陰陽家(いんようか)は、古代中国戦国時代を中心に活動した諸子百家の一派。主な人物に鄒衍(騶衍)がいる。陰陽五行思想を発展させ王朝交替説()などを説いた。現存する文献が乏しいため、実態は不明な点が多い。
概要
陰陽五行思想(陰陽思想と五行思想)により天地自然の法則性を知り、人間の吉凶禍福を予知した。とくにという王朝交替説を提唱した。
陰陽五行思想そのものは、陰陽家より前の殷代からあり、儒家の『易経』『書経』や、一般の占い(術数)にも使われていた。後には『呂氏春秋』『管子』『春秋繁露』、讖緯思想や道教、日本の陰陽寮などにも使われた。
「陰陽家」という学派区分は、戦国時代当時には無く、漢代の司馬談『(論六家要旨)』や、班固『漢書』芸文志が後付した区分である。『漢書』芸文志では、鄒衍とその後継者ののほか、(公孫發)、秦漢の張蒼らが「陰陽家」とみなされ、『鄒子』などの書名が記録されているが、断片的にしか現存しない。
鄒衍・鄒奭の学説はそれぞれ壮大・流麗だったとされ、「談天雕龍」という成句になっている。
思想
「(鄒衍#学説)」を参照
関連項目
- (兵家#兵陰陽家)
- 五行 (文献)
脚注
注釈
- ^ 陰陽思想と五行思想は元々別個の思想だったが、戦国時代から漢代にかけて融合した。
- ^ 『漢書』芸文志より後の目録学・四部分類においては、『隋書』経籍志の時点で「陰陽家」は「術数」に吸収されて消滅している。
出典
- ^ 『陰陽家』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g h 江連隆『諸子百家の事典』大修館書店、2000年。。136-167頁。
- ^ a b 湯浅邦弘「時令説の展開 : 北京大学竹簡『陰陽家言』、銀雀山漢墓竹簡「陰陽時令・占候之類」を中心として」『漢字學硏究』6、立命館大學白川靜記念東洋文字文化硏究所、2018年、NAID 40021834246。1頁。
- ^ 金文京「中国目録学史上における子部の意義 : 六朝期目録の再検討」『斯道文庫論集』第33号、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫、1998年 。202頁。
- ^ 漢書卷29~30 第87頁 (圖書館) - 中国哲学書電子化計画
- ^ 馮友蘭 著、柿村峻・吾妻重二 訳『中国哲学史 成立篇』富山房、1995年。ISBN 。238f頁。
- ^ 『談天彫龍・談天雕龍』 - コトバンク
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