サポート
www.wikiquery.ja-jp.nina.az
L Arc en Ciel ラルク アン シエル は 日本の4人組ロックバンド 通称 略称は 主に ラルク が用いられている L Arc en Cielマディソン スクエア ガーデン公演にて 2012年3月25日 左からtetsuya hyde yukihiro ken基本情報出身地日本 大阪府大阪市ジャンルポップ ロックハードロックニュー ウェイヴポストパンクグランジオルタナティヴ ロック活動期間1991年 レーベルNight Gallery Records 1992年 Danger Crue Records 1993年 Ki oon Music 1994年 事務所MAVERICK 1992年 共同作業者岡野ハジメ 共同プロデューサー 1996年 公式サイトL Arc en Ciel Official Web Siteメンバーhyde ボーカル ken ギター tetsuya ベース yukihiro ドラムス 旧メンバーhiro ギター pero ドラムス sakura ドラムス L Arc en CielYouTubeチャンネルL Arc en Ciel活動期間2019年12月3日 ジャンル音楽登録者数53 7万人総再生回数2億6202万8496回事務所 MCN MAVERICKYouTube Creator Awards 登録者100 000人 2019チャンネル登録者数 総再生回数は 000000002024 03 06 0000 2024年3月6日 時点 テンプレートを表示概略1991年にtetsuya Ba を中心に結成 現在バンドに在籍するメンバーはtetsuyaを含め hyde Vo ken Gt yukihiro Dr の4名 過去にはhiro Gt pero Dr sakura Dr がメンバーとして参加していた バンド名はフランス語で 虹 を表しており tetsuyaにより名付けられている 1993年に発表した1stアルバム DUNE がインディーズチャートで首位を獲得するなど インディーズシーンで絶大な人気を得て 1994年7月にビデオシングル 眠りによせて でメジャーデビューを果たす 1990年代 は flower 虹 winter fall HONEY 花葬 Driver s High などの楽曲でヒットを記録し 2000年代 2010年代には NEO UNIVERSE READY STEADY GO 叙情詩 MY HEART DRAWS A DREAM DAYBREAK S BELL DRINK IT DOWN X X X などでチャート首位を獲得している そして現在までに 計12作品のスタジオ アルバムを発表している 楽曲は バンド活動の最初期の頃 メンバーがルーツとする1980年代のニューウェイヴやポストパンクからの影響を感じるものが多く発表されている ただ 活動が進むにつれ グランジやオルタナティヴ ロックなど その時代の刺激的なサウンドを吸収し 多彩なアレンジを施した独創的なポップ ミュージックを手掛けるようになっている また メンバー4人全員がメインコンポーザーとして作曲を手掛け 多様な方向性のアプローチにつなげている点も バンドの大きな特徴のひとつとなっている 1990年代後半以降の活動では スタジアムクラスの会場で頻繁にライヴを行うようになっている 1999年には野外特設会場をまわる全12公演のツアーで65万人を動員 2000年には4大ドームツアーを敢行している さらに2014年には 国立競技場 現 旧国立競技場 の最多収容人数記録となる8万人 2日間計16万人 を集めた公演を開催 そして近年は 各メンバーのソロ活動もしくは別バンドでの活動と並行しつつ 日本国外でもライヴを行っており これまでにソウル 台北 上海 香港 シンガポール バンコク ジャカルタ パリ ロンドン ホノルル ボルチモア ニューヨークといった都市で公演を行っている なお 2012年にはニューヨークのマディソン スクウェア ガーデンで 日本人アーティストとして初めて同所での単独公演を開催している マネジメントはMAVERICKが担当 レコード会社はソニー ミュージックレーベルズの社内レーベル Ki oon Musicに所属している 公式ファンクラブ名はフランス語で 空 を意味する LE CIEL 1995年設立 デジタル版は2021年設立 公式モバイルサイト名は L mobile 2009年設立 メンバー現メンバー メンバープロフィール ソロプロジェクト バンド遍歴 パートhyde 読み ハイド 本名 寶井 秀人 1969 01 29 1969年1月29日 和歌山県和歌山市出身 Jelsarem s Rod 1990 1991 L Arc en Ciel 1991 KIOTO 1995 D ARK EN CIEL 1996 1997 P UNK EN CIEL 2004 2012 HYDE 2001 VAMPS 2008 2017 THE LAST ROCKSTARS 2022 Vocal Chorus Guitar Keyboard Programming Blues Harp Alto Saxophones Hand Clap Tambourine ライヴ Conga ライヴ Whistle ライヴ ken 読み ケン 本名 北村 健 1968 11 28 1968年11月28日 滋賀県米原市出身 DOBERMAN 活動期間不明 Byston Well 活動期間不明 THE CLARE 活動期間不明 L Arc en Ciel 1992 KIOTO 1995 D ARK EN CIEL 1996 1997 P UNK EN CIEL 2004 2012 SONS OF ALL PUSSYS 2002 2006 Ken 2006 Guitar 2代目 Chorus Keyboard Vib piano Programming Manipulate Autoharp Percussion Vibraphone Tambourine Hand Claptetsuya 読み テツヤ 本名 非公表 1969 10 03 1969年10月3日 滋賀県米原市出身 リーダー Byston Well 活動期間不明 L Arc en Ciel 1991 KIOTO 1995 D ARK EN CIEL 1996 1997 P UNK EN CIEL 2004 2012 TETSUYA 2001 Like an Angel 2023 BassChorus Guitar Keyboard Programming Percussion Hand Clapyukihiro 読み ユキヒロ 本名 淡路 幸宏 1968 11 24 1968年11月24日 千葉県市川市出身 GUERRILLA 活動期間不明 ZI KILL 1989 1990 OPTIC NERVE 1991 DIE IN CRIES 1991 1995 yukihiro 1995 2001 L Arc en Ciel 1998 P UNK EN CIEL 2004 2012 acid android 2001 geek sleep sheep 2012 2021 Drums 3代目 Chorus Guitar Keyboard Programming Sampler Turntable Percussion Grancassa Tambourine Shaker Hand Clap過去に在籍したメンバー メンバープロフィール パート 在籍期間 備考hiro 読み ヒロ Guitar 初代 1991年2月 1992年6月12日 詳細 hiroが在籍していた頃に発表したL Arc en Cielの公式作品は バンド初の映像作品 L Arc en Ciel のみとなっている ただ 脱退後もhiroが在籍していた頃の映像を収めた作品がL Arc en Cielとして再収録されている L Arc en Ciel脱退後は peroとともにAnge Graie FEEDを結成 その後はFlameというバンドを立ち上げ活動していた なお 脱退した後 L Arc en Cielのメンバーとの公の場での交流は長らくなかったが 2015年にtetsuyaがソロ名義で開催したライヴにおいて tetsuya hiro peroで I m in Pain と Dune のセッションを披露している pero 読み ペロ Drums 初代 1991年2月 1992年12月30日 詳細 peroが在籍していた頃に発表したL Arc en Cielの公式作品は バンド初の映像作品 L Arc en Ciel インディーズシングル Floods of tears 夜想花 の2作のみとなっている ただ 脱退後もperoが在籍していた頃の音源や映像を収めた作品がL Arc en Cielとして再収録されている L Arc en Ciel脱退後は hiroとともにAnge Graie FEEDを結成 なお 脱退した後 L Arc en Cielのメンバーとの公の場での交流は長らくなかったが 2015年にtetsuyaがソロ名義で開催したライヴにおいて tetsuya hiro peroで I m in Pain と Dune のセッションを披露している sakura 読み サクラ 本名 桜澤 泰徳 1969 11 20 1969年11月20日 東京都練馬区出身 Drums 2代目 Chorus Percussion 1993年1月16日 1997年11月4日 詳細 sakuraが在籍していた頃に発表したL Arc en Cielの公式作品は 映像作品 L Arc en Ciel とインディーズシングル Floods of tears 夜想花 を除き 1997年2月までに発表したすべての作品となっている ただ 脱退後もsakuraが在籍していた頃の音源や映像を収めた作品がL Arc en Cielとして再収録されている L Arc en Ciel脱退後は ZIGZO SONS OF ALL PUSSYS Lion Heads Rayflower THE MADCAP LAUGHS gibkiy gibkiy gibkiyといったバンドに参加している また L Arc en Cielの楽曲制作にも携わる富樫春生が結成したジャズ ファンクグループ 梵鉾 でもドラムを叩いている なお sakuraは脱退した後もL Arc en Cielのメンバーと単発的に公の場で共演している hydeとは2003年に同氏のソロ名義のライヴツアーで共演し I m so happy をセッションしており kenとはSONS OF ALL PUSSYSで再びバンドメンバーとなっている また tetsuyaとは2006年に発行された音楽雑誌 R amp R NewsMaker で対談している他 2019年に行われたライヴイベントで共演し Dune をセッションしている ちなみに後を継いだyukihiroは 1997年時点でsakura含めたメンバーにとって事務所の先輩 後輩という関係性にあり 事務所主催のライヴイベントの舞台裏では交流があったという 時系列活動概要1991年 L Arc en Ciel結成 バンド結成の経緯 1990年前後に 大阪の有名レコード店 ワルツ堂 でアルバイトをしていたtetsuyaは バンドを組むべくメンバー探しを行っていたという そのような中でtetsuyaは アルバイト先で当時大阪のシーンで有名だったバンド BILLY amp THE SLUTSのボーカルを務めるSAMMYと知り合っている そして SAMMYから いいギターがいる と L Arc en Ciel結成メンバーとなるhiroを紹介されたという その後tetsuyaは hiroと2人でバンドを結成する方向で動いていたが 形にならず終わってしまう このあともメンバーを探すため ライヴハウスに頻繁に訪れていたtetsuyaは とあるギタリストに 今度スタジオで音を出そうと思ってる ちょうどベースがいないから合わせてみる と誘われ そのセッションに参加することにする そこで L Arc en Cielの結成メンバーとなるhydeとperoに出会ったという また 余談だが この当時tetsuyaはバンドメンバーを探すため 多くのミュージシャン志望の人とセッションしていたといい その中には当時Luis Maryのボーカリストとして高い知名度を持ち 後にT M Revolutionとしても活動を始める 西川貴教 当時は 灰猫 名義で主に活動 もいたという 一方 hydeもtetsuyaと同様に バンドを組むべく 大阪でメンバー探しを行っていたという そして Kiddy Bombsというバンドと知り合い 同バンドのドラマー peroと交流を持つようになる その後 Kiddy Bombsがボーカル脱退に伴い解散状態となり peroはhydeに 一緒にバンドやろう と声をかける こうしてhydeとpero さらにKiddy Bombsのギタリストとベーシストを加えた4人は 新たなバンド Jelsarem s Rodを結成する そして結成してすぐに ベーシスト以外の3人は tetsuyaも参加した前述のセッションに赴いたという 上記のセッションを振り返り tetsuyaは2010年に発表された書籍のインタビューで 課題曲を決めておいて セッションで何曲か合わせて お互いに様子見ですよね お見合いみたいな peroとhydeは一緒にバンドをやってて 僕は僕で 別のところで hiroとふたりでメンバーを探してたんですよ と述懐している また hydeは2012年に発表した自叙伝で 当時はJelsarem s Rodを作ったばかりだったから 他のバンドには興味が持てなくて peroが 行こうよ って言うから行ったけど ひと通り演奏して帰ったっていう感じだったね まあ 上手だな うちのバンドとは全然違うな とは思ったけど と述懐している そして このセッションでhydeとperoと出会ったtetsuyaは L Arc en Ciel結成に向け 大きな一歩を踏み出すことにする というのも tetsuyaはhydeとperoと出会った際に hyde pero hiro 自分で全部がつながった すごいバンドになる と直感的に感じたという そのため tetsuyaは 自分とバンドを組まないか とhyde peroの2人に打診したという ただ 前述の通り Jelsarem s Rodを結成したばかりだから という理由で hydeに断られてしまう それでも諦め切れなかったtetsuyaは Jelsarem s Rodのライヴに足繁く通い hydeとperoを口説き続けたという この当時のtetsuyaの熱烈な勧誘を振り返り hydeは その時 セッションの時 にtetsuyaは俺らに目をつけてたみたいで それから 毎回 俺らのバンドのライヴに来てくれるようになって 打ち上げにも来たし電話もあったんだけど どう バンド 調子ええ って聞くから うん 調子ええよ って言うと そっか って残念そうにしてたな 笑 と述べている また 後年tetsuyaは このときの自身の行動について ちょっと今では考えられない 笑 当時はもっとおしゃべり おしゃべりじゃないな 積極的な少年やって と振り返っている なお peroはtetsuyaの誘いに乗り気だったようで tetsuya曰く hydeがOKしたら俺はいつでも行くよ 的なことを言ってた という 止めどないラヴ コールを受け続けたhydeは Jelsarem s Rodの先行きが見えなかったこともあり tetsuyaと一度セッションすることを決意する そして 1991年2月頃 hyde tetsuya peroに tetsuyaと共にバンドメンバーを探していたhiroを加えた4人で 兵庫県西宮北口駅のスタジオでセッションを行う このセッションでhydeは やっぱり自分たちのバンドとは全然クオリティーが違う と感じ tetsuyaからの誘いに 一緒にやろう と返答し Jelsarem s Rodを解散させ 新たなるバンド L Arc en Cielを結成することを決断する なお 後年hydeは Jelsarem s Rodの解散を決めたときを振り返り 2012年に発表した自叙伝で そうこうしてるうちに 俺らのバンド Jelsarem s Rod もすごく行き詰ってきて 毎回 ギターソロは スケールが外れてるし 笑 友達としては大好きだったんだけど バンドとしてこれでは無理だと気がついて来たんだ その後 Jelsarem s Rodの解散を切り出す事になるんだけど とてもつらかったのを覚えてる と綴っている こういった紆余曲折があり hyde 結成当時のアーティスト名義は hide ボーカル hiro ギター tetsuya 結成当時のアーティスト名義は tetsu ベース pero ドラムス の4名から成るロックバンド L Arc en Cielが結成された 余談だが L Arc en Cielは結成後 3回にわたりメンバーの脱退 加入が繰り返されているが 新加入したメンバーはいずれも バンドの発起人であるtetsuyaの知り合い もしくは直接知り合っていないながら 奇しくもバンド結成の流れの中に居合わせていた人物となっている 例えば hiroと入れ替わるかたちで1992年に加入したギタリストのkenは tetsuyaとバンドを組んでいたことがあった幼馴染で 客としてL Arc en Cielを観たこともあった そして peroと入れ替わるかたちで1993年に加入したsakuraは tetsuyaがアルバイトしていたレコード店に訪れたロックバンド DEAD ENDでドラムを担当していた湊雅史のローディーを務めており tetsuyaと直接知り合っていないものの アルバイト先に赴いていたことがあった そして sakura脱退後の1998年に加入したyukihiroは 当時ZI KILLのドラマーを務めており tetsuyaが hydeとperoの2人も赴いた最初のセッションに招待したギタリストとライヴハウスで接触した当日に 奇しくもそこでライヴをしていたという 以上のように L Arc en Cielは結成メンバー4人 そしてのちに加入するメンバー3人 合わせて計7人によって歴史が紡がれていくことになる なお L Arc en Cielというバンド名は 後述の バンド名の由来 の項目にあるように 大気光学現象のひとつである 虹 を意味している そして 虹の色数は 日本では一般的に 7色 とされており これは奇しくも L Arc en Cielに在籍したメンバーの数 と一致する この偶然の一致について tetsuyaは 2006年に受けた音楽雑誌のインタビューにて 今までのラルクのメンバーって7人 hyde hiro tetsuya pero ken sakura yukihiro いるんですよ なんかそれも運命かなぁって 誰ひとり欠けても今のラルクはない と述べている ちなみにアーティストが自身のメモリアルイヤーを定める際 メジャーデビュー年を起点に算出するミュージシャンと 結成年 活動開始年を起点に算出するミュージシャンの2パターンに分かれることが多いが L Arc en Cielは後者の 結成年 を基準にしていることが多い L Arc en Cielの場合 結成年を基準にすることにより 結成メンバー4人でアマチュアバンドとして活動していた時期も年数に含めることができるが このことが 結成年 を基準にしている理由かどうかは定かでない バンド名の由来 バンド名は 結成時にオリジナルメンバー4人が各々で 様々な案を考えたという 結果的にtetsuyaが提案した フランス語で 虹 空に架かる橋 を意味する arc en ciel を由来とした L Arc en Ciel カナ表記ではラルク アン シエル フランス語発音 laʀkɑ sjɛl ラルコンスィエル ラフコンスィエル という言葉がバンド名に採用されている ちなみにバンド名は そのときのデザインによって L Arc en Ciel という表記で記載している場合もある L Arc en Cielというワードは tetsuya曰く 当時本屋などをまわり 様々な資料をもとにバンド名に適した言葉を探していたときに たまたま見つけた言葉だったという この言葉を見つけた経緯について tetsuyaは2011年に受けた音楽雑誌のインタビューで 当時はインターネットとかなかったので 本屋さんとかでいろんな資料を見たんですが その中にこのフランス語の言葉があった 意味は虹ですけど 分割すると 天空にかかる橋 見た目もいいし 響きもいい 音楽でいろんな色を表現するというところでも合うなと 長くて 覚えにくいものではあるけれど ローマ字で表記したときにインパクトがあると思ったんです この言葉には 洋服のブランドみたいな雰囲気もあって いいかなって と語っている なお 2012年に受けたアメリカの経済雑誌 フォーブス のインタビューで バンド名の由来を聞かれた際に hydeは 名前を付けようと思ったときに 英語の単語はもう全部他のバンドに使われていたから新鮮だったフランス語にした 特に最初意味はなかったんだけど 今のバンドの音楽性が多彩なので それを上手く表している名前だな と僕たちも思う と述べている ちなみに 結成当初に作られたL Arc en Cielのバンドロゴやチラシは hydeの手で制作されている なお hydeはミュージシャンを志す前に 画家や漫画家 デザイナーといった職業に憧れ 絵の道に進もう と考えていたことから かつてデザイナー学校に通っていた 後年hydeは 結成当初にバンドロゴや ライヴのチラシを作っていた頃を振り返り 俺が出来る事と言えば バイト先のカラーコピー機を無断使用してライヴのチラシを作る事だった ベルトと手袋の会社で梱包のバイトをしてたんだけど 俺の経歴のデザイナー学院卒を見てくれて 企画を手伝うことになったんだ ファッションデザイナーが描いてくるベルトの絵を 商品化しやすいような絵に変えるような仕事がメインだったかな ほとんどは一人で作業してたから 当時は1枚100円くらいしたカラーコピーを何十枚も刷ってたね 笑 見つかったら怒られるだろうからヒヤヒヤしながらやってたよ 笑 CDをリリースしてた訳じゃないからバンドのアートセンスはチラシで決まる所もあって 結構時間をかけた それこそまさにアナログでカラーコピーを駆使した self portrait 音楽雑誌 R amp R NewsMaker で連載していたhydeによるアート企画 の原型だね L Arc en Cielの質を上げるのに貢献したと思うよ そこのデスクで初代のロゴも作った カッターとのりで切り貼りしたヤツを何度もコピーしたから少し歪んでるけどね 笑 と述懐している 余談だが バンド名の由来に関し 当時tetsuyaが阪急梅田三番街にあった喫茶店の名前を気に入り そこから取った という根も葉もない噂が世間で流布されたことがあったが この説は バンドの名付け親であるtetsuya本人の口から何度も明確に否定されている このデマについて tetsuyaは音楽雑誌 WHAT s IN 2011年2月号でのインタビューで 梅田に同じ表記の喫茶店があって そこからとったという説がずーっとWikipediaに書かれてたんですよ でもまったく関係ないです 冷静に考えてみてくださいよ 喫茶店の名前からバンド名をとるわけないじゃないですか と述べている ちなみに 1995年2月1日付けでバンドの公式ファンクラブ Ciel が設立されている それから約5年後の2000年4月21日には 公式ファンクラブの名称が LE CIEL に変更されている なお 公式ファンクラブの名称は フランス語で 空 という意味を持つ ciel が由来となっており この名称には ファンとバンドが 空 と 虹 のような関係でいれたら というL Arc en Cielの想いが込められている バンド結成直後の活動方針 当時のアマチュアバンドの逆を行くブランディング戦略 1991年2月頃のセッションを経て 新たに結成されたバンド L Arc en Cielは 同年5月30日に難波ロケッツで記念すべきファーストライヴを開催する このライヴはいわゆる対バン形式だったが 100人以上の動員を記録 そして 1991年9月27日に同所でL Arc en Cielとして初のワンマンライヴを行い 300人以上の観客を集めている こうしてL Arc en Cielは 結成して間もなくバンドが軌道に乗り始め 大阪を中心に様々な活動を展開していくことになる なお L Arc en Cielが結成当初から一定の人気を獲得できていたのは hyde曰く hiroが以前組んでいたバンドで名を知られていたことや tetsuyaの考えたプロモーション イメージ戦略によるところが大きいという 結成当時のL Arc en Cielの活動を振り返り 後年hydeは2012年に発表した自叙伝で 面白かったのは L Arc en Cielって最初から戦略的だった事 俺なんかは いいライヴさえやっていれば いつかそれが人目に付いて 動員が増えてプロになれるんじゃないかな くらいに考えてたんだけど L Arc en Cielはとても戦略的で tetsuyaはもう既に大勢の人の名簿を持っていて それを元にダイレクトメールを送ったり ギターのhiroは 元々ちょっと名前の知れた子だったから その子が復活するってだけでも話題になったり 最初のライヴは150人だったかな ちょっと普通ではありえないような動員があったね と綴っている また 後年tetsuyaは 今だと個人情報保護とかでダメだと思うんですけど 当時僕がアルバイトしていたレコード店にあるお客さんのリストを使って ライヴ開催のダイレクトメールを送ったりしてましたね と当時を振り返っている その後L Arc en Cielは この当時のアマチュアバンドが行っていたありがちな活動とは逆の戦略を展開し始める この当時のアマチュアバンドの多くは 手作りのデモテープを販売することで活動資金を集め それをもとに様々な地域でツアーと称し 長期的なライヴ活動を行うことが定番になっていた こういったバンドが溢れる中 活動最初期の頃のL Arc en Cielはデモテープの販売を避け あえて大阪からあまり動かず 先々のライヴ予定も発表しないスタンスをとっていた この当時の活動方針について tetsuyaは 当時ね 周りの同じようなバンドはライヴをいっぱいやってたんですよ 数をこなす みたいな 月に2 3回はライヴやって それこそツアーで全国を回るとか でも僕らは月1回に絞って それ以上はやらない ツアーもやらない で 大阪に観に来てもらう 東京からでも来てもらう ぐらいの気持ちでやってました ライヴの本数をあえて絞りましたね あと 他のバンドは先々のスケジュールまで発表しちゃうんですけど そうじゃなくて 次のライヴは観に来た人に伝える ライヴに来て初めて 次のライヴをいつどこでやるのかわかる 逆に 来ないとわからない 次はいつ観られるかわからないっていう状況をあえて作りましたね と語っている このようにライヴの開催数を減らし 長期のライヴスケジュールを発表しない戦略をとったことによって 口コミが喚起され 動員数が増加していったとtetsuyaは当時を述懐している なお ライヴを行った際は メンバー主導で音楽雑誌編集者に対し 公演の模様や動員数などの情報を送り より外に話題を広げていくためのプロモーション施策を行っていたという 後年hydeは こういったバンドを広める戦略について バンドがたくさん居る東京に行くよりも 大阪で一番になったほうが目立つだろうっていう tetsuyaの考え方もすごく賢いと思ったし 実際その通りになった と述懐している ちなみに あえてデモテープを販売しなかった背景には ライヴに来ないと 曲を 聴けない 自分たちが納得できるタイミングで音源を出したい というtetsuyaなりの考えがあったという そのため L Arc en Cielは結成してすぐに レーベルからの勧誘 あるいは デモテープを販売しないか という催促があったにもかかわらず それらすべてを断っていたという tetsuyaは 2011年に公表されたインタビューで インディーズバンドに群がる大人っていっぱいいるんですよ 今も昔も ライヴハウスでちょっと動員があると聞くと すぐ飛んできて うちでやらないか って声をかけてくる 金儲けを考える大人たちがたくさんいる 俺らのとこにもいっぱい来ました 自分たち的にはタイミングとしてまだ何も出したくなかったので メジャーから話が来ても断っていました と当時を述懐している 他にも この当時のアマチュアバンドの中には 観客との距離を詰め ライヴの打ち上げに客を参加させるバンドも多く存在していたが L Arc en Cielはこういったファンとの過度なコミュニケーションを一切行わないようにしていた また tetsuya曰く ブランディングの観点から メンバーが自作したライヴのチラシやフライヤーを直接配布する行為をしないようにしたり 会場に出入りする観客の前でメンバーが演奏機材を運搬するといった行動を避けるため 結成当初からローディーやスタッフを雇っていたという こういったイメージ作りについて 後年tetsuyaは 2022年に公開された自身がパーソナリティを務めるインターネットラジオ番組で ブランディングとして人気があるように見せた 最初から ラルクとして機材を自分達で 会場に 運んだなんてことは歴史上ない 売れる前から徹底してやってたんですよ 勘違いしてる と言われようと と述べている 上記のような 頭を使った戦略をとったことで L Arc en Cielは結成してすぐにワンマンライヴで観客を埋めることができ 先輩バンドに頼み込んで前座でライヴに出させてもらったり 全国を行脚して対バンライヴで知名度を上げていくといった施策を行わなくて済んだため 当時のバンドの滑り出しとしては 稀に見る順風満帆な始まり方となった そのため tetsuyaは当時について L Arc en Cielって 苦労してないんですよ 笑 と冗談交じりで述懐している また tetsuyaは当時の活動方針について やるべきことはやったんですよ やるべきことはやったけど 無駄な努力はあまりしてないっていうか ムダな下積みは 努力って 的を射た努力しないと意味がないと思ってて なんかがむしゃらに頑張っても 意味のない努力をいくら頑張っても結果出ないじゃないですか だからちゃんと目標を決めて どこに向かいたいのか どうしたいのか そのための努力は何なのか っていうのを考えて そのためのやるべきことをやってきた それをやっただけですよ と語っている さらにtetsuyaは 結成当初に対バンライヴをあまり行わなかったことについて 対バンで3バンド 4バンド一緒にライヴやるのとか そういうことは本当にしたくないなって思ってたんで 僕が 個人的に 対バンライヴで他のバンドのファンがこちらに興味を持つといった そういう戦略もあると思うんですけど 僕はそれを当時は取りたくなかったんですよ やっぱり3バンドも4バンドも出てたら ゴチャゴチャじゃないですか 楽屋まわり そういうのがイヤだったんでしょうね だからホントにワンマンがやりたかったんですよ それこそ最初から 最初からワンマンでやれるバンドにしたくて で 本当に最初の数回ですよ 対バンでやったの と述べている 余談だが L Arc en Cielは上記にあるように 当時のアマチュアバンドの中ではあまり対バンライヴを行わない珍しいバンドであったが 数少ない対バン相手としてロックバンド 黒夢がいた tetsuyaは 黒夢 との対バン はお互いにメリットがあったというか 黒夢は黒夢で もうある程度の立ち位置にいて 固定のファンもある程度いて 黒夢にとってもラルクにとっても お互いがハッピーになるような感じだったから 対バンしよう って言う話になったんです と述べている ちなみにtetsuyaは 2022年に自身がパーソナリティを務めるラジオ番組で L Arc en Cielのライバルバンドは と聞かれ 我々の一番のライバルは黒夢 と答えている なお 黒夢の中でも 特にボーカルの清春は L Arc en Cielの現メンバーのほとんどと現在でも交流があり お互いがメジャーデビューした後もライヴイベントや楽曲制作の場で共演している 1992年 1997年 DUNE Tierra heavenly True 幻のアルバムレコーディング hiroとperoの脱退 kenとsakuraの加入 1992年 入り 3月にはオリジナルのビデオ L Arc en Ciel のプレゼントライブを大阪の他に東京でも行い 関東地方にも活動拠点を広げるが 6月12日の難波ロケッツで行われたライブ終了をもってギタリストのhiroが脱退することとなった 後釜にはtetsuyaと学生時代に親交のあったkenが加入 kenは同年6月25日の新宿ロフトで行われたライブでL Arc en Cielとして初めてステージに立つこととなった ken加入直後からアルバム制作のためレコーディングを行い 1992年10月1日に発売されたオムニバスアルバム Gimmick にバンド初の音源となる VOICE を提供した しかし アルバム自体は メンバー曰く 出来映えが気に入らなかった ため 完成直前まで漕ぎ着けていたが全曲をボツにし発売しない意向を取った また これに関しては脱退したhiro側から 自分の曲を使わないでほしい と言われたことも理由の一つになっている この一件で当時所属していた事務所との間に軋轢が生まれ レコーディングに掛かった経費などの支払いを命じられることとなる これとほぼ同時期に デンジャークルー レコード 現 マーヴェリック ディー シー グループ 社長の大石征裕から うちの事務所に来て欲しい と誘いがあり そのままデンジャークルー レコードへ移籍 この時の金銭問題は 事務所間での話し合いで全て白紙となった ちなみに インディーズ時代に唯一リリースされた生産限定シングル Floods of tears 夜想花 は 前述の金銭問題を処理する為にリリースされたものである また この移籍の話が出たころにtetsuyaがバンドのリーダーとなっている tetsuyaをバンドのリーダーにしようと提案したのはhydeで 後年にhydeは 先導が誰かに決める必要があったんだと思う 本人が リーダーになる って言えないだろうから tetsuyaがリーダーに相応しいと思う って言ったんだよ tetsuyaは当時からしっかり者だったからね と振り返っている しかし 前述のシングルリリース直後の1992年12月30日に 大阪ミューズホールで行われたオールナイトライブをもってドラマーのperoが脱退することとなり 後任のドラマーを探すこととなった 1993年1月16日 前年脱退したperoに代わりsakuraが加入 加入後に約1ヶ月間のレコーディングに入り 1stアルバム DUNE をデンジャークルー レコードより発売した 1993年5月10日付のオリコンインディーズアルバム週間チャートでは首位を獲得し インディーズでの人気を不動のものとする 1993年夏 当時レコード店でアルバイトをしていたtetsuyaが 店に来た担当の人間を気に入った という理由から 1992年にソニー ミュージックエンタテインメント内で新規レーベルとして設立されたばかりのキューンソニーレコードと契約を結ぶ 所属事務所の社長である大石征裕は 当時のソニーはメジャー志向のアーティストを続々とヒットさせていて 当時はサブカルチャー寄りだったラルクに興味を持ってくれるか最初は不安だった と述べている メジャーデビュー 地道な活動 自身初の日本武道館公演開催 1994年7月1日 ビデオシングル 眠りによせて を発売しメジャーデビューする 同年7月14日には2ndアルバム Tierra 同年10月21日にはシングル Blurry Eyes を発売し メジャーレーベルでの本格的な活動を開始した この当時に制作された楽曲は メンバーが好んで聴いていたニュー ウェイヴやゴシック ロックからの影響を受けたものが多い なお L Arc en Cielの所属事務所の代表の大石征裕は 4人ともザ キュアーのようなUKロックをよく聞いていたと記憶しています と述懐している ちなみに メジャーデビューの発表は当時メンバーの口から一切行われていない このことに関し tetsuyaは ライブや広告でメジャーデビューを発表するトレンドが嫌だった と述べている メジャーデビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが デビュー後初めて行った全国コンサートツアー Tour Sense of time 94 の東京ベイNKホール公演などでチケットがソールドアウトしないという事態が発生した 以後は スタッフに全て任せきり だったコンサートの会場決め プロモーションなどをインディーズ時代のようにメンバー主導で行うようになった 当時を振り返り hydeは 自らが主導権を握って活動していなければ 多分 バンドは 終わっていたと思う そこからは変わってないと思うんですよね それぞれがいろいろ経験して大人にはなったけど tetsuyaは メジャーに来たらある程度はスタッフにお任せして 自分達は音楽に専念できる環境が整ったんですけど ふたを開けてみたら あれ と思うことが多くて メジャーデビューして1年ぐらいしてからやっぱり自分たちのやり方に戻した方がいいなと思った と述べている 1995年1月からは公式ファンクラブ Ciel 現 LE CIEL の発足記念ライブツアー Ciel winter 95 を開催 同年5月21日からはライブツアー in CLUB 95 を開催 ツアー初日に合わせ ビデオシングル and She Said を発売 さらに 同ツアーでは同年9月にリリースされる3rdアルバム heavenly の収録曲を先行披露して廻るなど ライブを積極的に行う活動にシフトしていった また アルバムを引っ提げて行われたライブツアー TOUR heavenly 95 では初の日本武道館公演を開催し 徐々に人気を広げ動員規模を拡大していった 自身初のミリオンセラー 自身初のアリーナツアー開催 sakura逮捕に伴う活動休止 1996年5月には ライブ Kiss me heavenly deadly 96 REVENGE を開催し 2年前のリベンジとなる東京ベイNKホールでのソールドアウトを達成 また 同年7月からシングル3作品を立て続けにリリースした 中でも10月17日に発売したシングル flower は累計30万枚以上を売り上げるヒット作となった さらに 同年12月には4thアルバム True を発売 過去のアルバム3作と異なり 富樫春生 岡野ハジメ 秦野猛行 小西貴雄 西平彰 佐久間正英の計6人の共同プロデューサーを迎えて制作された 本作以前のアルバムは ほとんどの楽曲がセルフプロデュースで制作されていたが 思っていたほどセールスが伸びていなかったことから バラエティに富んだポップ色の強いアルバムとして本作が制作された 本作について hydeは 僕らにやりたいことが山ほどあったから ここでポップな曲での攻撃を覚え始めた kenは L Arc en Cielが 売れねえって声が聞こえた時 当時自分が一番曲を書いていたから 曲が悪いんだろう 俺が悪いんだろう そりゃ売れねえの作ってるよ 俺は と思っていた だから じゃあ売れるの作りましょうか っていう気分で True の制作にあたった と述べている その結果 本作は発売6週目でメジャーデビュー後では自身初となるオリコン週間アルバムチャート首位を獲得 その後 チャートに自己最長となる110週ランクインし続け シングル アルバム通じて初のミリオンセラーを記録し L Arc en Cielの前期の集大成 と呼べる作品となった また この頃から作品リリースに合わせ プロモーションのため テレビ朝日系番組 ミュージックステーション などの音楽番組に頻繁に出演するようになる hydeはテレビ出演に関し 正直言うと 僕はそんなに売れっ子アーティストになりたかったわけでもなく まさかテレビで歌うとかそこまで思ってなかった でも いざこの世界に入ってきて自分の芸術を表現したいときって 売れてないと出来ないことが多くて そこでやっぱどんどん拍車がかかったんだと思う と述べている 前年から1997年初頭にかけ 初のアリーナ公演を含むコンサートツアー CONCERT TOUR 96 97 Carnival of True を開催するなど人気は過熱しはじめ ヒット街道を驀進するものと思われたが 同年2月にドラマーのsakuraが覚醒剤取締法違反で逮捕される これにより 活動予定を全て白紙化することとなった それに留まらず これまでにリリースした全てのシングル アルバム 映像作品の出荷を一時停止し バンドは活動休止状態となった 1997年 2002年 HEART ark ray REAL sakuraの脱退 変名バンドとしてのライブ開催 復活ライブとなる自身初の東京ドーム公演開催 sakuraの逮捕後 曲作りとリフレッシュ の名目で渡英する シングルの制作やプロモーションのため一旦日本に戻るも ミュージックビデオの撮影も兼ねて再度渡英 さらにドイツを巡るなど数ヶ月の間ヨーロッパに滞在することとなる この間にサポートドラムとして元ZI KILL DIE IN CRIESのドラマー yukihiroが参加したセッションなどが行われ 1997年10月に長い休止から復活 直後発売したシングル 虹 は初動30万枚 累計70万枚以上を売上げ 当時の自己最高初動 最高売上を記録した 同年11月4日には sakuraがバンドから正式に脱退することが発表された 同年12月には L Arc en Cielのコピーバンド the Zombies を期間限定で結成 同月16日から18日の3日間限定で 変名バンド名義でライブ Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE を東京 大阪のライブハウスにおいて開催した さらに12月23日には L Arc en Cielとして初となる東京ドーム公演となる復活ライブ L Arc en Ciel 1997 REINCARNATION を開催 当時の東京ドームの愛称であった ビッグエッグ にちなみ おおきなあたたかいたまごから僕たちはもう一度生まれた というコンセプトのもと再始動を予告した 本公演のチケットは当時の最速記録である4分で完売し 当時絶頂にあったバンドブームと重なり休止前までには無かったほどの爆発的人気を得ることになった また 後年tetsuyaはこの公演を振り返り 賭けだった と述べており 同じような会場で同じようなことをやっても ラルクはもうダメになっちゃったと思われるんじゃないかって だから絶対に良くなったって思わせたかった と語っている yukihiro加入による新体制での活動再開 自己最長となるホールツアー開催 1998年1月1日にはサポートドラマーとして参加していたyukihiroが正式に加入 加入直後にシングル winter fall を発売し 自身初となるオリコン週間シングルチャート首位を獲得 シングルリリースの翌月には5thアルバム HEART を発売 前作の制作に参加した岡野ハジメ ex PINK が本格的に共同プロデューサーとして携わる最初のアルバムとなった ドラマーが手数の多いyukihiroに変わりドラムがタイトかつシャープなスタイルになったことや kenのギターの音色がグランジ寄りに変化し始めたことから 以前と比べグランジ オルタナ色の強い音楽性に変化していくこととなった また 本作はアジア各国でアルバムの海賊盤が多数出回り始めたことや 海外からの要望が高まったことから 日本の他 台湾 香港 タイ マレーシア シンガポールのアジア6ヶ国においてリリースされ 結果的にこれがL Arc en Cielとして海外進出する第一歩となった yukihiroが正式加入して初めてのツアーとして 1998年5月より自己最長となる全国45都市56公演にも及ぶホールツアー Tour 98 ハートに火をつけろ を敢行 tetsuyaは後年この長期ツアーを振り返り yukihiroが加入した後だったので この4人がL Arc en Cielなんだというイメージを植え付けたいという意識がどこかにあった そのためにはそれまでにやった以上に数多くのライヴをやることだな たくさんリリースすることだなって思ってた と述べている シングル3作同時発売 アルバム2作同時発売 2度のシングルチャート1位 2位の独占 前述のアルバム発売以降も連続かつ集中的なリリースパターンを取り 1998年7月には HONEY 花葬 浸食 lose control のシングル3作を同時発売した この同時発売により 発売2週目にはオリコン週間シングルチャート1位と2位を独占し HONEY 花葬 の2作がシングルとしては初のミリオンセラーを記録 中でも自身のシングル最高売上を記録した HONEY は 全日本有線放送大賞を獲得する他 初出場となったNHK紅白歌合戦において披露された さらに 10月には snow drop forbidden lover のシングル2作を2週連続発売し オリコンチャート史上初の2度目のシングルチャート1位と2位の独占を達成し大きな注目を浴びた なお この年リリースしたシングル7作全てがオリコン年間シングルランキングTOP30入りを果たした そして翌1999年1月 当時B zやGLAYといったJ POPアーティストのベストアルバムが市場を席巻していたことから 巷で ラルクもベストアルバムを出すのでは と噂されていたが こういった世間の予想や思惑を外すように 本年もよろしくお願いします L Arc en Cielは 1999年ベストアルバムは出しません オリジナルアルバムをお楽しみに という年初の挨拶広告を新聞紙面に大々的に打ち出している その予告通り 7月には6thアルバム ark と7thアルバム ray のアルバム2作を同時発売 2作合わせ初動300万枚以上 トータルセールス600万枚以上を売り上げ 2作ともオリコン歴代アルバムランキングTOP100にランクインするほどの大ヒット作となった また 本作は日本を含め 台湾 香港 タイ マレーシア シンガポール フィリピンのアジア7ヶ国においてリリースされた また 同時期からフリーの映像ディレクター 箭内道彦が主な広告ディレクションを担当するようになり 藤原喜明 風間杜夫やユースケ サンタマリアの起用を始めとするバラエティに富んだ広告展開を行うようになる テレビCMでは グループ名 L Arc en Ciel ラルク アン シエル の正しい読み方を広く認知させる もの や 記者会見風の 活動予定告知 告知 を流し 新聞広告では 新曲の着信メロディの作成方法 や コンピュータグラフィックスで作成した 坊主頭のメンバーの写真 などのような それまでにはない奇抜なものを掲載するなどして注目を集めていった 後年に箭内は当時のディレクションを振り返り アンチで人を驚かせるようなものはマイナーな場所には山ほどあるが それをメジャーシーンでやることに意義がある として メジャーで アンチで びっくり をテーマに広告を制作していたと述べている また 箭内は 常に世の中やファンを裏切るような 次に何が出てくるかわからないような流れを作りたかった と述懐している こういった様々なメディアを活用した世間を手玉に取ったようなプロモーション戦略について hydeは 俺としては 世の中をなめた感じの表現の仕方は ロックでカッコいいな って思ってたけど 同時に そこに芸術性はないな とも思ってたね だから おちゃらけた話題をどんどん出したり リリースをするのはいいけど 芸術性を高めないと次がないんじゃないかな っていう不安が ずっーとあった と自叙伝にて述べている なお 1990年代の終わりごろは 当時交流がなかったにもかかわらず メジャーデビューのタイミングが同時期だったという理由のみで ロックバンドのGLAYとよく比較されていた tetsuyaは 音楽の嗜好が異なるGLAYと比較されていたことを当時から不思議に思っていたようで 2022年に 当時も今もそうだけど ラルクとGLAYって全然違うじゃないですか 音楽性が だからなんでそこで比較するんだろうなって思ってました と語っている また tetsuyaはL Arc en Cielと同じくザ キュアーやザ スミスといった洋楽の影響を受けていたスピッツの名前をあげ 音楽性で言ったら 僕はスピッツの方が近いと思ってた とも述べている ちなみに この当時日本のポップシーンの中心にいた小室哲哉は 1998年に発売された雑誌 日経エンタテインメント の L Arc en Ciel GLAY LUNA SEAの3バンド特集企画 の中で 演奏がうまいのはLUNA SEAですね アルバムは3枚とも聴きました 音楽的な好みもあるんでしょうけど でもラルクの方が売れることを気にせずに 思い切りやりたいことをやっているという印象を受けました 3バンドとも オレたちは 媚びていない という意味では同じなのでしょうが 中でもラルクがいちばん独創性がある しかも スキなことをやっている 風に見せながら あれだけ売っているのは大したものだと思います カリスマ性のようなものがあるのかな と想像したりしています 中略 GLAYはいい意味で 戦略などが 読めるんです とそれぞれの印象の違いを綴っている 自己最大規模の野外ツアー 4大ドームツアー開催 2度目の活動休止 1999年7月からは自身初の野外ライブツアー 1999 GRAND CROSS TOUR を全国6都市で開催 ツアータイトルの グランドクロス は同年8月に惑星が十字に並び 世紀末不安と重ね不吉の前兆とされた特殊な天体現象の名称からとられている また 誰もコンサートをやっていないところでライブをやろう という目的から 本公演では既存のスタジアムを用いず 各会場に特設ステージを設置する大掛かりなものとなり 全12公演で65万人を動員する自己最大規模のツアーとなった hydeはこのツアーをバンドの歴史の中で一番記憶に残っているコンサートとして挙げており このコンサートはホントに未だに夢のように思いますね 人の地平線に向かって歌えたという この時期の集大成です と述べている 同年8月21日 22日に行われたこのツアーの東京 東京国際展示場 駐車場特設ステージ公演では 自己最多動員数となる12万5千人 両日25万人 を動員したライブを敢行した さらに 21日の東京公演はViewsic 現 MUSIC ON TV で 自身初のアジア各国におけるコンサートの同時生放送が行われた 1999年12月31日から2000年1月1日にかけて 自身初のカウントダウンライブ RESET gt gt LIVE 000 を開催 資生堂 ピエヌ CMソングに起用された NEO UNIVERSE を2000年代突入の一曲目として初披露し 同月にメジャー初の両A面シングル NEO UNIVERSE finale としてリリースされた 同年7月にはシングル STAY AWAY をリリース 同曲のミュージック クリップは CGを用いたダンス表現が話題となり 音楽専門チャンネルスペースシャワーTV主催の音楽賞 SPACE SHOWER Music Video Awards 00 において BEST VIDEO OF THE YEAR を前年の Pieces に続き2年連続で受賞した 同年8月には8thアルバム REAL を発売 前作の反動からハードロックの要素の強い作品となり これまでとセールス面では多少見劣りするものがあったが アルバムとしては5作連続ミリオンセラーを記録した 1998年の活動再開から2000年までの3年間で シングル13作 アルバム4作ものリリースし その内の9作がミリオンセラーを記録した さらに 前年の自己最大規模の野外ライブツアーとは正反対のコンセプトとなるライブハウスツアー CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE を同年10月から開催 同ツアー後に立て続けに自身初の4大ドームツアー TOUR 2000 REAL を開催した 翌2001年には自身初となるベストアルバム Clicked Singles Best 13 を発売 本作でシングル アルバムを通じて11作目となるミリオンセラーを記録した また 本作制作にあたり Yahoo JAPANとのジョイント企画として期間限定特設ウェブサイトを開設 アジアの8つの国と地域から人気投票を募り 各国で収録内容が異なるベストアルバムを発売した 本作は同年4月下旬にアメリカ 2004年に韓国でも発売された 2001年9月発売のシングル Spirit dreams inside another dream のリリース前後から tetsuya yukihiro hydeが相次いで個人活動 を開始 公式発表はないものの 実質的な活動休止状態に入る 前述のように1998年以降のL Arc en Cielは活動が集中的に行われていたため 急な活動の沈静化に一部では解散説も流れ もうL Arc en Cielとしての活動は無いのではないか と思われていた 活動が止まった経緯に関して tetsuyaは どれが本当の理由か分からなくなるほどたくさんの理由があった と語っている また 当時hydeがバンドに流れる空気の重さが肌に合わず脱退を考えていたことや tetsuyaがバンドを取り巻く環境の改善に取り組もうとしていたことが 各個人名義で出版した本で綴られている 2003年 2010年 SMILE AWAKE KISS 2年半ぶりのライブ開催 本格的な活動再開 自身初の海外公演開催 個人活動の開始から約2年半が経った2003年6月 国立代々木競技場でバンド名に沿った7日間のライブ Shibuya Seven days 2003 を開催 この公演が解散ライブになると当時噂されていたが ライブ最終日の公演後において場内スクリーンに翌年の活動予定 シングル アルバムのリリース ライブツアーの開催 を掲載し それまで流れていた解散説を一蹴する 上記ライブでの発表通り 2004年2月には2年5ヶ月ぶりとなるシングル READY STEADY GO を発売 本作の表題曲はテレビアニメ 鋼の錬金術師 のオープニングテーマに起用され 2000年以来4年ぶりにオリコン年間シングルランキングTOP30にランクインした そして 同年3月には3年7ヶ月ぶりとなる9thアルバム SMILE を発売 さらに 5月よりアリーナツアー SMILE TOUR 2004 を開催し L Arc en Cielの活動を本格的に再開した また 2004年7月31日にはアメリカ東海岸で開かれる地域最大のアニメコンベンション OTAKON 2004 の一環として L Arc en Ciel Live in USA を開催 このライブはボルチモアにあるファースト マリナー アリーナで行われ 自身初となる海外公演は1万1100人を動員するライブとなった 翌2005年には1999年以来6年ぶりにシングル4作品をリリース 中でも同年5月18日に発売したシングル 叙情詩 は 7作連続でオリコン週間シングルチャート首位獲得を記録し ミュージック クリップは第9回文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門の審査委員会推薦作品に認定された 同年6月には10thアルバム AWAKE を発売 同年8月からはアルバムを引っ提げたアリーナツアー AWAKE TOUR 2005 を開催 アルバムがhydeの思想を先行した反戦や平和をテーマとして制作されており コンサートもアルバムに合わせコンセプチュアルなものとなった 前述のツアーを経て 同年9月から自身初のアジアツアー ASIALIVE 2005 を行い ソウル 上海において自身初のライブを開催した 結成15周年記念ライブ 9年ぶりとなるホールツアー開催 5ヶ月連続作品リリース 2006年には結成15周年を迎え 特別企画 L Anniversary 読み ラニバーサリー を開始 同年8月には Blurry Eyes から forbidden lover までのシングル14作の12cmCDシングル盤と sakura逮捕に伴い当時発売中止したシングル the Fourth Avenue Cafe を発売 この再発によって 全15作がオリコン週間シングルチャートTOP30にランクインし 同一アーティストによるオリコン週間シングルチャートTOP30入り の記録を更新した さらにシングル再発に立て続いて 1999年に2作同時発売されたアルバム ark ray に特典DVDを付属した15周年記念盤が発売された 2006年11月25日 26日には 結成15周年を記念したライブ 15th L Anniversary Live を東京ドームにて開催 ライブ最終日には翌年のシングルリリースと9年ぶりとなるホールツアーの開催を発表した 翌2007年5月にはシングル SEVENTH HEAVEN を発売 また SUBARU レガシィ のCMソングに起用された MY HEART DRAWS A DREAM を同年8月にシングルとして発売することを皮切りに シングル アルバム 映像作品を5ヶ月連続でリリースすることを発表した さらに 前述のホールツアー Are you ready 2007 またハートに火をつけろ では 同年12月に発売される11thアルバム KISS の収録曲を含んだセットリストが組まれ 未音源化楽曲の先行披露をして全国32都市を廻った 自身初の欧州公演を含むツアー開催 ライブ活動休止 2007年12月より前述のアルバムを引っ提げ 童話 不思議の国のアリス を題材にした演出やセットが組まれたライブツアー TOUR 2007 2008 THEATER OF KISS を開催 ライブで新曲として披露された DRINK IT DOWN がゲームソフト デビルメイクライ4 の主題歌に起用され 翌2008年4月に発売された また 同月からは上海 台北 パリ ソウル 香港 大阪 東京という世界7都市を廻るコンサートツアー TOUR 2008 L 7 Trans ASIA via PARIS が開催され 日本公演含め30万人を動員した 同年5月9日に行われたフランス パリのルゥ ゼニット公演は 自身初のヨーロッパでのライブとなった また このパリ公演は日本全国5ヶ所の映画館において 世界初となる海外コンサートの同時中継が実施された さらに 同年5月13日の読売新聞朝刊記事で シングル NEXUS 4 SHINE の発売および上記ツアー終了を持って結成20周年となる2011年までライブ活動を休止することを発表 以後2011年まで各メンバーの個人活動の期間に充てられたが あくまでライブ活動のみの休止のため 新譜は定期的にリリースされていた 2010年には PEPSI NEX CMソングに起用された自身初のカバー楽曲 I Love Rock n Roll を配信リリースした他 バンクーバーオリンピック パラリンピックのNHK放送テーマソングに起用された BLESS がシングルとしてリリースされた さらに 同年放送されたNHK紅白歌合戦に10年ぶり4度目の出場を果たすなど テレビ出演含め音楽活動は途切れず継続された 2011年 2020年 BUTTERFLY ライブ活動再開 結成20周年記念ライブ 約3年3ヶ月ぶりとなるライブツアー開催 前年の紅白歌合戦への出場直後となる2011年1月1日にニューイヤーライブ 20th L Anniversary Starting Live L A HAPPY NEW YEAR を開催 L Arc en Cielとしては約2年半ぶりのライブ開催となった また 同ライブでは公式Twitterと動画共有サービスUstreamの連動企画が行われ 最後のhydeのMCからライブ生配信が実施された そのMCにおいて hydeが公演翌日から作曲期間に入ることを宣言し 本格的な始動を予告 さらに 公演終了後に場内スクリーンでオールタイムベストアルバムとなる TWENITY シリーズ3作と記念ライブの開催を発表した 新年の発表通り 2011年5月28日 29日に結成20周年を記念したライブ 20th L Anniversary LIVE を味の素スタジアムで開催 本公演のセットリストは初日公演で結成から1998年までにリリースされたアルバムの楽曲を 最終日公演では1999年発売のアルバムから当時の最新楽曲を中心に披露し 2日間で1曲も被りがないものとなった また 本公演の収益全額を 公演2ヶ月前に発生した東日本大震災の被災地への義援金として寄付することをメンバーとスタッフの連名で発表した さらに 同年9月10日からはアリーナ ドーム公演を含む約3年3ヶ月ぶりとなるコンサートツアー 20th L Anniversary TOUR を全国5都市で開催 メンバー4人以外がステージに立つことが滅多にないL Arc en Cielとしては珍しくステージ後方にストリングス隊を携えた構成で展開され 多数の楽曲にストリングスアレンジを施し披露されるライブとなった 同年には前述の記念ライブで初披露された GOOD LUCK MY WAY を含めシングル3作 翌2012年2月には4年3ヶ月ぶりとなる12thアルバム BUTTERFLY が発売された 中でも2011年10月に発売されたシングル X X X は ロックバンドとして史上3組目となる1990年代 2000年代 2010年代の3つの十年代連続でのオリコン週間シングルチャート首位獲得を記録した さらに 同年12月には前述の結成20周年ライブの模様を収録したライブビデオの発売により DVD総売上のミリオン突破を記録した また VHS総売上と合わせ映像作品全体 VHS DVD においてダブルミリオンの達成となった 世界10カ国14都市を廻るワールドツアー 日本人初のマディソン スクエア ガーデン単独公演 2度の国立競技場公演開催 2012年3月からは 香港 バンコク 上海 台北 ニューヨーク ロンドン パリ シンガポール ジャカルタ ソウル ホノルル等 世界10カ国14都市を廻るワールドツアー WORLD TOUR 2012 が開催され 日本公演含め45万人を動員した 同年3月25日には アメリカ ニューヨークにあるマディソン スクエア ガーデンにおいて 日本人ミュージシャンとして初となる単独公演が行われた 本公演について hydeは 今までのライブの中で一番覚悟が違った 戦いの日で 日本の旗を持ってきてライブをした気分だった アニメ 日本のアニメーション作品 の力とか昔から聴いてくれてた人が集まったりしたことで実現した ラルクだからできたこと と述べている さらに 上記ツアーの追加公演として 横浜 大阪 東京の国内3都市の野外会場でコンサートツアー 20th L Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL が行われ 5月26日 27日には ミュージシャンとしては史上4組目 ロックバンドでは初となる国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 通称 旧国立競技場 公演が開催された 2014年3月には 1年10ヶ月ぶりとなる2度目の国立競技場におけるライブ L Arc en Ciel LIVE 2014 at 国立競技場 を開催 前回の同所での公演と異なり フィールドに設置される花道を排除し限界まで座席を敷き詰めることにより スタンド フィールド含め8万人 両日16万人 を動員 国立競技場でのライブにおいて史上最多となる動員数を記録した また 同年5月には同所で行われたライブイベント SAYONARA 国立競技場FINAL WEEK JAPAN NIGHT に出演 この公演は全面建替工事前の国立競技場で行われる最後の音楽イベントとなり L Arc en Cielは最終日のトリを務め 全9曲を披露し国立競技場の長い歴史に花を添えた 同年2月26日には 過去のライブビデオ18作のBlu ray Disc化を発表 さらに 同年10月22日には過去にリリースされたアルバム12作品のハイレゾリューションオーディオが配信された hydeは レコード会社が ソニーっていうのと 事務所の 社長がエンジニアだったからだから結構音にはうるさいんですよね 何もないころから常にいい音で録音したりとか いい映像で撮ったりとかもう趣味なんですよね だからその時はお金はかかるけど いざ発表するときにその時の効果が出るんですよね と述べている また 同年12月には前述のワールドツアーに密着したドキュメンタリー映画 Over The L Arc en Ciel を全国72ヶ所の映画館で期間限定公開した 本作が自身初のドキュメンタリー映画となり 同年公開された音楽ドキュメンタリー映画の中で 最速となる興業収入1億円突破を記録した 4年ぶりとなるシングルリリース 結成25周年記念ライブ開催 ライブ制作体制の見直し 2015年9月には大阪 夢洲において史上初となるライブ L Arc en Ciel LIVE 2015 L ArCASINO を開催し 同ライブにて新曲 Wings Flap を発表 限定シングルを除いて約4年ぶりとなるシングルとしてリリースされた 翌2016年12月にはシングル Don t be Afraid を発売 表題曲は映画 バイオハザード ザ ファイナル の日本語吹替版主題歌に起用された他 同年に発売20周年を迎えたゲームシリーズともコラボし 世界初のVRミュージックビデオ Don t be Afraid Biohazard L Arc en Ciel on PlayStation VR をPlayStation VR向けで制作 配信した そして 2017年4月8日 9日には 結成25周年を記念したライブ 25th L Anniversary LIVE が東京ドームで行われた 2012年に開催されたワールドツアー終了から2017年までの約5年間は L Arc en CielとしてのCDリリースはシングル3作とライブアルバム1作のみ ライブ開催は単発ライブの6公演のみと活動ペースが急激に落ち込み 各メンバーの個人活動が活発化した バンドの活動ペースが落ち込んだことにより 一部報道で内紛 解散説が囁かれる事態となった tetsuyaはワールドツアー終了以降の活動について 度々 知らない所でライブ開催が決まっていた と述べており 結成25周年記念ライブの終了後に 所属事務所の社長である大石征裕とtetsuyaの間でL Arc en Cielのライブ制作体制の見直しが話し合われることとなった 大石曰く tetsuyaが アーティストとの信頼関係が保てるライブ制作体制を目指したい 全てをガラス張りにするためにも一緒に組む制作会社はコンペによって決定したい と意思を表明したといい 結果的に2018年以降のライブでは興行主体を 所属事務所のマーベリックからライブ ネイションに変更する運びとなった 自身初のクリスマスライブ開催 定額制音楽配信サービス開始 8年ぶりとなるライブツアー開催 前述の経緯で連携が決まったライブ ネイション ジャパンを興行主体とし 2018年に自身初のクリスマスライブ L Arc en Ciel LIVE 2018 L ArChristmas を開催 興行主体が変わったことで 数 の既存スタッフを除き PA 照明 制作 舞台 各種システム担当に渡りほとんどのスタッフを一新した上でライブ制作が行われた 動画配信サービスサイト Paravi で配信された同ライブのドキュメンタリー番組では このライブから新たに制作に携わったスタッフ達の証言が収録されている 翌2019年9月1日には 公式Twitterに 20190902 4 00 というメッセージを掲載 Twitter上に新情報のヒントとなる文字を時間差でアップし 翌日4時に翌2020年に8年ぶりとなるライブツアーを開催することを発表した また 同年12月2日にはツアー開催に先駆け 公式YouTubeチャンネルを開設 12月11日にはYouTubeチャンネルにおいて一部楽曲のミュージック クリップの無料公開 ライブ映像のプレミア配信を開始するとともに サブスクリプションサービス 定額制音楽配信 の解禁を発表した 同日より これまでに発表した計428曲の全音源 一斉配信し 計51作の全ミュージック クリップ も順次配信を開始した 解禁直後のSpotifyの日本の週間バイラルチャートでは 上位18位までを独占しTOP50に34曲がチャートインし 翌週も1位 2位を独占するなどファンダムが強さが浮き彫りとなった 翌2020年1月からは前年9月の発表通り 8年ぶりとなるアリーナツアー ARENA TOUR MMXX を開催 このツアーでは前年に開設した公式YouTubeチャンネルや公式Instagramを新たなプラットフォームとして活用し 公演前の会場の様子やライブの一部模様 舞台裏でのメンバーの様子などを撮影した映像を公開する企画が行われた また 前年に解禁した各種サブスクリプションサービスにおいて 開場時に流すメンバーセレクトのBGMのプレイリストや 過去のライブのセットリストのプレイリストを公開する企画が行われた このツアーの当初の公演規模は全国5都市12公演を予定していたが 同年1月末に日本国内で初感染が確認された新型コロナウイルスの感染症拡大防止のため 同年2月26日に最終4公演の中止を決定した 2021年 現在 バンドのロゴ結成30周年記念ライブ開催 2021年5月29日 30日に 結成30周年の幕開けとなるライブ 30th L Anniversary Starting Live L APPY BIRTHDAY を開催 公演初日となる5月29日の0 00より公式YouTubeアーティストチャンネルにて 新曲 ミライ を1コーラスがサプライズでプレミア公開された この曲は前述のライブでフルコーラスが初披露され 同年5月31日にフィジカルでのリリースに先駆け 各種音楽配信サイトにおいてダウンロード ストリーミング配信された 同年9月からは約1年7ヶ月ぶりとなるライブツアー 30th L Anniversary TOUR を開催 そして翌2022年5月21日 22日には 結成30周年を記念したライブ 30th L Anniversary LIVE を東京ドームで開催している 来歴1990年代 1991年 2月 L Arc en Cielを大阪で結成 結成当初のメンバーは tetsuya 当時の名義は tetsu を中心に hyde 当時の名義は hide hiro peroの4人 4月18日 YANTA鹿鳴館で上記の4人による謎のセッション バンドとしてライヴを行う 5月30日 難波ロケッツでL Arc en Ciel名義でのファーストライヴを行う 9月14日 大阪城野外音楽堂で行われたライヴイベントに出演 9月27日 難波ロケッツでL Arc en Cielとして大阪における初のワンマンライヴを行う 12月25日 YANTA鹿鳴館でhyde tetsuya peroの3人と他2名による謎のセッション バンドがライヴを行う 1992年 3月10日 自主制作ライヴビデオ L Arc en Ciel を 難波ロケッツで実施したライヴにて無料配布 同年3月16日に開催した新宿ロフト公演においても同ビデオの無料配布を実施している 6月12日 難波ロケッツで行われたライヴをもって ギタリストのhiroが脱退 後任として kenがギタリストでバンドへ加入する 8月27日 大阪アム ホールで行われたライヴイベント 1992 BEATNIK に出演 10月1日 コロムビアから発売されたオムニバスアルバム Gimmick にL Arc en Cielの楽曲 VOICE が収録される これがL Arc en Cielとして 初めてCDに収められた音源となった 10月3日 クラブチッタ川崎で行われたWill主催のライヴイベントに出演 10月10日 クラブチッタ川崎で行われたオムニバスアルバム Gimmick の発売記念ライヴイベントに出演 10月11日 目黒鹿鳴館で行われたライヴイベントに出演 11月7日 横浜モンスターで行われたライヴイベントに出演 11月25日 Night Gallery RecordsからインディーズCDシングル Floods of tears 夜想花 を発売 この作品は 1000枚限定で事前予約者を対象にリリースされている なお 予約のみで完売している 12月30日 大阪ミューズホールで行われたオールナイトライヴをもって ドラマーのperoが脱退 1993年 1月16日 peroの後任として sakura ex The HAREM Q がドラマーでバンドへ加入する 3月11日 ライヴ SONIC GIG を恵比寿GUILTYにて開催 3月14日 渋谷公会堂で行われたライヴイベント 華麗なる魔性 に出演 4月10日 1stアルバム DUNE のスペシャルジャケット限定盤をDanger Crue Recordsから発売 同年4月27日には ボーナストラック1曲を追加した通常盤を発売 ちなみにこの作品は 1993年5月31日付のオリコン週間インディーズアルバムチャートで首位を獲得している 4月27日 ライヴ SONIC GIG を恵比寿GUILTYにて開催 5月3日 渋谷公会堂で行われたロッキンf主催のライヴイベント Subliminal Vision に出演 6月14日 7月3日 自身初のライヴツアー Close by DUNE を開催 8月1日 ツアー Close by DUNE の最終公演 Close by DUNE FINAL を日清パワーステーションで開催 8月23日 渋谷公会堂で行われたライヴイベント SHOCK AGE 93 に出演 10月13日 ミュージック クリップ集 TOUCH OF DUNE をDanger Crue Recordsから1万本限定で発売 この作品は オリコン週間インディーズビデオチャートで首位を獲得している 10月19日 渋谷公会堂で行われたライヴイベント Because the Night Vol 1 に出演 11月9日 12月20日 ライヴツアー FEEL OF DUNE を開催 12月24日 テレビにて特別番組 ノスタルジーの予感 序章 が放送される 1994年 2月14日 全国6局ネットで特別番組 ノスタルジーの予感 第一章 が放送される 4月3日 4月15日 ライヴツアー ノスタルジーの予感 を開催 4月8日 7月8日 全国3局ネットで ノスタルジーの予感 組曲 が放送される 7月1日 1stビデオシングル 眠りによせて を発売 この作品は ソニー ミュージックの社内レーベル Ki oon Sony Records 現 Ki oon Music からリリースされており これがメジャーデビューシングルとなった このビデオシングル以降に発表されたL Arc en Cielの音源収録作品は 原則前記のレーベルからリリースされている 7月7日 全国10局ネットで特別番組 ノスタルジーの予感 第二章 が放送される 7月14日 2ndアルバム Tierra を発売 7月14日 8月27日 ライヴツアー Sense of time 94 を開催 8月20日 LUNA SEA SOFT BALLET BUCK TICKの3バンドによる合同ライヴツアー L S B の札幌芸術の森 野外ステージ公演にゲスト出演 なお このツアーで組まれた他会場には THE MAD CAPSULE MARKET S DIE IN CRIESがゲストアクトとして出演している 9月9日 9月20日 ミュージック ビデオ撮影のため モロッコへ渡航 10月21日 1stCDシングル Blurry Eyes を発売 12月1日 イメージビデオ Siesta Film of Dreams を発売 公式ファンクラブ Ciel 読み シエル の入会受付を開始 1995年 1月24日 2月4日 公式ファンクラブの発足を記念したライヴツアー Ciel winter 95 を開催 2月1日 公式ファンクラブ Ciel が正式に発足 5月21日 2ndビデオシングル and She Said を発売 5月21日 6月27日 ライヴツアー in CLUB 95 を開催 7月6日 2ndCDシングル Vivid Colors を発売 7月22日 渋谷公会堂で行われたライヴイベント SHOCK AGE SPECIAL 95 に出演 7月30日 渋谷公会堂でシークレットライヴ L Arc en Ciel DAY Rendez Vous 前夜祭 を開催 ライヴ開催は 当日に渋谷駅ハチ公前のスクリーンで発表された また 発表のあった渋谷では Tシャツの無料配布や 1995年の年末に開催する日本武道館公演の告知も行われた 8月20日 秩父ミューズパークで行われたエフエムナックファイブ主催のライヴイベント 彩の国秩父ミューズコンサート 95 NACK5 GO ROCK に出演 8月24日 8月31日 メンバー4人による全国キャンペーンイベント Rendez Vous 1995 Summer を開催 9月1日 3rdアルバム heavenly を発売 9月8日 10月4日 ライヴツアー TOUR heavenly 95 を開催 10月3日から エフエムナックファイブのラジオ番組 MIDNIGHT ROCK CITY にて火曜パーソナリティを務める 1996年3月26日まで 10月21日 3rdCDシングル 夏の憂鬱 time to say good bye を発売 名古屋ダイヤモンドホールで行われた中京テレビ主催の公開録音ライヴイベント Kiss Miss Live に出演 12月12日 12月25日 ライヴツアー The other side of heavenly 95 を開催 12月23日 12月25日 としまえんとのタイアップイベント L Arc en Ciel DAY Noyol を開催 このタイアップ期間中 CDシングル 夏の憂鬱 time to say good bye のジャケットを持って同所を訪れた者に 先着2万名でメモリアルカードがプレゼントされた 園内の特設シアター ドリームドーム にてスペシャル3Dビデオが上映された 12月27日 ツアー TOUR heavenly 95 の最終公演として 自身初の日本武道館でのライヴ TOUR heavenly 95 final を開催 1996年 3月21日 ライヴビデオ heavenly films を発売 4月3日 5月29日 ライヴツアー Kiss me deadly heavenly 96 を開催 5月26日 上記ツアーの合間に 東京ベイNKホールでライヴ Kiss me deadly heavenly 96 REVENGE を開催 この公演は 1994年に開催したライヴツアー Tour Sense of time 94 における同所でのライヴが ソールドアウトしなかったことを受けて実施されたリベンジ公演となっている 7月6日から エフエム北海道のラジオ番組 FM ROCK KIDS のパーソナリティを務める 1996年9月28日まで 7月8日 4thCDシングル 風にきえないで を発売 8月26日 9月4日 ライヴツアー BIG CITY NIGHTS ROUND AROUND 96 を開催 10月7日から TBSラジオ系ラジオ番組 宮川賢の誰なんだお前は 内で箱番組 ボンジュール L Arc en Ciel を開始 1997年3月11日まで 9月20日 アーティストブック L Arc en Ciel is をシンコー ミュージックから発売 10月17日 5thCDシングル flower を発売 11月21日 6thCDシングル Lies and Truth を発売 12月12日 4thアルバム True を発売 発売6週目にオリコン週間アルバムチャートで自身初の首位を獲得 さらに 自身初のアルバムミリオンセラーを記録する 12月19日 ライヴ Carnival of True Eve を日清パワーステーションにて開催 12月23日 1997年1月29日 ライヴツアー CONCERT TOUR 96 97 Carnival of True を開催 協賛はFRESH LIGHT sakuraが1997年2月24日に覚醒剤取締法違反で逮捕され その後バンドを脱退したため これがsakura在籍時のL Arc en Cielが行った最後のツアーとなった 1997年 2月24日 sakuraが覚醒剤取締法違反の現行犯で逮捕され バンドが事実上の活動中止状態となる sakura逮捕の後の対応は下記参照 2月27日 裁判所から逮捕の事実が事務所へ行き渡り メンバーでの緊急ミーティングを行われた sakuraは立川警察署にて身柄を拘束 接見禁止 以後 3月11日の読売新聞朝刊で事件の報道がされるまで 数回のミーティングが行われた 3月11日 読売新聞朝刊で今回の事件が報道され これ以降他の夕刊やスポーツ新聞などでも事件の報道が行われる 3月29日 前日にsakuraが保釈されたことを受け 事件後初めて4人でのメンバーミーティングを行う 4月17日 東京地方裁判所八王子支部で sakuraの第1回公判が行われる 4月18日 メンバーの連名で ファンクラブ マスコミ スタッフなどに対し 今回の事件に関するコメントを発表する 4月27日 この日以降の各音楽雑誌に18日発表のコメントが掲載される 5月1日 sakuraに懲役2年 執行猶予3年の判決が言い渡される L Arc en Cielはsakuraの逮捕を受け 1997年3月26日に発売予定だったCDシングル the Fourth Avenue Cafe のリリースを中止 1997年4月21日まで旧譜の出荷停止 各音楽雑誌でメンバーが持っていた連載等の休止 ラジオ番組 ボンジュール L Arc en Ciel を1997年3月11日で放送終了 4月に予定されていたファンクラブツアー ハワイ アン シエル の中止といった対応を余儀なくされている また 夏前に発売予定だったニューシングルのレコーディングが延期され 野外ライヴイベントへの出演も取り止めになっている 5月8日 5月23日 hyde ken tetsuyaとスタッフ2名でイギリス ロンドンへ渡航 現地でフラットを借り 共同生活を送る 8月31日 9月13日 hyde ken tetsuyaと yukihiro ex DIE IN CRIES ex ZI KILL スタッフらでドイツとイギリスを渡航 この渡航の模様は SPACE SHOWER TV系番組 GROOVE AIRLINE において 1997年9月の第3土曜日より週を分けて流されている 10月17日 7thCDシングル 虹 を発売 このシングルのレコーディングにはサポートドラマーとして yukihiroが参加している 11月4日 sakuraが正式にL Arc en Cielから脱退することを発表 12月16日 12月18日 変名バンド the Zombies 読み ザ ゾンビーズ として シークレットライヴツアー Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE を開催 the Zombiesのメンバー構成はL Arc en Cielと変わらないが あくまで ラルクのコピーバンド という位置付けになっている なお サポートドラマーとして 虹 のレコーディングに招聘されたyukihiroが参加している このライヴツアーでは L Arc en Ciel名義の新曲や 他のアーティストのカバーなどが演奏された 12月23日 本格的な活動再開に向けた復活ライヴ 1997 REINCARNATION を東京ドームにて開催 このライヴは L Arc en Cielにとって初の東京ドーム公演であり 5万6000席のチケットは同所公演史上最短の4分でソールドアウトしている 公演当日には日本衛星放送 現 WOWOW において 開演から終演まで完全生放送が行われた 12月27日 SPACE SHOWER Music Video Awards 97において 虹 が BEST GROUP CLIP を受賞 1998年 1月1日 sakuraの後任として yukihiro ex DIE IN CRIES ex ZI KILL が正式なドラマーでバンドへ加入する 1月28日 8thCDシングル winter fall を発売 発売初週にオリコン週間シングルチャートで自身初の首位を獲得 2月25日 5thアルバム HEART を発売 通算2作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得すると共に 2度目のアルバムミリオンセラーを記録した なお このアルバムは 日本を除くアジア各国でL Arc en Cielの作品の海賊盤が多数出回り始めたことや 海外からのL Arc en CielのCD販売要望が高まったことを受け 台北 香港 タイ マレーシア シンガポールでも発売されている 3月25日 9thCDシングル DIVE TO BLUE を発売 通算2作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得すると共に 自身初の2週連続シングルチャート首位を獲得 4月22日 ミュージック クリップ集 A PIECE OF REINCARNATION を発売 自身初のオリコン週間ビデオチャートで首位を獲得 5月1日 7月21日 ライヴツアー Tour 98 ハートに火をつけろ の第1部を開催 第1部では ホール規模の会場をまわっている 7月8日 10thCDシングル HONEY 11thCDシングル 花葬 12thCDシングル 浸食 lose control を同時発売 シングル3枚合算で初動約157万枚を売り上げ 同一アーティストが売り上げた最多初動セールスを記録 また 発売2週目に HONEY が通算3作目のオリコン週間シングルチャート1位を獲得し 浸食 lose control と共にオリコン週間シングルチャート1位 2位を独占 さらに HONEY と 花葬 が自身初のシングルミリオンセラーを記録している なお HONEY はフィジカルシングルとしては 自身最高のセールスを記録した 8月28日 ニッポン放送の深夜ラジオ番組 オールナイトニッポン のパーソナリティを1夜限りで務める 9月3日 10月21日 ライヴツアー Tour 98 ハートに火をつけろ の第2部を開催 第1部 第2部を合わせツアー全体で 全国47ヶ所計56公演を開催し 23万人を動員した なお このツアーで行ったライヴ数は L Arc en Cielにとって 1つのツアーにおける最多公演数となっている 10月5日から ニッポン放送系ラジオ番組 ゲルゲットショッキングセンター 内で L Arc en CielのOH DAIBA TO BLUE を開始 10月7日 13thCDシングル snow drop を発売 通算4作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得すると共に 通算3作目のシングルミリオンセラーを記録 10月14日 14thCDシングル forbidden lover を発売 通算5作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 前週に発売した snow drop と合わせ 史上初となる2度目のオリコン週間シングルチャート1位 2位の独占を達成 11月21日 第31回全日本有線放送大賞において HONEY が 大賞 L Arc en Cielが 最多リクエスト歌手賞 を受賞 12月23日 ライヴビデオ ハートに火をつけろ を発売 通算2作目のオリコン週間ビデオチャート首位を獲得 12月31日 第40回日本レコード大賞において HONEY が 優秀作品賞 を受賞する 第49回NHK紅白歌合戦に初出場 披露曲は HONEY 1999年 1月18日付けのオリコンシングルチャート 国内盤200 邦楽部門のシングルチャート トップ200 に メジャーデビュー以後に発売した14作のCDシングルがすべてランクインする 3月1日 第36回ゴールデン アロー賞において グランプリ と 音楽賞 を受賞する 受賞会場において 前年グランプリ受賞者の北野武から花束が贈呈された 3月3日 第13回日本ゴールドディスク大賞において HONEY 花葬 snow drop が SONG OF THE YEAR を HEART が ROCK ALBUM OF THE YEAR を受賞する 3月20日開幕の全日本GT選手権 参照 および1999年8月21日 22日開催の鈴鹿1000kmに参戦した Castrol無限NSX に バンド名義でスポンサー参加 4月3日から ニッポン放送系ラジオ番組 L Arc en CielのOH DAIBA TO BLUE が クールKのウルトラカウントダウン 内へ時間帯を移動 1999年6月26日まで 4月18日 7月4日 テレビ朝日系番組 イナヅマ ロンドンハーツ のエンディングで楽曲を演奏するコーナーに出演 4月21日 15thCDシングル HEAVEN S DRIVE を発売 通算6作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得すると共に 2度目となる2週連続シングルチャート首位 12cmCD部門 を記録 さらに ノンタイアップながら通算4作目のシングルミリオンセラーを記録している 6月2日 16thCDシングル Pieces を発売 通算7作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 7月1日 6thアルバム ark 7thアルバム ray を同時発売 アルバム2枚合算で初動約300万枚以上を売り上げ 同一アーティストが売り上げた最多初動セールスを記録 また ark が通算3作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得し ray と共にオリコンアルバムチャート1位 2位の独占を2週にわたって達成 さらに 両作がダブルミリオンを超える売り上げを記録 最終的にこの2作で600万枚を超えるセールスを記録した また この日から1999年8月31日までの62日間限定で 特設サイト arkray com を展開している なお この2枚のアルバムは 日本を含めたアジアの7つの国と地域 日本 台北 香港 タイ マレーシア シンガポール フィリピン で同時リリースされている 7月17日 8月21日 特設野外会場を中心にまわるライヴツアー 1999 GRAND CROSS TOUR を開催 東京公演では1公演につき12万5千人 2日間で延べ25万人 の観客を動員 全公演を合わせて65万人を動員しており 自身最大規模のライヴツアーとなった また 8月21日の東京公演はViewsic 現 MUSIC ON TV で生放送が行われている さらに8月22日の東京公演は スターTV 香港が立ち上げた中国およびアジアの有料テレビ音楽ネットワーク 英語版 で 自身初のアジア各国におけるコンサートの同時生放送が行われ 各国合計の視聴者数は約1億人を記録した 8月11日 17thCDシングル Driver s High を発売 ミュージック クリップ集 CHRONICLE を発売 通算3作目のオリコン週間ビデオチャート首位を獲得 9月10日 プロモーションの為 hydeとtetsuyaがタイへ渡航 9月14日 プロモーションの為 hydeとtetsuyaが香港へ渡航 9月16日 9月17日 プロモーションの為 hydeとtetsuyaが台北へ渡航 10月4日から TOKYO FM系ラジオ番組 やまだひさしのラジアンリミテッド 内の箱番組 FLYING L Arc ATTACK を開始 2002年3月28日まで 10月27日 18thCDシングル LOVE FLIES を発売 通算8作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 12月1日 ライヴビデオ 1999 GRAND CROSS CONCLUSION を発売 通算4作目のオリコン週間ビデオチャート首位を獲得 さらに オリコン週間DVD総合チャートで自身初の首位を獲得 12月7日 1999年度ベストドレッサー賞を受賞 12月27日 SPACE SHOWER Music Video Awards 99において Pieces が BEST VIDEO OF THE YEAR を受賞 12月31日 第50回NHK紅白歌合戦に2度目の出場 披露曲は HEAVEN S DRIVE 自身初のカウントダウンライヴ RESET gt gt LIVE 000 を東京ビッグサイト 東館展示ホール1 3にて開催 このカウントダウンライヴは1999年12月31日から2000年1月1日をまたいで行われた 協賛はツーカー また このライヴでは 会場となった東京ビッグサイト 東館展示1 3ホールに隣接する4 5ホールにおいて 大型ビジョンでライヴの模様を生中継するリアルタイム ヴァーチャル ライヴも開催された なお リアル ライヴとヴァーチャル ライヴを合わせ 5万5千人を動員している リアル ライヴで3万5千人 ヴァーチャル ライヴで2万人を動員 また 1999年12月31日23時59分頃から 全国各地の街頭ビジョンにおいて カウントダウンライヴに訪れた観客によるカウントダウンと2000年代幕開けの1曲目として披露した NEO UNIVERSE の模様を生放映している 2000年代 2000年 1月1日 自身初のカウントダウンライヴ RESET gt gt LIVE 000 を東京ビッグサイト 東館展示ホール1 3にて開催 このカウントダウンライヴは1999年12月31日から2000年1月1日をまたいで行われた 協賛はツーカー また このライヴでは 会場となった東京ビッグサイト 東館展示1 3ホールに隣接する4 5ホールにおいて 大型ビジョンでライヴの模様を生中継するリアルタイム ヴァーチャル ライヴも開催された なお リアル ライヴとヴァーチャル ライヴを合わせ 5万5千人を動員している リアル ライヴで3万5千人 ヴァーチャル ライヴで2万人を動員 また 1999年12月31日23時59分頃から 全国各地の街頭ビジョンにおいて カウントダウンライヴに訪れた観客によるカウントダウンと2000年代幕開けの1曲目として披露した NEO UNIVERSE の模様を生放映している 1月19日 19thCDシングル NEO UNIVERSE finale を発売 通算9作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得すると共に 通算5作目のシングルミリオンセラーを記録 3月15日 第14回日本ゴールドディスク大賞において HEAVEN S DRIVE が SONG OF THE YEAR を ark ray NEO UNIVERSE が ROCK ALBUM OF THE YEAR を受賞する 4月5日 1stアルバム DUNE をDanger Crue Recordsから再販 4月7日 NTTドコモのiモード J PHONE各社のJ Sky Webで最新情報提供が全国一斉にサービスを開始 同年5月17日には IDO セルラー ツーカー各社のEZwebでもサービスを開始した 4月17日 新曲 STAY AWAY が 各携帯電話へ着信メロディサービスを開始 全国のレコード店で限定200 000枚の着信メロディデータを掲載したフライヤーを配布した 4月21日 公式ファンクラブ Ciel が LE CIEL 読み ルシエル に改称される 6月28日 リミックスアルバム ectomorphed works を発売 このアルバムは yukihiro単独のプロデュース作品となっている 7月19日 20thCDシングル STAY AWAY を発売 プレイステーション用ゲームソフト 激突トマラルク TOMARUNNER VS L Arc en Ciel を発売 8月30日 8thアルバム REAL を発売 通算4作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得すると共に 5度目のアルバムミリオンセラーを記録した 10月8日 10月27日 ライヴツアー CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE を開催 これはL Arc en Cielとって 久々のライヴハウスのみをまわるツアーとなった 11月4日 12月6日 自身初の4大ドームツアー TOUR 2000 REAL を開催 協賛はトヨタ自動車と Yahoo JAPAN このツアーでは40万人以上を動員する なお 東京ドームでの4公演のうち 12月5日公演はYahoo JAPAN内のコンテンツ Yahoo ブロードキャスト で配信されている また 12月6日公演はスカパー スカイパーフェクTVのペイ パー ビューチャンネル パーフェクト チョイスで 通常形態の放送 メンバー4人のアングル別チャンネルで生放送が行われた さらに携帯電話サービス LE CIEL NET においても 12月6日公演のライヴ動画中継が実施された 12月23日 SPACE SHOWER Music Video Awards 00において STAY AWAY が BEST VIDEO OF THE YEAR と BEST GROUP VIDEO を受賞 12月31日 第51回NHK紅白歌合戦に3回目の出場 演奏曲は STAY AWAY 2001年 3月13日 第15回日本ゴールドディスク大賞において REAL が ROCK ALBUM OF THE YEAR を受賞する 3月14日 自身初のベストアルバム Clicked Singles Best 13 を発売 通算5作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得すると共に 6度目のアルバムミリオンセラーを記録した なお このベストアルバムは Yahoo JAPANとのジョイント企画として開設された特設投票サイト LArc yahoo co jp の投票結果をもとに 収録曲が決定されている ちなみに投票対象となる楽曲は シングル表題曲のみとなっている また 投票は日本以外のアジア地域でも行われており 日本盤の他 中国盤 香港盤 台湾盤 タイ盤 フィリピン盤 マレーシア盤が各地域で同時リリースされている 余談だが2001年5月には米国盤 2004年には韓国盤が発売されている 携帯電話情報サービス LE CIEL NET で着メロ配信サービスを開始 3月28日 ミュージック クリップ集 CHRONICLE 2 を発売 通算2作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得 5月1日 ベストアルバム Clicked Singles Best 13 の16和音着メロサービス開始 6月20日 ライヴビデオ CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE NO CUT を発売 7月4日 8thアルバム REAL のSuper Audio CD版を発売 8月29日 東京国際フォーラムで行われた映画 FINAL FANTASY の試写会にシークレット出演し Spirit dreams inside を披露 9月5日 21stCDシングル Spirit dreams inside another dream を発売 通算10作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 このシングル発売前後から L Arc en Cielは実質的に活動休止状態となり メンバー各個人がソロ活動もしくは別バンドでの活動を開始するようになる 2002年 3月13日 第16回日本ゴールドディスク大賞において Clicked Singles Best 13 が ROCK ALBUM OF THE YEAR を受賞する 2003年 3月19日 ベストアルバム The Best of L Arc en Ciel を 1994 1998 1998 2000 c w の3枚に分け同時発売 6月25日 LE CIEL会員限定ライヴ Akasaka Zero day を赤坂BLITZにて開催 6月28日 7月6日 本格的な活動再開を告げるライヴ Shibuya Seven days 2003 を国立代々木競技場 第一体育館にて開催 チケットは約3分で完売し 7日間の公演で約9万人を動員した なお 最終日公演は世界初の試みとして NTTドコモのFOMAを用いたライヴ映像のストリーミング配信を実施 12月17日 ライヴビデオ 7 を発売 同日には 眠りによせて and She Said Siesta Film of Dreams heavenly films のDVD版 A PIECE OF REINCARNATION ハートに火をつけろ のトールケース仕様廉価DVD版を発売 12月26日 日本武道館で行われたDanger Crue Records主催のライヴイベント 天嘉 弐 DANGER II にシークレットゲストとして出演 未発表の新曲 READY STEADY GO を初披露 2004年 2月4日 22ndCDシングル READY STEADY GO を発売 通算11作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 3月3日 23rdCDシングル 瞳の住人 を発売 通算12作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 3月31日 9thアルバム SMILE を発売 ムック本 ぴあMOOK ラルクぴあ 街に詳しくなる 遊びに詳しくなる ラルクに詳しくなる をぴあから発売 4月21日 メジャーデビュー10周年を記念し 1stアルバム DUNE の復刻盤 DUNE 10th Anniversary Edition をDanger Crue Recordsから発売 5月8日 Sony Music Fes 2004の一環で ライヴ SMILE TOUR 2004前夜祭 を国立代々木競技場 第一体育館にて開催 5月11日 6月27日 約3年6ヶ月ぶりとなるライヴツアー SMILE TOUR 2004 を開催し 約25万人を動員 6月2日 24thCDシングル 自由への招待 を発売 通算13作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 なお L Arc en Cielはこのシングル以降 フィジカル発売と同日もしくはそれに先駆けて 表題曲を各種音楽配信サービスサイトで発表するようになり 楽曲のリリースの形態が大きく変わっている この当時の日本では 携帯電話で音源のフルコーラスが聴ける着うたフルなどの独自サービスが登場し 楽曲のダウンロード配信が本格的に始まった背景があり L Arc en Cielもこの流れに沿うように販売形態を多様化していく運びとなった 6月29日 9thアルバム SMILE をアメリカで発売 7月24日 25日 野外ロックフェスティバル THE ROCK ODYSSEY 2004 に出演 7月24日に行われた大阪ドーム公演および 7月25日に行われた横浜国際総合競技場公演に出演し それぞれの会場で12曲を披露 7月30日 アメリカ合衆国 メリーランド州ボルチモアにあるファースト マリナー アリーナで行われたアニメコンベンション OTAKON 2004 の一環で 自身初の海外ライヴ Live in USA を同所にて開催 12月14日 ライヴビデオ LIVE IN U S A at 1st Mariner Arena July 31 2004 を発売 12月19日 26日 大阪城ホールで行われたイベント 鋼の錬金術師FESTIVAL にシークレットゲストとして出演 なお 同年12月26日には 国立代々木競技場 第一体育館で行われた同イベントへ出演している 12月25日 日本武道館で行われたDanger Crue Records主催のライヴイベント 天嘉 参 DANGER III にシークレットゲストとして出演 未発表の新曲 Killing Me を初披露 2005年 1月13日 25thCDシングル Killing Me を発売 通算14作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 4月6日 26thCDシングル New World を発売 通算15作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 5月18日 27thCDシングル 叙情詩 を発売 通算16作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 6月1日 ライヴビデオ SMILE TOUR 2004 全国編 を発売 通算3作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得 6月22日 10thアルバム AWAKE を発売 通算6作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得 7月8日 ニッポン放送の深夜ラジオ番組 オールナイトニッポン のパーソナリティを1夜限りで務める 録音放送 7月20日 28thCDシングル Link を発売 7月22日 東京国際フォーラムで行われたイベント 劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者 前夜祭 にシークレットゲストとして出演 7月28日 LE CIEL会員限定でライヴ AWAKE TOUR 2005前夜祭 今夜奇跡が起きる をLIQUIDROOM Ebisuにて開催 7月30日 大阪城西の丸庭園で行われたイベント MBS ANIME FES 05 にシークレットゲストとして出演し 3曲を披露 8月6日 8月31日 ライヴツアー AWAKE TOUR 2005 を開催 このツアーでは 約13万2千人を動員する 9月3日 9月25日 日本を含むアジア地域3ヶ国をまわるライヴツアー ASIALIVE 2005 を開催 このツアーは 東京 日本 ソウル 韓国 上海 中華人民共和国 の3都市で行われ ソウル 上海公演はそれぞれ1万人 東京公演は2日間で約9万2千人を動員している 9月20日 オフィシャルテキストブック WORDS L Arc en Ciel を角川書店から発売 著者は 音楽雑誌 ROCKIN ON JAPAN の元編集長である鹿野淳 10thアルバム AWAKE をアメリカで発売 12月14日 ライヴビデオ AWAKE TOUR 2005 を発売 2006年 3月17日 SPACE SHOWER Music Video Awards 06において 叙情詩 が ART DIRECTION VIDEO WINNERS を受賞 なお 叙情詩 のミュージックビデオは 平成17年度文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門において 審査委員会推薦作品に選ばれている 4月1日 オムニバスブック L Arc en Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT amp PHOTOGRAPH をソニー マガジンズから完全受注生産で発売 この本は ソニー マガジンズから発行された音楽雑誌 WHAT s IN や Gb などに掲載されていたL Arc en Cielへのインタビュー記事や写真が抜粋されたものとなっている 6月21日 ライヴビデオ ASIALIVE 2005 を発売 通算4作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得 なお 2006年にバンド結成15周年を迎えたことを踏まえ L Anniversary 読み ラニバーサリー 企画を開始 このビデオを含めた作品 関連イベントには 15周年 を示すマークが付与されることになった 7月15日 8月31日 J POP CAFE SHIBUYAにてカフェイベント L Arcafe 読み ラルカフェ を期間限定で開催 このカフェでは メンバー4人が考案したオリジナルメニュー販売の他 過去の未公開ライヴ映像が放映された なお カフェで放映された映像は のちに発売されたライヴビデオボックス FIVE LIVE ARCHIVES へ収録された 8月30日 1stCDシングル Blurry Eyes から14thCDシングル forbidden lover のCDシングル14作の12cmCD盤を発売 同日には 1997年に7thCDシングルとしてリリース予定だったが sakuraの逮捕を受け発売中止となっていた作品を 29thCDシングル the Fourth Avenue Cafe として発売 なお この再発によって 2005年 前年にサザンオールスターズが記録した 同一アーティストによる最多週間シングルチャートTOP30入り の記録を12から15へ更新した 9月1日 中華人民共和国にてオフィシャルファンクラブ設立 11月25日 26日 バンド結成15周年記念ライヴ 15th L Anniversary Live を東京ドームにて開催 チケットは約2分で完売し 2日間で約11万人を動員している 12月13日 1999年に発売した6thアルバム ark 7thアルバム ray に特典DVDを付属した バンド結成15周年を記念した復刻盤 ark 15th Anniversary Expanded Edition ray 15th Anniversary Expanded Edition を発売 2007年 2月14日 ミュージック クリップ集 CHRONICLE 0 ZERO を発売 4月4日 ライヴビデオボックス FIVE LIVE ARCHIVES を発売 5月30日 30thCDシングル SEVENTH HEAVEN を発売 通算17作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 6月8日 8月30日 ライヴツアー Are you ready 2007 またハートに火をつけろ を開催 このツアーは 1998年以来約9年ぶりにホール規模の会場を中心にまわるツアーとなった 7月28日 韓国 仁川広域市で行われた野外ロックフェスティバル 2007 INCHEON PENTAPORT ROCK FESTIVAL の2日目にヘッドライナーとして出演し 15曲を披露 なお このフェスへのヘッドライナー出演は 日本人アーティストとして初のこととなった 8月29日 31stCDシングル MY HEART DRAWS A DREAM を発売 通算18作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 9月12日 ライヴビデオ 15th L Anniversary Live を発売 通算5作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得 10月10日 32ndCDシングル DAYBREAK S BELL を発売 通算19作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 11月14日 33rdCDシングル Hurry Xmas を発売 11月20日 12月25日 東京 渋谷にある商業施設 SHIBUYA109のメンズブランド 109MEN S 現 MAGNET by SHIBUYA109 とL Arc en Cielがコラボした巨大広告が展示された この広告では翌週に発売されるアルバムのタイトルにちなみ メンバー同士がキスをしているように見える写真 が使われている なお これはこの広告のため撮り下ろしされたものである また この広告でメンバーは 109MEN S を取り入れたコーディネートで登場している さらに 同期間には 109MEN S L Arc en Ciel のコラボレーションCMがフォーラムヴィジョンにて放映されている ちなみに 109MEN S がロック アーティストとコラボレーションするのは これが初の試みとなった 11月21日 11thアルバム KISS を発売 通算7作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得 12月4日 iTunes USAで11thアルバム KISS の配信を開始 12月5日 ミュージック クリップ集 CHRONICLE 3 を発売 12月22日 2008年2月17日 ライヴツアー TOUR 2007 2008 THEATER OF KISS を開催 2008年 2月11日 iTunes Canadaで11thアルバム KISS の配信を開始 2月21日 Yahoo ミュージックアワード2007において L Arc en Cielが ベストグループ最優秀賞 を受賞 3月 NHK J MELO Awards 2007年 において L Arc en Cielが Most Requested Artist を受賞 4月2日 34thCDシングル DRINK IT DOWN を発売 通算20作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 また Billboard JAPANのTop Singles Salesチャートで自身初の首位を獲得した ライヴビデオ Are you ready 2007 またハートに火をつけろ in OKINAWA を発売 4月12日 MySpace上で L Arc en Ciel Official MySpaceを開設 4月18日 11thアルバム KISS をヨーロッパで発売 4月19日 6月8日 日本国内外7都市をまわるライヴツアー TOUR 2008 L 7 Trans ASIA via PARIS を開催 このツアーは ソウル 上海 香港 台北 パリ 東京 大阪の7都市で行われ 約30万人を動員している ちなみにパリ公演は 自身初のヨーロッパ公演となった なお 5月9日に行ったパリ公演の模様は 東京 大阪 福岡 広島 新潟の全国5箇所のシネマコンプレックスにおいて 世界初となる海外コンサートの同時中継が行われた ちなみに 海外コンサートの同時中継は このパリ公演が世界初のことである 5月2日 11thアルバム KISS が台湾の音楽チャート G musicの2008年5月2日付総合ランキングで首位を獲得 5月13日 読売新聞朝刊において 2008年8月にニューシングル NEXUS 4 SHINE をリリースすることと 2011年にバンド結成20周年記念ライヴを開催することを発表した この発表に関連し バンド結成20周年記念公演までライヴ活動を休止することも発表された 8月27日 35thCDシングル NEXUS 4 SHINE を発売 ライヴビデオ TOUR 2007 2008 THEATER OF KISS を発売 通算6作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得 11月26日 33rdCDシングル Hurry Xmas の2008年盤を発売 2009年 2月25日 ミュージック クリップ集 CHRONICLE 4 を発売 3月 NHK J MELO Awards 2008年 において L Arc en Cielが Most Requested Artist を受賞 3月25日 ドキュメンタリー ビデオ DOCUMENTARY FILMS Trans ASIA via PARIS を発売 5月20日 ライヴビデオ LIVE IN PARIS を発売 通算7作目のオリコン週間DVD総合チャート首位を獲得 7作のDVD総合チャート首位獲得は 当時の男性アーティストの持つ記録としては歴代1位タイとなる 5月22日 5月24日 ドキュメンタリー ビデオ DOCUMENTARY FILMS Trans ASIA via PARIS と ライヴビデオ LIVE IN PARIS ライヴ写真集 a Paris カジュアル仕様 の発売記念イベントとして 赤坂サカスにおいて L Arc en Ciel MUSEUM を開催 9月2日 ベストアルバム Clicked Singles Best 13 のブルースペックCD盤を発売 12月1日 tetsuyaが自身のアーティスト名を tetsu から現在の tetsuya へ改名 12月9日 33rdCDシングル Hurry Xmas の2009年盤を発売 2010年代 2010年 1月13日 NHKバンクーバーオリンピック パラリンピック放送のテーマソング発表会見において 新曲 BLESS を披露 1月27日 36thCDシングル BLESS を発売 3月 NHK J MELO Awards 2009年 において L Arc en Cielが Most Requested Artist を受賞 3月10日 ベストアルバム QUADRINITY MEMBER S BEST SELECTIONS を発売 3月31日 配信限定シングル I Love Rock n Roll の各種音楽配信サイトでのダウンロード配信を開始 ライヴビデオ TOUR 2008 L 7 Trans ASIA via PARIS を発売 オフィシャルテキストブック WORDS L Arc en Ciel を角川マガジンズから発売 著者は 音楽雑誌 MUSICA の創刊者である鹿野淳 11月24日 33rdCDシングル Hurry Xmas の2010年盤を発売 12月31日 第61回NHK紅白歌合戦に4度目の出場 演奏曲は BLESS 2011年 1月1日 バンド結成20周年の幕開けとなるニューイヤーライヴ 20th L Anniversary Starting Live L A HAPPY NEW YEAR を幕張メッセ 国際展示場9 11ホールにて開催 ライヴの模様は当日の19 00 JST からUstreamで生中継が行われ 直前に出演したNHK紅白歌合戦の会場 NHKホールからの移動などの様子も中継された 2月16日 ベストアルバム TWENITY を 1991 1996 1997 1999 2000 2010 の3枚に分け同時発売 同年3月9日には 前記のCD3枚とDVD 特典を付属した TWENITY BOX を発売 3月29日 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震 東日本大震災 を受け オフィシャルHP上にメンバー スタッフの連名コメントを掲載 併せて 同年5月開催の 20th L Anniversary LIVE の全収益を 震災の義援金として寄付することを発表した 4月6日 ライヴビデオボックス FIVE LIVE ARCHIVES 2 を発売 5月28日 29日 バンド結成20周年記念ライヴ 20th L Anniversary LIVE を味の素スタジアムにて開催 2日間で約11万人を動員している この公演は 日本国内の映画館40館 およびパリ ロンドン ニューヨーク 台湾 香港 ソウルの海外6都市9ヶ所の映画館でライヴビューイングが実施されており 2万人を超える動員数を記録している 6月27日 28日 ドワンゴが提供するニコニコ動画のライヴストリーミングサービス ニコニコ生放送 で24時間 27日20 00 28日20 00 JST にわたる特番企画を実施している この番組では L Arc en Cielがこれまでにリリースした楽曲の中から123曲 さらにミュージック ビデオ44曲を一挙に放送している そして 番組のフィナーレとなる同年6月28日19時からの1時間には MCの古坂大魔王とL Arc en Cielのメンバー全員が初生出演し メンバーがユーザーからの質問に答えるといった企画が行われている なお メンバーが出演したコーナーのラスト30分は ニコニコ生放送史上初の試みとして 予告なしで東京 渋谷のスクランブル交差点にある109フォーラムビジョン そして名古屋 大阪の3都市の街頭ビジョンにて生中継が行われた ちなみに動画配信サイトで24時間以上配信したアーティストは過去に存在するが 国内アーティストの施策としては初の試みとなった 余談だが この特番では 同サービス内において当時の来場者数1位 90万人超 コメント数1位 約300万 を記録している 6月22日 シングルトラック GOOD LUCK MY WAY を先行配信 6月29日 37thCDシングル GOOD LUCK MY WAY を発売 Billboard JAPANのHot Animationチャートで自身初の首位を獲得 7月21日 8月31日 SPACE SHOWER TV THE DINERにてカフェイベント L Arcafe 読み ラルカフェ を約5年ぶりに期間限定で開催 このカフェでは メンバー4人が考案したオリジナルメニュー販売の他 スペシャル映像も公開された 9月10日 12月4日 バンド結成20周年を記念したライヴツアー 20th L Anniversary TOUR を開催 12月4日の京セラドーム大阪公演は 日本国内の映画館54館 および香港 台北 台中 高雄 ソウルの海外5都市の映画館でライヴビューイングが実施されている 9月23日 日本武道館で行われたライヴイベント テレビ朝日ドリームフェスティバル 2011 にヘッドライナーとして出演し 10曲を披露 10月12日 38thCDシングル X X X を発売 通算21作目のオリコン週間シングルチャート首位を獲得 この首位獲得により ロックバンドとして史上3組目となる1990年代 2000年代 2010年代の 3つの十年代連続 でオリコン週間シングルチャートの首位獲得を達成 また Billboard JAPANのTop Singles Salesチャートで通算2作目の首位 週間総合チャートであるHot 100においても自身初の首位を獲得 さらに 着うたフルの有料ダウンロード数を集計したRIAJ有料音楽配信チャートでも初の首位を獲得している 11月 海外の映画館20館にて ライヴ映像 20th L Anniversary LIVE を上映 12月14日 シングルトラック CHASE を先行配信 12月21日 39thCDシングル CHASE を発売 12月28日 ライヴビデオ 20th L Anniversary LIVE Complete Box Day 1 Day 2 を発売 男女通じてバンドグループでは史上3組目となるDVD総売上100万枚突破を記録 映像作品全体 VHS DVD ではダブルミリオンを突破した 12月31日 第62回NHK紅白歌合戦に5度目の出場 演奏曲は CHASE 2012年 2月1日 12thアルバム BUTTERFLY の収録曲 wild flower を先行配信 2月6日から 2日後に発売されるアルバムのプロモーションとして アルバムタイトルと同名の木村カエラの楽曲 Butterfly を使ったテレビCMが放映された なお CM映像は 木村カエラの楽曲 Butterfly のミュージック ビデオが流れる中 最後にL Arc en Cielのアルバム発売の告知が挿入されるというもので 音声にL Arc en Cielの楽曲が一切登場しない内容となっている このコラボレーションはL Arc en Ciel側からのオファーによって実現しており テレビCMは3パターン制作されている 2月8日 12thアルバム BUTTERFLY を発売 通算8作目のオリコン週間アルバムチャート首位を獲得 また Billboard JAPANのTop Albums Salesチャートで自身初の首位を獲得している 2月22日 23日 LE CIEL会員限定ライヴを横浜アリーナにて開催 3月 NHK J MELO Awards 2011年 において L Arc en Cielが Most Requested Artist を受賞 3月3日 5月5日 ライヴツアー WORLD TOUR 2012 を日本国外にて開催 このツアーは 約4年ぶりとなるワールドツアーで 香港 上海 ソウル 台北 バンコク シンガポール ジャカルタ ニューヨーク ロンドン パリの海外10都市で行われた ちなみにツアーで回った上海以外の会場では ベストアルバム WORLD S BEST SELECTION が限定販売されている なお 3月25日のマディソン スクエア ガーデンでのライヴは 日本人ミュージシャンとして初の同所での単独公演となった また この公演の模様は 日本全国29ヶ所の映画館で3月26日午前9時から生中継され 約1万5000人を動員している 3月5日 12thアルバム BUTTERFLY をヨーロッパで発売 4月20日 バンドが所属するKi oon Musicの20周年記念イベント キューン20 イヤーズ amp デイズ の一環として 約7年ぶりとなるライヴハウス公演 一夜限りのL Arc en Ciel Premium Night をLIQUIDROOMにて開催 なお この公演は 12thアルバム BUTTERFLY に付属するIDを特設サイト上で入力し 抽選によって獲得できる 公演チケット 777人 と Ustream上の生中継アクセスコード 10万人 のいずれかの当選者が観ることができる 5月12日 5月27日 ライヴツアー 20th L Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL を日本国内にて開催 このツアーは 1999年以来約13年ぶりに野外会場のみで構成されたツアーとなっている なお ツアーの最後に組まれた国立競技場 現 旧国立競技場 でのライヴは ミュージシャンとしては史上4組目 ロックバンドでは初の公演となった なお 2012年3月3日から日本国外で行われたライヴツアーと 同年5月31日のホノルル公演 そしてこの国内ツアーを合わせ 約45万人の動員を記録している 5月23日 配信限定シングル X X X English version CHASE English version の各種音楽配信サイトでのダウンロード配信を開始 5月31日 バンド結成20周年を締めくくるライヴ 20th L Anniversary Year Live in Hawaii をホノルル ワイキキシェルにて開催 このライヴでは 日布の友好関係向上の架け橋になったとして ホノルル市が 5月31日 を L Arc en Cielの日 L Arc en Ciel DAY に制定することを発表した 6月1日 LE CIEL会員限定ライヴ LE CIEL Presents ハワイ アン シエル Special Live をワイキキシェルにて開催 6月4日 6月10日 東京 銀座のソニービル内のOPUSにおいて L Arc en Ciel PREMIERE SCREENING Supported by Sony and Ki oon Music を開催 6月9日 7月8日 バンド結成20周年を記念した特別展 L Arc en Ciel 20th L Anniversary EXHIBITION 通称 L 展 を横須賀美術館にて開催 6月13日 トリビュート アルバム L Arc en Ciel Tribute を発売 ライヴビデオ LIVE TWENITY を発売 7月28日 ファンクラブ会報誌別冊 LE CIEL Extra Number をエムオン エンタテインメントから発売 11月7日 ソニー ミュージックエンタテインメントがiTunes Storeへ参入したことに伴い L Arc en Cielの楽曲を同サービスで配信開始する 12月26日 ライヴビデオ WORLD TOUR 2012 LIVE at MADISON SQUARE GARDEN を発売 2013年 3月20日 ライヴビデオ 20th L Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL LIVE at 国立競技場 を発売 8月7日 iTunes Storeが同日に開始した iTunesライブビデオ において ライヴビデオ LIVE TWENITY の配信を開始 2014年 2月26日 ライヴビデオボックス L Aive Blu ray BOX Limited Edition を発売 3月19日 ライヴビデオ heavenly films から WORLD TOUR 2012 LIVE at MADISON SQUARE GARDEN の全18作品のBlu ray Disc版を発売 3月21日 22日 約1年10ヶ月ぶりにライヴ L Arc en Ciel LIVE 2014 at 国立競技場 を国立競技場 現 旧国立競技場 にて開催 このライヴでは スタンド フィールド含め8万人 2日間で延べ16万人 を動員 これは ライヴにおける国立競技場 現 旧国立競技場 の最多動員数記録となった なお 2日目公演の模様は 日本国内の映画館37館で生中継された他 イギリス フランス アメリカ メキシコ 台湾 香港の海外20都市でもライヴビューイングが実施された 5月29日 建て替え前の国立競技場 現 旧国立競技場 で行われた最後のライヴイベント SAYONARA 国立競技場FINAL WEEK JAPAN NIGHT の2日目公演 Japan to the World にヘッドライナーとして出演し 9曲を披露 7月23日 4K対応液晶テレビ BRAVIA とライヴビデオ L Arc en Ciel LIVE 2014 at 国立競技場 のコラボレーション企画 BRAVIA 4K L Arc en Ciel を開始 東京 大阪 愛知のソニービルの他 全国約1800店の家電販売店で 4K編集によるダイジェスト映像が順次上映された 同年10月3日からは JR品川駅中央改札内のソニーショーケースでも上映された なお 同年12月5日には このコラボ施策が国際3D先進映像協会による グッドプラクティス アワード2014 の4K部門本賞に選出されている 8月13日 完全受注生産限定作品 EVERLASTING を発売 10月2日 音楽配信サイトのmoraおよび VICTOR STUDIO HD Music において 楽曲のハイレゾリューションオーディオ ハイレゾ音源 配信することを発表 2014年10月10日から EVERLASTING を 同年10月22日から DUNE 以降のスタジオ アルバム作品12作をFLAC形式 96 kHz 24bit で配信開始する ちなみに EVERLASTING より前にリリースされた作品には 全曲リマスターが施された 10月10日 11月2日 東京 銀座のソニービル内のOPUSにおいて ライヴビデオ発売及びハイレゾ配信を記念したイベント 4K amp ハイレゾで感じる 新次元の美しいL Arc en Ciel を開催 11月12日 ライヴビデオ L Arc en Ciel LIVE 2014 at 国立競技場 を発売 オリコン週間BD総合チャートで初の首位を獲得 また 音楽DVDと音楽BDの週間売上枚数を合算したミュージックDVD BDランキングにおいても初の首位獲得となった 12月5日 自身初のドキュメンタリー映画 Over The L Arc en Ciel を公開 公開前には 2014年12月12日までの期間限定で劇場上映されることが告知されていたが のちに上映期間が延長されている なお この映画は 2012年に世界10都市で開催したライヴツアー WORLD TOUR 2012 から ハワイ ホノルル公演 20th L Anniversary Year Live in Hawaii までの間 L Arc en Cielに密着し撮影した映像が収められた作品となっている 2015年 4月15日 ドキュメンタリー ビデオ DOCUMENTARY FILMS WORLD TOUR 2012 Over The L Arc en Ciel を発売 9月21日 22日 約1年半ぶりのライヴ L Arc en Ciel LIVE 2015 L ArCASINO を夢洲野外特設会場にて開催 2日間で合計10万人を動員する なお 夢洲がコンサート会場として利用されるのは このライヴが初となる また 2日目公演の模様は 日本国内の映画館39館で生中継された他 香港 台湾 シンガポール タイ インドネシア フィリピン アメリカ フランス メキシコ ペルー チリ アルゼンチン コロンビア コスタリカ グアテマラの海外14ヵ国でもライヴビューイングが実施された 11月5日 L Arc en Ciel LIVE 2015 L ArCASINO のライヴ音源のハイレゾ配信を翌月開始することを受け 東京 大阪 愛知のソニービルに設置された Hi Res Tasting Spot で先行試聴企画を開始 同年12月2日からは全国の家電販売店でも先行試聴が開始された 12月23日 40thCDシングル Wings Flap を発売 音楽配信サイトのmoraおよびVICTOR STUDIO HD Music において L Arc en Ciel LIVE 2015 L ArCASINO で演奏された Driver s High MY HEART DRAWS A DREAM X X X Wings Flap HONEY READY STEADY GO のライヴ音源のハイレゾ配信を開始 ライヴ音源のハイレゾ配信は自身初のこととなる 2016年 9月13日 ソニー インタラクティブエンタテインメントによる国内プレイステーションビジネス販売戦略発表会 2016 PlayStation Press Conference in Japan で 2016年で発売20周年を迎えたゲーム バイオハザードシリーズ と L Arc en Cielのコラボレーション企画 Don t be Afraid Biohazard L Arc en Ciel on PlayStation VR が発表された 9月15日 東京ゲームショウ2016において PlayStation VR向けVRミュージックビデオ Don t be Afraid Biohazard L Arc en Ciel on PlayStation VR 体験版 が出展される 同年10月13日には 本映像の先行体験配信版がPlayStation Storeにてリリースされている 11月8日 新曲 Don t be Afraid が上記ゲームの実写映画 バイオハザード ザ ファイナル の日本語吹替版主題歌に使われることが発表された 11月17日 PlayStation VR向けVRミュージックビデオ Don t be Afraid Biohazard L Arc en Ciel on PlayStation VR を配信開始 11月25日 配信限定シングル Don t be Afraid English version の各種音楽配信サイトでのダウンロード配信を開始 同日にはハイレゾ音源の配信も開始した 12月21日 41stCDシングル Don t be Afraid を発売 2017年 3月1日 ライヴビデオ L Arc en Ciel LIVE 2015 L ArCASINO を発売 3月29日 iOS Android向け位置情報ゲームアプリ L Arcollection の配信を開始 配信は同年4月7日迄 アーティストによるオリジナル位置情報ゲームの配信は これが世界初となる 4月8日 9日 バンド結成25周年記念ライヴ 25th L Anniversary LIVE を東京ドームにて開催 2日間で合計11万人を動員する 2日目公演の模様は 日本国内の映画館50館 および香港 台湾 韓国 タイ インドネシア メキシコ コロンビア コスタリカ ペルー グアテマラの海外13都市16ヶ所の映画館でもライヴビューイングが実施され 約3万5000人を動員した 2018年 3月14日 iTunesライブビデオにおいて ライヴビデオ 15th L Anniversary Live 20th L Anniversary LIVE Day1 20th L Anniversary LIVE Day2 の配信を開始 3月28日 ライヴアルバム 25th L Anniversary LIVE を発売 キャリア初のライヴ音源が単独で収録されたCD作品のリリースとなった 5月30日 ライヴビデオ 25th L Anniversary LIVE を発売 通算2作目のオリコン週間BD総合チャート首位を獲得 また 音楽DVDと音楽BDの週間売上枚数を合算したミュージックDVD BDランキングにおいても 2度目の首位獲得となった 12月12日 12月17日 代々木公園のイベント広場野外ステージで 期間限定イベント L ArChristmas Park を開催 このイベントでは 東京ドームのライヴ会場で販売されるグッズを一足先に購入できる特設売場や L Arcafe と題した飲食物を販売する出店が設置された 12月19日 20日 自身初のクリスマスライヴ L Arc en Ciel LIVE 2018 L ArChristmas を東京ドームにて開催 2日間で合計11万人を動員する 公演の模様は 日本国内の映画館50館 および香港 台湾 韓国でライヴビューイングが開催された 2019年 1月16日から L Arc en Ciel WOWOW Paravi Special Collaboration として ライヴ L Arc en Ciel LIVE 2018 L ArChristmas に完全密着したドキュメンタリー番組が 動画配信サービスサイト Paraviにて3ヶ月連続で期間限定配信された 2019年1月には 1 OUTSIDE OF LIVE 2018 L ArChristmas 同年2月には 2 INSIDE OF LIVE 2018 L ArChristmas 同年3月には 3 INTERVIEW OF LIVE 2018 L ArChristmas が配信された そして同年4月には Paraviで配信された映像の再編集版がWOWOWで放送されている 9月1日 公式Twitter 現 X にて 20190902 4 00 というメッセージを掲載 翌9月2日4時 2020年に約8年ぶりとなるライヴツアーを開催することを発表した 12月3日 公式YouTubeアーティストチャンネル を開設 同チャンネルにて 1998年に3作同時でリリースされたシングルの表題曲 HONEY 花葬 浸食 lose control のミュージック クリップを 翌週12月10日までの期間限定で3曲同時公開した 12月11日 公式Instagramアカウントを開設 各種サブスクリプションサービス 定額制音楽配信 にて これまで発表した全楽曲 全ミュージック クリップのストリーミング配信を全世界で一斉解禁した さらに 公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて 虹 HONEY 花葬 浸食 lose control Driver s High STAY AWAY New World DRINK IT DOWN X X X Don t be Afraid の計10曲のミュージック クリップを無料公開 また 同日より7日間連続で YouTube Seven days 2019 と題し ライヴ映像のプレミア配信企画が開始された 12月18日 ライヴビデオ LIVE 2018 L ArChristmas を発売 通算3作目のオリコン週間BD総合チャート首位を獲得 また 音楽DVDと音楽BDの週間売上枚数を合算したミュージックDVD BDランキングにおいても 3度目の首位獲得となった 12月24日 公式ファンクラブ LE CIEL の運営会社を ソニー ミュージックソリューションズに移行 2020年代 2020年 1月9日 2月9日 約8年ぶりとなるライヴツアー ARENA TOUR MMXX を開催 当初は同年3月5日まで開催される予定だったが 全世界で蔓延した新型コロナウイルス感染症の煽りを受け 2月28日 29日の横浜アリーナ公演 3月4日 5日の国立代々木競技場第一体育館公演が中止されている また 日本国内および香港 台湾 韓国 タイの映画館で実施される予定だったライヴビューイングも同じく中止されることになった 1月10日 3月5日 各種サブスクリプションサービス 定額制音楽配信 において プレイリスト公開企画 L Arc en Ciel LIVE SET LIST L Archives を実施 歴代ライヴ30公演分のセットリストをプレイリストとして毎週金曜日に順次公開 同年3月4日 5日には エアMMXX 企画として ライヴツアー ARENA TOUR MMXX で披露された2パターンのセットリストが公開された 2021年 2月17日 エンタメカルチャー誌 別冊カドカワScene において L Arc en Ciel結成30周年を記念した特別企画 私とラルク がスタート この企画はL Arc en Cielに影響を受けたアーティストや芸能人にインタビューするもので 第1回には山中拓也 THE ORAL CIGARETTES が登場している なお この企画は第6回まで行われ ツリメ アバンティーズ YouTuber ユウタ NCT 127 楠木ともり 声優 歌手 EXILE TETSUYA 伊東健人 声優 歌手 が登場している 5月29日 30日 バンド結成30周年の幕開けとなるライヴ 30th L Anniversary Starting Live L APPY BIRTHDAY を幕張メッセ 国際展示場1 3ホールにて開催 L Arc en Cielはこのライヴから 海外で導入が始まっていたダイナミック プライシングによる価格変動制チケットの販売を開始している なお このライヴの模様は 同年8月22日に動画配信サービス StagecrowdおよびVeepsにて有料配信が行われている なお 見逃し配信は翌8月23日23時59分まで実施された 5月31日 シングルトラック ミライ を各種音楽配信サイトでダウンロード ストリーミング先行配信 同日には ハイレゾ音源の配信も開始している なお L Arc en Cielはこれ以降 フィジカル発売に先駆けて 表題曲を各種サブスクリプションサービス 定額制音楽配信 で発表するようになり 楽曲のリリースの流れが大きく変わっている 6月1日 公式デジタルファンクラブ Digital LE CIEL を発足 運営会社はソニー ミュージックソリューションズ 7月25日 配信限定シングル FOREVER Anime Edit の各種音楽配信サイトでのダウンロード ストリーミング配信を開始 同日ハイレゾ音源の配信も開始した 7月30日 9月12日 SHIBUYUA TSUTAYAをジャックし 期間限定展示会 30th L AMUSEMENT at SHIBUYA TSUTAYA を開催 さらに SHIBUYA TSUTAYAの7階にあるカフェ兼書店の WIRED TOKYO 1999 とのコラボレーションとして 約10年ぶりのカフェイベント L Arcafe 2021 読み ラルカフェ を期間限定で開催 来場者にはランチョンマットとコースターが配布され カフェではメンバー考案のオリジナルフードの販売 ライヴ衣装の展示が行われ さらにライヴ映像が流された 8月8日 シングルトラック FOREVER を各種音楽配信サイトでダウンロード ストリーミング先行配信 同日には ハイレゾ音源の配信も開始している 8月23日 8月29日 西武新宿駅前のユニカビジョンにおいて 2020年に行われたライヴツアー ARENA TOUR MMXX から Driver s High LOVE FLIES DRINK IT DOWN Killing Me 4曲のライヴ映像と 新曲 ミライ のミュージック ビデオを期間限定で放映 これはスマートフォン向けアプリ VISION a との連動企画で 映像の放映中にスマートフォンをかざすことで 番組の音声を高音質で視聴することができる仕様となっている 8月25日 42ndCDシングル ミライ を発売 iOS Android向けVRミュージアムアプリ 30th L Anniversary VR Museum の期間限定配信を開始 9月5日 12月26日 バンド結成30周年を記念したライヴツアー 30th L Anniversary TOUR を開催 このツアーで組まれた国立代々木競技場 第一体育館公演の3日目および最終日の模様は 日本国内の映画館でライヴビューイングが実施された 代々木3日目公演は全国75館 代々木最終日公演は全国65館の映画館で生中継されている さらに 12月28日 29日にはディレイ放映が行われ 28日は全国47館 29日は全国53館で上映が実施された 9月29日 43rdCDシングル FOREVER を発売 10月4日 10月10日 国内初の車窓モビリティサイネージサービス THE TOKYO MOBILITY GALLERY Canvas とのコラボレーション施策を実施 このサービスは タクシーの後方のサイドガラスに広告を映し出すもので L Arc en Cielのアーティスト写真に加え FOREVER 永遠 というテーマを回文で表現した100種ものキーアートが窓ガラスに掲出された なお このコラボ企画を実施したタクシーは L AXI 読み ラクシー という名称がつけられ 都内で100台が走行することになった 12月4日 バンド結成30周年を記念したオフィシャルクレジットカード L Arcard L Arc en Ciel Official Credit Card の発行を発表し 同日より募集を開始 これは 決済ブランドであるVisaと連携したカードとなっている 12月22日 特別編集本 Rolling Stone Japan L Arc en Ciel 30th L Anniversary Special Collectors Edition をCCCミュージックラボから発売 音楽雑誌 Rolling Stone Japan が日本人アーティストの特集本を出すのは これが初となった 2022年 4月1日 公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて 2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に 有料会員限定で公開されていた 眠りによせて Blurry Eyes 風の行方 瞳に映るもの and She Said 計5曲のミュージック クリップの無料公開を開始した 同日には YouTube Music Premium会員限定で公開していたL Arc en Cielのミュージック クリップを7週連続で無料公開することも発表された 4月8日 公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて 2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に 有料会員限定で公開されていた Vivid Colors 夏の憂鬱 time to say good bye 風にきえないで flower Lies and Truth winter fall 計6曲のミュージック クリップの無料公開を開始 4月15日 公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて 2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に 有料会員限定で公開されていた DIVE TO BLUE snow drop forbidden lover HEAVEN S DRIVE Pieces 計5曲のミュージック クリップの無料公開を開始 4月22日 公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて 2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に 有料会員限定で公開されていた LOVE FLIES NEO UNIVERSE finale Anemone Spirit dreams inside another dream 計5曲のミュージック クリップの無料公開を開始 4月29日 公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて 2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に 有料会員限定で公開されていた READY STEADY GO 瞳の住人 自由への招待 Killing Me 叙情詩 計5曲のミュージック クリップの無料公開を開始 5月6日 公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて 2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に 有料会員限定で公開されていた Link SEVENTH HEAVEN MY HEART DRAWS A DREAM DAYBREAK S BELL Hurry Xmas 計5曲のミュージック クリップの無料公開を開始 5月13日 公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて 2019年12月よりYouTube Music Premium会員を対象に 有料会員限定で公開されていた NEXUS 4 SHINE BLESS GOOD LUCK MY WAY CHASE Wings Flap 計6曲のミュージック クリップの無料公開を開始 5月18日 アルバムリマスター ボックス L Album Complete Box Remastered Edition を発売 同日には ボックスに収録された スタジオ アルバムをリマスタリングした11作品 Tierra Remastered 2022 BUTTERFLY Remastered 2022 を各種音楽配信サイトでのダウンロード ストリーミング配信を開始した さらに ハイレゾ音源の配信も同日開始している 5月21日 22日 バンド結成30周年を締めくくるライヴ 30th L Anniversary LIVE を東京ドームにて開催 2日間で合計10万人を動員する 12月23日 OTTプラットフォーム Amazon Prime Videoにて ライヴドキュメンタリー番組 L Arc en Ciel 30th L Anniversary を配信開始 この番組は 30th L Anniversary LIVE のライヴ映像 Episode 1 と ライヴまでのバンドの裏側に密着したドキュメンタリー Episode 2 の2話構成となっている また この番組は217の国と地域で配信されている ちなみに 翌2023年1月18日から同年3月19日までの期間限定で Episode 1 でカットされていた楽曲 Singin in the Rain を収めたスペシャルエディションが配信されている 12月27日 2023年1月31日 イープラスが手掛ける渋谷最大級のカフェ eplus LIVING ROOM CAFE amp DININGにて カフェイベント L Arcafe 2022 2023 読み ラルカフェ を期間限定で開催 来場者にはランチョンマットなどが配布され カフェではL Arc en Cielのスタジオ アルバム12作のタイトルをモチーフにしたドリンクや オリジナルフードメニューを販売 そしてライヴ衣装の展示も行われ さらにライヴ映像が流された 2023年 5月30日 1stアルバム DUNE 発売30周年を記念し リマスタリングアルバム DUNE Remastered 2023 をDanger Crue Recordsから発売 同日には 公式YouTubeアーティストチャンネルにおいて Dune Floods of tears As if in a dream 計3曲のミュージック クリップの無料公開を開始 8月25日 公式デジタルファンクラブ Digital LE CIEL において 会員限定コンテンツ CIEL s STORAGE BOX をオープンすることを発表 このコンテンツは L Arc en Cielの貴重な資料用映像などを期間限定で公開する不定期コンテンツとなっている 9月4日 Digital LE CIEL会員限定コンテンツ CIEL s STORAGE BOX において 1998年開催のライヴツアー Tour 98 ハートに火をつけろ のよこすか芸術劇場公演より 4曲のライヴ映像を公開 これは企画の第1弾となっている 10月6日 Digital LE CIEL会員限定コンテンツ CIEL s STORAGE BOX において 2008年開催のライヴツアー TOUR 2007 2008 THEATER OF KISS のマリンメッセ福岡公演より 2曲のライヴ映像を公開 これは企画の第2弾となっている 12月7日 翌年2月から3月にかけてライヴツアーを開催することを発表 併せて これまであまりライヴで披露してこなかった楽曲を掘り起こし スポットをあてる というツアーコンセプトも発表された 2024年 2月8日 4月14日 ライヴツアー ARENA TOUR 2024 UNDERGROUND を開催予定 3月27日 ライヴビデオ 30th L Anniversary LIVE を発売 音楽性音楽的影響 嗜好 hydeの音楽遍歴の詳細は hyde 音楽ルーツ 音楽的嗜好 の頁を参照 kenの音楽遍歴の詳細は ken 音楽ルーツ 音楽的嗜好 の頁を参照 tetsuyaの音楽遍歴の詳細は tetsuya 音楽ルーツ 音楽的嗜好 の頁を参照 yukihiroの音楽遍歴の詳細は yukihiro 音楽ルーツ 音楽的嗜好 の頁を参照メンバー 音楽的趣向 ジャンル 影響を受けた 好きなアーティスト 太字はバンド 五十音順 備考hyde 一覧 ニュー ウェイヴ ゴシック ロック ニューロマンティック ハードロック ヘヴィメタル ハードコア 一覧 洋楽 イン ディス モーメント カジャグーグー カルチャー クラブ ガンズ アンド ローゼズ サイラー ザ キュアー ザ スミス ザ ミッション G B H ジェフ バックリィ スターセット スパンダー バレエ スリップノット セヴンダスト デヴィッド シルヴィアン デヴィッド ボウイ デペッシュ モード デュラン デュラン ナイン インチ ネイルズ ニルヴァーナ フィーバー333 ブリング ミー ザ ホライズン フロム アッシュズ トゥ ニュー ミスフィッツ モトリー クルー U2 レディオヘッド 邦楽 オフコース GASTUNK DEAD END 一覧 中学生の頃からブリティッシュ ニュー ウェイヴを聴き始めたといい hydeは この頃ぐらい音楽聴いたのは 僕はこの後無かった それぐらい感性の礎を築いた重要な時期だった と述べている 音楽に目覚めたきっかけとなったミュージシャンとして オフコース や デュラン デュラン を挙げている また 影響を受けたミュージシャンとしては デペッシュ モード を挙げており 自身が所属するバンド VAMPSで同バンドの楽曲 Enjoy The Silence のカバー音源をリリースしている 音楽に目覚めた後 HR HMに傾倒し 中でも ミスフィッツ の影響を多大に受けており きっと一人だったらミスフィッツみたいなバンドをやっていたと思う と述べている 2017年にはVAMPSの活動において ミスフィッツのボーカリスト グレン ダンジグが属するバンド ダンジグ ともアメリカのライブで共演している 他にもモトリー クルーのベーシスト ニッキー シックスのプロジェクト シックス エイ エム と 自身が所属するロックユニットVAMPS主催のライブイベントで共演を果たした ken 一覧 ニュー ウェイヴ ハードロック ヘヴィメタル NWOBHM ハードコア オルタナティヴ ロック 一覧 洋楽 アイアン メイデン アリス イン チェインズ イギー ポップ イングヴェイ マルムスティーン ヴァンデンバーグ カーティス メイフィールド ゲイリー ムーア コールドプレイ ザ キュアー ザ ザ ザ スミス ジョニー マー ジェフ バックリィ ジューダス プリースト ジョン ゾーン スタティック X スレイヤー デフ レパード トゥイステッド シスター パンテラ ピンク フロイド ブラック サバス ボブ マーリー ポリス マイケル シェンカー レオン ラッセル レッド ツェッペリン ロイ ブキャナン ワスプ 邦楽 松山千春 一覧 80年代のHR HMをよく聞いており ヘヴィメタルをテーマにした対談企画 IRON MAIKEN を一時期雑誌で行っていたことがある 2007年には企画タイトルの由来となったバンド アイアン メイデン のギタリスト エイドリアン スミスと対談している 自身の音楽観が変わるきっかけとなったミュージシャンとして ポリス と ボブ マーリー を挙げており そのリズム感を感じさせるためのメロディとか そのリズム感を感じさせるためのヨレ方を取り入れると 演奏するほうも聞いている方もハッピーになれると感じた と述べている 影響を受けたギタリストとして ゲイリー ムーア マイケル シェンカー イングヴェイ マルムスティーン などのハードロックギタリストをよく挙げている また 自身がエンドースメント契約を結んだフェンダーギターを使用するアーティストでは ロイ ブキャナン ジェフ バックリィ を挙げている 自身のソロワークでは多くのカバーを披露している 洋楽では コールドプレイ トゥイステッド シスター レオン ラッセル レッド ツェッペリン を 邦楽ではツアーサポートメンバーの所属する 44MAGNUM Hurry Scuary といったバンドのカバーを披露している tetsuya 一覧 ニュー ウェイヴ ハードロック ヘヴィメタル パンク ロック ポップ パンク ポップ ロック 一覧 洋楽 アーハ アタリス オール アメリカン リジェクツ カーヴ ガービッジ カルチャー クラブ キーン ザ キュアー スケルトン キー シンプル プラン デヴィッド ボウイ デペッシュ モード デュラン デュラン ハーツ ビリー アイドル ビリー ジョエル フォール アウト ボーイ ノー ダウト マイ ケミカル ロマンス ミューズ メイデー パレード メスト リパブリカ ユー ミー アット シックス リンキン パーク 邦楽 イエロー マジック オーケストラ 一風堂 KATZE DEAD END ラウドネス 一覧 楽器を始めたころはハードロックの他に デュラン デュラン カルチャー クラブ カジャグーグー などをよく聴いており 初めて購入したベースもデュラン デュランのベーシストであるジョン テイラーも使っていたことのあるアリアプロIIのベースだった tetsuyaは ザ キュアー に関し 初期の頃の自分のベースプレイに影響を与えていたと思う ラルクのギターがアルペジオでベースが動くっていう作りは キュアーから影響を受けていると思う と語っている また 同バンドのボーカル ギタリストのロバート スミスを自身のフェイバリット アーティストとして挙げており L Arc en Cielでバリトン ギターのフェンダー ベースVIを使用していることもその影響によるものである デペッシュ モード のマーティン ゴアもフェイバリットとして挙げており 1998年には同バンドのマディソン スクエア ガーデン公演を現地で鑑賞している tetsuyaはそのライブを 今までの人生の中で一番良かったライブ と述べている 他にも ガービッジ について 自分のやりたいことに近くすごく影響を受けている と述べている yukihiro 一覧 ニュー ウェイヴ ハードロック ヘヴィメタル ハウス エレクトロニカ インダストリアル 一覧 洋楽 アインシュテュルツェンデ ノイバウテン ウォーペイント カーヴ ガリアーノ ケミカル ブラザーズ ザ キュアー ジャパン ジョイ ディヴィジョン スマッシング パンプキンズ スリップノット デヴィッド ボウイ デペッシュ モード ナイン インチ ネイルズ バウハウス ハノイ ロックス ピクシーズ ピッチシフター ベック ポーティスヘッド マイ ブラッディ ヴァレンタイン マッシヴ アタック ミニストリー モグワイ U2 ラーズ レディオヘッド レニー クラヴィッツ 邦楽 一風堂 SOFT BALLET BUCK TICK 一覧 音楽に目覚めたきっかけとなったミュージシャンとして 一風堂 を挙げており すみれ September Love をテレビで披露しているところを見たことが音楽を始めるきっかけだったと語っている 他に邦楽では SOFT BALLET BUCK TICK を好んで聴いており 後年には両バンドにそれぞれ属する藤井麻輝と今井寿によるユニット SCHAFT のサポートドラマーとしてレコーディング ライブに自身が参加したことがある 新宿UK EDISONというレコード店によく赴き アンダーグラウンドシーンの情報を得ていたと述べており ボディー ミュージックと書いてあれば何でも買っていた そうやって聴いていた音楽をどうやってバンドに採り入れるかをいろいろ試行錯誤していた と語っている インダストリアル ミュージックもレコード店で知ったといい 目覚めるきっかけとなったアーティストとして ミニストリー を挙げている 1990年代のシューゲイザー グランジ オルタナティヴ ロック といった音楽性を掲げ 2012年に百々和宏 MO SOME TONEBENDER らとgeek sleep sheepを結成している 同バンドでは ピクシーズ ストロベリー スウィッチブレイド スマッシング パンプキンズ 等 の洋楽のカバーを多く披露している L Arc en Cielと ヴィジュアル系 ポップジャム事件 1999年4月19日 NHKの音楽番組 ポップジャム の5月1日放送分の収録にメンバーが参加した その日の収録では L Arc en Cielは2曲演奏する予定であったが 当日は1曲演奏終了時点でメンバーが演奏を中止 そのままステージを去るといった事態が起こったことが後日 報じられた 事の発端は 当時番組のMCを務めていたお笑いコンビ 爆笑問題 がメンバーに対して ヴィジュアル系 と発言したこと そのトーク後に HEAVEN S DRIVE の演奏を行ったが tetsuyaは本来担当するはずのコーラスパートを無視し 演奏を終了 ステージから捌けていく際には ベースをぞんざいに扱う など不機嫌な様子だったとされた 他に 本来は2曲撮影する予定だったところを1曲で切り上げた とも伝えられた また tetsuyaが事件の数ヶ月後に受けた雑誌インタビューでは 怒って帰ったのは 俺がファンなら格好いいって言う 大人げないか正当か の議論に対し 俺は大人だなんて一言も言ってないし 自分が大人だなんて思ってない 中略 大人げなくて結構 要ページ番号 と発言するなど 行動に対して議論を呼んだ 事件の真相 事件後の反応 tetsuya自身は 今回の出来事を後年に 元々2曲を別々に収録する予定であり 楽器をぞんざいに扱い キレてそのまま帰ったというのは間違い と否定しており 実際は 番組に出る時点で要望などを事務所 レコード会社を通して番組に伝えていたが それが司会の爆笑問題まで伝わっていなかった また 番組の構成等においても番組側とL Arc en Ciel側のスタッフとの間でちゃんと打ち合わせがなされていなかったとしている その結果 NHKとL Arc en CielのメンバーおよびL Arc en Ciel側のスタッフが話し合った結果 気持ちよく仕事をする環境が整っておらず このまま収録を続行することができないという結論に達したため スタッフ 爆笑問題等に挨拶をし次の仕事へ向かった といった内容を語っている 要ページ番号 司会の爆笑問題やNHK側のスタッフに責任がある訳ではなく メンバーの意思を相手側に伝えなかったラルク側のスタッフに責任がある うちのスタッフに対してもっとちゃんとやってくれという意味での行動だった とした これに対し 長年語ってこなかった爆笑問題 太田光は 約20年の時が過ぎた2019年2月 自身がレギュラーを務めるラジオ番組 において 俺には何もキレてないし 俺たちにはむしろ すみません って 彼らの名誉のために言っておくけど 本当に真摯な態度で 申し訳ありません って帰って行った 番組プロデューサーからNHK側のミスでと伝えられた 言う旨の発言をした また このラジオ放送を受けてtetsuyaはニコニコ動画の有料チャンネル てっちゃんねる にて 太田さんの口から言っていただけると説得力がありますよね 自分達のレコード会社とトラブルにはなったがNHKとはトラブルにはなっていない NHKにはその後オリンピックのテーマもやらせてもらった 等の発言をした事により 当時週刊誌等で報道された ラルクと爆笑問題がケンカを起こした という事実は無いという事が双方より語られた 事件以後 テレビ番組等でヴィジュアル系バンドの特集が放送される際 上記の騒動を踏まえてかL Arc en Cielが取り上げられることは少ない ちなみに CD取り扱い店舗に L Arc en Cielの商品はヴィジュアル系のコーナーに展開せず J POP ROCKのコーナーに展開して下さい という内容の書類がレコード会社から送られていたことがあったという ヴィジュアル系 に対するリーダーtetsuyaの見解 tetsuyaは現在まで一貫してtetsuyaは自分たちを ヴィジュアル系 というくくりに包括されることを頑なに否定し ヴィジュアル系 という呼び方 ジャンル分けを批判している ただし ヴィジュアル系 と呼ばれるバンドや音楽 ファッションは批判していない uv Vol 102 2004年インタビューから抜粋 デビューして2 3年経ったころから 雑誌とか見てるとヴィジュアル系って言葉を目にするようになって そのなかに俺らも入ってて それで あ ヴィジュアル系って俺らみたいなのを言うんだ って初めて知って で ヤだなって 笑 偏見持つわけじゃないですか 好きな人以外は ヴィジュアル系が好きな人からはともかく 一般的には その肩書きだけでちょっと馬鹿にした目で見られるわけですよ 音楽的にはたいしたことやってないとか 音楽が駄目だから見た目で勝負してるとか で 音を聴いてもらえなくなる そういうことに対して すごく怖いなって思って ただ ステージに立つのにそれなりの服装をして それなりにメイクを施したり髪型を整えたりするっていうのは 俺はアタリマエのマナーっていうか 人前に出るうえで当然のことだと思っているんで それは今でもそんなに変わってないですね 自分が好きだったアーティストもみんなそういう格好をしていたし メイクもしてたから なんの抵抗もなかったわけですよ と発言 ヴィジュアル系 に対する他メンバーの反応hyde 自身がニューロマンティックの様式に多大な影響を受けていることもあり デュラン デュランを例に挙げ ルックスも好きだし でも音楽も大好き とした上で そういう受け止められ方をして貰うと一番嬉しい との発言もしているが その後のインタビューでは ヴィジュアル系と呼ばれることは 自分としては嫌だけど 世間がそう言うからには しょうがない みたいな諦めがあった ともコメントした ken ヴィジュアル先行で見られるのは嫌ですか との問いに対し そうでもない 先行というか同じ歩調で行けば別に この人 音楽は良いけど顔ダサい って言われるよりは良い と発言した また 2010年には自身のTwitter上で 自身にどういうあだ名をつけるか との問いに対して ヴィジュアル界一の黒さ と答えている yukihiro ヴィジュアル系バンドに関し 俺とかがヴィジュアル系って呼ばれていた時 ZI KILL在籍時 は 言うな って思っていた 自分達で ヴィジュアル系です って言うのが出てきた時点で ラルクはヴィジュアル系とは 違うと思う 俺とかの頃は ヴィジュアル系です って言ってバンドなんかやってなかった と発言 評論家による評価市川哲史 音楽評論家 音楽と人元編集長 誰がどう観ても聴いてもV系のくせに V系であること を頑なに拒否し続けている と指摘している 一方で 2016年のYOSHIKI X JAPAN 主催によるヴィジュアル系バンドが集うフェス VISUAL JAPAN SUMMIT 2016 にtetsuya以外のメンバー3人がソロで出演しているが L Arc en Cielとしては出演していないことに対し 市川は 今回のフェスは 出演しなかった奴こそ主役 だったんだな実は 自らの意志で出演を拒んだ奴の勇気と正義 みたいな 苦笑 だってBUCK TICKにせよDEAD ENDにせよISSAYにせよ ルナフェス出演したけど今回は拒否 組はV系バンドじゃないもんねぇ だから他の三人がYOSHIKIちゃん祭りの壇上に上がっても 一人だけ出演しなかったtetsuyaの頑なさは 死ぬほど面倒くさいけど立派だと思う でも初めて感心したよ あの男に と評価している 藤谷千明 音楽ライター ヴィジュアル系の代表的なバンドであるX JAPANと比較し X JAPANとラルクとでは 背景とするもの が大違い と分析している また メンバーの音楽以外の趣味 嗜好を指摘し ラルクは明らかに文化系気質のバンド ゆえにX JAPANを中心においたヤンキー ヴィジュアル系とは 根本的に趣味 嗜好が異なるわけです 彼らの 主張 も故無きことではないのです と一定の理解を示している 楽曲制作作詞 L Arc en Cielにおける楽曲制作では 作詞のほとんどをボーカリストのhydeが担当している 時折hyde以外のメンバーが作詞することもあるが CDシングルの表題曲に関しては New World と FOREVER を除き hydeが全ての作詞を行っている hyde L Arc en Cielとして作詞作業をするようになってしばらくは 今いる世界からの逃避を望んだような歌詞や 遠くを見つめた願望のような歌詞を多く綴っていた そのため 音楽評論家の市川哲史は 1998年に発表されたアルバム HEART に関するレビューの中で hydeが綴る歌詞について hyde独特の逃避願望である 空に浮かんでたい 癖 と表現していたことがある なお hyde自身は 現実離れした世界について書いているつもりはないようで 俺は身の回りのことしか歌わないから ありえないような話は全部 例え話 だと思ってもらえればいいですね と過去のインタビューで述べている また L Arc en Cielがヒットを重ね続けた1998年から1999年頃の作詞作業について hydeはその当時 何か解放されたい意思っていうのが強い感じ もう歌詞書いてて どっか行こうどっか行こう ばっかり と述べていたことがある hydeは 多感な学生時代に洋楽あるいはハードコアな音楽をよく聴いていたため バンドを始めた最初の頃は日本語の歌詞を書くことに不慣れだったと述べている そしてL Arc en Cielで作詞を行うにあたり hydeが参考にしたものは 幼いころから好きだった小田和正 オフコース が綴る歌詞だったという hydeは 2016年に受けた音楽雑誌 Rolling Stone Japan の取材において 音楽を作り始めた頃は僕はハードコアや ゴシックロックにハマってたから ラルクを始めて すごくキャッチーな曲がメンバーから出てきた時に どういう詩を書いていいかさっぱりわからなかったんです 何を言ってええんやろうな ってすごい迷って試行錯誤して詩を書いた時に 開いた引き出しがオフコースで オフコースの曲って 実は都会的なクールな感じで 歌詞もすごく抽象的だと思います 言葉もかなり選んでいるし そういうところで あ こういう表現の仕方があるな って 歌詞もその時の影響が出てる 例えば Blurry Eyes は 小田和正さんが使うような言葉がいくつかあると思います と述べている このように 自身が尊敬する小田和正が書く歌詞の言葉選びや 抽象的な比喩表現を取り入れていき 比喩に比喩を重ねた表現 と言われるようなリリックを綴るようになった hydeは2012年に受けた音楽雑誌のインタビューにおいて 誰にでも分かるような直接的表現を避けてきた理由について 悲しいことを 悲しい 悲しい って言ってるのはあまり悲しくないんですよ むしろちょっと引くんですよね 抽象的だったり間接的な表現のほうが伝わるというか と述べている また hyde曰く 昔は真っ直ぐな恋愛をテーマに歌詞を書くことに対し 抵抗感があったという hydeは2012年に発表した自叙伝において 今でこそ そんな事はどうでもいいんだけど 元々は男が恋愛を口にするのって 俺としてはカッコ悪い事だと思ってた所があって 激しい ちょっとイカれちゃったような恋愛を詞にするのは良かったけど 普通の あったかい感じの恋愛の詞は苦手だったんだよね と述べている さらにhydeはL Arc en Cielの活動当初 視覚的に楽曲をイメージするため 歌詞を書く前に絵を描くようにしていたという このことについて hydeは1994年発表のアルバム Tierra のインタビューで これはずっと続けてきていることなんですが 詞を書くうえでのガイドとして カンタンな絵を1曲ごとに描いて 自分がその世界にいるという気持ちで詞を書いていくんです そうすると 具体的なものが見えてくる と語っている 文芸評論家の町口哲生は2007年に発行された 別冊宝島 にて この頃にhydeが綴った詞世界に関し 触覚的な世界 手触り感や肌理をもっているという意味 と表現している ただ 2000年頃から hydeの綴る歌詞に 現実を見据えたようなフレーズが増えている 2000年に発表されたアルバム REAL に関するインタビューの中で hydeは なんだ 2000年になっても街は何も変わらないじゃん って ささやかな望みはあるけど そういうことを書いてる REAL というアルバムは 諦めてるけど ひょっとしたらいいことあるかもね っていう 現実的に 深い夢のような未来はあり得ないっていうのが 見えてきてるんだろうね だから 冷めた詞が多い と心境の変化を述べている アルバム REAL をリリースした後 2001年半ばあたりから hydeを含めたL Arc en Cielのメンバー4人は ソロ活動や別バンドでの活動を始動し L Arc en Cielとしての活動が事実上の休止状態となった その後L Arc en Cielは バンドを解散させることも考えたが 2003年6月に久々のライヴを行い 本格的に活動を再開することになった そして2004年に 約3年7ヶ月ぶりのアルバム SMILE を発表している このアルバムでは hydeがこれまでに書いたリリックのテーマとは異なり ストレートな前向きさを綴った歌詞が多くなっている この当時に受けたインタビューの中で hydeは もう 普通に悲しいだけのCDじゃ 僕 心が動かされないんですよ 今の僕のテンションがそうなのかもしれないけど 悲しい詞を今僕がやると 逆にすごく嘘っぽく書いちゃうような気がするんですよね あんまり興味がない そういう悲しい部分を表現した曲もあると思うけど でもどっかに ちょっと今の気持ち的には悲しいとか 暗い部分を音源にしたくないなって気持ちがあるのは確かですね と心境の変化を述べている また 2005年発表のアルバム AWAKE では反戦 平和をテーマとした歌詞 2007年発表のアルバム KISS では人と人のミニマムな関係性を身近な表現でつづったものが多く手掛けられている hyde曰く 2006年 2007年頃から ありふれた日常 をテーマに歌詞を書くようになったという 以前にもhydeは C est La Vie や TIME SLIP ALL YEAR AROUND FALLING IN LOVE など いくつかの楽曲の制作で 身近に起きた出来事をもとに歌詞を書いたことがあったが 2007年に発表したアルバム KISS には 人に近い表現を用いた歌詞をのせた楽曲が数多く収められている hydeは2012年に発表した自叙伝において この当時の心境の変化について 普段の生活の中で ふと愛に満たされた時 このまま 死んでもいいや って思った瞬間に宇宙と繋がった気がした事があったんだよ なんか 死を迎え入れられた瞬間に あ なんだ 宇宙ってこんな物だったのか って ちなみに 俺 薬はやってないよ 笑 そして 宇宙の摂理というか なんか全てがスッと理解出来た気がして それが大きかったのかもしれない その時に 多分 生への執着がなくなったんだろうな それからというもの 周りのいつもの風景がとても愛おしく感じられるようになってきた その感覚は L Arc en Cielの ALONE EN LA VIDA の歌詞に書いたり HYDEソロの I CAN FEEL とか その頃の作詞の核になってるんだけど 中略 いつ死んでもかまわない と共に いつ死んでもいいように生きよう って思う自分が加わった感じかな と綴っている また この頃から リスナーが歌詞の意味を大きく誤解しないよう 比喩だけではなく 直接的な表現を使ったフレーズも意識的に増やし始めている なお hyde曰く 歌詞を書く際は作曲者から楽曲のイメージを聞き それを基に作業を行うことも多いという そして 映画やアニメーション作品に楽曲を提供する場合は 監督などの製作陣と話し合いを行ったうえで そのタイアップ作品を意識した歌詞を書くこともある L Arc en Cieは2000年に映画主題歌として finale という楽曲を提供しているが この時の作詞作業についてhydeは 映画と まったく違うアプローチをしても夢からさめた感じがするし かと言ってまったく同じだと逆に映画との相乗効果がない気がしたんです で 自分の感性で 映画の中で流れるなら こういう感じがいいかなと思ったんです と当時述べている hydeは歌詞を書く行為について 詞を書くのってホントに面倒くさいけど 人として書いてて良かったなとは思うよ 詞とか文章を書くって すごくいい事だと思う 頭で考えてるだけだと なかなか一つの形にまとまらないんだよね でも 文章にしていくと あ そっか そう思ってたんだ って文章って形で見えるからわかりやすいんだ そうすると突き詰めやすくて 物事の本質が見える ヴォーカリストがちゃんと詞を書いて歌を歌うっていう行為は 一番リアルだと思うんですよ 人が書いた詞を歌うっていうのは やっぱりその人の感性を代弁してるっていう感じだから それが悪いって意味じゃないけど と語っている また hydeは 音楽における歌詞について 歌詞は中途半端に理解されるべきもんだとは思うんですよ 歌詞なんていちいち説明してたらカッコいいわけない と語っており インタビューなどにおいて歌詞の意味を明言することを避けており 解釈をリスナーに委ねることが多い 総合音楽家の和久井光司は hydeが綴る歌詞について あるストーリーの断片を散りばめたような雰囲気重視のもの と表現しており パンク以後の精神性としての ロックンロール からは遠く 文学 映画 演劇の要素まで取り込んで ロック とする表現の発展性とみれば大いにありだと思う と批評している また 音楽雑誌 MUSICA の創刊者で 音楽ジャーナリストの鹿野淳は バラッドではかなり文学的な言葉世界を展開するものの ドライヴ ナンバーになると途端にわかりやすい言葉しか歌わなくなる だからこそラルクの楽曲はどんな曲でも必ず 聴きとれる これは実は凄いことだ と評している さらにシンガーソングライターの松任谷由実は 1999年に行われた近田春夫との対談において 同じ粒々を持っている人 として hydeの他 2人の作詞家の名前をあげている 松任谷は hydeを含む3人の作詞家が書く歌詞について 詞とメロディは連動してるけど 詞に心地よい空白を感じました と評している ちなみにhydeは 好きな日本の作詞家として 前記の小田和正の他 aikoやCHARAの名前をあげている 余談だが hydeは2015年に受けた音楽雑誌のインタビューの中で aikoが綴る歌詞について aikoさんの書く詞は素敵だなって曲が流れるたびによく思います と述べたことがある 上記のように L Arc en Cielの楽曲の歌詞はhydeがほぼすべて手掛けているが 1996年発表のアルバム True 以降のアルバムにおいて hyde以外のメンバーも1 2曲作詞を担当するようになった なお 2007年発表のアルバム KISS には hyde以外のメンバー3人それぞれが作詞 作曲を担当した楽曲を 1曲ずつ収録している hyde以外のメンバーが作詞を担当したL Arc en Cielの楽曲は 以下に記す 原曲のみ記載 パートチェンジバンド名義の音源やリアレンジバージョンなどは除く ken Lover Boy twinkle twinkle Pretty girl tetsuya milky way Perfect Blue bravery Time goes on 砂時計 yukihiro L heure trick New World spiral shade of season sakura good morning Hide 作曲 活動初期からメンバー全員が作曲を担当しており コンポーザーが4人いる故にそれぞれの楽曲が独自の個性を持っている点がL Arc en Cielの楽曲の最大の特徴 であり ハードロック ニュー ウェイヴ ポストパンク グランジ オルタナティヴ ロック インダストリアル ダンス ミュージックなど といった多種多様のジャンルに大衆性を注入し楽曲をポップスとして仕上げている メンバー自身も 4人全員がコンポーザーであること をバンドの特徴の一つとして捉えており kenは L Arc en Cielは4人の作曲者がいて それぞれにいろんな匂いがあるっていう面白さがあると思う と語っている また hydeはL Arc en Cielでのアルバム制作について 皆がキャンバスに好きな色を塗っていって 最終的に出来たものから こういう絵が描きたかったんだって確認する感じです と表現している メンバー全員が共通して好きなアーティストは多くないが ザ キュアー ザ スミス デペッシュ モードといった1980年代のニュー ウェイヴやポストパンク DEAD ENDのような耽美なゴシック ロックを全員が好んで聴いていたことから 特に活動初期の楽曲はこれらの影響を受けた曲が多い 他にも kenがHR HMを聴き始める前に松山千春などのニューミュージックを聴いていたこともあり そのテイストをコンパイルした楽曲もある 一方で メンバーは学生時代に 日本のメジャーシーンでヒットを飛ばしていたバンドをあまり聴いておらず hydeは2002年に受けたインタビューの中で 1980年代に日本で流行したビートロックに関して 好みではなかった と述べていたことがある ドラマーがyukihiroに代わって以降 ドラムがタイトでシャープなサウンドに変化し さらにkenのギターのアプローチも変化したことで グランジやオルタナティヴ ロック色の強い楽曲 が活動中期以降に増えている また yukihiroがエレクトロやインダストリアル ミュージックを好んでいたことから クラブ ミュージックとの親和性が高い楽曲も増えている さらに 前述のジャンル以外にもメンバーの影響を受けた音楽性として ヘヴィメタルやハードコアが挙げられるが L Arc en Cielの楽曲はこれらの要素は少ない ken曰く ヘヴィメタル禁止令っぽいものがあった あまりにもメタルみたいなのは周りが嬉しそうじゃないような感じだった といい このようなジャンルの要素がバンドに少なかった背景を述べている ただ L Arc en Cielの楽曲のリアレンジ楽曲をリリースするパートチェンジバンド P UNK EN CIELではスレイヤー アイアン メイデン モトリー クルー をオマージュした編曲を行っている 音楽ライターの安藤優は 音楽雑誌 ミュージック マガジン の中で L Arc en Cielの楽曲について ネクラの代表格ともいえるゴシックやダーク サイケ風味を大胆に盛り込みつつも 平然とお茶の間に浸透して一般大衆の耳にアピールしてしまえる点に ラルクの醍醐味や痛快さを感じる とかく日本のポップスやロックにありがちな借物だらけの段階での自己満足に終始することなく イイトコ取りしつつも咀嚼してラルク的に仕立てるセンスには バンドとプロデューサーの岡野ハジメの並々ならぬ曲者ぶりが発揮されており実に楽しい と批評している また ニューヨークタイムズ紙のポピュラー音楽評論家であるジョン ペアレスは 多くの楽曲がメタリカ U2 デペッシュ モードやデヴィッド ボウイのようなギター ロックでありながら X X X のダンス ポップのようなタッチの アメリカのロックバンドがやらないスタイルの曲もこなしている と楽曲の多彩さについて評している 元PINKのベーシストで バンドの共同プロデューサーを務める岡野ハジメは L Arc en Cielの特徴について アレンジにしても どのジャンルも拡げていける非常に珍しいバンドだと思いますね じゃあなんでもいい ってわけではないんですよ その使い方も それぞれこだわりはある と評している また 岡野はL Arc en Cielの制作現場について 全員がアイディアを こんなのあったら面白いよね って口々に言ってて現場に飛び交ってるという感じで 普通だったら収拾がつかないはずなのに それが何かしらのバランスで こう ひとつの作品になっていくという 面白かったですね そういうのは プロのやり方だけでは出来ないと思うんですよ ある種アマチュアリズム的な それをプロのノウハウでやっていくっていう レンジが広くないと出来ないワザだと思う と述懐している また 草野マサムネ スピッツ は 2024年に放送されたTOKYO FM系ラジオ番組 SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記 の中で L Arc en Cielの楽曲 winter fall に触れたうえで ラルクは曲も歌唱もとても魅力的なんですけども サウンドがねぇ すごいタイトでカッコいいので 当時あの レコーディングのときに参考にしていました なんかこう サウンドを参考にするアーティストっていうのは ほぼ洋楽のアーティストっていうか 洋楽のバンドがほとんどだった中で ラルクはそんな中で数少ない 音がカッコいいなぁ って思ったバンドでしたね 邦楽のね と述べている hyde 詳細は hyde 楽曲制作 の頁を参照 初期はカップリングを担当することが多かった とhyde自身が言うように I m so happy さようなら など 初期の楽曲の多くがカップリングに収録されている hyde作曲の代表曲として バンドとして最高売上を記録した HONEY や HEAVEN S DRIVE などが挙げられ ライブではどちらも自身がリズムギターを担当している また いばらの涙 においても自身が多くのライブでギターを担当している他 Spirit dreams inside ではアコースティックギター flower ではハーモニカ LORELEY Ophelia ではアルトサックスを演奏している ソロ活動のライブ イベントでも 前述の I m so happy や All Dead 等一部の楽曲を演奏したことがある hydeは近年 L Arc en Cielで作曲するうえで L Arc en Cielはなんでもやる音楽集団だからこそ L Arc en Cielにしかできないことを狙って作っている と語っており 特定の音楽性に従属しない楽曲制作を行っている 1980年代のユーロビートを意識した SEVENTH HEAVEN や ポップなジャズテイストのクリスマスソングである Hurry Xmas R amp Bの要素を入れた X X X など企画性のある楽曲を多く手掛けている ken 詳細は ken 楽曲制作 の頁を参照 L Arc en Ciel内では作曲数が最も多く これまで50曲以上の楽曲をリリースしている hydeはken作曲の楽曲について L Arc en Cielの核 と表現している 初期のアルバム DUNE True に収録されている楽曲はken作曲による楽曲が半数以上を占めており 以降のアルバムにおいても Shout at the Devil fate 真実と幻想と the silver shining Coming Closer Pretty girl などken作曲の楽曲が多く収録されている ken作曲の代表曲として バンド名の日本語訳でありバンドにとっての代表曲でもある 虹 や ミリオンセラーを記録した 花葬 NEO UNIVERSE が挙げられる 他にも As if in a dream White Feathers 夏の憂鬱 the Fourth Avenue Cafe winter fall 浸食 lose control forbidden lover 叙情詩 MY HEART DRAWS A DREAM DAYBREAK S BELL Wings Flap など 様々なジャンルの境界線を越えたボーダレスな楽曲 が挙げられる 自身の曲作りのスタンスに関して 無理矢理 作ろうとするのではなくて その時に自分が感じる空気をそのまま曲にするという作り方ですね 空気って 説明するのが難しいんですけど それがあるかないかでまったく違うんですよ そのなかに空気がなかったら 作る意味はないかなって ちょっと思います と語っている また 特殊なものが整合性を持った時にポップになると思っている と自身の思うポップ ミュージック像について述べている tetsuya 詳細は tetsuya 楽曲制作 の頁を参照 作曲数ではkenよりも少ないが シングルの表題曲になっている楽曲は15曲以上に及び 作曲した楽曲のうち表題曲になった楽曲の割合はメンバー4人の中で一番大きい また 自身作曲のシングル曲の中には アルバムからリカットされたものがいくつかある 先行シングル曲でも 別バージョンとしてアルバムに収録されることが多々ある ほかのメンバーと違い カップリングに収録された曲はない メンバー内で唯一 アルバムと同題曲がある アレンジする上でメロディーがしっかりしていることが大前提 とtetsuya自身が言うように tetsuya作曲の楽曲は浸透力あるメロディーラインが特徴 kenは メジャー キーを愛す男だなと ある種メロディで 十代の持つ気持ちを忘れてないなという感じがしますよね と評している また 共同プロデューサーの岡野ハジメはtetsuyaの楽曲を テツポップ と表現しており ある程度成功していったバンドは とかくマニアックな方面にズブズブと行ってしまう場合が多いんですけど 特にtetsuyaの曲とかはポップチューンをきちんと抑えている と評している tetsuya作曲の代表曲として 2001年以降の活動休止期間を経てリリースされた READY STEADY GO や ミリオンセラーを記録した snow drop が挙げられる 他にも Driver s High STAY AWAY 自由への招待 GOOD LUCK MY WAY Don t be Afraid などの疾走感のある楽曲や DIVE TO BLUE Link などのポップス が挙げられる また Pieces 瞳の住人 あなた のようなストリングスをフィーチャーしたバラードソングも多く作曲している さらに 前述のような明るい楽曲に対し finale 死の灰 などダークな楽曲も時折手掛けている シングルとしてのヒットには至らなかったものの Blurry Eyes もファンの間では人気が高い yukihiro 詳細は yukihiro 楽曲制作 の頁を参照 他の3人と比べて作曲数は少なく シングルの表題曲も New World DRINK IT DOWN しかないが アルバム ark ray 以降の全てアルバムに 自身が作曲した楽曲を提供している また バンドの楽曲のなかには インストゥルメンタルがいくつかあるが これらは全て自身が作曲している yukihiro作曲の楽曲は 前述の New World trick や get out from the shell に代表されるように ハウス ブレイクビーツなどを下敷きにしたマシーン ビートをバンドサウンドと同期させたプレイを多く取り入れているものを得意としている そのため 曲によっては他のメンバーが作曲した楽曲の打ち込みによるアレンジを担うことが多く winter fall ken作曲 SEVENTH HEAVEN hyde作曲 AS ONE hyde作曲 などで打ち込みやサウンドデザインを担っている また 自身のソロプロジェクトにおける楽曲制作では ギターリフや取り入れたい音色 サンプリングから作り始め 歌メロを重視せず制作することが多い 一方 L Arc en Cielでは原曲を提示した後に アレンジを他のメンバーと共同で取り組むことが多い 例えば New World ではサビをhydeが制作しているため共作としてクレジットされており REVELATION ではhydeがメロディーの制作を担当している また shade of season ではkenと共同でアレンジを行っている 編曲 プロデュース L Arc en Cielにおける音源の編曲作業は メジャーデビュー後しばらく バンドメンバー4人だけで行うことを基本としており アルバム収録曲のうち1曲だけ外部のアレンジャーを招いてレコーディングすることはあっても アルバム全体のプロデュースはすべてバンドだけで実施していた ただ 1996年発表の4thアルバム True を制作するにあたり 外部から音楽プロデューサー アレンジャーを6人招聘し 本格的に楽曲の共同アレンジを開始している tetsuyaは アルバム True を発表した頃に受けた音楽誌のインタビューにおいて 外部の編曲者と共同制作を行うことについて もともとオレは プロデューサーはぜったい必要だという考えなんですよ 海外のアーティストは それが当たり前じゃないですか プロデューサーといっしょに バンドなりアーティストが共同作業をしていくっていうね たとえば ラットだったら 英語版 とか そういうことをインタビューで読んだり そうやって完成した音楽を聴いて育ってきたから それがとうぜんだと思ってる と述べている 翌1998年に発表した5thアルバム HEART では 全10曲中9曲で岡野ハジメ ex PINK が共同プロデューサー兼アレンジャーとして起用されている そして岡野は このアルバムリリース以降 L Arc en Cielの楽曲制作に長らく携わるようになり hydeが ラルクのもう1人のメンバー と表現するほど L Arc en Cielの音源作り におけるキー パーソンとなっていった ちなみに 岡野とL Arc en Cielの初めての共同制作は 4thアルバム True 収録の Caress of Venus good morning Hide の編曲作業であった 後年岡野は L Arc en Cielとの出会い そして初仕事となった good morning Hide の制作を振り返り 80年代後半のブリティッシュロック的雰囲気 俺はザ キュアーが大好きで たまたまtetsuyaくんもhydeくんもザ キュアーが好きだったんですよ それで ギターはただパワー コードを弾くだけとか普通のコードをジャカジャカ弾くのではなく ギターはイギリスのゴスやニュー ウェイヴの感じにしようと 話し合いましたね そういうことができる日本のバンドは少なかったので ラルクのメンバーはマニアックなものも受け入れてくれるんだ これは嬉しい と思いました と自身の著書で述懐している なお 岡野は プログレッシブ ロックバンド スペース サーカスやニュー ウェイヴバンド PINKでベーシストを務めていたミュージシャンであり L Arc en Cielのメンバーが敬愛するバンド DEAD ENDが1988年に発表したアルバム shambara などでプロデュースワークを担当していた経歴がある なお 前述の通り 本格的に外部のアレンジャーと共同で編曲作業を行うようになったのは 1996年発表のアルバム True 以降だが CDシングル作品では1995年に発表した Vivid Colors と 夏の憂鬱 time to say good bye を 西平彰と共同で編曲している また 1994年発売の2ndアルバム Tierra では 全収録曲をバンドだけで編曲をしているが 元GRASS VALLEYのキーボーディストである本田恭之がベーシック サウンド ディレクター YMO第4の男 と言われた松武秀樹などがキーボードオペレーターとしてクレジットされている また 同アルバム収録曲の 瞳に映るもの では 富樫春生がプロデュースを担当している また 2000年以降の制作では 11thアルバム KISS を除き 岡野ハジメがアルバム全体のプロデュースを務めながら 時折 編曲作業に様々な音楽プロデューサー アレンジャー ミュージシャンを招聘するようになっている これまで岡野以外に CHOKKAKUや亀田誠治 東京事変 久米大作 牛尾憲輔 agraph などがプロデューサーあるいはアレンジャーとして L Arc en Cielの楽曲制作に参加している 下表参照 ちなみに 2007年に発表したアルバム KISS 以降は kenとyukihiroが作曲した楽曲の編曲作業に関しては バンド単位のセルフアレンジで行われることが多くなっている なお kenは管弦編曲や鍵盤編曲に関しても外部に一任せず 自らが作業に関与することが多い そのため 自作曲である winter fall や Butterfly s Sleep LOST HEAVEN ALONE EN LA VIDA では 外部の編曲者とkenが共同で作業を行っている 岡野は2019年に発表した著書で L Arc en Cielにおけるkenのアレンジワークについて kenちゃんはアレンジができて 譜面の読み書きもできる人です 彼と仕事をしていて凄く勉強になったのは 中略 kenちゃんは内声に凄くこだわるんですよね ギタリストだからでしょうけど ミッドのところをどうするか 歌と他の楽器の音が当たっていないか ストリングスの中でビオラの帯域をどうするか といった 内声の動きにこだわるんです kenちゃんはたまに リズム テイクだけだと 最終的にどういう音楽になるかわからないようなギターを弾くことがあるんです 1音だけピーン という音を弾いて この音は何で鳴ってるのかなと思ったら あとでストリングスやいろいろな音が出揃った時に このピーンはトップノートだったんだ やっと分かった なんていうこともありました 最初から 重ねた末にそういうハーモニーになることをちゃんと検証できて弾いているんです と評している また ロックバンド THE NOVEMBERSの小林祐介は kenの作る楽曲について kenさんは作曲の理論だったり ギターでいうボイシングやグルーヴの作り方 アンサンブルの組み方にいつもハッとさせられます と述べている 共同編曲者 プロデューサー名 岡野ハジメを除く 楽曲 括弧内はアルバムのクレジット内容の和訳大石征裕 DUNE 収録曲 プロデュース 本田恭之 Tierra 収録曲 ベーシック サウンド ディレクター 松武秀樹 Tierra 収録曲 キーボードオペレーター 石川鉄男 Tierra 収録曲 キーボードオペレーター 迫田到 Tierra 収録曲 キーボードオペレーター 高橋 RANDY 和仁 heavenly 収録曲 コ プロデュース 富樫春生 瞳に映るもの プロデュース Fare Well 編曲 弦編曲 プロデュース Dearest Love 編曲 弦編曲 プロデュース STAY AWAY Truly Barbie Forest Ver 編曲 雪の足跡 鍵盤編曲 My Dear L Acoustic version 編曲 西平彰 Vivid Colors 編曲 夏の憂鬱 time to say good bye 編曲 あなたのために 編曲 Lies and Truth 編曲 弦編曲 プロデュース Link 編曲 弦編曲 砂時計 編曲 プロデュース NEXUS 4 編曲 SHINE 編曲 GOOD LUCK MY WAY 編曲 管弦編曲 X X X 弦編曲 佐久間正英 風にきえないで 編曲 プロデュース I m so happy 編曲 プロデュース 小西貴雄 flower 編曲 プロデュース さようなら 編曲 プロデュース I Wish 編曲 管編曲 プロデュース 秦野猛行 賽は投げられた 編曲 プロデュース the Fourth Avenue Cafe 編曲 プロデュース Round and Round 編曲 プロデュース THE GHOST IN MY ROOM 編曲 北原雅彦 the Fourth Avenue Cafe 管編曲 CHOKKAKU 虹 編曲 弦編曲 プロデュース TIME SLIP 編曲 プロデュース 村山達哉 winter fall 管弦編曲 Butterfly s Sleep 弦編曲 THE BLACK ROSE 管編曲 菅原サトル あなた 弦編曲 吉澤瑛師 Driver s High 編曲 外山和彦 Pieces 弦編曲 吉俣良 finale 弦編曲 亀田誠治 bravery 編曲 プロデュース ジェレミー ラボック Anemone 弦編曲 叙情詩 弦編曲 ALONE EN LA VIDA 弦編曲 デヴィッド キャンベル 瞳の住人 弦編曲 菅原弘明 Coming Closer 編曲 弦編曲 LOST HEAVEN 鍵盤編曲 杉山勇司 SEVENTH HEAVEN 編曲 spiral 編曲 久米大作 Hurry Xmas 編曲 管弦編曲 BLESS 編曲 管弦編曲 前嶋康明 HONEY L Acoustic version 編曲 プロデュース 陶山隼 Don t be Afraid 編曲 FOREVER 編曲 牛尾憲輔 agraph Cradle L Acoustic version プロデュース 堀向彦輝 ミライ 編曲 カップリング曲 1994年 1998年 The Best of L Arc en Ciel c w L Arc en Cielはメジャーデビュー以降 1998年に発表した10thCDシングル DIVE TO BLUE までは基本的に 過去作のアレンジ音源ではない新曲をカップリング曲としてリリースしていた そしてこの時期のL Arc en Cielは 表題曲 L Arc en Cielが発表した過去作のアレンジ音源でない新曲 表題曲のインストゥルメンタル という形態でCDシングルを発表していた L Arc en Cielがこの当時 CDシングルに収録するカップリング曲をスタジオ アルバムに収録しない方針を取っていたこともあり この時期に発表したカップリング曲は リリースから長らくアルバムに収録されることはなかった ただ 2003年にベストアルバム The Best of L Arc en Ciel c w が発表され この時期に制作されたカップリング曲がアルバムへ初収録されることになった また 2010年発表のメンバー4人それぞれの自作曲から収録曲を選定したベストアルバム QUADRINITY MEMBER S BEST SELECTIONS において hydeの 影的な存在の曲に光を当てたい という思いから I m so happy さようなら が再びアルバム収録されている 1998年 2000年 ectomorphed works 1998年にyukihiroがL Arc en Cielへ正式加入し 同年に12thCDシングル 浸食 lose control を発表するにあたり カップリング曲として表題曲のリミックス音源が制作されることとなった 当初 海外のアーティストに 浸食 lose control のリミックスを依頼するプランもあったというが yukihiroの希望により yukihiroの手でリミックス音源が制作されることになった そして 出来上がった音源をメンバーが気に入ったことにより この作品以降もyukihiroによるL Arc en Cielの楽曲のリミックス音源が カップリングとして収録されることとなった こうしてL Arc en Cielは 表題曲 yukihiroによるリミックス音源 インストゥルメンタルなし という形態でCDシングルを発表するようになった この形態でのリリースは 13thCDシングル snow drop を除き 2000年に発表した19thCDシングル NEO UNIVERSE finale までのCDシングル7作品で行われている ちなみにこのリミックス企画では yukihiroが1980年代後半からイギリス マンチェスターを中心に巻き起こったマンチェスター ムーブメントの影響を受けていることもあってか ハウスやインダストリアルを中心としたダンス ミュージックを意識したリミックスが多く手掛けられている 余談だが yukihiroは ソロ名義で開催したDJ amp ライヴイベント acid android in an alcove において ディスクジョッキーとしてこの時期に自身が制作したL Arc en Cielのリミックス音源をフロアでかけたことがある カップリングに収められたリミックス音源は 2000年に再度リミックスしたうえで リミックス アルバム ectomorphed works に収録されることになった なお このリミックスアルバムはL Arc en Ciel名義の作品ではあるが yukihiroの単独プロデュースで制作されている また 2003年に発表されたベストアルバム The Best of L Arc en Ciel c w には yukihiroが制作したリミックス音源から 14thCDシングル forbidden lover のカップリング曲として発表された 花葬 1014 mix が収録されている 2004年 2011年 P UNK IS NOT DEAD L Arc en Cielの活動を本格的に再開した 2004年に発表した24thCDシングル 自由への招待 以降のCDシングルには メンバー4人がパートチェンジしたバンド P UNK EN CIELの音源が収録されることになった P UNK EN CIELは L Arc en Cielの楽曲をパンク ロック風にアレンジし直してセルフカバーする企画バンドであり メンバー4人が持ち回りでアレンジの主導権を握り 音源制作がすすめられた ちなみにken曰く この企画はhydeの発案がきっかけになっているという こうしてL Arc en Cielは 表題曲 P UNK EN CIELによるセルフカバー音源 表題曲とカップリング曲のインストゥルメンタル という形態でCDシングルを発表するようになった この形態でのリリースは 29thCDシングル the Fourth Avenue Cafe と35thCDシングル NEXUS 4 SHINE を除き 2011年発表の37thCDシングル GOOD LUCK MY WAY までのCDシングル12作品で行われている また 2004年以降に開催したL Arc en Ciel名義のライヴでは P UNK EN CIELがセルフカバーを2 3曲ほどパフォーマンスするコーナーが設けられた ちなみにP UNK EN CIELは 前述の通り L Arc en Cielの楽曲をパンク風にアレンジすることがテーマとなっていたが 企画が進むにつれ 徐々に 海外のアーティストをオマージュしたアレンジを施す というメンバーのお遊び企画に変容している そのためP UNK EN CIELのセルフカバー音源には ハノイ ロックスやスレイヤー シド ヴィシャス アイアン メイデン モトリー クルー サイモン amp ガーファンクルといったアーティストの楽曲を彷彿とさせるアレンジが施されたものが存在している カップリングに収められたセルフカバー音源は 2012年に再度ミックス マスタリングしたうえで L Arc en Cielの12thアルバム BUTTERFLY の完全生産限定盤に付属された特典CD P UNK IS NOT DEAD に収録されることになった そしてこのアルバムリリースをもって P UNK EN CIELとしての活動は一旦の区切りになった 2011年 現在 L Acoustic version 2011年に発表した38thCDシングル X X X からは L Arc en Cielの楽曲をアコースティックアレンジし直した L Acoustic version と題された音源が収録されることになった なお リアレンジ音源のプロデュースは P UNK EN CIELの音源制作のときと同様に メンバー4人が持ち回りで担当することになっている こうしてL Arc en Cielは 表題曲 L Arc en Cielの楽曲のアコースティックアレンジ音源 L Acoustic version 表題曲とカップリング曲のインストゥルメンタル という形態でCDシングルを発表するようになった ちなみに L Acoustic version は現在までに 4曲制作されている レコーディングでは アコースティックピアノやアコースティック ギターを使い アンプラグド的な音源が制作されている 他には ボサノヴァ調にリアレンジした HONEY L Acoustic version や アナログシンセサイザーを使いアンビエント チルアウトの方向でリアレンジされた Cradle L Acoustic version が発表されている パートチェンジバンドL Arc en Cielではバンド内の遊びも兼ね 不定期でメンバー間のパートチェンジを行い 音源制作 ライヴ演奏を行うことが間々ある そしてこのお遊びの発展型として 過去にKIOTO 読み キオト D ARK EN CIEL 読み ダーク アン シエル P UNK EN CIEL 読み パンク アン シエル の3つのパートチェンジバンドが企画され これらがL Arc en Ciel名義のライヴでパフォーマンスを行っていた なお この3バンドの共通項として メンバーが違うケースはあれど 担当パートの振り分け方が同一 という点がある L Arc en Cielのベーシストであるtetsuyaがボーカルに ドラマーのsakuraもしくはyukihiroがベーシストに ボーカリストのhydeがギタリストに ギタリストのkenがドラマーにチェンジする KIOTO 1995年にL Arc en Ciel名義で行った幾つかのライヴに登場したTOKIOのコピーバンド このバンドは tetsuyaが城島茂 TOKIO と交流を持っていたことがきっかけで始まっている そしてこのバンドは L Arc en Ciel名義で行った2公演でTOKIOの楽曲 LOVE YOU ONLY をカバーしている ちなみにこのバンドは TOKIOのリーダー 城島茂の公認バンド とされており バンドの詳細は謎に包まれている という設定が付与されている D ARK EN CIEL 1996年から1997年にかけてL Arc en Ciel名義で行ったライヴに登場したスラッシーなメタルバンド このバンドでは他2バンドとは違い オリジナル楽曲が制作されている そしてライヴにおいてもオリジナル楽曲が演奏されている なお D ARK EN CIELとして制作した楽曲のいくつかは シングル the Fourth Avenue Cafe のカップリングに収録されている 余談だが D ARK EN CIELの活動が始まった当初は 上記のパートの振り分け方とは異なり tetsuyaがボーカル sakuraがギター kenがベース hydeがドラムを担当していた ただ パワー不足 という理由により 上記のパートの振り分け方に変更されることとなった P UNK EN CIEL 2004年から2011年にかけて活動していたL Arc en Cielのカバーバンド このバンドは 過去にL Arc en Cielとして発表した楽曲をパンク ロック ハードロック ヘヴィメタル調にアレンジしたうえで パートを変えてセルフカバーするという企画モノで 音源はすべてL Arc en Cielのシングルのカップリング曲として発表されていた ちなみにこの企画は 徐々に洋楽をオマージュしたアレンジをするお遊び企画に変容していった なお 他2バンドと同様に L Arc en Ciel名義のライヴに登場していた時期もある 詳細は P UNK EN CIELの頁 を参照 余談だが L Arc en Cielは 2003年に開催したライヴ Shibuya Seven days 2003 以降の公演において 時折メンバーがパートチェンジし L Arc en Cielの楽曲 STAY AWAY trick REVELATION を披露している なお この3曲をパートチェンジして披露する際は 別のバンドを名乗ることはしていない 作品公式作品 L Arc en Cielのディスコグラフィ を参照 非公式デモテープ L Arc en Cielはアマチュア インディーズ時代 デモテープの公式配布 公式販売を意識的に避けていた しかし メンバーの意図しないかたちで ライヴハウスに提出したブッキングプロモーション用テープなどが流出している そして流出音源の一部は ファンや関係者によって勝手にタイトルが付けられ ジャケットも添えたうえで 世間に出回っている もちろんこれらのデモテープは 全て非公式品であり本物は存在しない また メジャーレーベルから発表されたアルバム ark や ray の収録曲のデモ音源に関しても ネットを中心に流出している Floods of remasterNostalgia I m in PainL Arc en Cielを結成して間もない頃 ライヴハウスのブッキング用に制作された音源が出回ったもの これはhiroとperoがバンドに在籍していた頃に作られた音源で L Arc en Cielの初の公式作品となるライヴビデオ L Arc en Ciel に一部収録されている ちなみに Nostalgia は hiroがL Arc en Ciel脱退後に結成したバンド Flame ex Ange Graie に引き継がれ 新たな楽曲 Dear Whisper として再録されている Unfinished DEMO 7 tracksClaustrophobia 記憶の破片 追憶の情景 No Truth Dune Entichers I m in Painこちらもhiroとperoが在籍していた頃にレコーディングした音源が流出したもの 当初は これらの楽曲がアルバム DUNE に収録される予定であった なお この中に収められた Dune に関しては 後にアルバム DUNE へ収録されたときのバージョンとほぼ同じアレンジが施されている ちなみに 記憶の破片 は hiroがL Arc en Ciel脱退後に結成したバンド Flame ex Ange Graie の楽曲 冷たい雨 の原曲になっている VoiceVoiceこれはkenがL Arc en Cielに加入した後に流出した音源で オムニバスアルバム Gimmick に VOICE を提供するために実施したレコーディングで作られたデモテイクとなっている なお Voice のアレンジは アルバム Gimmick に収録された音源と変わりは無い ちなみにこれは 知人などに配られたものが流出したとされている 余談だが 本項であげたデモテープの中では一番出回っていない代物となっている ミュージック クリップ 監督 曲名穴見文秀 NEO UNIVERSE 池田一真 Wings Flap ヴィンセント ギャロ Anemone 上田拓 STAY AWAY A T DAYBREAK S BELL 大坪草次郎 Driver s High LIVE IN PARIS Ver CHASE WORLD TOUR 2012 EDITION 柿本ケンサク ミライ 栗田裕介 風にきえないで 小島淳二 叙情詩 後藤新吾 Dune Floods of tears As if in a dream Blurry Eyes Vivid Colors 高木照之 White Feathers 眠りによせて 高田弘隆 NEXUS 4 高田雅博 Pieces 竹石渉 winter fall DIVE TO BLUE HONEY snow drop Driver s High finale READY STEADY GO 竹内スグル flower Lies and Truth 虹 forbidden lover 瞳の住人 多田琢 Pieces STAY AWAY 多田卓也 GOOD LUCK MY WAY タナカノリユキ trick new2 wave of japanese heavy metal mix fate everybody knows but god mix 丹修一 and She Said デビッド ステットソン 夏の憂鬱 time to say good bye 中島シンヤ Spirit dreams inside another dream 中村剛 SEVENTH HEAVEN 二階健 風の行方 瞳に映るもの 野田智雄 自由への招待 Killing Me New World Link 芳賀薫 Hurry Xmas 東弘明 CHASE ヒグチミツヒロ FOREVER Higuchinsky 花葬 浸食 lose control Anemone sub angle 松岡公一 MY HEART DRAWS A DREAM マンジョット ベディ SHINE BLESS 武藤眞志 HEAVEN S DRIVE LOVE FLIES ムラカミタツヤ DRINK IT DOWN 森田淳也 Don t be Afraid Biohazard L Arc en Ciel on PlayStation VR 安田大地 Don t be Afraid Don t be Afraid BIOHAZARD THE FINAL collaboration version L Arc en Ciel X X X ライヴ コンサートツアー 映像化 の項目では 同じ放送局で再放送されたケースは記載しない また 映像作品の再発盤についても記載しない年 タイトル 会場 映像化1991年 1992年 L Arc en Ciel 全30公演 すべてのライヴが単発公演 1991年 5月30日 難波ロケッツ ファーストライヴ 6月27日 YANTA鹿鳴館 8月2日 森の宮プラネットステーション 8月6日 十三ファンダンゴ 8月26日 難波ロケッツ 8月31日 市川CLUB GIO 9月27日 難波ロケッツ 大阪初のワンマン ライヴ 11月5日 難波ロケッツ 12月3日 難波ロケッツ 12月31日 難波ロケッツ 1992年 3月10日 難波ロケッツ 3月16日 新宿ロフト 4月5日 難波ロケッツ 5月22日 難波ロケッツ 6月12日 難波ロケッツ hiroが在籍した最後の公演 6月25日 新宿ロフト kenが加入して初の公演 7月22日 難波ロケッツ シークレット 7月24日 神戸チキンジョージ 7月30日 京都ミューズホール 8月3日 市川CLUB GIO 8月5日 横浜ゴーストウォール 8月7日 大宮フリークス 8月8日 市川CLUB GIO オールナイト 8月29日 大阪バナナ ホール 10月27日 難波ロケッツ 11月26日 大阪ミューズホール 12月1日 渋谷ラ ママ 12月16日 難波ロケッツ 12月28日 難波ロケッツ 12月30日 大阪ミューズホール オールナイト peroが在籍した最後の公演1993年 SONIC GIG 全1公演 3月11日 恵比寿GUILTY sakuraが加入して初の公演SONIC GIG 全1公演 4月27日 恵比寿GUILTYClose by DUNE 全10公演 6月14日 広島WOODY STREET 6月15日 博多DRUM Be1 6月20日 市川CLUB GIO 6月22日 金沢VANVAN V4 6月23日 新潟CLUB JUNK BOX 6月25日 仙台YAMAHAホール 6月26日 青森クォーター 6月29日 横浜 7th AVENUE 7月1日 名古屋HeartLand STUDIO 7月3日 難波ロケッツClose by DUNE FINAL 全1公演 8月1日 日清パワーステーションFEEL OF DUNE 全14公演 11月9日 京都ミューズホール 11月11日 金沢VANVAN V4 11月12日 長野LIVE HOUSE J 11月14日 新潟CLUB JUNK BOX 11月15日 新潟CLUB JUNK BOX 11月19日 博多DRUM Be1 11月20日 大分徒楽夢TOPS 11月27日 日本青年館 11月29日 大阪W OHOL 12月10日 名古屋CLUB QUATTRO 12月12日 前橋ラタン 12月17日 仙台ビーブベースメントシアター 12月18日 青森クォーター 12月20日 札幌PENNY LANE 241994年 ノスタルジーの予感 全3公演 4月3日 渋谷公会堂 4月13日 名古屋市芸術創造センター 4月15日 大阪郵便貯金会館 インディーズ最後の公演映像化 全国9局ネットで放送されたテレビ番組 ノスタルジーの予感 第二章 1994年4月3日に開催された渋谷公会堂公演から3曲のダイジェストを放送 L Arc en Ciel Tour Sense of time 94 全8公演 7月14日 大阪郵便貯金会館 7月15日 大阪郵便貯金会館 7月18日 愛知県勤労会館 7月20日 広島アステールプラザ 7月22日 福岡都久志会館 7月25日 新潟フェイズ 8月3日 仙台市青年文化センター 8月27日 東京ベイNKホール映像化 WOWOW系番組 Tour Sense of Time 94 Final TOKYO BAY N K HALL 1994年8月27日に開催された東京ベイNKホール公演の模様を放送 1995年 Official Funclub発足記念 Ciel winter 95 全4公演 1月24日 大阪国際交流センター 1月25日 難波ロケッツ シークレット 1月30日 渋谷公会堂 2月4日 渋谷公会堂 追加公演L Arc en Ciel in CLUB 95 全20公演 5月21日 熊谷VOGUE 5月23日 市川CLUB GIO 5月26日 長野LIVE HOUSE J 5月27日 金沢VANVAN V4 5月29日 心斎橋CLUB QUATTRO 6月2日 北見オニオンホール 6月3日 帯広REBEL 6月5日 函館 金森ホール 6月7日 盛岡AUNホール 6月9日 山形ミュージック昭和セッション 6月11日 京都ミューズホール 6月13日 LIVE HOUSE 熊本Django 6月14日 鹿児島SRスタジオ 6月16日 大分徒楽夢TOPS 6月18日 岡山ペパーランド 6月20日 松山サロンキティ 6月21日 高知ZE YO 6月24日 名古屋CLUB QUATTRO 6月26日 日清パワーステーション 6月27日 日清パワーステーションL Arc en Ciel DAY Rendez Vous 前夜祭 全1公演 7月30日 渋谷公会堂 シークレット 上記公演を皮切りにキャンペーンイベントを全国で実施 Rendez Vous 1995 Summer 8月24日 広島ダイイチ 7F サテライトスタジオ ken amp sakura 8月24日 新潟フェイズ hyde amp tetsuya 8月25日 岡山ファンQホール ken amp sakura 8月26日 札幌ペニーレーン hyde amp tetsuya 8月27日 名古屋ダイヤモンドホール hyde amp tetsuya 8月27日 熊本マツモトレコードイエロースタジオ ken amp sakura 8月28日 福岡ベイサイドプレイス ken amp sakura 8月29日 仙台ビーブベースメントシアター hyde amp tetsuya 8月30日 東京六本木アートフォーラム 8月31日 大阪IMPホールL Arc en Ciel TOUR heavenly 95 全9公演 9月8日 仙台市民会館 9月10日 サッポロファクトリーホール 9月12日 新潟フェイズ 9月14日 福岡スカラエスパシオ 9月16日 広島アステールプラザ 9月18日 大阪国際交流センター 9月19日 大阪国際交流センター 9月21日 愛知県勤労会館 10月4日 NHKホールL Arc en Ciel The other side of heavenly 95 全3公演 12月12日 大阪ベイサイドジェニー 12月13日 名古屋ボトムライン 12月25日 日清パワーステーション映像化 ライヴビデオ heavenly films ライヴツアーの模様の一部を収録 L Arc en Ciel TOUR heavenly 95 final 全1公演 12月27日 日本武道館映像化 WOWOW系番組 L Arc en Ciel SPECIAL LIVE amp DOCUMENT 1995年12月27日に開催された日本武道館公演の模様の一部を放送 ライヴビデオ heavenly films 1995年12月27日に開催された日本武道館公演の模様の一部を収録 1996年 L Arc en Ciel Kiss me deadly heavenly 96 全24公演 4月3日 結城市民文化センター 4月6日 日比谷野外音楽堂 4月7日 日比谷野外音楽堂 4月11日 市川市文化会館 tetsuyaの過労のため5月29日に振替 4月14日 宮城県民会館 4月15日 秋田市文化会館 4月17日 札幌市民会館 4月18日 旭川市公会堂 4月23日 新潟テルサ 4月24日 金沢市文化ホール 4月26日 大阪厚生年金会館 大ホール 4月27日 名古屋市公会堂 5月1日 京都会館 第2ホール 5月3日 広島アステールプラザ 大ホール 5月5日 熊本県立劇場ホール 5月6日 鹿児島市民文化ホール 第2ホール 5月8日 福島市民会館 5月10日 愛媛県民文化会館 5月12日 岡山市民文化ホール 5月13日 高知県民文化ホール オレンジホール 5月15日 栃木県総合文化センター 5月16日 郡山市文化センター 中ホール 5月21日 浦和市文化センター 5月23日 長野県県民文化会館 中ホール 5月29日 市川市文化会館 4月11日公演の振替公演L Arc en Ciel Kiss me deadly heavenly 96 REVENGE 全1公演 5月26日 東京ベイNKホール映像化 SPACE SHOWER TV系番組 LIVE SHOWER L Arc en Ciel LIVE kiss me heavenly 96 FINAL kiss me deadly 96 REVENGE 1996年5月26日に開催された東京ベイNKホール公演の模様の一部を放送 L Arc en Ciel BIG CITY NIGHTS ROUND AROUND 96 全5公演 8月26日 日本武道館 8月27日 日本武道館 9月1日 名古屋市民会館 大ホール 9月3日 大阪厚生年金会館 9月4日 大阪厚生年金会館L Arc en Ciel Carnival of True Eve 全1公演 12月19日 日清パワーステーション1996年 1997年 FRESH LIGHT PRESENTS L Arc en Ciel CONCERT TOUR 96 97 Carnival of True 全10公演 1996年 12月23日 大阪城ホール 12月26日 日本武道館 12月27日 日本武道館 1997年 1月10日 名古屋センチュリーホール 1月11日 広島厚生年金会館 1月13日 福岡市民会館 1月22日 新潟県民会館 1月24日 北海道厚生年金会館 1月26日 仙台サンプラザホール 1月29日 日本武道館 sakuraが在籍した最後の公演1997年 the Zombies Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE 全3公演 12月16日 赤坂BLITZ yukihiroがサポートとして参加した公演 12月17日 難波ロケッツ yukihiroがサポートとして参加した公演 12月18日 梅田HEAT BEAT yukihiroがサポートとして参加した公演映像化 テレビ番組 AMEMURA ROCK STREET 1997年12月18日に開催された梅田HEAT BEAT公演の模様の一部を放送 SPACE SHOWER TV系番組 NEWS amp Countdown 1997年12月16日開催の赤坂BLITZ公演と12月17日開催の難波ロケッツ公演の模様の一部を放送 非売映像作品 the Zombies Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE ライヴツアーの模様の一部を収録 L Arc en Ciel 1997 REINCARNATION 全1公演 12月23日 東京ドーム yukihiroがサポートとして参加した公演映像化 WOWOW系番組 L Arc en Ciel 1997 REINCARNATION 1997年12月23日に開催された東京ドーム公演の模様を生放送 ライヴビデオ A PIECE OF REINCARNATION 1997年12月23日に開催された東京ドーム公演の模様の一部を収録 ライヴビデオボックス FIVE LIVE ARCHIVES 2 1997年12月23日に開催された東京ドーム公演の模様を完全収録 1998年 L Arc en Ciel Tour 98 ハートに火をつけろ 全56公演 第1部 5月1日 横須賀芸術劇場 yukihiroが正式加入して初の公演 5月3日 京都会館 第1ホール 5月5日 神戸国際会館 ハーバーランドプラザ 5月7日 和歌山市民会館 大ホール 5月9日 彦根市民会館 5月12日 長野県県民文化会館 5月14日 富山オーバード ホール 5月15日 金沢市観光会館 5月19日 新潟県民会館 5月21日 姫路市文化センター 5月23日 徳山市文化会館 5月24日 倉敷市民会館 5月26日 香川県県民ホール 5月28日 鳥取県立県民文化会館 5月30日 市川市文化会館 6月2日 長崎市公会堂 6月4日 熊本市民会館 6月5日 鹿児島県文化センター 6月12日 福島県文化センター 6月14日 山形県県民会館 6月16日 秋田県民会館 6月17日 岩手県民会館 6月19日 群馬県民会館 6月22日 宇都宮市文化会館 6月24日 旭川市民文化会館 6月25日 帯広市民文化ホール 6月27日 釧路市民文化会館 6月29日 アクトシティ浜松 大ホール 7月1日 高知県民文化ホール 7月2日 松山市民会館 7月7日 茨城県立県民文化センター 7月8日 大宮ソニックシティ 7月11日 四日市市文化会館 7月12日 岐阜市民会館 7月14日 静岡市民文化会館 7月17日 浦和市文化センター 7月21日 沖縄コンベンションセンター 第2部 9月3日 横浜アリーナ 9月4日 横浜アリーナ 9月11日 福岡サンパレス 9月12日 福岡サンパレス 9月14日 大阪城ホール 9月15日 大阪城ホール 9月18日 仙台サンプラザホール 9月19日 仙台サンプラザホール 9月21日 北海道厚生年金会館 9月22日 北海道厚生年金会館 9月26日 広島郵便貯金ホール 9月27日 広島郵便貯金ホール 9月30日 名古屋レインボーホール 10月1日 名古屋レインボーホール 10月5日 日本武道館 10月6日 日本武道館 10月17日 大阪ドーム 追加公演 10月20日 国立代々木競技場 第一体育館 追加公演 10月21日 国立代々木競技場 第一体育館 追加公演映像化 ライヴビデオ ハートに火をつけろ 1998年10月17日開催の大阪ドーム公演と10月21日開催の国立代々木競技場 第一体育館公演の模様の一部を収録 ライヴビデオボックス FIVE LIVE ARCHIVES 1998年10月17日に開催された大阪ドーム公演の模様を収録 ファンクラブ限定コンテンツ CIEL s STORAGE BOX Tour 98 ハートに火をつけろ Bootleg LIVE VIDEO 1998 5 1 よこすか芸術劇場 1998年5月1日に開催された横須賀芸術劇場公演の Promised land birth winter fall Lies and Truth のライヴ映像を期間限定公開 1999年 L Arc en Ciel 1999 GRAND CROSS TOUR 全12公演 7月17日 大阪コスモスクエア 特設ステージ 7月18日 大阪コスモスクエア 特設ステージ 7月24日 福岡マリノア 7月25日 福岡マリノア 7月31日 安比高原 特設ステージ 8月1日 安比高原 特設ステージ 8月7日 真駒内オープンスタジアム 8月8日 真駒内オープンスタジアム 8月14日 ポートメッセなごや 特設ステージ 8月15日 ポートメッセなごや 特設ステージ 8月21日 東京ビッグサイト 駐車場特設ステージ 8月22日 東京ビッグサイト 駐車場特設ステージ映像化 Viewsic系番組 L Arc en Ciel 1999 GRAND CROSS TOUR 1999年8月21日に開催された東京ビッグサイト 駐車場特設ステージ公演の模様を生放送 channel V系番組 L Arc en Ciel 1999 GRAND CROSS TOUR 1999年8月22日に開催された東京ビッグサイト 駐車場特設ステージ公演の模様を生放送 ライヴビデオ 1999 GRAND CROSS CONCLUSION 1999年8月22日に開催された東京ビッグサイト 駐車場特設ステージ公演の模様を収録 ライヴビデオボックス FIVE LIVE ARCHIVES 1999年8月21日に開催された東京ビッグサイト 駐車場特設ステージ公演の模様を収録 ライヴビデオボックス FIVE LIVE ARCHIVES 2 1999年7月17日に開催された大阪コスモスクエア 特設ステージ公演の模様を収録 WOWOW系番組 WOWOW L Arc en Ciel 30th L Anniversary Special Collaboration 1999 GRAND CROSS CONCLUSION 1999年8月22日に開催された東京ビッグサイト 駐車場特設ステージ公演の模様を放送 1999年 2000年 Tu Ka PRESENTS L Arc en Ciel RESET gt gt LIVE 000 全1公演 1999年12月31日 2000年1月1日 東京ビッグサイト 東館展示ホール1 3映像化 全国各地の街頭ビジョン RESET gt gt LIVE 000 NEO UNIVERSE 1999年12月30日 2000年1月1日に開催された東京ビッグサイト 東館展示ホール1 3公演の NEO UNIVERSE のライヴ映像を生放送 ライヴビデオボックス FIVE LIVE ARCHIVES 1999年12月30日 2000年1月1日に開催された東京ビッグサイト 東館展示ホール1 3公演の模様を収録 2000年 L Arc en Ciel CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE 全10公演 10月8日 赤坂BLITZ 10月9日 赤坂BLITZ 10月16日 Zepp Sendai 10月17日 Zepp Sendai 10月19日 Zepp Tokyo 10月20日 Zepp Tokyo 10月23日 Zepp Sapporo 10月24日 Zepp Sapporo 10月26日 Zepp Osaka 10月27日 Zepp Osaka映像化 ライヴビデオ CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE NO CUT 2000年10月27日に開催されたZepp Osaka公演の模様を収録 WOWOW系番組 WOWOW L Arc en Ciel 30th L Anniversary Special Collaboration CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE NO CUT 2000年10月27日に開催されたZepp Osaka公演の模様を放送 Yahoo JAPAN PRESENTS L Arc en Ciel TOUR 2000 REAL 全10公演 11月4日 ナゴヤドーム 11月5日 ナゴヤドーム 11月11日 大阪ドーム 11月12日 大阪ドーム 11月18日 福岡ドーム 11月19日 福岡ドーム 12月2日 東京ドーム 12月3日 東京ドーム 12月5日 東京ドーム 12月6日 東京ドーム映像化 Yahoo ブロードキャスト配信 TOUR 2000 REAL 2000年12月5日に開催された東京ドーム公演の模様の一部を生配信 スカパー パーフェクTV 系番組 TOUR 2000 REAL 2000年12月6日に開催された東京ドーム公演の模様を完全放送 各メンバーのアングルとマルチアングルで5チャンネル同時放送 ライヴビデオボックス FIVE LIVE ARCHIVES 2000年12月6日に開催された東京ドーム公演の模様の一部を収録 WOWOW系番組 WOWOW L Arc en Ciel 30th L Anniversary Special Collaboration TOUR 2000 REAL 2000年12月6日に開催された東京ドーム公演の模様を放送 2003年 LE CIEL限定 Akasaka Zero day 全1公演 6月25日 赤坂BLITZ FC限定映像化 アルバム SMILE 初回限定盤特典DVD 2003年6月25日に開催された赤坂BLITZ公演の Promised land のライヴ映像を収録 L Arc en Ciel Shibuya Seven days 2003 全7公演 6月28日 国立代々木競技場 第一体育館 6月29日 国立代々木競技場 第一体育館 7月1日 国立代々木競技場 第一体育館 7月2日 国立代々木競技場 第一体育館 7月4日 国立代々木競技場 第一体育館 7月5日 国立代々木競技場 第一体育館 7月6日 国立代々木競技場 第一体育館映像化 NTTドコモ携帯電話 FOMA Shibuya Seven days 2003 2003年7月6日に開催された国立代々木競技場 第一体育館公演の模様の一部をストリーミング配信 携帯電話を使ったライヴのストリーミング配信は 世界初の試みとなった ライヴビデオ 7 2003年7月6日に開催された国立代々木競技場 第一体育館公演の模様の一部を収録 アルバム SMILE 初回限定盤特典DVD 2003年7月6日に開催された国立代々木競技場第一体育館公演公演の fate 花葬 forbidden lover Shout at the Devil HONEY のライヴ映像を収録 2004年 Sony Music Fes 2004 スペシャルライヴ L Arc en Ciel SMILE TOUR 2004前夜祭 全1公演 5月8日 国立代々木競技場 第一体育館L Arc en Ciel SMILE TOUR 2004 全18公演 5月11日 横浜アリーナ 5月12日 横浜アリーナ 5月15日 名古屋レインボーホール 5月16日 名古屋レインボーホール 5月22日 仙台市体育館 5月23日 仙台市体育館 5月29日 札幌きたえーる 5月30日 札幌きたえーる 6月9日 大阪城ホール 6月10日 大阪城ホール 6月12日 大阪城ホール 追加公演 6月13日 大阪城ホール 追加公演 6月18日 マリンメッセ福岡 6月19日 マリンメッセ福岡 6月23日 国立代々木競技場 第一体育館 6月24日 国立代々木競技場 第一体育館 6月26日 国立代々木競技場 第一体育館 追加公演 6月27日 国立代々木競技場 第一体育館 追加公演映像化 ライヴビデオ SMILE TOUR 2004 全国編 ライヴツアーの各公演の模様をザッピング収録 L Arc en Ciel Live in USA 全1公演 7月31日 ファースト マリナー アリーナ ボルチモア 映像化 ライヴビデオ LIVE IN U S A at 1st Mariner Arena July 31 2004 2004年7月31日に開催されたファースト マリナー アリーナ公演の模様を収録 2005年 L Arc en Ciel AWAKE TOUR 2005前夜祭 今夜奇跡が起きる 全1公演 7月28日 LIQUIDROOM Ebisu FC限定映像化 ライヴビデオボックス FIVE LIVE ARCHIVES 2 2005年7月28日に開催されたLIQUIDROOM Ebisu公演の模様を収録 WOWOW系番組 WOWOW L Arc en Ciel 30th L Anniversary Special Collaboration AWAKE TOUR 2005前夜祭 今夜奇跡が起きる 2005年7月28日に開催されたLIQUIDROOM Ebisu公演の模様を放送 L Arc en Ciel AWAKE TOUR 2005 全11公演 8月6日 名古屋市総合体育館 レインボーホール 8月7日 名古屋レインボーホール 8月9日 名古屋レインボーホール 8月17日 大阪城ホール 8月18日 大阪城ホール 8月20日 大阪城ホール 8月21日 大阪城ホール 8月27日 国立代々木競技場 第一体育館 8月28日 国立代々木競技場 第一体育館 8月30日 国立代々木競技場 第一体育館 8月31日 国立代々木競技場 第一体育館映像化 ライヴビデオ AWAKE TOUR 2005 2005年8月31日に開催された国立代々木競技場 第一体育館公演の模様を収録 L Arc en Ciel ASIALIVE 2005 全4公演 9月3日 オリンピックパーク 体操競技場 ソウル 9月10日, ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム、モバイル、電話、Android、iOS、Apple、携帯電話、Samsung、iPhone、Xiomi、Xiaomi、Redmi、Honor、Oppo、Nokia、Sonya、MI、PC、ウェブ、コンピューター