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運営組織については 日本プロサッカーリーグ 法人 をご覧ください Jリーグ はこの項目へ転送されています 運営組織の関連会社については Jリーグ 企業 をご覧ください 日本プロサッカーリーグ にほんプロサッカーリーグ 英 Japan Professional Football League は 日本のプロサッカーリーグ 略称はJリーグ ジェイリーグ 英 J LEAGUE 公益財団法人日本サッカー協会 JFA 傘下の公益社団法人日本プロサッカーリーグが主催する 明治安田Jリーグ Meiji Yasuda J League今シーズン 大会 2024年のJリーグ前身日本サッカーリーグ JSL 競技サッカー創立1991年11月代表野々村芳和 チェアマン 開始年1993年参加チーム60 J1 20 J2 20 J3 20 国内カップ戦JリーグYBCルヴァンカップ国日本連盟アジアサッカー連盟 AFC 前回優勝J1 ヴィッセル神戸 J2 FC町田ゼルビア J3 愛媛FC最多優勝J1 鹿島アントラーズ 8回 J2 北海道コンサドーレ札幌 3回 J3 ブラウブリッツ秋田 2回 参加資格Jリーグクラブ ライセンス制度参照テレビ局特記事項参照スポンサー 協賛団体参照公式サイトJリーグ jp備考インターネット配信業者DAZNが一次放映権を保有しており インターネット配信を行うほか Jリーグが各テレビ局に映像提供を行っている 明治安田生命保険とタイトルパートナー契約を結んでおり 明治安田Jリーグ と称している 概説1993年に10クラブで開始し 1998年までは1部のみの Jリーグ として最大で18クラブによって開催された 1999年から Jリーグ ディビジョン1 現 J1リーグ J1 と Jリーグ ディビジョン2 現 J2リーグ J2 の2部制に移行 2014年に J3リーグ J3 が創設され3部制に移行した J3リーグは日本サッカーのリーグ構成上 アマチュア最高峰の日本フットボールリーグ JFL と同格と位置付けられており J1 J2とJ3とでは参加要件やスタジアム規定等の面において差別化が成されている 2024年シーズン開始時点で 日本国内の41都道府県に本拠地を置く60クラブ J1 J2 J3各階級とも20ずつ が参加 また JFLなどのカテゴリーに属するJリーグ百年構想クラブが4クラブ認定されている リーグ構成については日本サッカーのリーグ構成 1種 を参照 アジアサッカー連盟 AFC 主催のクラブコンペティション など にはJ1リーグの上位に出場権が与えられている 2024年シーズンの結果に基づく出場枠については 基本的にJ1リーグの上位3クラブ 前年のAFCクラブコンペティションの結果により変動あり がAFCチャンピオンズリーグエリートに出場する 理念と活動方針Jリーグでは 次の3つの理念を掲げている 日本サッカーの水準向上およびサッカーの普及促進 豊かなスポーツの振興および国民の心身の健全な発達への寄与 国際社会における交流および親善への貢献 また 次の内容の活動方針を掲げている フェアで魅力的な試合の開催 スタジアム環境の確立 地域交流の推進 フットサルの普及 サッカー以外のスポーツの推進 障がい者スポーツの推進 この活動方針は Jリーグの3つの理念を実現するための方法とみなせる クラブ名称表記 Jリーグでは地域密着の観点の方針としてクラブ名称を原則として 地名 愛称 としており 運営母体となった企業名等は発足当初から原則排除している ただし リーグ開幕前に行われた1992Jリーグヤマザキナビスコカップならびに開幕当初の一部報道 並びに日本サッカー協会に登記した正式チーム名では 読売日本サッカークラブ 読売ヴェルディ ヴェルディ川崎 三菱浦和フットボールクラブ 浦和レッドダイヤモンズ 東日本JR古河サッカークラブ ジェフユナイテッド 全日空佐藤工業サッカークラブ ASフリューゲルス パナソニックガンバ大阪 ガンバ大阪 日産FC横浜マリノス 横浜マリノス といった運営母体の企業名を含めた表記を行っていた このことについて Jリーグ初期のころ 初代チェアマン 川渕三郎と 企業名重視を訴えた読売新聞主筆 読売巨人軍会長などを歴任した渡邉恒雄が対立した 川渕 渡邉論争 という問題が起きた 渡邊は Jリーグの理念は空疎だ として 企業名を排除し 地域名を重視するのは現実離れしていると主張したもので 実際1994年のゼロックススーパーカップまでは読売新聞系メディアではヴェルディ川崎を 読売ヴェルディ 川崎 と企業名を出して報道していた この 川渕 渡邉論争 について 川淵は あの論争があったからJリーグの理念が世間に広まった 今は感謝の気持ちしかない と述べている 設立経緯 オリジナル10 選定の経緯 も参照 日本におけるサッカー競技は アマチュア主体の全国リーグである日本サッカーリーグ JSL が1965年に創設され 1968年の日本代表のメキシコ五輪銅メダル獲得もあり 一時的に人気を得たが その後の日本代表の成績不振もあり 長らく観客動員は低迷した 1980年代にプロ化を視野に入れた読売クラブ 日産自動車は観客を集めたものの 総じて日本リーグの人気は停滞し マスメディアにも大きく扱われるほどの存在ではなかった JSLや日本サッカー協会 JFA ではその様な状況を打破しようと 1982年からリーグ主導の試合開催から 各チームが試合を主催する 自主運営 に移行したり 1984年には釜本邦茂の後ろ向きヌードポスター 格闘技宣言 1985年には明石家さんまの上半身裸のポスターを製作するなど 人気回復に向け模索を続けていたが上手くいかなかった 日本サッカーのプロ化としては 1968年に日本代表がメキシコ五輪で銅メダルを獲得した後 当時の日本蹴球協会 日本サッカー協会 会長 野津謙が将来の プロ化導入 を目指して読売新聞社社主の正力松太郎にプロサッカーチームの創設を依頼したり 1977年にドイツブンデスリーガで 日本人初のプロサッカー選手となった奥寺康彦が 1986年に帰国し古河電工に復帰する際 森健兒が導入したスペシャル ライセンス プレーヤー制度により奥寺 木村和司を始め 翌年からはJSLの多くの選手がプロになっていた また1986 FIFAワールドカップ アジア予選で ワールドカップ出場まであと一歩まで迫りながら 韓国代表に敗れ出場を逃した日本代表の森孝慈日本代表監督が プロ化を先んじていた 韓国に追いつくには日本にもプロを作るしかない と訴え 長沼健サッカー協会専務理事に自身のプロコーチとしての契約を要求したが拒否され辞任したことがあった 1980年代後半は プロとアマチュアの選手が混在し サッカー協会はプロ選手を認めているのにもかかわらず リーグはアマチュア 日本代表の試合もアマチュア基準に合わせるという歪な状態が続いた このような流れを受け 翌1988年3月にJSL総務主事 森健兒 JSL事務局長 木之本興三を中心として設置した JSL第一次活性化委員会 が 実質的な Jリーグ のスタートと見られる Jリーグ公式サイトの Jリーグの歴史 J League x JFA公式サイトの サッカーで振り返る平成史 でも この1988年3月 JSL活性化委員会 設置をその始まりに置いている サッカー批評 は JSL第一次活性化委員会 を 実質的なプロ化検討委員会の創設 と評している JSL第一次活性化委員会 は 6回目の1988年7月21日に 森が 現状改革を進めながら トップリーグを商業ベースによる事業化を志向した スペシャルリーグ プロリーグ にすることを検討する という結論を出し 最終報告書をまとめて日本サッカー協会の理事会に提出した 1988年8月に森の後任として川淵三郎がJSL総務主事となり 同年10月に川淵が JSL第二次活性化委員会 を設置 サッカー協会内部では JSLの活性化 では意見が一致し 長沼健や岡野俊一郎ら幹部の中には本音ではリーグをプロ化したいと考える者もいたが ペレのいた北米リーグが失敗した例もあり まだまだ リーグのプロ化 に対しては親会社から出向してきた当時の1部リーグに所属する実業団チーム出身の役員達を中心に プロ化は時期尚早 や プロ野球の球団ですら赤字経営なのに サッカーではまともに採算が取れる訳がない などの意見が JSL評議委員会 で大勢を占めた 実業団チームのほとんどは サッカーを福利厚生の一環と考え プロ という言葉に反発を感じる人は少なくなかった 川淵は 活性化委員会 の議論をJSLではなく 日本サッカー協会 JFA に移さなければ何も始まらないと判断し 翌1989年6月に JSL第二次活性化委員会 を解散させ 日本サッカー協会の副会長になっていた長沼健に要請し JFA内に プロリーグ検討委員会 が設置された 保守的な日本サッカー協会理事会の承認を得るために 検討 という文字が付いていたが 実際には関係者の間では 既にプロリーグの発足は既定の方針として固まっていた やりようによってはプロリーグが出来るという段階まで来たのはこの プロリーグ検討委員会 が設置されたときである プロリーグ構想は具現化され 1991年7月1日 新プロリーグの正式名称を 日本プロサッカーリーグ とし 愛称を Jリーグ とすることを発表 日本初のプロサッカーリーグの 日本プロサッカーリーグ Jリーグ が発足した Jリーグ という呼称は 博報堂が提出した複数の案の中から川淵が気に入り採用に至ったもの 博報堂は 釜本のポスター からJSLと接点を持っていたが 当時は会社のビジネスではなく 個人のネットワークを生かした手伝い程度の物で 電通がペレの引退興行を始め サッカー協会に深く入り込んでいて入る余地はなかった しかしプロサッカーリーグに関しては電通は 実現性が乏しい と判断していたといわれる Jリーグを博報堂が手掛けることになったのは長沼副会長からのリンクといわれる 1986年6月のメキシコワールドカップ開催中の会見で FIFAの第7代会長 ジョアン アヴェランジェから 1998年か2002年をアジアでのFIFAワールドカップ最初の開催地として日本が念頭にあるような示唆を得て 1989年11月 正式にFIFAに2002 FIFAワールドカップ日本開催の意思を伝える 日本がワールドカップを開催するにふさわしい国であることを証明するためにも FIFAの要求を満たすスタジアムの建設などの他 日本代表のワールドカップ初出場を念頭に置いた強化とそれに伴うプロリーグ創設 成功が不可欠となった ワールドカップはオリンピックとは違い 全国展開のため 拠点拠点にFIFAの要求を満たすスタジアムを造らねばならず ワールドカップの招致とプロリーグ創設を結び付けた サッカー協会内の慎重論から川淵らを後押しした長沼は プロリーグの成功とワールドカップ誘致は 車の車輪であると認識した 同時並行で推進しなければ 片方がつまずけば両方ころぶ 幸いバブル経済の余韻が残っていた時期に Jリーグのスタートが間に合った と述べている また あれほど弱かった日本代表が Jリーグ開始前に突然強くなったこともJリーグ人気を後押しした Jリーグが創設されると川淵がJリーグチェアマンとして 日本代表の強化委員長としてマスメディアに盛んに露出し脚光を浴びたため Jリーグは川淵が作ったかのようにイメージが付いた プロリーグの創設は 日本のサッカーを盛んにしたい 強くしたいという多くの人たちの長年の仕事の積み上げにより作られたものではあるが 最後の一歩は川淵のバイタリティ 強引さが大きな原動力になった事も事実ではある しかし 森健兒と木之本興三は 不毛状態が続いた日本サッカーリーグ時代から長きに渡りプロ化を考え その運営に携わっていて 川淵は日本サッカーに絶望し 一時サッカー界から離れていた時期があり 後から入って来た川淵に手柄を取られたようで面白くなかった 川淵は最初にプロリーグの話を聞いたときも バカじゃないか と思ったと話しており 森の後任でJSL総務主事に抜擢された際も 木之本から プロ化する気持ちがないなら来ないで と言われたほどで 森は プロ化の道筋をつけてから川淵さんにバトンタッチした と述べている 特に木之本にとって川淵は古河電工でのかつての上司でもあり 当初の関係は悪くはなかったが 2002 FIFAワールドカップ後 読売新聞に次期チェアマン候補として木之本の名前が出ると 急に木之本と川淵の関係が悪くなった 川淵の後任チェアマンには鈴木昌が就任したが 木之本は 公平な立場でなければならないチェアマンにクラブ出身の社長はまだ早い と反対したら 鈴木と川淵からJリーグ専務理事 JFA常任理事と Jリーグ映像他 Jリーグ関連の子会社の社長を解雇され Jリーグ及びJFAから追い出された 森 木之本の二人と川淵の間に確執が生まれ この恨みからか 日刊ゲンダイ などのマスメディアで川淵を批判した 1992年には前哨戦として ヤマザキナビスコ 現 ヤマザキビスケット をスポンサーとし第1回のJリーグヤマザキナビスコカップが開催された 沿革1988年 3月 JSLによって日本サッカーリーグ事務局内に第一次JSL活性化委員会が組織される 7月 第一次JSL活性化委員会による第一回報告書が日本サッカー協会へ提出される 8月 川淵三郎がJSLの総務主事に就任する 10月 第二次JSL活性化委員会が組織される 1989年 6月 第二次JSL活性化委員会による最終報告書が日本サッカー協会へ提出される 1990年 3月 ホームタウン制 ホームスタジアムの確保 拠出金などJリーグ参加条件の詳細が決定される 6月 日本サッカーリーグ参加クラブへJリーグ参加の要請が行われ 20団体からプロリーグ参加希望の返答 8月 プロリーグ検討委員会が組織される 1991年 2月 発足時に加盟する10クラブが発表される オリジナル10参照 3月 プロリーグ設立準備室が組織され 川淵が室長に就任 7月 プロサッカーリーグ設立の報道発表 正式名称 ロゴマークなどが発表される 11月 社団法人 日本プロサッカーリーグ 設立 初代チェアマンに川淵が就任 1992年 3月29日の最終節限りで日本サッカーリーグ JSL は廃止 5月 Jリーグ開幕時に参加する10クラブのユニフォームなどが Jリーグ プレスプレビュー で報道発表される 1993年 4月 Jリーグ規約施行 5月15日 サントリーシリーズ 開幕で初年度のリーグ戦開始 1993年Jリーグ開幕節 参照 横浜マリノス VS ヴェルディ川崎の神奈川ダービーで幕を開ける 1994年 ベルマーレ平塚 ジュビロ磐田が加盟 1995年 勝点制を導入 セレッソ大阪 柏レイソルが加盟 1996年 マルチボールシステムを導入 アビスパ福岡 京都パープルサンガが加盟 このシーズンはクラブ数の増加に伴う試合数の増加により 2ステージ制およびチャンピオンシップを実施せず 通年の勝ち点で年間優勝を決定 3月 Jリーグ百年構想 をキーワードとした広報活動が開始される 1997年 ヴィッセル神戸が加盟 4回戦総当たりを2回戦総当たりへ変更し 再び前期後期制およびチャンピオンシップを実施 1998年 コンサドーレ札幌が加盟 J1参入決定戦を実施 1999年 2月 横浜フリューゲルスと横浜マリノスとが合併し 新たに横浜F マリノスとしてJ1に参加 3月 ディビジョン1 J1 16クラブ とディビジョン2 J2 10クラブ の2部制に移行 ベガルタ仙台 モンテディオ山形 大宮アルディージャ FC東京 川崎フロンターレ ヴァンフォーレ甲府 アルビレックス新潟 サガン鳥栖 大分トリニータが加盟 PK戦を廃止 引き分け制を導入 延長を含め120分以内に勝敗が決しない場合は引き分け 2000年 水戸ホーリーホックが加盟 2001年 横浜FCが加盟 2002年 J2での延長戦を廃止 7月 2代目チェアマンに鈴木昌が就任 Jリーグアカデミー サポートセンターが発足 2003年 J1での延長戦を廃止 2004年 J1 J2入れ替え戦を導入 2005年 J1の所属クラブ数が増加 16クラブ 18クラブ 徳島ヴォルティス ザスパ草津が加盟 J1を1ステージ制へ移行 Jリーグチャンピオンシップを廃止 2006年 愛媛FCが加盟 7月 3代目チェアマンに鬼武健二が就任 2007年 2008年 ロアッソ熊本 FC岐阜が加盟 2009年 栃木SC カターレ富山 ファジアーノ岡山が加盟 J1 J2入れ替え戦を廃止 Jサテライトリーグを廃止 2010年 ギラヴァンツ北九州が加盟 7月 4代目チェアマンに大東和美が就任 2011年 ガイナーレ鳥取が加盟 2012年 4月1日 公益社団法人 日本プロサッカーリーグ に移行 FC町田ゼルビア 松本山雅FCが加盟 J1昇格プレーオフを導入 J2 JFL間での入れ替え制度を導入 タイ プレミアリーグ ベトナムサッカーリーグ ミャンマーサッカーリーグとパートナーシップ協定を締結 2013年 Jリーグクラブライセンス制度を導入 V ファーレン長崎が加盟 FC町田ゼルビアが正会員資格喪失 Jリーグ月間MVPを新設 Jリーグマスコット総選挙を新設 カンボジア リーグ Sリーグ シンガポール とパートナーシップ協定を締結 2014年 2月 5代目チェアマンに村井満が就任 3部にあたる下部リーグ J3リーグ J3 11クラブ Jリーグ アンダー22選抜の計12クラブ チーム を新設 J3リーグ独自の タイトルパートナー 特別協賛 として明治安田生命保険と契約を締結し 名称を 明治安田生命J3リーグ に制定 カマタマーレ讃岐 J2 AC長野パルセイロ SC相模原 ツエーゲン金沢 ブラウブリッツ秋田 FC琉球 Y S C C 横浜 藤枝MYFC 福島ユナイテッドFC グルージャ盛岡 以上J3 が新規加盟 FC町田ゼルビアが再加盟 J3発足に伴いJ2 JFL間での入れ替え制度を廃止 インドネシア スーパーリーグ とパートナーシップ協定を締結 2015年 スポンサーカテゴリーに タイトルパートナー を新設し 明治安田生命保険相互会社と契約を締結 リーグ全体の総称を 明治安田生命Jリーグ 英 MEIJI YASUDA J LEAGUE また各カテゴリーごとのタイトルも 明治安田生命J 1 2 3 リーグ に統一 J1を11年ぶりに2ステージ制へ移行 ステージ優勝クラブと年間勝点1位 2位 3位の最大5クラブが出場できるJリーグチャンピオンシップを復活させる レノファ山口FCが加盟 バニシング スプレーの使用を開始 ニューイヤーカップを新設 イランサッカーリーグ マレーシア スーパーリーグ カタール スターズリーグ とパートナーシップ協定を締結 2016年 鹿児島ユナイテッドFCが加盟 Jリーグ アンダー22選抜が活動終了し FC東京U 23 ガンバ大阪U 23 セレッソ大阪U 23がJ3に参加 Jサテライトリーグが7年ぶりに復活 3月 日本トップリーグ連携機構へ加盟 Aリーグ オーストラリア と戦略的連携協定を締結 7月20日 イギリスの大手動画配信会社パフォーム グループと2017年から2026年まで10年間の放映権を契約 2017年 アスルクラロ沼津が加盟 J1を3年ぶりに1ステージ制へ移行 JリーグチャンピオンシップおよびJ2 J3入れ替え戦を廃止 ラ リーガ スペイン と戦略的連携協定を締結 2018年 J1昇格プレーオフを廃止し J1参入プレーオフを導入 2019年 ヴァンラーレ八戸が加盟 2020年 FC今治が加盟 3月2日 2020年3月3日付で一般社団法人日本野球機構 NPB と共同による新型コロナウイルス対策連絡会議を設置し 専門家チームを置くことを発表 6月 FC東京U 23がJ3リーグ参加辞退および活動終了 2021年 テゲバジャーロ宮崎が加盟 ガンバ大阪U 23 セレッソ大阪U 23が活動終了 2022年 いわきFCが加盟 2023年 奈良クラブ FC大阪が加盟 J1参入プレーオフを廃止し J1昇格プレーオフが復活 J3 JFL間での入れ替え制度を導入 2024年 リーグ全体の総称を 明治安田生命Jリーグ から 明治安田Jリーグ へ変更 英 MEIJI YASUDA J LEAGUE また各カテゴリーごとのタイトルも 明治安田J 1 2 3 リーグ へと変更 この年から全カテゴリーのクラブ数を20へと統一し J1が18クラブから20クラブへ2クラブ増 J2が22クラブから20クラブへ2クラブ減となる J2昇格プレーオフを導入 クラブ一覧加盟要件 詳細は Jリーグクラブライセンス制度 および Jリーグ百年構想クラブ を参照 Jリーグ加盟の要件には スタジアム 経営状況 チーム運営状況などの項目が定められている チーム運営については 実際にJリーグの試合に参加するチームそのもののみならず 育成組織 下部組織 によるクラブユースチームの運営義務なども規定されている 2013年シーズンよりJリーグクラブライセンス制度が発足し Jリーグへの加盟可否 加盟可能なディビジョンについての判断を行う制度が更新された また2006年から Jリーグ加盟の基準を満たしているか近い将来満たせそうと判断されたクラブを Jリーグ準加盟 と認定することを定め J3発足後の2014年以降は代わって Jリーグ百年構想クラブ と呼称するものとしている 正会員クラブ 2024年シーズンのクラブ編成 に基づく全60クラブの一覧 クラブのカテゴリ並びに掲載順序は2023年12月19日のJリーグリリース における順序による クラブ名は日本サッカー協会への登録チーム名ではなく Jリーグにおける 呼称 を示している ホームスタジアムについては2024年時点でJリーグコーポレートサイトにおいて示されているスタジアム について 同資料の表記に基づいて記す 地域 クラブ名 呼称 活動区域 ホームタウン ホームスタジアム Cat 加盟北海道 北海道コンサドーレ札幌 HOKKAIDO Consadole SAPPORO 北海道 札幌市を中心とする全道 札幌ドーム 札幌市豊平区 J1 1998年東北 ヴァンラーレ八戸 Vanraure HACHINOHE 青森県 八戸市ほか3市11町2村 プライフーズスタジアム 八戸市 J3 2019年いわてグルージャ盛岡 IWATE Grulla MORIOKA 岩手県 岩手県全県14市15町4村 いわぎんスタジアム 盛岡市 J3 2014年ベガルタ仙台 Vegalta SENDAI 宮城県 仙台市を中心とする全県 ユアテックスタジアム仙台 仙台市泉区 J2 1999年ブラウブリッツ秋田 Blaublitz AKITA 秋田県 秋田市ほか5市 を中心とする全県 ソユースタジアム 秋田市 J2 2014年モンテディオ山形 Montedio YAMAGATA 山形県 山形市 天童市 鶴岡市を中心とする全県 NDソフトスタジアム山形 天童市 J2 1999年福島ユナイテッドFC FUKUSHIMA United FC 福島県 福島市ほか3市3町を中心とする全県 とうほう みんなのスタジアム 福島市 J3 2014年いわきFC IWAKI FC 福島県 いわき市ほか1市6町2村 ハワイアンズスタジアムいわき いわき市 J2 2022年関東 鹿島アントラーズ KASHIMA Antlers 茨城県 鹿嶋市ほか5市 県立カシマサッカースタジアム 鹿嶋市 J1 1991年水戸ホーリーホック MITO Hollyhock 茨城県 水戸市ほか10市4町1村 ケーズデンキスタジアム水戸 水戸市 J2 2000年栃木SC TOCHIGI SC 栃木県 宇都宮市 カンセキスタジアムとちぎ 宇都宮市 J2 2009年ザスパ群馬 Thespa GUNMA 群馬県 前橋市を中心とする全県 正田醤油スタジアム群馬 前橋市 J2 2005年浦和レッズ URAWA Reds 埼玉県 さいたま市 埼玉スタジアム2002 さいたま市緑区 J1 1991年大宮アルディージャ OMIYA Ardija 埼玉県 さいたま市 NACK5スタジアム大宮 さいたま市大宮区 J3 1999年ジェフユナイテッド千葉 JEF United CHIBA 千葉県 千葉市 市原市 フクダ電子アリーナ 千葉市中央区 J2 1991年柏レイソル KASHIWA Reysol 千葉県 柏市 三協フロンテア柏スタジアム 柏市 J1 1995年FC東京 FC TOKYO 東京都 東京都 味の素スタジアム 調布市 J1 1999年東京ヴェルディ TOKYO Verdy 東京都 東京都 味の素スタジアム 調布市 J1 1991年FC町田ゼルビア FC MACHIDA Zelvia 東京都 町田市 町田GIONスタジアム 町田市 J1 2012年川崎フロンターレ KAWASAKI Frontale 神奈川県 川崎市 Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu 川崎市中原区 J1 1999年横浜F マリノス YOKOHAMA F Marinos 神奈川県 横浜市 横須賀市 大和市 日産スタジアム 横浜市港北区 J1 1991年横浜FC YOKOHAMA FC 神奈川県 横浜市 ニッパツ三ツ沢球技場 横浜市神奈川区 J2 2001年Y S C C 横浜 Y S C C YOKOHAMA 神奈川県 横浜市 ニッパツ三ツ沢球技場 横浜市神奈川区 J3 2014年湘南ベルマーレ SHONAN Bellmare 神奈川県 平塚市ほか8市11町 レモンガススタジアム平塚 平塚市 J1 1994年SC相模原 S C SAGAMIHARA 神奈川県 相模原市ほか4市1町 相模原ギオンスタジアム 相模原市南区 J3 2014年ヴァンフォーレ甲府 Ventforet KOFU 山梨県 甲府市 韮崎市を中心とする全県 JIT リサイクルインク スタジアム 甲府市 J2 1999年北信越 松本山雅FC MATSUMOTO Yamaga F C 長野県 松本市ほか4市3町4村 サンプロ アルウィン 松本市 J3 2012年AC長野パルセイロ AC NAGANO Parceiro 長野県 長野市ほか6市5町5村 長野Uスタジアム 長野市 J3 2014年アルビレックス新潟 Albirex NIIGATA 新潟県 新潟県全県20市6町4村 デンカビッグスワンスタジアム 新潟市中央区 J1 1999年カターレ富山 Kataller TOYAMA 富山県 富山市を中心とする全県 富山県総合運動公園陸上競技場 富山市 J3 2009年ツエーゲン金沢 Zweigen KANAZAWA 石川県 金沢市ほか3市2町 を中心とする全県 金沢ゴーゴーカレースタジアム 金沢市 J3 2014年東海 清水エスパルス SHIMIZU S Pulse 静岡県 静岡市 IAIスタジアム日本平 静岡市清水区 J2 1991年ジュビロ磐田 Jubilo IWATA 静岡県 磐田市ほか7市1町 ヤマハスタジアム 磐田 磐田市 J1 1994年藤枝MYFC FUJIEDA MYFC 静岡県 藤枝市ほか4市2町 藤枝総合運動公園サッカー場 藤枝市 J2 2014年アスルクラロ沼津 Azul claro NUMAZU 静岡県 沼津市 愛鷹広域公園多目的競技場 沼津市 J3 2017年名古屋グランパス NAGOYA Grampus 愛知県 名古屋市 豊田市 みよし市を中心とする全県 豊田スタジアム 豊田市 J1 1991年FC岐阜 FC GIFU 岐阜県 岐阜市を中心とする全県 岐阜メモリアルセンター長良川競技場 岐阜市 J3 2008年関西 京都サンガF C KYOTO Sanga F C 京都府 京都市ほか15市4町 サンガスタジアム by KYOCERA 亀岡市 J1 1996年ガンバ大阪 Gamba OSAKA 大阪府 吹田市ほか7市 パナソニックスタジアム吹田 吹田市 J1 1991年セレッソ大阪 Cerezo OSAKA 大阪府 大阪市 堺市 ヨドコウ桜スタジアム 大阪市東住吉区 J1 1995年FC大阪 FC OSAKA 大阪府 東大阪市 東大阪市花園ラグビー場 東大阪市 J3 2023年ヴィッセル神戸 Vissel KOBE 兵庫県 神戸市 ノエビアスタジアム神戸 神戸市兵庫区 J1 1997年奈良クラブ NARA Club 奈良県 奈良市 三郷町を中心とする全県 ロートフィールド奈良 奈良市 J3 2023年中国 ガイナーレ鳥取 Gainare TOTTORI 鳥取県 鳥取市ほか4市 を中心とする全県 Axisバードスタジアム 鳥取市 J3 2011年ファジアーノ岡山 Fagiano OKAYAMA 岡山県 岡山市 倉敷市 津山市を中心とする全県 シティライトスタジアム 岡山市北区 J2 2009年サンフレッチェ広島 Sanfrecce HIROSHIMA 広島県 広島市 エディオンピースウイング広島 広島市中区 J1 1991年レノファ山口FC Renofa YAMAGUCHI FC 山口県 山口県全県13市6町 維新みらいふスタジアム 山口市 J2 2015年四国 カマタマーレ讃岐 Kamatamare SANUKI 香川県 高松市 丸亀市を中心とする全県 Pikaraスタジアム 丸亀市 J3 2014年徳島ヴォルティス TOKUSHIMA Vortis 徳島県 徳島市ほか6市4町 を中心とする全県 鳴門 大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム 鳴門市 J2 2005年愛媛FC EHIME FC 愛媛県 松山市を中心とする全県 ニンジニアスタジアム 松山市 J2 2006年FC今治 FC IMABARI 愛媛県 今治市 アシックス里山スタジアム 今治市 J3 2020年九州 アビスパ福岡 Avispa FUKUOKA 福岡県 福岡市 ベスト電器スタジアム 福岡市博多区 J1 1996年ギラヴァンツ北九州 Giravanz KITAKYUSHU 福岡県 北九州市 ミクニワールドスタジアム北九州 北九州市小倉北区 J3 2010年サガン鳥栖 Sagan TOSU 佐賀県 鳥栖市 駅前不動産スタジアム 鳥栖市 J1 1999年V ファーレン長崎 V Varen NAGASAKI 長崎県 長崎市 諫早市を中心とする全県 トランスコスモススタジアム長崎 諫早市 J2 2013年ロアッソ熊本 Roasso KUMAMOTO 熊本県 熊本市 えがお健康スタジアム 熊本市東区 J2 2008年大分トリニータ OITA Trinita 大分県 大分市 別府市 佐伯市を中心とする全県 レゾナックドーム大分 大分市 J2 1999年テゲバジャーロ宮崎 Tegevajaro MIYAZAKI 宮崎県 宮崎市 新富町 西都市 いちご宮崎新富サッカー場 児湯郡新富町 J3 2021年鹿児島ユナイテッドFC KAGOSHIMA United FC 鹿児島県 鹿児島市 白波スタジアム 鹿児島市 J2 2016年FC琉球 FC RYUKYU 沖縄県 沖縄市を中心とする全県 タピック県総ひやごんスタジアム 沖縄市 J3 2014年Jリーグ百年構想クラブ クラブ名 活動区域 ホームタウン ホームスタジアム カテゴリ 承認年度関東 VONDS市原 VONDS ICHIHARA 千葉県 市原市 ゼットエーオリプリスタジアム 市原市 関東1部 2020年南葛SC NANKATSU SC 東京都 葛飾区 奥戸総合スポーツセンター陸上競技場 葛飾区 他クリアソン新宿 Criacao SHINJUKU 東京都 新宿区 味の素フィールド西が丘 北区 JFL 2021年東京23フットボールクラブ TOKYO 23 Football Club 東京都 江戸川区 江戸川区陸上競技場 江戸川区 関東1部 2022年 なお 現在は Jリーグ参入希望に当たってJリーグ百年構想クラブへの加入は必須とされていない 過去にJリーグ正会員であったクラブ クラブ名 活動区域 ホームタウン ホームスタジアム 加盟期間横浜フリューゲルス YOKOHAMA Flugels 神奈川県 横浜市 長崎県 熊本県 鹿児島県 三ツ沢公園球技場 横浜国際総合競技場 長崎県立総合運動公園陸上競技場 熊本市水前寺競技場 鹿児島県立鴨池陸上競技場 1991 1998年過去にJリーグ準会員 準加盟 百年構想クラブであったクラブ 脱退等に関する経緯については各クラブの項目を参照のこと 資格 クラブ名 活動区域 ホームタウン ホームスタジアム カテゴリ 承認期間準会員 鳥栖フューチャーズ TOSU Futures 佐賀県 鳥栖市 鳥栖スタジアム 鳥栖市 旧JFL 1994 1996年浜松F C HAMAMATSU F C 静岡県 浜松市 本田技研都田サッカー場 浜松市浜名区 JFL 1997年準加盟 百年構想 tonan前橋 Tonan MAEBASHI 群馬県 前橋市 前橋総合運動公園陸上競技 サッカー場 前橋市 関東2部 2013 2019年百年構想 東京武蔵野シティFC TOKYO MUSASHINO City FC 東京都 武蔵野市 武蔵野陸上競技場 武蔵野市 JFL 2016 2020年鈴鹿ポイントゲッターズ SUZUKA Point Getters 三重県 鈴鹿市 三重交通Gスポーツの杜鈴鹿サッカー ラグビー場 鈴鹿市 2021 2022年コバルトーレ女川 Cobaltore ONAGAWA 宮城県 女川町 女川スタジアム 女川町 東北1部 2022年沖縄SV OKINAWA SV 沖縄県 豊見城市 うるま市 沖縄市を中心とする全県 タピック県総ひやごんスタジアム 沖縄市 他 JFL 2022 2023年栃木シティFC TOCHIGI City Football Club 栃木県 栃木市 CITY FOOTBALL STATION 栃木市 2014 2023年高知ユナイテッドSC KOCHI United SC 高知県 高知市を中心とする全県 高知県立春野総合運動公園陸上競技場 高知市 2022年クラブ数の推移と昇降格制度 1998年にJ1参入決定戦を実施 1999年からはJ1 J2の2部制への移行に伴い 入替制度を導入した 2012年以降はJ2と下部リーグ 2012年は日本フットボールリーグ JFL 2013年のポストシーズン以降はJ3 との入替制度も導入された 実際に適用されたケースはないが 2012年のJリーグクラブライセンス制度導入までは Jリーグによる審査でJ1昇格の権利を得たJ2クラブがJ1の規格に満たしていなければJ1昇格が取り消され J1の16位からJ2降格も取り消される可能性があった 2012年のポストシーズン 2013年の参入 以降は J1 J2 J3のリーグに参入するには クラブライセンス制度により当該リーグないしそれより上のライセンスを取得している ことが要件となる 消化できた試合数がその年に予定されていたJ1 J2 J3リーグ全体の試合数の75 に満たない場合や 所属カテゴリでその年に予定されていた総試合数の50 に満たないクラブが発生した場合は 大会は不成立となり昇格 降格は行われないが 2022シーズン終了時点で実際に適用されたシーズンはない 年度 総数 J1 JFL 備考数 JFL降格 Jリーグ参入1993 10 10 降格 制度 なし 平塚 磐田 JFLは旧JFL1994 12 12 C大阪 柏1995 14 14 福岡 京都1996 16 16 神戸1997 17 17 札幌年度 総数 J1 J2 JFL 備考数 J2降格 J1昇格 数 JFL降格 Jリーグ参入1998 18 18 札幌 9クラブ J1参入決定戦実施 横浜Fと横浜Mとの合併により1クラブ減1999 26 16 浦和 平塚 川崎 FC東京 10 降格 制度 なし 水戸 自動入替2クラブ2000 27 京都 川崎 札幌 浦和 11 横浜FC2001 28 福岡 C大阪 京都 仙台 12 2002 広島 札幌 大分 C大阪 2003 仙台 京都 新潟 広島 2004 川崎 大宮 徳島 草津 J1 J2入れ替え戦の導入2005 30 18 柏 東京V 神戸 京都 福岡 甲府 愛媛 自動入替2クラブ J1 J2入れ替え戦2006 31 福岡 C大阪 京都 横浜FC 柏 神戸 13 2007 広島 甲府 横浜FC 札幌 東京V 京都 熊本 岐阜2008 33 東京V 札幌 広島 山形 15 栃木 富山 岡山2009 36 柏 大分 千葉 仙台 C大阪 湘南 18 北九州 自動入替3クラブ2010 37 FC東京 京都 湘南 柏 甲府 福岡 19 鳥取2011 38 甲府 福岡 山形 FC東京 鳥栖 札幌 20 町田 松本2012 40 神戸 G大阪 札幌 甲府 湘南 大分 22 町田 長崎 J1昇格プレーオフ開始年度 総数 J1 J2 J3 JFL 備考数 J2降格 J1昇格 数 J3降格 J2昇格 数 JFL降格 Jリーグ参入2013 40 18 湘南 磐田 大分 G大阪 神戸 徳島 22 鳥取 讃岐 10クラブ 讃岐はJ2 JFL入れ替え戦の結果 10クラブはJFLからJ3への参入2014 51 大宮 C大阪 徳島 湘南 松本 山形 富山 金沢 11 降格 制度 なし 山口 J2 J3入れ替え戦の導入2015 52 松本 清水 山形 大宮 磐田 福岡 大分 栃木 山口 町田 12 鹿児島2016 53 名古屋 湘南 福岡 札幌 清水 C大阪 北九州 大分 13 沼津2017 54 甲府 新潟 大宮 湘南 長崎 名古屋 群馬 栃木 14 J2 J3入れ替え戦を廃止2018 柏 長崎 松本 大分 熊本 讃岐 琉球 鹿児島 八戸 J1参入プレーオフ開始2019 55 松本 磐田 柏 横浜FC 鹿児島 岐阜 北九州 群馬 15 今治2020 56 徳島 福岡 秋田 相模原 16 宮崎 降格無し J1参入プレーオフなし2021 57 20 徳島 大分 仙台 横浜FC 磐田 京都 相模原 愛媛 北九州 松本 熊本 岩手 15 いわき J1参入プレーオフなし2022 58 18 清水 磐田 新潟 横浜FC 琉球 岩手 いわき 藤枝 18 奈良 FC大阪2023 60 横浜FC 町田 磐田 東京V 大宮 金沢 愛媛 鹿児島 20 J1昇格プレーオフ復活 J3 JFL入れ替え戦の導入2024 20 20 J2昇格プレーオフ開始 を付したクラブは入替戦の結果による昇降格 通算成績詳細は Jリーグに所属するクラブの年度別成績一覧 を参照 J1リーグ戦詳細は J1リーグ 統計 を参照 J2リーグ戦詳細は J2リーグ 統計 を参照 J3リーグ戦詳細は J3リーグ 統計 を参照表彰詳細は Jリーグアウォーズ を参照配分金Jリーグ各クラブに対しては Jリーグ規約第122条 収入の配分 ならびにJリーグ配分金規程 に基づき 公財 日本プロサッカーリーグの得た事業 付随事業 公衆送信権 その他の事業 パートナー契約 による収益の一部を各クラブに 配分金 として分配している 以下の5種類がある 事業協力配分金 J1リーグおよびJ2リーグに所属するJクラブに対して支給されるもの toto交付金 スポーツ振興投票の実施等に関する法律第4条に基づくスポーツ振興投票の対象試合の計画的かつ安定的な開催の確保に資するため 独立行政法人日本スポーツ振興センターからJリーグに支払われる支援経費を原資として 全てのJクラブに対して支給されるもの 事業協力配分金 と併せてクラブの所属ディビジョンごとに定額 均等配分金 となっており 2021年度時点ではJ1クラブに3億5千万円 J2クラブに1億5千万円 J3クラブに3千万円が配分されることが明らかになっている 理念強化配分金 前シーズンのJ1リーグ戦の年間順位1位から4位のJクラブに対して最長3年間にわたって支給されるもの 2017年度より支給開始されており DAZNと結んだ10年2100億円超の放送権料が原資と報じられている 金額については後述 2020年 2021年は配分が停止された 年度毎に理念強化配分金活用計画書における理念強化配分金の活用計画の審査 承認を受ける必要あり 降格救済配分金 J1からJ2に およびJ2からJ3にそれぞれ降格した各Jクラブに対して支給されるもの 均等配分金の激変緩和措置として行われる 2021年時点では降格1年目に降格前所属リーグの均等配分金額の80 を 降格2年目は60 を受け取れるよう 以下のように配分される J1 J2 1年目1億3千万円 2年目6千万円 J2 J3 1年目9千万円 2年目6千万円ACLサポート配分金 支給年度の ACL に参加した各Jクラブに対してその遠征費等について一定割合を補助するもの 2021年度出場クラブは1クラブ当たり1億円 2020年までは2千万円 理念強化配分金の支給額 2019年まで 順位 理念強化配分金 内訳年間1位 15億5000万円 1年目5 5億円 2年目5億円 3年目5億円の計15 5億円年間2位 7億円 1年目2 5億円 2年目2 5億円 3年目2億円の計7億円年間3位 3億5000万円 1年目2億円 2年目1 5億円の計3 5億円年間4位 1億8000万円 1年目1 8億円 なお この配分金の構造については リーグの成長促進を目的として2023年度以降見直されることになっており 特にカテゴリー間の定額配分金の配分比率を5 6倍程度まで段階的に拡大させることが言及されると共に 同一カテゴリー内の配分方法も均等配分中心から競技成績やファン増加等の成果に応じた傾斜配分中心へ段階的にシフトすることが明らかにされている 懲罰Jリーグでは各クラブが不正行為や選手 観客のトラブルなどがあった場合に以下の順で制裁処置をとる場合がある 制裁措置についてはJリーグ規約第141条から第143条に定めがあり 裁定委員会もしくは関連する専門委員会の調査結果を踏まえて チェアマンが最終的な制裁措置の判断を下すとされている 制裁措置はクラブ 及びクラブに所属する個人に対して行われ 以下のような段階が設けられている クラブに対する制裁 けん責 制裁金 最大1億円 中立地での試合の開催 無観客試合の開催 試合の没収 得点を3対0として試合を没収 勝点減 最大15点 リーグカップ戦における 出場権剥奪 下位ディビジョンへの強制降格 除名 中立地開催 無観客試合 没収試合 強制降格は2014年から設けられた 個人に対する制裁 けん責 制裁金 最大5 000万円 出場資格停止 無期限または最大1年以内の期限付き出場停止 公式試合に関わる職務の停止 一定期間 無期限または永久的な公式試合に関わる職務の全部または一部の停止 開催日時リーグ戦は基本的に試合は毎週土曜日または日曜日に開催している スケジュールの都合で週2試合とする必要がある場合には水曜日に試合を行うことがあるほか 祝日の配列の関係で変則的な試合間隔となるケースもある 土曜日 日曜日に開催される試合は基本的にデイマッチであるが 各節数試合はテレビ中継に配慮する形でナイトマッチでも行われることがあるほか 夏期 おおむね6月下旬から9月上旬にかけて のJ1 J2の試合は原則としてナイトマッチで開催される また 祝祭日以外の平日に開催される試合は原則としてナイトマッチで開催されている 2022年度まで照明設備を必須としていなかったJ3を含め かつては施設の都合等で平日の開催でもデイマッチを行う事があった なお 最終節は基本的に全試合の開催日と試合開始時間を統一している 2008年以降 日本代表の試合のある日は原則として JリーグカップおよびJ2の試合は組まれない この間 J1は日本代表に選出されている選手の強化期間としているため リーグ戦の試合自体が組まれない また 試合予定が未定の分で 日本代表の試合が予定されている場合は土曜 日曜両方で開催できるように対応している 試合日程については 概ね1月中旬に 各クラブのホームゲーム開幕節の試合日程 対戦組み合わせ 試合会場のみを先行で発表し 1月末もしくは2月上旬に残り全試合の詳細な試合日程 組み合わせ 試合会場 並びに前半戦 概ね8月下旬まで J1リーグが2シーズン制となる年は 第1ステージの17試合分のみ の試合開始時間を 6月下旬または7月初めに後半戦 概ね9月以後 J1リーグの2シーズン制となる年の第2ステージ17試合についても同様であるが 第2ステージの開始時期によっては前倒しとなる場合あり の試合開始時間について発表される J1 1部制だった時代 1993年から1998年 も含めて 1993年から2000年までは基本的に土曜日に開催されていた ただし 1993年から1995年の2ステージ制だった時代は試合数の問題から平日 主に水曜日 にも開催されていた 2001年以降はスポーツ振興くじ toto の導入に伴い J2と共に土曜日を中心とする開催になった 2002年 テレビ中継などの日程調整も考慮し 土曜日開催を基本としつつ 原則として1節のうち2試合を日曜日に開催する分散型が採用された 2012年以後は原則土曜日開催に固定したが に参加するクラブについては 週の中間 火曜 水曜 に試合をすることを考慮して 週末の試合を金曜日や日曜日に組んだり アウェーゲームを国外で行う場合を配慮して別の週の水曜に開催する例もある 国際Aマッチ期間は試合が開催されない 2018年度からは DAZNと協力し年間10節程度 各節1 3試合程度を フライデーナイトJリーグ として金曜日に適宜開催する 通称 金J きんジェイ 金曜日に開催する事で他の試合との被りを避けて試合の注目度を挙げるのが目的である 来場者プレゼントやイベントを開催して新規層を開拓するのも特徴であり デートや仕事帰り 学校帰りの人に気軽にスタジアムに来てほしい狙いもある J2 1999年から2000年の2年間は基本的に日曜日に開催するのが中心だったが 1か月に1 2回程度は木曜日にも開催されていた 2001年以降はtotoの導入に伴い J1と共に土曜日を中心とする開催になった 一部は日曜日に開催 2012年以降は原則日曜日開催 J1の大半の試合が日曜日開催となる週は土曜日開催となることがある 水曜日開催が行われる週もある 国際Aマッチ期間も 日本代表戦と重複しない範囲で調整しながら試合を開催する ただし2002年と2010年のワールドカップ期間は試合を行わなかった J3 基本的に原則日曜日の開催に固定している 2022年度まではJ3クラブのスタジアム基準で現在照明設備が必須とされていなかったことから 夏季にもデイマッチが行われた試合がいくつかあった 本拠地に照明設備があるクラブのホームゲームはナイトマッチも開催される 毎年8月から9月は 天皇杯の都道府県予選 J3は都道府県予選から出場 並びに国体ブロック予選 ミニ国体 が行われるため 3週間から1か月程度のインターバルがある なおこれについては2017年以降 天皇杯の制度改革によって多少見直されている その他 同一都道府県 市区町村を本拠地とするクラブが複数ある場合は 極力同じ節にホームゲームを開催しないように日程を調整している 2011年の場合はJ1のさいたま市 神奈川県 静岡県 大阪府 J2の東京都 神奈川県が該当 ただし 初期の頃は横浜市の2チームが同じ日にホームゲームをしたことがあった 2011年にもJ1のさいたまと大阪 J2の東京都 さらにJ1 J2それぞれ2クラブずつの神奈川県の2チームが同じ節にホームゲームをする場合があるが このときでもやむをえない場合を除き原則として どちらかが土曜日 もう一方は日曜日の開催 とするように配慮されている なお 2012年から2016年までJ1とJ2の開催日が分けられていたこと 及びキックオフ時間がずらされていたが これは当時Jリーグ中継を担当していたスカパー のチャンネル数や放送時間の制約によるものであったことが 2016年のJリーグとDAZNの契約記者会見の際に明らかにされており 現在は土曜か日曜のどちらを開催日にするかはクラブ側に委ねられているという アウェイゲームは原則3試合以上連続しないこととなっているが 日程の兼ね合いやその他イベントの影響 などでアウェイゲームが3試合以上連続することもある 特に降雪地では気候的理由もあって開幕直後はアウェイゲームが続くことが多い 試合入場者数歴代入場者数 歴代試合入場者数一覧 単位 人 年度 J1 J2 J31993年 3 235 750 1994年 5 173 8171995年 6 159 6911996年 3 204 8071997年 2 755 6981998年 3 666 4961999年 2 798 005 827 2172000年 2 655 553 1 340 8202001年 3 971 415 1 505 7222002年 3 928 215 1 806 3922003年 4 164 229 2 084 1852004年 4 551 695 1 904 1722005年 5 742 233 1 975 3402006年 5 597 408 1 998 6882007年 5 838 771 2 034 5432008年 5 875 865 2 227 5702009年 5 809 516 2 903 6072010年 5 638 894 2 290 0822011年 4 833 782 2 440 6952012年 5 375 300 2 681 8812013年 5 271 047 3 079 1812014年 5 275 387 3 043 948 444 9662015年 5 447 602 3 162 194 569 0162016年 5 498 222 3 221 653 709 6402017年 5 778 178 3 219 936 710 6212018年 5 833 538 3 256 416 677 6572019年 6 349 681 3 315 234 733 032 歴代年齢構成分布一覧 単位 パーセント 年度 11 18歳 19 22歳 23 29歳 30 39歳 40 49歳 50 59歳 60歳 以上2000年 12 6 11 2 26 0 27 5 14 3 8 22001年 12 0 11 4 26 2 28 9 13 2 8 32002年 10 8 13 0 26 7 26 9 13 7 8 82003年 10 9 9 0 20 8 32 1 17 8 9 42004年 8 0 7 3 19 2 34 1 19 9 11 52005年 8 0 6 7 17 5 33 9 21 2 12 82006年 7 4 7 1 16 3 33 7 21 8 13 72007年 6 3 7 1 15 9 33 0 23 6 14 22008年 5 9 6 8 14 3 31 3 25 5 16 22009年 6 8 6 8 14 8 29 8 24 9 16 92010年 5 9 6 1 14 1 29 4 26 3 11 7 6 52011年 7 0 5 7 13 1 27 5 26 7 12 6 7 52012年 6 5 6 2 12 5 26 4 27 0 13 7 7 72013年 6 7 6 5 11 8 23 6 28 4 14 8 8 22014年 6 3 5 8 12 0 22 0 28 4 16 0 9 52015年 5 4 5 5 11 6 21 1 29 1 17 2 10 12016年 5 8 5 5 10 8 19 7 28 7 18 5 11 02017年 6 6 6 3 10 7 17 5 28 8 18 9 11 42018年 6 5 6 0 11 1 17 3 27 3 19 6 12 12019年 5 8 5 5 10 8 16 8 26 9 20 5 13 7 2010年8月8日 J1およびJ2のリーグ戦における通算のべ入場者数が1億人に到達した なお カップ戦やオールスターゲームなどの公式試合を含めた通算のべ入場者は 2009年3月に1億人を突破している なお イギリスのサッカー専門誌 World Soccer が2009年8月号で掲載した統計によると 世界各国のサッカーリーグで平均入場者数が最も多いのはブンデスリーガの38 975人であり J1リーグは19 278人 2008年シーズン で第6位に位置している スタジアム別入場者数 2019年シーズン終了時点 掲載順はリーグ戦ホームゲームの1試合あたり平均入場者数の多いクラブ順による 以下の入場者数にカップ戦及びプレーオフの数値は含めない ホームスタジアムの略称 所属ディビジョン 入場者数 は 2019年シーズン終了時点のもの ホームゲーム数 J1が17試合 J2が21試合 J3が17試合 ホームスタジアムが複数登録されている場合は 座席数が大きいものから記載 ただし本拠登録されていてもJリーグ主催公式試合が行われなかった場合は除外 招待券比率は 2019年シーズン中 に各クラブ毎の特定のホームゲーム開催日にJリーグが行ったスタジアム観戦者調査 アンケート の集計結果による 必ずしもシーズン全体の傾向を示しているわけではない なお 同調査ではJ3クラブの招待券比率を公表していないため J3クラブについては割愛する 入場料収入 は 各クラブの2018年 平成30年 度決算の数値 ホームゲーム数 J1が17試合 J2が21試合 J3が17試合 クラブ 所属 スタジアム略称 所在地 座席数 席 平均入場者数 人 総入場者数 人 招待券比率 入場料収入 百万円 画像1 浦和 J1 埼玉 さいたま市 63 770 34 184 581 135 3 6 1 9232 FC東京 J1 味スタ 調布市 49 970 31 540 536 187 10 1 9473 G大阪 J1 パナスタ 吹田市 39 694 27 708 471 034 7 9 1 1524 名古屋 J1 豊田ス 豊田市 40 000 27 612 469 397 14 6 936パロ瑞穂 名古屋市 20 0005 横浜FM J1 日産ス 横浜市 72 372 27 010 459 168 5 2 1 127ニッパツ 横浜市 15 4546 川崎 J1 等々力 川崎市 26 827 23 272 395 619 8 7 9757 C大阪 J1 ヤンマー 大阪市 47 000 21 518 365 810 14 9 6188 神戸 J1 ノエスタ 神戸市 30 132 21 491 365 349 10 3 8409 鹿島 J1 カシマ 鹿嶋市 40 728 21 491 365 349 10 3 84010 札幌 J1 札幌ド 札幌市 41 484 18 768 319 053 6 5 63611 松本 J1 サンアル 松本市 20 396 17 416 296 079 7 0 50312 大分 J1 昭和電ド 大分市 40 000 15 347 260 893 6 8 25413 磐田 J1 ヤマハ 磐田市 15 165 15 277 259 709 10 0 63814 鳥栖 J1 駅スタ 鳥栖市 24 490 15 050 255 845 4 6 67815 清水 J1 アイスタ 静岡市 20 281 15 043 255 735 16 7 58216 仙台 J1 ユアスタ 仙台市 19 694 14 971 254 503 13 0 60817 新潟 J2 デンカS 新潟市 42 300 14 497 304 445 14 9 50718 広島 J1 Eスタ 広島市 50 000 13 886 236 063 11 3 50019 湘南 J1 BMWス 平塚市 15 690 12 848 218 424 7 6 48020 千葉 J2 フクアリ 千葉市 18 500 9 701 203 725 14 2 33221 大宮 J2 NACK さいたま市 15 600 9 478 199 040 7 3 33922 柏 J2 三協F柏 柏市 15 349 9 471 198 887 6 8 44923 岡山 J2 Cスタ 岡山市 20 000 9 444 198 331 3 2 17624 山形 J2 NDスタ 天童市 21 292 8 289 174 064 11 6 17825 甲府 J2 中銀スタ 甲府市 17 000 8 273 173 742 15 9 29726 京都 J2 たけびし 京都市 20 588 7 850 164 845 18 8 17327 長崎 J2 トラスタ 諫早市 20 246 7 737 162 476 10 3 40728 横浜FC J2 ニッパツ 横浜市 15 454 7 061 148 280 10 6 16729 福岡 J2 レベスタ 福岡市 22 563 6 983 146 639 34 6 17430 岐阜 J2 長良川 岐阜市 20 000 6 644 139 526 24 4 13131 水戸 J2 Ksスタ 水戸市 12 000 6 087 127 824 15 7 8432 北九州 J3 ミクスタ 北九州市 15 066 6 049 102 831 10733 鹿児島 J2 白波スタ 鹿児島市 12 571 5 785 121 493 12 1 2734 徳島 J2 鳴門大塚 鳴門市 16 599 5 736 120 460 7 0 13535 山口 J2 みらスタ 山口市 15 115 5 653 118 718 9 9 21236 熊本 J3 えがおS 熊本市 32 000 5 533 94 065 10637 東京V J2 味スタ 調布市 49 970 5 371 112 789 9 1 17838 金沢 J2 石川西部 金沢市 20 261 5 209 109 386 15 2 6939 栃木 J2 栃木グ 宇都宮市 15 589 5 148 108 105 13 9 11540 琉球 J2 タピスタ 沖縄市 10 189 4 953 104 009 24 2 1041 町田 J2 町田 町田市 16 033 4 718 99 077 8 7 10842 愛媛 J2 ニンスタ 松山市 21 401 3 780 79 373 26 4 5643 群馬 J3 正田スタ 前橋市 15 253 3 594 61 098 4344 長野 J3 長野U 長野市 15 491 3 000 51 006 4645 相模原 J3 ギオンス 相模原市 15 300 2 879 48 940 3546 富山 J3 富山 富山市 25 250 2 737 46 535 2847 沼津 J3 愛鷹 沼津市 5 104 2 470 41 992 1648 鳥取 J3 とりスタ 鳥取市 16 033 2 229 37 889 3449 讃岐 J3 ピカスタ 丸亀市 30 099 2 112 35 906 7450 八戸 J3 ダイスタ 八戸市 5 124 1 760 29 919 751 藤枝 J3 藤枝サ 藤枝市 13 000 1 740 29 581 852 秋田 J3 ソユスタ 秋田市 18 528 1 576 26 793 2053 盛岡 J3 いわスタ 盛岡市 4 946 1 368 23 249 954 福島 J3 とうスタ 福島市 21 000 1 242 21 115 1255 YS横浜 J3 ニッパツ 横浜市 15 454 1 095 18 617 14ユニフォーム1993年から1996年までは ミズノ が全クラブのユニフォーム サプライヤー 供給メーカー を一括して受け持っていた ただ その契約はリーグ戦のみの契約だったので 天皇杯やJリーグカップなどのカップ戦では各クラブが個別にユニフォームメーカー等と契約して カップ戦用のユニフォームを着用していた 全面的にミズノと契約したクラブの場合 チームや年度によってリーグ戦と全く同一の場合と 他社契約時と同様にデザインを変えていた場合とがあった またリーグ戦とカップ戦 チームによってはJリーグカップ 天皇杯など大会ごとにも でユニフォームスポンサーが異なることもあった他 天皇杯や海外のクラブとの試合などでは 当時変動背番号制だったリーグ戦では存在しなかった17番以上の背番号や 選手名を入れたユニフォームがあった 1997年にはこれまでの ミズノ に加えて アンブロ アディダス プーマ ヴェルディ川崎は自主制作という形で ナイキ が新たなユニフォーム サプライヤー これもリーグ戦限定 として加わり 1998年からは事前にJリーグとユニフォーム サプライヤー契約を結んでいるユニフォームメーカーなどに限って 各クラブがユニフォームメーカーなどの各社と個別の契約を締結することができるようになった 3rdユニフォームは横浜FMと名古屋がJリーグでは2001年になって初めて採用したが 現在ではその年のACLに参戦をするクラブを中心に数クラブが導入している また Jリーグ事務局長の事前承認があれば ユニフォーム使用計画 に定めるユニフォームとは異なるユニフォームを着用することができる なお Jリーグ年間王者のクラブは 金色のJリーグロゴマークをチャンピオンマークとして翌シーズン ユニフォームの袖にJリーグのロゴに代えて付けることができる 国内公式戦 リーグ リーグカップ 天皇杯 では ユニフォームの前面胸部と 背番号上部 左袖 トランクスにそれぞれスポンサー広告を付けることが認められている 2016年からは背番号下部 2018年からは前面鎖骨部 左側および右側 に関してもスポンサーを付けることが認められたが これ以前にもFC東京とガンバ大阪が背番号下部のところに広告を入れた事例がある 2021年シーズンから 視認性の確保 特にカラーユニバーサルデザインの観点から を目的として ユニフォームに用いる背番号 選手名表記のフォント及び配色がJリーグ全体で統一された 統一フォントはカールスバーグのビジュアルデザインなどを手がけたデンマークのコントラプンクト社が制作したオリジナルフォントの J LEAGUE KICK ジェイリーグ キック で フォントで使用可能な色も白 青 赤 黒 黄の5色に指定された なお 2023年シーズンをもって全チーム統一での使用は終了 2024年シーズンからは各クラブが4年ぶりに独自のフォントを採用するほか 一部チームは引き続き J LEAGUE KICK を使用する 2024シーズンユニフォーム サプライヤー サプライヤー 使用クラブJ1 J2 J3アシックス 神戸 今治アディダス 町田 横浜FM 新潟 仙台 松本アスレタ 東京V 秋田 栃木 アドミラル 磐田 アンダーアーマー いわき 大宮アンブロ 相模原 北九州ケレメ 群馬 岩手ゴル 藤枝 ゴールドウイン 富山サッカージャンキー 水戸 鳥取JOGARBOLA 愛媛 スクアドラ 奈良スフィーダ 琉球ナイキ 鹿島 浦和 広島 ニューバランス FC東京 鳥栖 ヒュンメル G大阪 千葉 八戸 福島 金沢フィンタ 山口 プーマ 川崎 京都 C大阪 横浜FC 清水 熊本 大分 ペナルティ 湘南 山形 岡山 長野 沼津ボネーラ YS横浜 FC大阪マクロン 長崎 ミズノ 札幌 名古屋 甲府 徳島 ヨネックス 柏 福岡 宮崎ラッツォーリ 岐阜なし 鹿児島 讃岐背番号 1993年から1996年までは試合ごとに付ける番号が違う変動背番号制であったが 1997年からはシーズン開幕前やクラブ加入時点で決定される固定背番号制へと変更された 2004年には欠番の解禁など規約が一部改定されたことで特定の番号 12が多い をクラブ公式にサポーターズナンバーとし欠番とするクラブが出てきた 2018年5月30日 Jリーグの理事会が開催され シーズン途中の背番号変更が可能となり 同日から適用された 初適用者は当時ヴィッセル神戸の三田啓貴で 8から7へ変更となった 2023年シーズン現在の主な規約内容は以下の通り 背番号0は不可 背番号1はゴールキーパー 背番号2から11まではフィールドプレーヤーが付けなければならない 背番号12以降は 99まではポジションとは無関係に自由に付けることができる なお 2022年シーズンまではユニフォーム要項で 50までは欠番を認める ただし 51からは連番で番号をつけることとし 欠番は認めない と定めていた なお 変動背番号制であった1996年にはG大阪の今藤幸治がGKの番号である1以外の2から11までの背番号を付けた事がある 固定背番号導入当初 天皇杯では Jリーグへの届け出とは別に背番号を登録したため リーグ戦と異なる背番号を着用した例がある 公式試合球Jリーグの試合では Jリーグの公式ロゴマークが入っているJリーグ公認の試合球 公式試合球 が使用されている なお 1993年の開幕戦でヘニー マイヤー V川崎 が決めたJリーグ第1号ゴールの試合球はJリーグ事務局のチェアマン室に ガラスケースに入れて保存されている 製造は全てアディダス 提供は全てモルテン 年度 公式試合球1993年 エトルスコ ユニコ1994年クエストラ1995年1996年1997年1998年 トリコロール1999年2000年2001年 ガマラダ2002年 フィーバーノヴァ2003年2004年 ロテイロ2005年2006年 チームガイスト2007年2008年 チームガイストII2009年 テラパス2010年 ジャブラニ2011年 スピードセル2012年 タンゴ122013年 カフサ タンゴ12コトホギ2014年 ブラズーカ2015年 コネクト152016年 エレホタ2017年 クラサバ2018年 テルスター182019年 コネクト192020年 ツバサ2021年 コネクト212022年 コネクト21 アル リフラ2023年 オーシャンズ コトホギ302024年 コネクト24指導者資格第1種チーム トップ の監督は日本サッカー協会公認S級指導者ライセンスを保持している者が指導することとされている 但し 不測の事態が認められた場合には S級ライセンスを持たないコーチがコーチ資格のまま実質的な監督役を務めることができる 一例として 2021年に徳島ヴォルティスでダニエル ポヤトスの代理として10試合の指揮を執った甲本偉嗣は当時S級ライセンスを保有していなかった 一方 第1種チーム サテライト は同A級 以上 指導者ライセンス保持者 第2種以下は同B級 以上 ライセンス保持者が監督を務めることが出来る 審判員日本サッカー協会に登録された1級審判員の中から推薦 決定されJリーグ担当審判員となる 2021年シーズンの場合 主審担当者が59名 副審担当者が99名 この中には日本サッカー協会の認定したプロフェッショナルレフェリー PR がおり 審判員としての報酬のみで生計を立てている 2020年シーズンからJ1全試合においてビデオ アシスタント レフェリー VAR が導入されることが決まっていた ものの 新型コロナウイルスの影響により実施が見送られた しかし その後2021年からVARの導入が決まった フラッグ毎試合 Jリーグの試合会場にはJリーグフラッグと対戦する両クラブのフラッグ 旗 が掲げられる フラッグのデザインは自クラブのクラブカラーを基調とし 自クラブのロゴタイプやエンブレムが入っていることが一般的である また Jリーグ旗の横や下などにFIFAのフェアプレーフラッグが掲げられている場合があるほか 選手が入場する際には必ずスターティングメンバーのサインが入ったJリーグのフェアプレーフラッグを先頭にしてピッチへ入場する なお リーグ戦で使用されるJリーグフラッグは2種類あり 通常の試合会場では主に無地のフラッグが使われている 背景は 白 を基調とした無地の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ 背景は左側から黒で縁取られた 緑 白 赤 を基調としたイタリア国旗風の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ 音楽特に規約では規定されていないものの リーグ戦では一部クラブ除き選手入場時にアンセムが流れる 1993年のJリーグ開幕時 Jリーグ公式テーマソング J S THEME Jのテーマ をTUBEのギタリスト春畑道哉が制作し 開幕のオープニングセレモニーで演奏した Jリーグに関するイベントやスタジアムなどで使用されている また 岸利至の作曲によるJリーグの公式アンセム THE GLORY も存在し 一部のクラブでアンセムとして使用しているが 多くのクラブがクラブオリジナルのアンセムを作成し 入場時に流している なお Jリーグ開幕30周年の企画として 2023年5月15日のJリーグ開幕30周年を迎えるのを機に RADWIMPSが 新しいアンセムを制作することになった ルヴァンカップは専用のアンセム 作曲 Taku Takahashi を使用する 年度 曲名 作詞 作曲 編曲公式テーマソング 1993年 J S THEME 春畑道哉 TUBE J S BALLAD公式アンセム 2003年 THE GLORY 岸利至 岸利至2023年 大団円 feat ZORN 野田洋次郎 ZORN 野田洋次郎公式ソング 2003年 飛躍 安岡優 村上てつや 小西貴雄スローガン年度 スローガン1999年 Join 2000年2001年2002年2003年2004年2005年 Amazing J 2006年2007年 Will Be 見せたい未来がある 2008年 Will Be クラブサッカーの世界水準へ 2009年 SHOUT for SHOOT 声 枯れるまで 体 果てるまで 2010年 極上のライブエンターテイメント2011年 明日のために 今 走る チカラをひとつに TEAM AS ONE 東日本大震災復興支援スローガン 2012年2013年2014年2015年2016年 チカラをひとつに TEAM AS ONE がんばろう熊本 九州 熊本地震復興支援スローガン 2017年 チカラをひとつに TEAM AS ONE 震災復興支援活動を一本化 2018年2019年2020年2021年2022年 UNITE AS 1 Going Forward 2023年 よっしゃ いこ Jリーグ30周年メッセージ アカデミー詳細は 日本プロサッカーリーグ 法人 育成活動 を参照 Jリーグに所属するクラブはアカデミー 下部組織 Jリーグの用語では 育成組織 をもつことを義務つけている アカデミーはJFAに世代別のチームとして登録され 日本サッカー協会チーム登録種別を参照 Jリーグの主催する各大会やJFA主催大会などに出場する マスコットキャラクターJリーグ Mr ピッチ読み方は ミスター ピッチ 1991年11月1日生まれ 出身地は不明 血液型はJ型 身長は180センチメートル スリーサイズは上から200 200 200センチメートル 全身を緑の芝生におおわれているのが特徴 好きな色はグリーン 好きな言葉は 地球は青かった 石の上にも三年 芝の上にも百年 趣味はガーデニング Jリーグ百年構想メッセンジャー として 現在は各地で毎年行われている ファミリーJoinデイズ や Jリーグオールスターサッカー を始め 積極的に様々なイベントなどに出演している また 各地の試合会場において 試合の前後やハーフタイム中に電光掲示板などで彼の出演しているビデオ映像を目にすることができる なお 百年構想 をPRしているポスターや雑誌の広告などでも 彼がモデルを務めている Jリーグキング J boy 詳細は Jリーグキング を参照 Jリーグクラブ 詳細は スポーツのマスコットキャラクター一覧 Jリーグ を参照協賛団体Jリーグ リーグ戦 の公式スポンサーはJ1の試合会場で広告看板を掲示できるほか 新聞や雑誌 放送媒体の広告でJリーグのロゴマークとともに 企業名 はJリーグの パートナーです あるいは 企業名 はJリーグを応援しています のクレジットを掲載できる また 各所属クラスに関係なく 試合前後の時間やハーフタイム中に試合会場の電光掲示板や場内放送で企業名を読み上げられる 2011年度までの協賛カテゴリーは オフィシャルスポンサー と それ以外のスポンサー 用具サプライヤー 90度システム広告スポンサーなど とに区分されていたが 2012年度から原則として パートナー に呼称を統一させており スポンサー サプライヤーのカテゴリーをよりわかりやすく細分化している 全ディビジョン共通オフィシャルパートナーの広告設置に関しては Jリーグ規約 第35条 27ページ に スタジアムにはJリーグが指定する位置にJリーグ 並びにJリーグオフィシャルパートナーの企業 団体が所定サイズ 及び枚数の広告看板 幕 を設置 掲出できるスペースを確保しなければならない とする取り決めによるものである 日本スポーツ振興センター WINNER toto BIG 2001年より DAZN 2017年より のトップパートナー 以外の形でリーグ戦を協賛する企業の広告横断幕が基本的にバックスタンドの最前列の箇所に設置されている なお一部のスポンサーはJリーグカップにも広告看板を掲出する場合 もある 2008年から2013年まで メインスタンドから見て左側 原則としてホームゴール裏 にオフィシャルサプライヤー コンタクトレンズ等提供 のジョンソン エンド ジョンソンの小型広告が設置されていた 現在はJ1リーグに限り メインスタンドから見て両ゴール裏にリーグのタイトルロゴとスポーツくじ WINNER の小型広告がそれぞれ設置されている J11993年から1995年の2ステージ制時代は そのステージの冠スポンサー 1st サントリー 2nd 日本信販 の広告看板がバックスタンドとゴール裏のそれぞれ最前列 に2枚ずつの合計4枚 他のオフィシャルスポンサー団体は1枚ずつ掲出されていた それ以後は原則バックスタンドに各社2枚ずつ掲出されている 2015年2ndステージからは1stステージよりトップパートナーが1社増加したため 両サイドの外側にトップパートナーの広告が1枚ずつはみ出る形になり ランダムに2社の広告が1枚ずつはみ出している 球技専用が多い 場合がある 2005年から2014年までJ1の各節1試合ごとに電動式回転広告板を導入していた ただ 導入される試合は各節注目の試合に設置される場合が多い また 2008年からはこれと併用する形でJ1の各節1試合ごとに三菱電機社製の電光広告板 オーロラリボンビジョン を導入した 主に NHK BSの中継対象試合を中心に運用されている 2015年からは回転広告板を廃止した代わりに 電光広告板を使用する試合は1節に2試合に増加した 2015年からは タイトル協賛である明治安田生命の広告を6枚 うち 長方形の通常サイズ4枚を両コーナーとハーフライン付近に各2枚ずつ コーナー部分に同社商品の正方形の広告が2枚 設置されている J2 J3も同様 またJ1ではこれとは別に90度システムの広告幕2枚 各ゴール裏1枚ずつ を設置している J2J2ではJリーグの公式スポンサーの広告看板は2007年まで掲出されなかった 各クラブごとの公式スポンサーの看板がかかっている が 1996年から1998年のジャパンフットボールリーグでJリーグ準会員だったチームのホームゲーム開催時にはゴール裏部分に各1枚ずつのJリーグ公式スポンサーの広告看板が掲出されていた なお 2008年から大会名の看板の横に小さめに公式スポンサーの広告が1枚にまとめて載るようになった J32014年は J1 J2とは別の独自の協賛スポンサーが制定されており 各会場のバックスタンド最前列に タイトル協賛の明治安田生命が4枚 他のJ3公式スポンサーからは2枚ずつの広告看板 横断幕 が設置されていた 2014年のJ3のスポンサーのうち 日本航空以外の各社はJ1 J2の何らかの公式スポンサーを兼務していたが 2015年度からはJ1 J2を含めて統一したスポンサー体系にすることになり J2同様 大会名の看板の横に公式スポンサーを1枚にまとめて載せるようになった なお2014年はJ3公式スポンサー団体を除いたJ1 J2のスポンサー団体の広告は設置しなかった Jリーグカップ大会創設時よりヤマザキナビスコ ヤマザキビスケットの企業ロゴ および同社商品の広告看板 ルヴァン チップスター他 が設置されている なお創設当初からの最初の3年 1992年から1994年 は 予選リーグの試合 1994年は1 2回戦 に限って ナビスコの広告と一緒に 通常ゴール裏に設置される各クラブ個別の協賛スポンサーの看板を置いていた スポンサースペシャルデー amp スペシャルマッチ1996年にこれまでのステージスポンサーの制度が廃止されてから数年間に渡って Jリーグでは公式スポンサー企業が特定の節 試合を対象としてスポンサースペシャルデー ないしはスペシャルマッチを開催した 試合会場ではスペシャルデーのスポンサー企業がキャンペーンプロモーションを展開した 協賛団体一覧 協賛カテゴリー種別 契約開始年度 協賛団体名タイトルパートナー 2015年 明治安田オフィシャルブロードキャスティングパートナー 2017年 DAZNトップパートナー 2005年 アイデム2015年 ルートインホテルズイオン2017年 NTTドコモ2018年 コナミデジタルエンタテインメント2019年 いちごリーグカップパートナー 1992年 ヤマザキビスケットスーパーカップパートナー 1994年 富士フイルムビジネスイノベーションオフィシャルエクイップメントパートナー 1993年 モルテン2005年 アディダススポーツ振興パートナー 2001年 日本スポーツ振興センター スポーツくじ WINNER toto BIG オフィシャルチケッティングパートナー 2012年 ぴあ チケットぴあ オフィシャルECプラットフォームパートナー 2017年 楽天グループオフィシャルテクノロジーパートナー NTTグループサポーティングカンパニー 2003年 朝日新聞社2015年 LINEヤフー スポーツナビ 2017年 デロイトトーマツ ファイナンシャルアドバイザリー コンサルティング 2021年 データスタジアムIMAGICA GROUP イマジカ ライヴ2022年 サントリーウエルネス2024年 ニコンTikTokA T カーニーマーケティングパートナー 2014年 電通, ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム、モバイル、電話、Android、iOS、Apple、携帯電話、Samsung、iPhone、Xiomi、Xiaomi、Redmi、Honor、Oppo、Nokia、Sonya、MI、PC、ウェブ、コンピューター