館が活動を開始 1973年 昭和48年 6月 藩老本多蔵品館 現 加賀本多博物館 が開館 9月 武蔵ヶ辻第二地区市街地再開発事業が完了 1974年 昭和49年 3月 泉野保健所 公害センター合同庁舎が落成 6月12日 緑の都市宣言 10月 北陸自動車道金沢東IC 砺波IC間が開通 1977年 昭和52年 11月 町民文化館がオープン 1978年 昭和53年 7月29日 石川県観光物産館がオープン 9月30日 石川県立武道館が竣工 10月 北陸自動車道金沢東IC 金沢西IC間が開通 1979年 昭和54年 3月 金沢市民憲章が制定される 4月6日 金沢市立図書館 現 金沢市立玉川図書館 が玉川町に移転 1980年 昭和55年 8月5日 8月10日 第4回全国高等学校総合文化祭が開催される 1981年 昭和56年 5月5日 金沢市立図書館城北分館が開館 1982年 昭和57年 11月 金沢市文化ホールが開館 1985年 昭和60年 3月 金沢市が第1次テレトピア指定地域に指定される 3月 兼六園が国の特別名勝に指定される 7月31日 8月10日 昭和60年度全国高等学校総合体育大会が開催される 9月 香林坊第1地区市街地再開発事業が完成 12月21日 平和都市宣言 1986年 昭和61年 9月 香林坊第2地区市街地再開発事業が完成 10月 石川県立歴史博物館が開館 1987年 昭和62年 金沢市企業局新庁舎が完成 1988年 昭和63年 5月 加賀友禅伝統産業会館 現 加賀友禅会館 が建設される 11月 オーケストラ アンサンブル金沢が設立される 1989年 平成元年 10月 金沢大学総合移転第1次移転部局が竣工 11月1日 金沢卯辰山工芸工房が設立 1990年 平成2年 金沢駅付近連続立体交差事業が完成 金沢市民野球場が開場 1991年 平成3年 3月 金沢駅西広場が開設される 第46回国民体育大会が石川県で開催 金沢市ではボウリングや陸上 サッカーなど多くの競技が開催される 1992年 平成4年 3月23日 景観都市宣言 8月 北陸新幹線石動 金沢間がスーパー特急方式で認可され 着工 10月24日 11月3日 第7回国民文化祭 石川92が石川県で開催 1993年 平成5年 金沢市立ふるさと偉人館 現 金沢ふるさと偉人館 が開館 1994年 平成6年 4月 金沢市民芸術ホール 現 金沢市アートホール がオープン 10月 駅西保健所が開所 1995年 平成7年 2月16日 金沢大学城内部局移転完了 4月2日 金沢市立泉野図書館が開館 9月26日 世界工芸都市宣言 1996年 平成8年 4月1日 中核市へ移行 9月1日 金沢市国連寄託図書館が金沢市立泉野図書館内に開館 10月 金沢市民芸術村がオープン 1998年 平成10年 3月26日 環境都市宣言 キゴ山天体観察センター 現 銀河の里キゴ山 天文学習棟 が開館 1999年 平成11年 旧町名復活事業が開始 泉鏡花記念館が開館 金沢ふらっとバスが運行を開始 金沢市立玉川図書館近世史料館が開館 2000年 平成12年 4月 金沢湯涌夢二館が開館 2001年 平成13年 3月 Prego プレーゴ が開業 9月7日 金沢城公園 菱櫓 五十間長屋 橋爪門続櫓 が完成 9月8日 11月11日 第18回全国都市緑化フェア 夢みどりいしかわ2001が金沢城公園や兼六園などで開催される 9月12日 石川県立音楽堂が開館 2002年 平成14年 3月23日 翌年1月5日 加賀百万石博が金沢城公園で開催 4月 前田土佐守家資料館が開館 7月20日 7月29日 第17回海の祭典が金沢港と七尾港で開催 8月1日 室生犀星記念館が開館 11月25日 石川県新県庁舎が落成 2003年 平成15年 3月 戸室リサイクルプラザが開設される 5月31日 金沢西部地区土地区画整理事業が完工 7月 金沢市教育プラザ富樫が開館 10月 金沢湯涌創作の森がオープン 2004年 平成16年 4月 卯辰山公園健康交流センター千寿閣が供用開始 6月22日 金沢ファッション産業都市宣言 7月24日 ジョブカフェ石川が開設される 10月9日 金沢21世紀美術館がオープン 2005年 平成17年 3月 金沢駅東口 現 兼六園口 にもてなしドームと鼓門が完成 4月7日 徳田秋聲記念館が開館 10月1日 いしかわ総合母子医療センターが開設される 11月23日 金沢文芸館が開館 2006年 平成18年 3月26日 安全 安心都市宣言 10月 金沢能楽美術館が開館 10月 ご当地ナンバーとして金沢ナンバーの交付が開始される 2007年 平成19年 3月15日 健全な社会環境形成都市宣言 9月19日 グッドマナー実践都市宣言 2008年 平成20年 4月12日 いしかわ総合スポーツセンターがオープン 4月26日 石川四高記念文化交流館がリニューアルオープン 11月8日 金沢市立玉川こども図書館が開館 2009年 平成21年 1月19日 金沢市歴史的風致維持向上計画 が国土交通省から認定を受ける 6月8日 金沢市がユネスコ創造都市ネットワーク クラフト部門に登録される 2010年 平成22年 4月10日 石川県政記念しいのき迎賓館がオープン 金沢城公園 いもり堀 が完成 4月26日 金沢城公園 河北門 が完成 秋 金沢市立安江金箔工芸館が東山に移転 2011年 平成23年 5月21日 金沢市立金沢海みらい図書館が開館 10月18日 鈴木大拙館が開館 2012年 平成24年 3月 西部環境エネルギーセンターが完成 6月29日 北陸新幹線金沢 敦賀間着工認可 7月26日 8月20日 平成24年度全国高等学校総合体育大会が開催 金沢市はバスケットボールの会場として使用される 9月 金沢学生のまち市民交流館が開館 2013年 平成25年 12月16日 男女共同参画都市宣言 2014年 平成26年 3月 金沢駅西広場再整備事業が完成 2015年 平成27年 3月14日 北陸新幹線長野 金沢間が開業 2016年 平成28年 11月6日 金澤町家情報館が開館 2017年 平成29年 4月9日 金沢プールが開館 4月23日 金沢城公園 鶴の丸休憩館 がオープン 11月23日 新石川県立中央病院完成記念式典 2018年 平成30年 5月20日 金沢市俵芸術交流スタジオが開館 2019年 令和元年 7月26日 谷口吉郎 吉生記念金沢建築館が開館 2020年 令和2年 5月8日 金沢市役所第二本庁舎が供用開始 6月1日 金沢港クルーズターミナルが開館 6月19日 金沢中央観光案内所がオープン 7月18日 金沢城公園 鼠多門 鼠多門橋 が供用開始 10月24日 国立工芸館が開館 2021年 令和3年 8月8日 金沢未来のまち創造館が開館 2022年 令和4年 3月31日 金沢市立平和町児童図書館が閉館 4月17日 金沢市立玉川こども図書館がリニューアルオープン 7月16日 石川県立図書館が小立野の金沢大学工学部跡地に移転開館 9月6日 金沢で120年ぶりに観測史上最高気温38 5 を観測 2023年 令和5年 5月14日 5月15日 G7富山 金沢教育大臣会合が金沢市で開催 10月2日 金沢美術工芸大学が小立野に移転 10月14日 11月26日 第38回国民文化祭 第23回全国障害者芸術 文化祭 いしかわ百万石文化祭2023が開催 2024年 令和6年 1月1日 令和6年能登半島地震で最大震度5強を観測 金沢駅コンコースで水漏れが発生したほか 金沢城公園の石垣の一部崩落 田上新町での土砂崩れなど多数の被害が発生 2月18日 金沢ゴーゴーカレースタジアムが開業 3月16日 北陸新幹線金沢 敦賀間が延伸完了 地名の移り変わり 現在の金沢市中心部は 古くは石浦村と呼ばれていた 尾山御坊が置かれたことで寺内町として発展し 南町 西町 松原町 安江町 近江町 堤町 金屋町 材木町といった町が成立した これを総じて尾山八町 或いは単に 尾山 と呼んだ なお 尾山という地名は 二つの川に挟まれた台地の先端 という意味を持つ 後に 前述の芋掘り藤五郎の伝説から 金沢 と称するようになるが こちらの地名も室町時代まで遡ることが確認されており2つの地名が併用されていた 前田利家が城主になると一度 尾山 に戻され 家督を長男の前田利長が継いだ後に再び 金沢 となった 旧町名の復活運動 金沢市は 1962年 昭和37年 に 住居表示に関する法律 の実験都市に指定され 500余りの町名が消滅してしまった しかし 長年慣れ親しんだ旧町名の復活を望む声が多く 主計町を皮切りに次々と旧町名が復活した これを受けて長崎市など全国へ旧町名復活運動が広がっていった 行政区画変遷 ウィキソースに市制施行地の内務省告示文があります 1878年 明治11年 12月17日 郡区町村編制法の施行により 金沢城下534町の区域をもって 金沢区が発足する 1889年 明治22年 4月1日 市制の施行により 金沢区の区域をもって 金沢市が発足する 10 40 km2 1924年 大正13年 1月1日 金沢市の区域及び石川郡野村の区域の内 字泉野の区域の一部の境界を変更する 10 61 km2 1925年 大正14年 4月1日 石川郡野村を編入する 16 82 km2 4月10日 石川郡弓取村を編入する 20 05 km2 1935年 昭和10年 12月16日 石川郡富樫村 潟津村 米丸村 鞍月村 粟崎村及び大野町を編入する 51 55 km2 1936年 昭和11年 4月1日 石川郡崎浦村 三馬村及び河北郡小坂村を編入する 90 71 km2 1943年 昭和18年 10月1日 石川郡戸板村を編入する 96 21 km2 12月1日 石川郡金石町 大野村及び二塚村を編入する 111 09 km2 1947年 昭和22年 5月3日 河北郡三谷村の区域の内 字釣部の区域を編入する 114 16 km2 1949年 昭和24年 6月1日 河北郡川北村を編入する 122 10 km2 1954年 昭和29年 7月1日 石川郡安原村 額村 内川村 犀川村及び湯涌谷村を編入する 303 76 km2 1956年 昭和31年 1月1日 石川郡押野村を編入する 309 79 km2 1957年 昭和32年 4月5日 河北郡浅川村を編入する 393 40 km2 4月10日 押野地区の区域の一部を石川郡野々市町に編入する 境界変更 391 34 km2 1962年 昭和37年 6月1日 河北郡森本町を編入する 458 78 km2 1965年 昭和40年 7月30日 河北潟の一部埋立の区域を編入する 458 90 km2 1967年 昭和42年 10月27日 河北潟の一部埋立の区域を編入する 459 18 km2 1968年 昭和43年 4月1日 金沢市及び石川郡野々市町の区域の境界を変更する 459 19 km2 1969年 昭和44年 3月1日 金沢市及び石川郡野々市町の区域の境界を変更する 459 21 km2 1971年 昭和46年 3月2日 河北潟の一部埋立の区域を編入する 459 31 km2 1980年 昭和55年 2月1日 金沢市及び石川郡野々市町の区域の境界を変更する 459 31 km2 5月13日 大野町4丁目及び粟崎町4丁目に隣接する公有水面埋立の区域を編入する 460 20 km2 9月1日 金沢市及び石川郡野々市町の区域の境界を変更する 460 20 km2 1981年 昭和56年 10月1日 河北潟干拓地内の金沢市 河北郡津幡町 宇ノ気町及び内灘町の区域の境界が確定する 468 09 km2 1988年 昭和63年 10月1日 国土地理院における新しい測定方法による修正 467 77 km2 1992年 平成4年 3月1日 金沢市及び松任市の区域の境界を変更する 467 77 km2 1996年 平成8年 6月1日 金沢市及び河北郡津幡町の区域の境界を変更する 467 77 km2 1999年 平成11年 5月1日 金沢市及び石川郡野々市町の区域の境界を変更する 467 77 km2 人口かつては ドーナツ化現象が顕著で 郊外の太陽が丘などにニュータウンが建設されたが 近年は都心部に集合住宅が盛んに建設されており 都心回帰が鮮明となっている 山間部では空き家が目立ち 高齢化が深刻となっている 2000年 平成12年 以降 人口は横ばいを続けている 金沢市と全国の年齢別人口分布 2005年 金沢市の年齢 男女別人口分布 2005年 紫色 金沢市 緑色 日本全国 青色 男性 赤色 女性金沢市 に相当する地域 の人口の推移 1970年 昭和45年 361 379人1975年 昭和50年 395 263人1980年 昭和55年 417 684人1985年 昭和60年 430 481人1990年 平成2年 442 868人1995年 平成7年 453 975人2000年 平成12年 456 438人2005年 平成17年 454 607人2010年 平成22年 462 361人2015年 平成27年 465 699人2020年 令和2年 463 254人総務省統計局 国勢調査より行政市長 村山卓 2022年3月13日より 1期目 副市長 未定歴代市長 石川県第十大区長代 人 氏名 就任 退任 備考1 1 1876年 明治9年 11月1日 1878年 明治11年 12月17日歴代区長代 人 氏名 就任 退任 備考大野木克正 1878年 明治11年 12月17日 1879年 明治12年 4月10日 金沢区書記 区長代理1879年 明治12年 4月10日 1879年 明治12年 7月7日 区長心得1879年 明治12年 7月7日 1879年 明治12年 11月11日 区長心得1 1 1879年 明治12年 11月11日 1881年 明治14年 6月20日2 2 1881年 明治14年 6月20日 1881年 明治14年 10月8日3 3 1881年 明治14年 10月8日 1884年 明治17年 2月18日4 4 稲垣義方 1884年 明治17年 2月18日 1889年 明治22年 3月31日歴代市長代 人 氏名 就任 退任 備考1 1 稲垣義方 1889年 明治22年 5月27日 1893年 明治26年 4月11日2 2 1893年 明治26年 6月23日 1897年 明治30年 12月2日3 3 奥村栄滋 1898年 明治31年 1月12日 1902年 明治35年 5月10日4 4 渡瀬政礼 1902年 明治35年 6月16日 1908年 明治41年 6月15日5 1908年 明治41年 7月24日 1909年 明治42年 11月6日6 5 山森隆 1909年 明治42年 12月15日 1915年 大正4年 12月14日7 1915年 大正4年 12月15日 1919年 大正8年 5月14日8 6 1919年 大正8年 5月28日 1922年 大正11年 4月24日9 7 相良歩 1922年 大正11年 5月23日 1926年 大正15年 5月22日10 1926年 大正15年 5月23日 1930年 昭和5年 5月22日11 8 1930年 昭和5年 6月9日 1934年 昭和9年 6月8日12 9 片岡安 1934年 昭和9年 7月13日 1936年 昭和11年 4月20日13 10 澤野外茂次 1936年 昭和11年 7月30日 1940年 昭和15年 7月29日14 1940年 昭和15年 7月30日 1944年 昭和19年 7月29日15 1944年 昭和19年 7月30日 1945年 昭和20年 9月22日16 11 武谷甚太郎 1945年 昭和20年 10月18日 1947年 昭和22年 2月28日17 12 井村重雄 1947年 昭和22年 4月5日 1951年 昭和26年 4月4日18 1951年 昭和26年 4月23日 1955年 昭和30年 4月22日19 13 1955年 昭和30年 5月2日 1959年 昭和34年 5月1日20 1959年 昭和34年 5月2日 1963年 昭和38年 1月16日21 14 徳田與吉郎 1963年 昭和38年 2月10日 1967年 昭和42年 2月9日22 1967年 昭和42年 2月10日 1971年 昭和46年 2月9日23 1971年 昭和46年 2月10日 1972年 昭和47年 7月8日24 15 岡良一 1972年 昭和47年 8月6日 1976年 昭和51年 8月5日25 1976年 昭和51年 8月6日 1978年 昭和53年 11月23日26 16 江川昇 1978年 昭和53年 12月10日 1982年 昭和57年 12月9日27 1982年 昭和57年 12月10日 1986年 昭和61年 12月9日28 1986年 昭和61年 12月10日 1990年 平成2年 12月9日29 17 山出保 1990年 平成2年 12月10日 1994年 平成6年 12月9日30 1994年 平成6年 12月10日 1998年 平成10年 12月9日31 1998年 平成10年 12月10日 2002年 平成14年 12月9日32 2002年 平成14年 12月10日 2006年 平成18年 12月9日33 2006年 平成18年 12月10日 2010年 平成22年 12月9日34 18 山野之義 2010年 平成22年 12月10日 2014年 平成26年 12月9日35 2014年 平成26年 12月10日 2018年 平成30年 12月9日36 2018年 平成30年 12月10日 2022年 令和4年 2月16日37 19 村山卓 2022年 令和4年 3月13日 現職金沢市の行政組織 金沢市役所 都市政策局 総務局 文化スポーツ 経済局 農林局 市民局 福祉局 保健局 環境局 都市整備局 土木局 危機管理監 出納機関 企業局 消防局 金沢市立病院 市議会 教育委員会 石川県の機関 石川県庁 石川県警察 国の行政機関 警察庁 中部管区警察局石川県情報通信部 総務省 中部管区行政評価局石川行政評価事務所 北陸総合通信局 法務省 金沢地方法務局 金沢刑務所 金沢少年鑑別所 金沢保護観察所 出入国在留管理庁 名古屋出入国在留管理局金沢出張所 公安調査庁 中部公安調査局金沢公安調査事務所 検察庁 名古屋高等検察庁金沢支部 金沢地方検察庁 金沢区検察庁 財務省 北陸財務局 大阪税関金沢税関支署 財務総合政策研究所北陸研修支所 国税庁 金沢国税局 金沢税務署 金沢国税不服審判所 税務大学校金沢研修所 厚生労働省 東海北陸厚生局石川事務所 石川労働局 金沢労働基準監督署 金沢公共職業安定所 新潟検疫所金沢 七尾出張所 農林水産省 北陸農政局 石川県拠点 土地改良技術事務所 林野庁 近畿中国森林管理局石川森林管理署 国土交通省 北陸地方整備局 金沢河川国道事務所 金沢国道維持出張所 金沢営繕事務所 金沢港湾 空港整備事務所 北陸信越運輸局石川運輸支局 気象庁 金沢地方気象台 海上保安庁 第九管区海上保安本部金沢海上保安部 防衛省 自衛隊石川地方協力本部 金沢募集案内所 地域援護センター 陸上自衛隊金沢駐屯地 第14普通科連隊他 司法機関 裁判所 名古屋高等裁判所 金沢支部 丸の内 金沢地方裁判所 丸の内 金沢家庭裁判所 丸の内 金沢簡易裁判所 丸の内 検察審査会 金沢検察審査会 丸の内 独立行政法人 国際協力機構北陸支部 高齢 障害 求職者雇用支援機構石川支部日本貿易振興機構金沢事務所 中小企業基盤整備機構北陸支部製品評価技術基盤機構北陸支所 自動車技術総合機構石川事務所議会市議会 詳細は 金沢市議会 を参照 役員 2023年5月11日現在 議長 高誠 自由民主党金沢市議員会 副議長 中川俊一 自由民主党金沢市議員会 定数 会派 定数 38人 任期満了日 2027年 令和9年 5月1日 2023年6月8日現在 会派 議員数 所属議員自由民主党金沢市議員会 16 高村佳伸 横越徹 福田太郎 久保洋子 野本正人喜多浩一 坂本泰広 高誠 中川俊一 小間井大祐北幸栽 麦田徹 上田雅大 前誠一 荒木博文柿本章博公明党金沢市議員会 4 源野和清 稲端明浩 坂秀明 山本ひかるみらい金沢 4 森一敏 坂本順子 黒口啓一郎 川島美和日本共産党金沢市議員団 3 森尾嘉昭 広田美代 山下明希創生かなざわ 維新の会 3 玉野道 熊野盛夫 大西克利金沢保守 こくみん議会 2 粟森慨 新谷博範金沢さくら会 1 清水邦彦 下沢広伸心つなぐ金沢 2 宇夛裕基 道上周太結び会 1 喜成清恵参政党 1 高務淳弘計 38委員会 2023年9月14日現在 議会運営委員会 定数12 常任委員会 総務常任委員会 定数8 経済環境常任委員会 定数7 市民福祉常任委員会 定数8 建設企業常任委員会 定数7 文教消防常任委員会 定数8 特別委員会 地域交通特別委員会 定数10 少子化対策特別委員会 定数10 公共施設再整備特別委員会 定数10 議会基本条例検証特別委員会 定数8 一般会計等決算審査特別委員会 定数8 企業会計等決算審査特別委員会 定数8 議会広報委員会 定数6 石川県議会 金沢市選出 詳細は 石川県議会 を参照 定数 16名 任期満了日 2027年 令和9年 4月29日議員名 会派名 備考紐野義昭 自由民主党石川県議会議員協議会下沢佳充 自由民主党石川県議会議員協議会中村勲 自由民主党石川県議会議員協議会米澤賢司 自由民主党石川県議会議員協議会盛本芳久 未来石川議員会谷内律夫 公明党佐藤正幸 日本共産党安居知世 自由民主党石川県議会議員協議会不破大仁 自由民主党石川県議会議員協議会川裕一郎 参政党田中敬人 自由民主党石川県議会議員協議会太郎田真理 自由民主党石川県議会議員協議会長田哲也 自由民主党石川県議会議員協議会打出喜代文 未来石川議員会小松実 公明党田中美絵子 未来石川議員会衆議院 選挙区 石川1区 金沢市 任期 2021年10月31日 2025年10月30日 投票日 2021年10月31日 当日有権者数 376 122人 投票率 52 20 当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複当 小森卓郎 51 自由民主党 新 88 321票 荒井淳志 27 立憲民主党 新 48 491票 小林誠 44 日本維新の会 新 45 663票 亀田良典 72 日本共産党 新 8 930票姉妹都市 提携都市姉妹都市の多くは その地方の中心的都市であったり 歴史的遺産を持つ古都であるのが特徴的である 日本国外 姉妹都市バッファロー市 アメリカ合衆国ニューヨーク州 1962年 昭和37年 12月18日 姉妹都市提携 イルクーツク市 ロシア連邦イルクーツク州 1967年 昭和42年 3月20日 姉妹都市提携 ポルトアレグレ市 ブラジル連邦共和国リオグランデ ド スル州 1967年 昭和42年 3月20日 姉妹都市提携 ゲント市 ベルギー王国オースト フランデレン州 1971年 昭和46年 10月4日 姉妹都市提携 ナンシー市 フランス共和国ロレーヌ州 1973年 昭和48年 10月12日 姉妹都市提携 蘇州市 中華人民共和国江蘇省 1981年 昭和56年 6月13日 姉妹都市提携 全州市 大韓民国全羅北道 2002年 平成14年 4月30日 姉妹都市提携 提携都市台南市 中華民国 2011年 平成23年 9月20日 友好交流都市協定締結その他世界歴史都市連盟 歴史都市の保存と開発をテーマにした世界都市の集まりに加盟している 日本国内 提携都市長野市 長野県 2007年 平成19年 2月15日 集客プロモーションパートナー都市締結 板橋区 東京都 2007年 平成19日 7月9日 友好交流都市提携 岡崎市 愛知県 2007年 平成19年 10月18日 観光交流都市締結 豊田市 愛知県 2007年 平成19年 10月18日 観光交流都市締結 高崎市 群馬県 2008年 平成20年 2月6日 友好交流都市提携 高山市 岐阜県 2008年 平成20年 3月3日 観光交流都市締結 松本市 長野県 2008年 平成20年 7月16日 文化 観光交流都市 静岡市 静岡県 2009年 平成21年 7月23日 交流連携都市 那覇市 沖縄県 2009年 平成21年 10月23日 交流連携都市 高松市 香川県 2013年 平成25年 10月28日 文化 観光交流都市 目黒区 東京都 2017年 平成29年 10月28日 友好交流都市提携 加賀藩主であった前田氏宗家第16代の前田利為が 目黒区駒場に邸宅を構えた縁にちなんだ 文京区 東京都 2019年 令和元年 8月4日 友好交流都市提携 その他加賀の小京都 金沢 として全国京都会議に過去に加盟していたが 当時の市長であった山出保によって脱退した これは 金沢は京都のように公家文化で栄えた町と違い武家文化の町であるという理由からであった しかし 観光都市として 加賀の小京都 と称されることがある 国際機関国連機関 金沢市立泉野図書館 国際連合寄託図書館 国連大学高等研究所いしかわ かなざわオペレーティング ユニット 領事館 在金沢アルバニア名誉領事館経済農林水産業 市内から周辺市町村へ広がる金沢平野は 低温であるものの水利がよく適湿で 江戸時代から良質の農地であった 明治時代中期には 他地方に先駆けて近代的な耕地整理が行われ 生産性が飛躍的に向上した 現在でも 単作の稲作中心の農業が継承されており 北陸地方の他地域と並んでコシヒカリの主要な産地の一つである 稲作だけでは採算が望めない農地については 小規模でも生産でき付加価値の高い作物 さつまいもや蓮根などの加賀野菜 梨などの果実の生産に移行する動きがみられる また 北前船の寄港地であった大野港や金石港から金沢港が整備され ここを拠点とした水産業も盛んである 製造業 伝統製造業 工芸品 製造過程の金箔 江戸時代に金沢を治めた加賀藩は 石高は高いものの外様大名であったため 幕府や周囲に警戒されないよう内向きの産業や工芸を奨励した そのため 当時から絹織物の主要な産地であった また 藩の財政に余裕があったため 京都などから職人を招聘し 加賀友禅などの染織工芸を育成することができた これらを基盤として 明治時代には繊維工業や染織加工業が発達した ただし現在では 中国などから安価な製品が輸入されるようになったため 高機能商品の生産に特化する動きがみられる 現在でも金箔の製造は全国シェアの98 銀箔は100 市民1人当たりの和菓子購入額全国第1位である また 大野地区では醤油の製造が昔から盛んで 現在も直源が製造している 直っぺ などがある 近代製造業 工業 繊維製品の生産に必要な織機の製造は現在でも衰退しておらず ジェット ルーム 高速の気流や水流で横糸を飛ばす方式の織機 を生産する津田駒工業本社工場は 世界最大の織機製造工場と言われている また こうした高速制御が可能な複合的な機械製造技術は他分野にも転用され ボトリング システム 瓶詰め機械 で世界一の澁谷工業や 自動給茶装置付き回転寿司コンベア機でトップシェアを持つ石野製作所など 一風変わった機械の製造に結びついている 近年では パソコン周辺機器に関する企業群が急速に成長している 市内で創業したパソコン周辺機器大手のアイ オー データ機器は 当地の小規模な繊維工場では手が届かなかったメインフレームではなく マイコンを利用した工場制御用の周辺機器開発からスタートした企業であり コンピュータ関連の大手企業が手がけなかった需要に応えて成長の軌道に乗った また 織物用の柄を修正するディスプレイ装置の開発といった細かな需要の発掘でも 繊維工業が周辺産業へ影響を与えたことがうかがえる 卸売 小売業 この節には複数の問題があります 改善やノートページでの議論にご協力ください 出典がまったく示されていないか不十分です 内容に関する文献や情報源が必要です 2020年5月 独自研究が含まれているおそれがあります 2019年10月 香林坊片町竪町広坂 中心部にある市内最大の繁華街 香林坊 片町地区には 百貨店大和本店をキーテナントとした香林坊アトリオやハンズなどが入居する香林坊東急スクエア アパレルなど多数の路面店が軒を連ねる竪町通りがある また 香林坊に隣接する片町地区は 約1500もの飲食店がある北陸最大の歓楽街となっている 中心部の主な商店街は香林坊商店街 竪町商店街 広坂振興会 商店街 柿木畠振興会 商店街 片町商店街 一方 もう一つの繁華街である武蔵地区には金沢エムザと近江町市場がある なかでも近江町市場は 市場独特の風情が味わえることから訪れる観光客も多く 金沢市内の観光地のひとつとしても有名 2009年4月16日には市街地再開発事業により 近江町いちば館が開業した 金沢駅周辺では北陸新幹線開業を控えた時期にさらなる開発が進んだ 駅東口横にイオン系列のファッションビルである金沢フォーラスが開業 金沢百番街では2007年5月26日にくつろぎ館がオープン 2011年3月3日にはトレンド館を大幅に改装したRintoがオープンするなど 駅ビルや駅ナカの商業施設の集積が進んだ また 北陸新幹線開業を受けて都市型マンションやビジネスホテルの集積も顕著である そのため 駅周辺の商業地としての地位が向上し テナントビルの空室率は駅周辺ビルを中心に大幅に改善した それに伴い 商圏は香林坊 片町地区 武蔵地区 金沢駅前地区と三極化し始めた 要出典 また 金沢大学や石川県庁などの公共施設が市街地から郊外へ移転したことや イオンタウン金沢示野 アピタタウン金沢ベイ ラパーク金沢 メガ ドン キホーテ などのショッピングセンターやロードサイドショップが開業し 国道8号線沿いや山側環状道路および海側環状道路周辺などの郊外が著しく発展していることから 中心街の空洞化 購買客の流失が懸念されている 要出典 香林坊アトリオ 香林坊 香林坊東急スクエア 香林坊 金沢フォーラス 金沢駅前 金沢エムザ 武蔵ヶ辻 本社を置く企業 上場企業今村証券 東証スタンダード システムサポート 東証プライム 澁谷工業 東証プライム 名証プレミア 大和 東証スタンダード 津田駒工業 東証スタンダード ハチバン 東証スタンダード 東証スタンダード 福島印刷 名証メイン 北國フィナンシャルホールディングス 東証プライム 三谷産業 東証プライム 名証プレミア 主な非上場企業アイエムエムフードサービス アイ オー データ機器 アイビックス北陸 アール ビー コントロールズ 石川コンピュータ センター 石川ツエーゲン 石野製作所 一村産業 うつのみや NTTデータ北陸 カナカン 金沢丸越百貨店 カレーハウス ターバン カラフルカンパニー 北川ヒューテック 北日本観光自動車 キョーリンリメディオ コマツ産機 シーピーユー 柴舟小出 シブヤマシナリー 示野薬局 伸晃化学 しん証券さかもと 倉庫精練 竹松証券 玉田工業 東京ストアー ニュー三久 ドコモサービス北陸 日成ビルド工業 ネスク 箔一 北國銀行 北陸製菓 北陸通信ネットワーク 北陸鉄道 北陸ミサワホーム 北陸名鉄運輸 北菱電興 真柄建設 マックスバリュ北陸 明祥 森八 ヤギコーポレーション 米沢電気工事 アイ オー データ機器本社 桜田町 津田駒工業本社 野町 澁谷工業本社 大豆田本町 ハチバン本社 新神田 本店を置く企業 スペースバリューホールディングス本店 アパグループ本店支店を置く主な金融機関 中央銀行日本銀行金沢支店政策金融機関日本政策金融公庫金沢支店 住宅金融支援機構北陸支店商工組合中央金庫金沢支店 日本政策投資銀行北陸支店 系統中央機関農林中央金庫金沢推進室信金中央金庫北陸支店 メガバンク 都市銀行 信託銀行 地銀 第二地銀三菱UFJ銀行 みずほ銀行 三井住友銀行 SBI新生銀行カナザワ支店 口座店のみで実店舗は存在しない あおぞら銀行三井住友信託銀行 金沢支店 旧中央三井信託銀行 金沢中央支店 旧住友信託銀行 北陸銀行 富山銀行金沢営業部北國銀行 富山第一銀行 福井銀行 福邦銀行 信用金庫 信用組合 労働金庫金沢信用金庫 のと共栄信用金庫 はくさん信用金庫興能信用金庫 石動信用金庫金沢支店金沢中央信用組合 石川県医師信用組合 北陸労働金庫 ゆうちょ銀行金沢支店 富山 石川 福井3県の統括店 拠点を置く主な生活協同組合 全労済石川県本部教育金沢大学角間キャンパス北陸大学太陽が丘キャンパス大学 国立金沢大学公立金沢美術工芸大学私立金沢工業大学 金沢学院大学 金沢星稜大学 北陸大学 北陸学院大学短期大学 金沢学院短期大学 北陸学院大学短期大学部 金沢星稜大学女子短期大学部専修学校 金沢科学技術大学校 ファーストコンピューター専門学校 石川県調理師専門学校 金沢福祉専門学校 アットマーク国際高等学校 金沢中央キャンパス 金沢 東京アカデミー金沢校 金沢医療センター附属金沢看護学校 高等専門学校 国際高等専門学校廃校 2003年3月廃校 高等学校 国立金沢大学附属高等学校 中高併設 県立石川県立金沢錦丘高等学校 中高併設 石川県立金沢泉丘高等学校 石川県立金沢二水高等学校 石川県立金沢伏見高等学校 石川県立金沢辰巳丘高等学校 石川県立金沢商業高等学校 石川県立工業高等学校 石川県立金沢西高等学校 石川県立金沢桜丘高等学校 石川県立金沢北陵高等学校 石川県立金沢向陽高等学校 石川県立金沢中央高等学校市立金沢市立工業高等学校私立星稜高等学校 中高併設 北陸学院高等学校 中高併設 金沢高等学校 金沢龍谷高等学校 遊学館高等学校 金沢学院高等学校廃校北陸ビジネスアカデミーが2004年3月に廃校になったため 現在市内に技能連携向陽台高等学校北陸キャンパスがない 向陽台高等学校北陸キャンパスが2004年3月で廃校 中学校 国立金沢大学附属中学校 中高併設 県立石川県立金沢錦丘中学校 中高併設 市立金沢市立泉中学校 金沢市立野田中学校 金沢市立城南中学校 金沢市立紫錦台中学校 金沢市立兼六中学校 金沢市立高岡中学校 金沢市立鳴和中学校 金沢市立長田中学校 金沢市立浅野川中学校 金沢市立金石中学校 金沢市立芝原中学校 金沢市立西南部中学校 金沢市立内川中学校 金沢市立犀生中学校 金沢市立医王山中学校 金沢市立森本中学校 金沢市立額中学校 金沢市立高尾台中学校 金沢市立緑中学校 金沢市立港中学校 金沢市立北鳴中学校 金沢市立大徳中学校 金沢市立清泉中学校 金沢市立長町中学校 令和5年開校 私立星稜中学校 中高併設 北陸学院中学校 中高併設 小学校 国立 金沢大学附属小学校公立 金沢市立泉小学校 金沢市立十一屋小学校 金沢市立泉野小学校 金沢市立犀桜小学校 金沢市立小立野小学校 金沢市立兼六小学校 金沢市立中央小学校 金沢市立中央小学校芳斎分校 金沢市立長田町小学校 金沢市立明成小学校 金沢市立諸江町小学校 金沢市立馬場小学校 金沢市立森山町小学校 金沢市立浅野町小学校 金沢市立夕日寺小学校 金沢市立大浦小学校 金沢市立浅野川小学校 金沢市立鞍月小学校 金沢市立粟崎小学校 金沢市立大野町小学校 金沢市立大徳小学校 金沢市立戸板小学校 金沢市立緑小学校 金沢市立押野小学校 金沢市立米丸小学校 金沢市立三馬小学校 金沢市立犀川小学校 金沢市立田上小学校 金沢市立医王山小学校 金沢市立森本小学校 金沢市立不動寺小学校 金沢市立三谷小学校 金沢市立南小立野小学校 金沢市立伏見台小学校 金沢市立木曳野小学校 金沢市立三和小学校 金沢市立新神田小学校 金沢市立西南部小学校 金沢市立米泉小学校 金沢市立杜の里小学校 金沢市立朝霧台小学校 私立 北陸学院小学校特別支援学校 養護学校金沢大学附属特別支援学校 石川県立明和特別支援学校 石川県立医王養護学校 石川県立総合養護学校盲学校石川県立盲学校聾学校石川県立ろう学校廃校石川県立愛育養護学校 石川県立平和町養護学校施設警察 金沢中警察署 管轄区域 概ね犀川以南の地域および中心部 香林坊 片町 広坂 金沢東警察署 管轄区域 金沢市北部 東部 金沢駅周辺 武蔵ヶ辻 森本など 金沢西警察署 管轄区域 金沢市西部 金沢港 鞍月 金石 大野町 および西南部 安原 西金沢など 消防 金沢市消防局が管轄する 中央消防署 高尾台出張所 泉野出張所 味噌蔵出張所 小立野出張所駅西消防署 玉川出張所 鳴和出張所 森本出張所金石消防署 三和出張所 臨港出張所 主な医療機関 病床数200以上の医療機関のみ記述する 石川県立中央病院 金沢市立病院 金沢赤十字病院 金沢大学附属病院 地域医療機能推進機構金沢病院国立病院機構医王病院 国立病院機構金沢医療センター 石川県済生会金沢病院 城北病院 図書館 県立石川県立図書館 石川県議会図書館市立金沢市図書館 金沢市立玉川図書館 近世資料館 登録有形文化財 旧日本専売公社煙草工場 城北分館 金沢市立泉野図書館 国連寄託図書館 金沢市立平和町児童図書館 2022年3月閉館 金沢市立金沢海みらい図書館 金沢市立玉川こども図書館財団法人の図書館県国際情報ライブラリー 財団法人石川県国際交流協会 学外者の館外貸出し利用が可能な大学金沢大学 金沢星稜大学 北陸大学 北陸学院短期大学 金沢美術工芸大学 美術館 博物館 記念館 国立工芸館 東京国立近代美術館工芸館 石川県立美術館 金沢21世紀美術館 四高記念文化交流館 石川近代文学館 石川県政記念しいのき迎賓館 石川県銭屋五兵衛記念館 銭五の館 石川県立伝統産業工芸館 石川県立歴史博物館 石川県立自然史資料館 石川県金沢港大野からくり記念館 石川県埋蔵文化財センター 泉鏡花記念館 金沢卯辰山工芸工房 金沢くらしの博物館 金沢市立中村記念美術館 金沢市埋蔵文化財収蔵庫 石川県庁舎石引分室 辻家庭園 彦三緑地ツツジ資料館 金沢能楽美術館 金沢ふるさと偉人館 金沢市立安江金箔工芸館 金沢市足軽資料館 金沢美術工芸大学美術工芸研究所 金沢文芸館 金沢湯涌江戸村 金沢湯涌夢二館 西茶屋資料館 成巽閣 徳田秋聲記念館 西田家庭園 玉泉園 加賀本多博物館 前田土佐守家資料館 室生犀星記念館 鈴木大拙館 武家屋敷跡野村家 旧加賀藩士高田家跡 寺島蔵人邸 金沢21世紀美術館 四高記念文化交流館 成巽閣 玉泉園 灑雪亭 ホール 劇場 その他の文化施設 石川県立音楽堂 コンサートホール 邦楽ホール 交流ホール 石川県立能楽堂 本多の森北電ホール 旧石川厚生年金会館 石川県立中央児童会館 金沢歌劇座 金沢市文化ホール 金沢市アートホール 金沢市民芸術村 金沢湯涌創作の森 金沢卯辰山工芸工房 いしかわ子ども交流センター 銀河の里キゴ山 金沢市キゴ山天体観察センター 金沢市キゴ山少年自然の家 石川県青少年総合研修センター 九谷光仙窯 芸術音楽スタジオ 金沢市俵芸術交流スタジオ 公園 緑地 運動場 野球場 グラウンド 西部緑地公園 1974年開設 49 6ha 石川県産業展示館 石川県立野球場 石川県西部緑地公園陸上競技場 健民海浜公園 1971年開設 47 1ha 奥卯辰山健民公園 1971年開設 41 6ha 犀川緑地 1978年開設 32 7ha 北部公園 1989年開設 20 7ha 兼六園 1874年公開 国の特別名勝 11 7ha 金沢城公園 2003年開設 11 0ha 完成部分のみ 本多の森公園 1978年開設 5 9ha いしかわ四高記念公園 1968年開設 3 3ha 大野湊緑地公園 1997年開設 2 7ha 鞍月セントラルパーク 2003年開設 1 7ha 玉川公園 1979年開設 1 5ha 内川スポーツ広場 大豆田簡易グラウンド 市営グラウンド 陸上競技場 市営球技場 市民野球場 専光寺ソフトボール場 戸室スポーツ広場 安原スポーツ広場 金沢市民サッカー場 体育館 アリーナ 金沢市総合体育館 中央市民体育館 城北市民体育館 城南市民体育館 城東市民体育館 城西市民体育館 西部市民体育館 森本市民体育館 浅野川市民体育館 額谷ふれあい体育館 鳴和台市民体育館 医王山スポーツセンター いしかわ総合スポーツセンター プール 金沢市営西部プール金沢市営鳴和台プール 健民海浜プール テニスコート 城北市民テニスコート 城東テニスコート東金沢スポーツ広場 西金沢テニスコート大徳テニスコート 城東テニスコート ゲレンデ 医王山スキー場交通鉄道 金沢駅西日本旅客鉄道 JR西日本 北陸新幹線 金沢駅IRいしかわ鉄道IRいしかわ鉄道線 西金沢駅 金沢駅 東金沢駅 森本駅北陸鉄道石川線 野町駅 西泉駅 新西金沢駅 馬替駅 額住宅前駅 乙丸駅 四十万駅 浅野川線 北鉄金沢駅 七ツ屋駅 上諸江駅 磯部駅 割出駅 三口駅 三ツ屋駅 大河端駅 北間駅 蚊爪駅 2024年 令和6年 3月16日に北陸本線がIRいしかわ鉄道に移管されて以降 本州の県庁所在地では唯一 市内に在来線が存在しない 空港 詳細は 小松飛行場 を参照 IATA都市コードはQKWが充てられている 小松空港 空港コードKMQ から 2022年時点で国内線は東京 羽田 札幌 新千歳 福岡 那覇へそれぞれ就航している 国際線の発着もある 小松空港へは金沢駅西口から小松空港リムジンバスによって約40分で結ばれている 路線バス 北鉄バスグループ 北陸鉄道 北鉄金沢バス 北鉄白山バス 北鉄能登バス 北鉄奥能登バス金沢市街地に高頻度の路線網を持ち 観光用には城下まち金沢周遊バスが走る 能登方面や小松空港といった 県内各地を結ぶ特急バス 急行バスも多数運行 高速バスは名古屋 新潟 富山 高山 白川郷 と 各主要都市との路線がある 西日本JRバス金沢市北部に多くの路線網を持つ 過去には県境を越えて富山県南砺市の福光駅発着の系統を持ち 福光以南名古屋駅までの名金線があった 高速バスは大阪 京都 福井 名古屋 仙台との路線に参入している 加越能バス金沢駅西口と富山県の福光駅 旧井波駅の間で路線バスを運行 高速バスは砺波駅との路線があり 土曜日 休日は三井アウトレットパーク北陸小矢部を経由する 西東京バス アルピコ交通高速バスのみ運行 北陸鉄道が運行支援を行っている 北日本観光自動車東京 大阪方面へ高速バスを運行 東京方面は東北急行バスと 大阪方面は近鉄バスと共同運行を行っている 金沢ショッピングライナーまちバス青い車体が特徴 金沢駅を起終点に 市内中心部の商店街を20分ないしは30分間隔100円で周回している 土曜日 日曜日および祝日のみ運行 運営は金沢商業活性化センター 金沢市出資の第三セクター であるが 西日本JRバスに委託している 金沢ふらっとバス金沢市が運営し 北陸鉄道と西日本JRバスに委託運行しているコミュニティバス 此花ルート 菊川ルート 材木ルート および 長町ルート の4ルートがある いずれのルートも旧市街の裏通りが経路として含まれており そこへ走り得る小型の車体と100円均一の低運賃が特徴 この他に 高速ツアーバスから新高速乗合バス制度へ移行した高速バスが金沢駅西口を中心に発着している 詳細は 金沢駅バスターミナル を参照 乗合タクシー チョイソコかなざわ金沢市と沿線住民で構成されている 次世代型交通システム推進協議会 が運営し なるわ交通と金城交通に委託運行しているデマンド型乗合タクシー 区域運行のため時刻表はない 事前登録が必要で 沿線住民のみ登録可能である 運行地域での西日本JRバスの撤退に伴い 2022年 令和4年 7月1日より運行を開始した その他の交通手段 自転車詳細は まちのり を参照 道路 金沢市街地は加賀前田藩の城下町として栄えた歴史があり 初代藩主前田利家は 甲州流兵学に基づいて城下に敵が攻め込みにくいよう 他の城下町以上に道に曲がり角を多数設けた設計がなされた 市内の道路は道が入り組んでいて分かりにくいという指摘があるが これは金沢が戦災に遭わなかったこともあり 藩政時代の区画がそのまま残されて今の道路に引き継がれた名残である 高速道路北陸自動車道 金沢西IC 金沢東IC 金沢森本IC自動車専用道路のと里山海道 粟崎IC一般国道国道8号 国道157号 国道159号 国道249号 市内全区間が国道159号と重複している 国道304号 国道305号 市内全区間が国道157号と重複している 国道359号一般県道石川県道8号松任宇ノ気線 石川県道 富山県道10号金沢湯涌福光線 石川県道13号金沢停車場線 石川県道17号金沢港線 石川県道22号金沢小松線 石川県道25号金沢美川小松線 石川県道 富山県道27号金沢井波線 石川県道45号金沢鶴来線 石川県道60号金沢田鶴浜線 通称50m道路 石川県道106号野々市西金沢停車場線 石川県道123号東金沢停車場線 石川県道146号金沢停車場南線 石川県道159号金沢停車場北線 石川県道189号額谷三浦線 石川県道193号窪野々市線 石川県道194号宮永横川町線 石川県道195号倉部金沢線 石川県道196号上安原昭和町線 石川県道197号寺中西金沢線 石川県道198号畝田大野線 石川県道200号向粟崎安江町線 石川県道201号蚊爪森本停車場線 石川県道205号八田南森本線 石川県道207号倉谷土清水線 石川県道209号芝原石引町線 石川県道210号清水小坂線 石川県道211号二俣古屋谷線 石川県道212号中尾津幡線 石川県道213号仮生堅田線 石川県道215号森本津幡線 石川県道299号近岡諸江線 国道 県道以外の主要幹線 バイパス加賀産業道路 金沢外環状道路 山側幹線 通称 山側環状 東長江IC以北は歩道がなく 歩行者 軽車両の乗り入れを事実上制限している さらに金沢森本ICで北陸道と接続している 海側幹線 通称 海側環状 その他 市道を含む 金沢市内の道路には さまざまな通称名がつけられている 詳しくは金沢市内の通りを参照のこと 港湾 金沢港マスメディア新聞北陸中日新聞 中日新聞北陸本社が発行 北國新聞テレビNHK金沢放送局 北陸放送 MROテレビ JNN系列 石川テレビ放送 FNN FNS系列 テレビ金沢 NNN NNS系列 北陸朝日放送 HAB ANN系列 金沢ケーブル ケーブルテレビ局 ラジオ北陸放送 MROラジオ JRN NRN系列 エフエム石川 JFN系列 ラジオかなざわ コミュニティ放送 フリーペーパーホットペッパー金沢版 リクルート 金沢情報 カラフルカンパニー FAVO金沢版 ストアインク 全国紙では 朝日新聞 毎日新聞 産経新聞 日本経済新聞の4紙は大阪本社で発行された物が 読売新聞は北陸支社 富山県高岡市 読売新聞東京本社の支社 で発行された物が販売されている 読売新聞については夕刊も発行されている 文化の金沢金沢市を含む 金沢地域 の観光入込客数は518 7万人 2021年 令和3年 で 兼六園への来客が全体の約17 88 0万人 を占める 伝統的な建造物や工芸 文化が遺り 北陸の京都 とも呼ばれるが 江戸期に成立した町であることから江戸の町の典型を遺し また 京都が伝統文化を対外的な売り物としている 観光都市 であるのに対し 金沢はそれらを生活の中で消費する 文化都市 であるとも一時は言われていたが 2015年の北陸新幹線開通などを受け国際観光都市を目指した街づくりが推進されている 主な観光地 兼六園成巽閣長町武家屋敷跡茶屋街 東山ひがし 茶屋街 主計町 江戸時代に金沢城の庭園として作られた兼六園は 水戸の偕楽園 岡山の後楽園とともに日本三名園とされる 名称 兼六 の由来は 宋代の洛陽名園記が指摘する 庭園にとって両立しがたい六つの特性 宏大と幽邃 人力と蒼古 水泉と眺望を兼ね備えていることによる 兼六園に隣接して江戸末期に建てられた成巽閣は前田家の奥方御殿である 内部の意匠は女性らしい可憐で優美なしつらえや造りとなっている この兼六園から百間堀を隔てた金沢城跡には 当時の建造物のうち一部である石川門や三十間長屋などが現存している この跡地には城の中の大学として金沢大学のキャンパスがあったが 郊外 角間 へ移転した その後一部の櫓や門 庭園などが当時の技術のままに復元され 一般に公開されている 市内中心部の長町には石畳に整備された路地に並ぶ武家屋敷跡に野村家庭園があり 加賀友禅の長町友禅館 旧彩筆庵 と並んで内部を見学することができる 中には小さい滝があり 立体的な配置のため街中とは思えない奥行きがある風景を楽しめる 市内には 犀川と浅野川の二つの川が流れている 浅野川沿いの東山周辺 東の茶屋街 旧東の郭 には江戸時代の遊郭に由来する古い町並みが残る 内部を改装して飲食店などに利用されている家もある 東山ひがし地区と主計町は重要伝統的建造物群保存地区として選定されている 背後にある卯辰山からは市街地から遠く日本海までを見渡すことができる 一方犀川沿いには にし茶屋街 旧西の郭 がある 犀川からほど近い寺町の妙立寺は 内部に外敵を避けるための隠し通路や階段などの工夫が施されていることから 忍者寺 と呼ばれ人気がある 海外のガイドブックにも紹介されている この他 2010年10月に東山に移転オープンした安江金箔工芸館では金箔の製造工程や箔打ちなどの実演を観ることができる 松根城は市の史跡に指定されている 2004年に開館した金沢21世紀美術館は市街地の中心部に立地し 現代美術をテーマとした展示を行っている 開館1年で地方都市の公立美術館としては驚異的な157万人の入館者を集め 5周年にあたる2009年には累計入館者数700万人を突破し 兼六園と並ぶ新たな観光資源として注目されている 金沢市の海に面した地域に大野地区は醤油の産地で 今でも醤油蔵が立ち並んでいる 町並保存地区として独特の風情を楽しむことができる 商業の町である 近年 台湾を始めとした日本国外からの観光客も増えており 仏ミシュランの2009年3月発行の ミシュラン グリーンガイド ジャポン2009 では 兼六園が3ツ星 金沢21世紀美術館と長町武家屋敷跡の野村家が2ツ星を獲得している 北陸新幹線の開業により これまで少なかった関東や東北などからの観光客が増加し ホテルの建設ラッシュなども進んでいる 行事 イベント 金沢百万石まつりが有名 毎年6月に前田利家の金沢入城を模した行列が街の中を練り歩く 利家役には男性有名人が選ばれている 友禅灯籠流しや百万石踊り流しなどの協賛 関連行事も多く催される 湯涌地区では 毎年6月30日に氷室開きと呼ばれる藩政期より伝わる伝統行事が行なわれる イベントでは 毎年2月初旬にいしかわ四高記念公園で行われるフードピア金沢 毎年5月初旬にクラシック音楽祭のいしかわ風と緑の楽都音楽祭 旧ラ フォル ジュルネ金沢 8月には香林坊から武蔵が辻が歩行者天国となる金沢ゆめ街道が開催される 宗教施設 市内には 神社が330余り 仏教寺院が390余りある 仏教寺院を宗派別に見ると 他宗派が17世紀からほぼ横ばいなのに対して浄土真宗の寺院のみが3倍あまりに増加し 寺院全体の半数を超える210寺が立つ これは 親鸞の子孫である綽如と巧如の父子が北陸地域へ教線を延ばし さらに巧如の孫にあたる蓮如が 北陸地域で熱心に布教活動を行ったからといえる その内の192寺が真宗大谷派である 神社 尾山神社 神門三層目の窓に五色のステンドグラスがはめ込まれている 設置されている避雷針は日本最初 金沢五社 宇多須神社 小坂神社 神明宮 椿原天満宮 安江八幡宮その他の主な神社 尾山神社 神門は国の重要文化財 石川護国神社 大野湊神社 石浦神社 尾崎神社 本殿などは国の重要文化財 豊国神社 金沢神社 久保市乙剣宮 波自加弥神社 中村神社 大野日吉神社 寺院 卯辰山山麓寺院群 全性寺 龍国寺など 小立野寺院群 天徳院 宝円寺 経王寺 など 寺町寺院群 大蓮寺 妙立寺 伏見寺 西方寺 金沢市寺町 など 大乗寺 仏殿は国の重要文化財 真宗大谷派金沢別院 金沢東別院 浄土真宗本願寺派本願寺金沢別院 金沢西別院 キリスト教会 カトリック金沢教会 名古屋教区 日本基督教団金沢教会 日本基督教団金沢長町教会 日本基督教団金沢元町教会 日本基督教団金沢南部教会 日本基督教団若草教会 日本キリスト改革派金沢教会その他 創価学会石川文化会館 天祖光教金沢教会 山田らの集団名産品 料理 ゴリのから揚げ加賀料理 かぶら寿司 蕪で鰤の塩漬けを挟んで発酵させた熟れ鮨の一種 ゴリ料理 佃煮 唐揚げ から揚げ 照り焼き 白味噌仕立てのゴリ汁など じぶ煮 鴨肉を小麦粉にからませ ダシ汁で煮たもの 鯛の唐蒸し 鯛に卯の花を詰めて蒸し揚げた料理 鱈の白子 蓮蒸し すりおろした加賀れんこんで白身魚や海老 鰻などを包んで蒸しあげた料理 えびす 生姜の入った寒天のだし汁に溶き卵を流し込み 固めた料理 べろべろという名でも市民に親しまれている なすそうめん 笹寿司 笹で包んだ押し寿司 くるみの佃煮 河豚の卵巣の糠漬け 醤油 大野周辺で作られている 他の産地の醤油に比べ くどさがあまりなく甘いのが特徴 麸 不室屋 菓子 金沢では加賀藩が茶菓子作りを奨励したため高度な菓子文化が育まれ 京都市や松江市などと並ぶ 日本三大菓子処 として知られてきた 正月に食べる福梅 辻占や 初夏に食べる氷室饅頭 婚姻の際に振舞われる五色生菓子や金花糖などのいわゆる縁起菓子は 菓子文化の成果の一つといえよう 市内には今でも 森八 俵屋 柴舟小出 村上 といった和菓子の老舗が至る所にある 特に森八で作られている長生殿は日本三名菓の一つである あんころ餅 金花糖 柴舟 じろ飴 千歳 長生殿 辻占 きんつば 氷室饅頭 福梅 ふくさ 袱紗 ほか 日本酒 加賀鳶 福光屋 黒帯 福光屋 福正宗 福光屋 日榮 中村酒造 加賀雪梅 中村酒造 加賀鶴 やちや酒造 御所泉 武内酒造店 海産物 甘エビ 加能ガニ寒ブリ 香箱ガニ ズワイガニの雌 ノドグロ メギス 農作物 加賀野菜 打木赤皮甘栗かぼちゃ 源助だいこん さつまいも 五郎島金時など 二塚からしな せり 加賀太きゅうり 加賀つるまめ ヘタ紫なす 加賀れんこん 金沢一本太ねぎ たけのこ 金時草 赤ずいき くわい 金沢春菊 金沢すいか ルビーロマン 加賀しずく ひゃくまん穀 加賀棒茶土産品 金箔打紙製法あぶらとり紙 郷土玩具 加賀人形 加賀獅子頭 加賀八幡起き上がり 米食いねずみB級グルメ ハントンライス ライスの上に 魚のフライやヒレカツなどの揚げ物と半熟の卵をのせた料理 金沢カレー 8番らーめん らーめん世界 梅貝や車麩 などの具材が特徴 伝統工芸 金沢市では数多くの伝統産業が継承されている 金沢箔 国内シェア 金箔98 銀箔100 加賀友禅 金沢漆器 九谷焼 加賀水引 金沢表具 金沢和傘 加賀毛針 加賀提灯 二俣和紙 伝統芸能 加賀宝生 宝生流能楽 金沢素囃子 邦楽 加賀鳶 加賀万歳温泉 金沢温泉郷湯涌温泉 犀川峡温泉 深谷温泉 曲水温泉その他有松温泉 石引温泉 円光寺温泉 オータム天然温泉 金石温泉 金城温泉 みろく温泉 銭がめ温泉 白鳥路温泉 スポーツチーム ツエーゲン金沢 Jリーグ ホームスタジアムは金沢ゴーゴーカレースタジアム 石川ミリオンスターズ 独立リーグ 日本海リーグ 本拠地は定めていないが 主たるホーム試合開催野球場として金沢市民野球場を使用している NTT北陸硬式野球部 社会人野球 1953年に創部し 1999年に解散 金沢武士団 バスケットボールクラブその他 都市景観100選 兼六園周辺文化ゾーン地区 日本の音風景100選 本多の森の蝉時雨 寺町寺院群の鐘 日本100名城 金沢城 人と自然が織りなす日本の風景百選 金沢の兼六園 雪つり風景 若い力 金沢市の市技的な扱いと考えられている カナザワ映画祭 金沢市中心部で開催される映画祭 金沢市を舞台とした作品唱歌 鉄道唱歌第四集北陸篇 1900年10月 作者の大和田建樹は 上野から米原まで移動する過程において 北陸の都会として栄えた金沢には新潟とともに重点をおき 4番を割いて歌っている 56 津幡にかえり乗り換えて ゆけば金沢ステーション 百万石の城下とて さすが賑う町のさま 57 名も兼六の公園は 水戸岡山と諸共に かぞえられたる吾 わが 国の 三公園の其 その 一つ 58 柳みどりに花赤く おちくる滝の水白し 雲にそびゆる銅像は 西南役の記念碑よ 59 第九師団も県庁も 皆此 この 町にあつまりて 海の外 ほか までひびきたる その名物は九谷焼歌謡曲 あゝ金沢城 三橋美智也 あゝ前田利家公 浅野川慕情 竹下景子 中村勘九郎 女の金沢 三島敏夫 加賀の女 北島三郎 1969年7月 金沢加賀人形 金沢景子 金沢情話 三條正人 1985年8月 金沢情話 原作 滝の白糸 泉鏡花 より 金田たつえ 1996年6月 金沢の雨 城之内早苗 1987年10月 金沢の雨 川中美幸 2006年12月 金沢のひと 森雄二とサザンクロス 金沢の夜 都はるみ 金沢ブルース 加賀ひとみ 金沢望郷歌 松原健之 2005年9月 金木犀の匂う道 鈴木宏子 恋はショッキング ブルー 長沢由利香 香林坊節 父2 2004年4月 香林坊ブルース 西田佐知子 1967年11月 相川美保 2004年6月 桜橋から 松原健之 2006年6月 青春の旅 芹洋子 花紀行 荒井由実 1975年6月 平川地一丁目 2006年5月 村上ゆき 2006年7月 ビュッフェにて 松任谷由実 1981年11月 滝の白糸 石川さゆり 1988年6月 友禅流し 牧村三枝子 1989年11月 冷夏 菅原洋一 テレビドラマ 誘惑 TBS 金曜ドラマ 1990年 利家とまつ 加賀百万石物語 NHK 大河ドラマ 2002年 京都金沢殺人事件シリーズ 日本テレビ 火曜サスペンス劇場 2002年 2005年 花嫁のれん 東海テレビ 昼ドラ 2010年 2015年 心の糸 NHK名古屋放送局 2010年 金沢のコロンボ テレビ東京 水曜ミステリー9 2014年 2016年 まれ NHK 連続テレビ小説 2015年 私たちはどうかしている 日本テレビ 水曜ドラマ 2020年 文学 金沢にて 芥川龍之介 義血侠血 泉鏡花 予備兵 泉鏡花 薬草取 泉鏡花 照葉狂言 泉鏡花 由縁の女 泉鏡花 縷紅新草 泉鏡花 浅の川暮色 五木寛之 金沢望郷歌 五木寛之 朱鷺の墓 五木寛之 ステッセルのピアノ 五木寛之 聖者が街へやって来た 五木寛之 北の海 井上靖 金沢殺人事件 内田康夫 さすらひ 尾山篤二郎 名もなき道を 高橋治 出帆 竹久夢二 山へよする 竹久夢二 感傷的の事 徳田秋声 ユージニア 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