スラヴ神話(スラヴしんわ、Slavic mythology)とは、9世紀頃までにスラヴ民族の間で伝えられた神話のことである。
概要
スラヴ民族は文字を持たなかったため、伝えられた神話を民族独自に記録した資料は存在しない。スラヴ神話が存在した事を記す資料として、9世紀から12世紀の間に行われたキリスト教改宗弾圧の際の「キリスト教」の立場から記された断片的な異教信仰を示す内容の記述が残るのみである。
スラヴ神話は地方により様々なバリエーションがあったことが近年の研究により明らかになっている。
スラヴ神話の神々
東スラヴの神々
キエフ・ルーシでもっとも古い年代記である『原初年代記(過ぎし年月の物語)』には、東スラヴで信仰されていた神々に関する記述がある。それによれば、980年頃、ヴラジーミルが宮殿近くの丘に下記の6柱の神々の像を設置させたという。
- 雷神ペルーン (Perun)
- 豊穣神ヴォーロス/ヴェレス (Volos / Veles)
- 風神ストリボーグ (Stribog)
- 太陽神ダジボーグ (Dazhbog)
- 太陽神?ホルス (Khors, Xors)
- 女性労働の守護神と母なるモコシ (Mokosh)
- 七頭神セマルグル (Semargl)
以下に、除村吉太郎訳の『原初年代記』の記述を引用する。
しかしてヴラヂミルは一人でキエフに君臨し始め、テレムの邸(やしき)の外の丘の上に偶像を建てた。銀の頭と金の髭を有(も)つ木造のペルーン、ホルス、ダージヂボグ、ストリボーグ、セマルグラ及びミコーシを《建てた》。しかして彼等を神と呼んで、彼等に礼拝し、おのが息子達と娘達を伴い来り、悪鬼共に礼拝し、おのれの生贄(いけにえ)によって大地を穢(けが)した。しかして《生贄》の血によってルーシの地とかの丘が穢された。 — 《ヴラヂミルがキエフおよびノヴゴロドに偶像を立てる》
他に、以下の神々も知られている。
- 火神スヴァローグ (Svarog)
- 出産と運命の神ロード (Rod) と ロジャニツァ (Rozhanitsa)
おそらく、スラブ神話には、天体の擬人化された神々(ペルーン、ダジボーグ、モコシ)とクトニオスの神々の両方が存在していた。。
西スラヴの神々
西スラヴで信仰されていた主要な神々は、『スラヴ年代記』などの資料に十柱ほどが記録されている。この地域では(軍神)が主に信仰されていた。
南スラヴの神々
南スラヴでは下記の神が知られている。
英雄の神格化
歴史上の英雄を神格化したと考えられている下記の神々も知られている。
民間信仰
10世紀にスラヴにおいてキリスト教への改宗が進められ、主要な神々(神格)への信仰が失われた。しかし下記のような「小神格(ディイ・ミノーレス)」については、キリスト教徒となったスラヴ人の生活の中に民間信仰として残ってきた。これらは自然現象などに由来した精霊と考えられている。
さらに、下記のような存在は昔話にも登場する。
スラヴ神話の研究
スラヴ神話の研究は19世紀半ば頃からと呼ばれる一連の研究者らの手によって開始された。 1960年代以降より、ロシアの言語学者イワーノフ、トポロフ、、、考古学者、叙事詩研究者らによって古代スラブの神話世界を再構築しようとする試みが行われている。その他の研究者に、ロマーン・ヤーコブソンがいる。[]
注釈
- ^ 時代による信仰の変化があり、多様な説があって分かっていない部分があるが、ロードは出産、運命、一族、父祖などを司る男性的な神であり、ロジャニツァは地母神で、出産と運命を司る。初期はロジャニツァ単独だったが、中世以降は通常「ロードとロジャニツァ」と併記される双神となり、夫婦神と言われることもある。「ウプィリとベレグィニャ」崇拝が盛んだった時期から、ペルーン崇拝が盛んになる時代の間の時代に、「ロードとロジャニツァ」が盛んに崇拝され、先祖崇拝と関連し、ロードは最高神と言われることもある。ロジャニツァが出産を司り、ロードが人の誕生に際して魂を吹き込むとされる。豊饒多産の祈願の対象となる双神である。ロード崇拝の中心地の一つがロデニであり、「ロデニ」の名前はロードにちなむものである。
出典
- ^ a b c 坂内 2004 p. 400.
- ^ 伊東 2002, p. 51.
- ^ ワーナー 2004, pp. 7-8.
- ^ 除村 1943, p. 62.
- ^ 和田 1997, pp. 151-152.
- ^ Hubbs, Joanna (1993-09-22) (英語). Mother Russia: The Feminine Myth in Russian Culture. Indiana University Press. p. 15. ISBN
- ^ Kalik, Judith; Uchitel, Alexander (2018-07-11) (英語). Slavic Gods and Heroes. Routledge. pp. 20-21. ISBN
- ^ Goscilo, Helena; Holmgren, Beth (1996) (英語). Russia--women--culture. Indiana University Press. p. 155. ISBN
- ^ 三浦 清美「中世ロシアの異教信仰ロードとロジャニツァ:日本語増補改訂版(前編 資料)」『電気通信大学紀要』第17巻第1-2号、2005年1月31日、73-96頁、ISSN 0915-0935。
- ^ 三浦 清美「中世ロシアの異教信仰ロードとロジャニツァ:日本語増補改訂版(後編 分析)」『電気通信大学紀要』第18巻第1-2号、2006年1月31日、59-88頁、ISSN 0915-0935。
- ^ "スラブ神話". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2022年6月11日閲覧。
- ^ "Rod". 世界大百科事典. コトバンクより2022年6月11日閲覧。
- ^ Миронов, Владимир; Голубев, Сергей (2022-05-15) (ロシア語). Русь между Югом, Востоком и Западом. Litres. p. 134. ISBN
- ^ このような解釈は、文献学者グリゴリー・グリンカ(ロシア語)によって初めて提案された。"ДРЕВНЯЯ РЕЛИГИЯ СЛАВЯН" (スラヴ人の古代宗教、ロシア語)を参照。 ミタヴァ1840年
- ^ 和田 1997, p. 152.
- ^ 伊東 2002 , p. 54.
- ^ a b c d e f 坂内 2004 p. 401.
- ^ アレグザンスキー 1993, p. 26.
- ^ アレグザンスキー 1993, pp. 19-20.
- ^ 伊東 2002 p. 58.
参考文献
- 除村吉太郎 「ロシヤ年代記」、 弘文堂書房、1943年。
- アレグザンスキー, G 著、小海永二 訳「スラヴの神話」、ギラン, フェリックス編 編『ロシアの神話』(新版)青土社〈シリーズ 世界の神話〉、1993年10月、pp. 5-92頁。ISBN 。
- 伊東一郎「スラヴの神話伝説」『世界の神話伝説 総解説』吉田敦彦他共著(改訂増補版)、自由国民社〈Multi book〉、2002年7月、pp. 51-61頁。ISBN 。
- 坂内徳明「スラヴ神話」『新版 ロシアを知る事典』川端香男里他監修、平凡社、2004年1月、pp. 400-401頁。ISBN 。
- 和田義浩「スラヴ神話」『世界の神話がわかる 〈民族の聖なる神と人の物語〉を探究する!』吉田敦彦監修、日本文芸社〈知の探究シリーズ〉、1997年8月、pp. 146-152頁。ISBN 。
- ワーナー, エリザベス『ロシアの神話』斎藤静代訳、丸善〈丸善ブックス 101〉、2004年2月。ISBN 。
関連図書
- 『ロシアの神話伝説』昇曙夢編、名著普及会〈世界神話伝説大系 32〉、1980年(改訂版)、、NCID BN01846370
関連項目
外部リンク
- ブリュクネル, アレクサンデル『スラヴ神話』長谷見一雄他訳、lavistika(東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報)
- アレクサンデル ブリュクネル, 長谷見一雄, 三浦清美, 三好俊介, 熊野谷葉子, 「スラヴ神話 (1)」『東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』 13巻 p.291-311 1998年, doi:10.15083/00038315
- アレクサンデル ブリュクネル, 長谷見一雄, 三浦清美, 三好俊介, 熊野谷葉子, 「スラヴ神話 (2)」『東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』 14巻 p.110-129 1999年, doi:10.15083/00038296
- ブリュクネル アレクサンデル, 長谷見一雄, 三浦清美, 三好俊介, 熊野谷葉子, 寒河江光徳, 「スラヴ神話 (3)」『東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』 15巻 p.136-157 1000年, doi:10.15083/00038284
- アレクサンデル ブリュクネル, 長谷見一雄, 三浦清美, 三好俊介, 熊野谷葉子, 小椋彩, 柿沼伸明, 鳥山祐介, 「スラヴ神話 (4)」『東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』 16/17巻 p.284-315 2001年, doi:10.15083/00038276
- Г. Глинка "ДРЕВНЯЯ РЕЛИГИЯ СЛАВЯН " http://old-ru.ru/articles/art_27.htm