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日テレ はこの項目へ転送されています その他の用法については 日テレ 曖昧さ回避 をご覧ください 日本テレビホールディングス gt 日本テレビ放送網 日本テレビ放送網株式会社 にほんテレビほうそうもう 英 Nippon Television Network Corporation は 日本テレビホールディングスの連結子会社で 関東広域圏を放送対象地域としてテレビジョン放送を行う特定地上基幹放送事業者 日本国内で最初に開局した民放テレビ局で 日本の民放テレビ局においては歴史が最も古い 一般的には日本テレビ にほんテレビ 又は日テレ ニッテレ と呼ばれる 日本テレビ放送網株式会社 Nippon Television Network Corporation日本テレビタワー種類株式会社略称日本テレビ 日テレ NTV AX本社所在地日本 105 7444 東京都港区東新橋一丁目6番1号 日本テレビタワー設立2012年4月26日 日本テレビ分割準備株式会社 業種情報 通信業法人番号3010401099553事業内容放送法による基幹放送事業及び一般放送事業 メディア事業 その他放送に関連する事業代表者代表取締役会長執行役員 杉山美邦 代表取締役社長執行役員 石澤顕資本金60億円売上高2 870億7 500万円 2024年3月期 営業利益285億6 400万円 2024年3月期 経常利益328億8 900万円 2024年3月期 純利益289億3 200万円 2024年3月期 純資産6 878億4 300万円 2024年3月期 総資産8 291億6 500万円 2024年3月期 従業員数1 354人 2023年4月1日現在 決算期3月末日主要株主日本テレビホールディングス 株 100 関係する人物正力松太郎 創業者 初代社長 氏家齊一郎 元社長 元会長 外部リンクwww wbr ntv wbr co wbr jp特記事項 1952年10月28日創業テンプレートを表示 コールサイン JOAX DTV 東京 25ch NNN 日本ニュースネットワーク NNS 日本テレビネットワーク協議会 日本テレビ系列 のキー局である リモコンキーIDは 4 スカパー プレミアムサービスをプラットフォームとして日テレジータスの放送を行う衛星一般放送事業者でもある 認定放送持株会社制移行のために 2012年10月1日に 旧 日本テレビ放送網株式会社 現日本テレビホールディングス株式会社 旧会社 から新設分割され 移管 放送免許を承継した 新 日本テレビ放送網株式会社 現行会社 が現業を行っている 概要日本テレビ放送網英名Nippon Television Network Corporation放送対象地域関東広域圏ニュース系列NNNキー局番組供給系列NNS略称NTV AX 日本テレビ愛称日テレ呼出符号JOAX DTV呼出名称にほんテレビ デジタルテレビジョン開局日1953年8月28日運営会社日本テレビ放送網株式会社本社 105 7444 東京都港区東新橋一丁目6番1号 北緯35度39分51 91秒 東経139度45分35 68秒 北緯35 6644194度 東経139 7599111度 35 6644194 139 7599111 座標 北緯35度39分51 91秒 東経139度45分35 68秒 北緯35 6644194度 東経139 7599111度 35 6644194 139 7599111演奏所 スタジオを参照リモコンキーID4デジタル親局東京 25chアナログ親局東京 4chガイドチャンネル4ch主なデジタル中継局 デジタル放送参照主なアナログ中継局 アナログ放送概要参照公式サイトwww wbr ntv wbr co wbr jpテンプレートを表示日本テレビ基本情報略称 愛称 NTV 日テレ運営 番組供給 事業者日本テレビ放送網株式会社ジャンル地デジ難視対策衛星放送放送内容地上デジタル放送のサイマル放送 マルチ編成の場合は主番組のみ 衛星基幹放送 BSデジタル放送 放送事業者社団法人デジタル放送推進協会チャンネル番号Ch 294物理チャンネルBS 17ch放送開始2010年3月11日放送終了2015年3月31日公式サイト特記事項 地デジ難視対策衛星放送対象リスト ホワイトリスト に掲載された地区のみ視聴可能 テンプレートを表示放送免許 1952年0 7月31日 テレビジョン放送予備免許取得 日本での取得第1号 1953年0 8月27日 テレビジョン放送本免許取得 日本での取得第2号 1957年12月26日 カラーテレビ実験局予備免許取得 1957年12月27日 カラーテレビ実験局本免許取得 1960年0 9月0 2日 カラーテレビ放送本免許取得 1978年0 9月28日 音声多重放送実用化試験局免許を取得 1980年0 2月0 9日 緊急警報放送用実験局免許を取得 1982年12月17日 音声多重放送本免許を取得 1983年0 9月0 7日 テレビジョン同期放送実験局免許を取得 1985年11月29日 文字多重放送本免許を取得 1988年0 4月13日 EDTV実験局免許を取得 1994年11月25日 ハイビジョン実用化実験放送本免許を取得 1995年0 7月13日 ワイドクリアビジョン放送本免許を取得 2003年12月0 1日 地上デジタルテレビジョン放送本免許を取得 呼出符号 コールサイン 詳細は 日本の放送局所の呼出符号 JO X 2 を参照 地上デジタルテレビジョン放送 JOAX DTV にほんテレビデジタルテレビジョンUHF25ch 周波数545 142857MHz 10kWリモコンキーID 4 3桁 041 042 045 臨時用 641 ワンセグ用 テレビジョン単営局に対する最初の予備免許であったため JO X TV シリーズの中で A が与えられた 保有チャンネル 関東広域圏における地上波放送以外に 以下のチャンネルを放送 供給している 日テレジータス 自ら衛星一般放送事業者としてスカパー プレミアムサービス 標準画質放送 で放送しているほか ハイビジョンチャンネル 日テレジータスHD はスカパー プレミアムサービスの衛星一般放送事業者であるスカパー ブロードキャスティング スカパー エンターテイメント スカパー の基幹放送事業者であるCS日本に供給 一部のケーブルテレビ局へのチャンネル供給も行い 各局においてサイマル放送を行っている 日テレNEWS24 スカパー ブロードキャスティング スカパー エンターテイメント スカパー プレミアムサービス SCサテライト放送 スカパー 一部のケーブルテレビ局へのチャンネル供給を行い 各局においてサイマル放送を行っている 日テレプラス チャンネル運営はCS日本が行う スカパー ではCS日本が自ら放送するほか スカパー プレミアムサービスにおけるハイビジョン放送ではスカパー ブロードキャスティング スカパー エンターテイメント スカパー プレミアムサービス 標準画質放送 の衛星一般放送事業者であるジャパンイメージコミュニケーションズ 一部のケーブルテレビ局へもそれぞれ供給している 英語版 2015年10月1日に放送開始 ソニー ピクチャーズ テレビジョンとの共同運営で香港や東南アジア各国のケーブルテレビ局などに日本テレビのバラエティー番組や連続ドラマなどを供給している NIPPON TV Channel 2019年5月28日 現地時間 に放送開始 主にアメリカ在住の日本人を対象としており 日本テレビの連続ドラマやプロ野球 巨人戦ホームゲーム中継などを衛星放送ディレクTVやケーブルテレビ局などに供給している ネットワーク 日本テレビ系列のリモコンキーID地図 1966年4月1日にNNN Nippon News Network を また1972年6月14日にNNS Nippon television Network System を形成し 各系列局とネットワークを結んでいる 現在NNN加盟局は30局 NNS加盟局は29局 日本テレビの報道取材地域には関東広域圏の他に沖縄県が含まれる 沖縄県にNNN系列局がないため 呼称開局以来長年 第 4チャンネル AX NTV などを略称として使用してきたが 1995年前後よりキャンペーンコピーに 日テレ を使用し始めた 後述の正式な略称 愛称採用以前には1996年8月から4年間放送されたCSチャンネルの名称を CS 日テレ 2000年12月には 開局した系列のBS日本のチャンネル名称を BS日テレ とした 2003年の放送開始50周年と汐留移転を契機にコーポレートロゴを 日テレ とするなど 正式な略称 愛称として 日テレ が採用された なお 新聞 テレビ情報誌の番組表での表示は従来通り 日本テレビ のままだが デイリースポーツ東京版では 日テレ 以前は NTV 一部番組の動画配信や関連商品の版権表記では NTV として表記されている 業界ではコールサインを由来とするCX フジテレビ EX テレビ朝日 TX テレビ東京 に合わせ AX エーエックス アックス と呼ぶこともある これにちなんで かつてはSHIBUYA AX シブヤ アックス 2014年5月31日営業終了 というライブスペースを運営していた時期があり AX MUSIC FACTORY AX MUSIC TV という番組も放送していた また 2010年には日本テレビタワーにミニライブハウス 汐留AX SHIODOME AX を設立した グループ内の番組制作会社 日テレアックスオン 略称 AXON の社名にも AX が使われている 沿革1950年代 1951年 0 8月13日 カール ムント米上院議員が 日本全土に総合通信網を民間資本で建設する と発表 0 9月0 4日 読売新聞社の正力松太郎 日本テレビ放送網設立構想を発表 10月0 2日 日本テレビ放送網 テレビ放送免許を申請 1952年 0 7月31日 NHKに先んじて 日本で最初のテレビ放送予備免許を取得 0 8月0 5日 千代田区二番町14番地の社屋建設用地 約2100坪 の購入契約を締結 当地は南満洲鉄道の社長であった早川千吉郎邸があった土地で 1952年当時は大谷米太郎 大谷重工業社長 ホテルニューオータニ創業者 が所有していた 0 9月10日 テレビ放送に必要な主要機器 送信機 カメラ アンテナ等 を 米RCA社に発注する 10月15日 創立総会を開催し 正力松太郎を社長に選出 10月28日 旧 日本テレビ放送網株式会社 現 日本テレビホールディングス として会社設立 資本金2億5千万円 設立資金は正力からの要請を受けた池田勇人大蔵大臣が 財界人に声をかけ資金を調達した 1953年 0 2月18日 麹町のテレビ塔 アンテナ以外 完成 アンテナを含めた高さは154 m 高さ55 mと74 m地点に展望台を設置した 0 4月15日 資本金を5億円に増資 0 4月 社屋本館 大道具室 機械室が完成 0 7月0 3日 本館スタジオ 第1 3 完成 0 8月0 3日 テレビ塔にアンテナ取付完了 0 8月17日 名古屋と大阪にテレビ局の免許を申請 後に却下 0 8月18日 街頭テレビ受像機を関東一円 都内29か所 周辺部13か所 に設置 0 8月20日 試験電波を発射 0 8月22 26日 テレビ放送施設新設の検査を受ける 0 8月27日 テレビ放送本免許を取得 0 8月28日 午前10時から テストパターン を流し 午前11時20分 鳩の休日 の映像と共に民放初のテレビ局 地上アナログ として本放送を開始 この日が開局記念日であり 開局時の出力は 映像10 kW 音声5 kWだった 開局第一声担当は 結城雅子アナウンサーが務めた 日本初のテレビ局としての開局を目指していたが 多くの放送機材を米国からの輸入に頼っていたため納入が間に合わず 機材をほぼ国産品で揃えたNHKに先行された 日本で初めてとなるテレビCM 精工舎提供 を放送 0 8月29日 プロ野球巨人 阪神戦 後楽園球場 を民放テレビ局として初中継 0 8月31日 民放テレビ局として初のテレビドラマ NTV劇場 私は約束を守った 放送 0 9月0 4日 民放テレビ局として初の連続ドラマ パック町を行く 放送開始 0 9月19日 大相撲秋場所 蔵前 にて 民放テレビ局初の大相撲中継を行う 10月27日 プロボクシング世界選手権白井義男 テリー アレン戦を中継 11月15日 民放テレビ局として初めて中央競馬のテレビ中継となる秋の天皇賞 東京競馬場 を放送 11月27日 民放テレビ局として初めて地方競馬のテレビ中継 船橋競馬場 を行う 11月30日 民放テレビ局として初めて 国会開会式を中継する 12月0 1日 テレビ塔のエレベーター完成 12月10日よりテレビ塔展望台の一般無料公開開始 1954年 0 1月0 2日 民放として初めて 宮中参賀を中継する 0 2月19日 力道山 木村政彦対シャープ兄弟プロレス実況 をNHKと同時に3日間にわたって放送 新橋駅西口の街頭テレビに連日2万人以上が詰めかけたため 日本のテレビ初期の看板番組にまでなる 以後力道山の人気はうなぎのぼりとなり 全国的なプロレス旋風が巻き起こる 0 7月30日 日本で初めてのテレビカーを京成電鉄の1600形 1500形で実験を行い成功 運転を開始する 京成電鉄のテレビカー車内では日本テレビの番組を放映していた 0 9月0 4日 静岡県宇佐美海岸に於いて 海中のテレビ受信実験に成功 10月0 4日 ニュース番組 きょうの出来事 放送開始 2006年9月29日終了 1955年 0 2月27日 第27回衆議院議員総選挙 日本テレビとして初の選挙開票速報を実施 0 4月0 1日 資本金を7億5000万円に増資 0 5月30日 プロボクシング世界選手権白井義男 パスカル ペレス戦を中継 視聴率96 1パーセントを記録 11月28日 清水与七郎が社長に就任 1956年 0 7月24日 開局時の局舎の裏側に増築した第4スタジオ 後の旧Gスタジオ 120坪 運用開始 0 8月19日 午前6時30分 日本初のテレビ早朝放送を開始 画面に初めて時分テロップを入れる 12月0 1日 中部日本放送 CBC 現在のCBCテレビ 大阪テレビ放送 OTV 現在の朝日放送テレビ ABCテレビ が開局し 両社とネットワークを形成 12月31日 精工舎 現 セイコーホールディングス 提供 同局をはじめ民放4社による共同制作の ゆく年くる年 を放送 1957年 0 2月0 3日 来るカラーテレビ放送に備え 米RCA社から スリービディコンカラーフィルムカメラを購入する 0 3月17日 ミユキ野球教室 放送開始 1990年3月終了 0 4月0 1日 カラーテレビ放送開始に備え 5ヵ所の街頭テレビに RCA社製21インチカラーテレビ受像機を設置する 0 4月18日 カラーテレビ放送実験局の免許を申請 10月24日 10月27日 日本初のプロゴルフトーナメント試合テレビ実況生中継を行う カナダ カップ 於 霞ヶ関カンツリー倶楽部 12月26日 カラーテレビ実験局の予備免許を取得 12月27日 カラーテレビ実験局の試験放送で 初のカラーフィルムによる実験放送を開始 12月28日 カラーテレビ実験局本免許を取得 コールサイン JOAX TVX 同実験局を開局 民放初 1958年 0 1月27日 不定時に行っていたカラーテレビ実験放送を この日から定時のレギュラー放送に改編 0 4月0 9日 資本金を10億円に増資 0 4月10日 カラーテレビ放送実用化試験局の免許を申請 0 4月19日 この日 八丈島でカラーフィルムで撮影した 金環日食 を ニュース番組 ニュースフラッシュ 内でカラーでの世界初放送を行う 0 5月16日 同社映画部が 35ミリカラーフィルムを使い 日本初のテレビ用カラーフィルム制作による番組 七色のメロディー を制作 翌々月14日に放送 0 7月14日 この日のカラーテレビ実験放送枠内にて 前述の 七色のメロディー と共に 日本初のカラーアニメーション映画 もぐらのアバンチュール を放送 同年10月15日に同枠内にて再放送 0 8月28日 開局5周年 更に大阪のフルネットの系列局として讀賣テレビ放送 YTV がこの日開局したのを祝い 同日13時30分から20分間 東京の読売会館と大阪の讀賣テレビ新社屋を電波で結んで 記念祝賀会が催される 番組編成を日本テレビ主体に置いた系列局として 前述の讀賣テレビの他に テレビ西日本 TNC も開局 先に開局した西日本放送 RNC も含め 日本テレビの全国ネットワーク体制のさきがけとなる 上記のネットワーク体制が確立したことで 帯番組の新設とレギュラー番組枠の移動を含む番組改編を実施 更に同社開局5周年記念番組をこの日から翌月 9月 3日まで放送 同ネット放送も行う 0 9月12日 カラー放送の為の実写用のカラースタジオカメラ 米RCA社製 TK 41 1台を購入 10月0 1日 株 レクリエーション センターを合併し 資本金が12億円に 10月14日 テレビ番組のキネスコープを使ったフィルムでの記録を開始する 12月12日 カラーテレビ実験放送で 初のスタジオカラーカメラによる番組 手品教室 を生放送 12月18日 米アンペックス社製の放送用の2インチVTR VR 1000 モノクロ仕様 を購入 年内には もう1台同VTRを購入する 12月25日 東海テレビ放送 THK が開局 中部日本放送から番組ネットワークを引き継ぐ 初のVTR番組ドラマ 雑草の歌 聞えない葦 放送 1959年 0 1月24日 カラーテレビ中継車が完成する 0 3月28日 ネットワークニュース番組 日本テレニュース スタート 0 4月0 8日 郵政省から カラーテレビ実験放送に於いて カラーCMの放映が認可される 0 4月10日 皇太子明仁親王結婚 成婚 この日 日本テレビとフジテレビの共同で 特別番組を制作 両系列5局が協力し 延べ39台のカメラと9台の中継車を駆使して テレビ史上に語り継がれる大規模生中継を実施 両系列13局へ同時ネット放送を行う 前述内のご成婚パレードに於いて 半蔵門を担当した日本テレビによる中継の一部では 2台のカラーカメラと1台のカラー中継車によって 日本で初めての 野外に於いてのカラー生中継を実施する 更に同日20時から カラー放送の特番 このよき日 で 成婚当日の模様を同局でテレビカメラとは別に35mmカラーフィルムで撮影した物を放送した この番組の中では 日本初のカラーCMも放送された 0 4月14日 プロボクシングのカラー初中継を 当時の後楽園ジムから行う 0 4月15日 スタジオドラマでは日本初のカラー放送による ヤシカゴールデン劇場 赤い陣羽織 を この日の20時より1時間生放送 0 4月17日 プロレスリングのカラー初中継を行う 0 6月 カラーカメラ3台を装備した カラーテレビセンター棟1階の第9スタジオ 後のHスタジオ 130坪 運用開始 0 7月 カラーカメラ2台を装備した カラーテレビセンター棟3階の第10スタジオ 後のJスタジオ 130坪 運用開始 0 7月0 2日 プロ野球初のカラー中継がナイターで放送される 巨人対大洋戦 0 7月20日 前述の第9 10スタジオを含むカラーテレビセンター棟が完成 これに伴い 毎晩に渡り ゴールデンタイムのカラー番組を編成するようになる 0 9月10日 番組 ビクター 歌のパレード 内にて 日本で初めてカラークロマキーを実用化する 0 9月15日 同局の株式がマスコミ業界としては初めて東京証券取引所に上場する 10月23日 米RCA社から 日本で初めて2インチの放送用カラーVTRが納入される 10月24日 毎日放送 MBS と日本シリーズ中継を共同制作する 11月21日 戦艦陸奥より海中中継 桂島 を行う 12月0 3日 日本初のカラーVTR放送 ペリー コモ ショー Perry Como s Kraft Music Hall 米NBCからダビングされたカラービデオテープを再生 放映 局内のスタジオにて 日本初のカラーVTRを使った収録を開始 12月0 5日 2日前に 日本国内のスタジオにおける初のカラーVTR収録を行ったドキュメンタリードラマ番組 シャープクライマックス 人生はドラマだ 第9回 ダニエル建 井上 放送 1960年代 1960年 0 3月12日 出力が映像50kw 音声12 5kwに増強 0 6月10日 テレビ視聴率調査にニールセン方式を採用 0 9月0 2日 カラーテレビ本放送免許取得 0 9月10日 カラーテレビ本放送開始 NHK ラジオ東京 KRT と共に東京地区では初 当日 記念番組が3時間45分に渡って放送される 11月 新事務館完成 後の西本館と南本館の間のビル 1961年 0 1月0 2日 宮中参賀をカラーで初放送する 0 1月0 8日 大相撲初場所で初のカラー中継放送を開始 0 6月0 4日 シャボン玉ホリデー 放送開始 1972年10月0 1日終了 0 6月10日 読売テレビへのカラーネットが暫定開通する 1962年 朝6時台から深夜12時まで切れ目のない全日放送体制が完成 0 4月0 1日 名古屋放送 NBN 現在の名古屋テレビ放送 が開局 東海テレビ放送からネットワークを引き継ぐ 0 6月0 1日 電電公社のマイクロ波使用のテレビ同時ネット回線がカラー化 これにより 読売テレビへの同カラー回線が正式開通する 0 7月0 3日 読売日本交響楽団を結成する 0 7月18日 音声多重放送の実験を開始 12月14日 フランス国営放送 RTF と ニュース ドキュメンタリー 及びドラマ番組交換協定を締結 1963年 0 1月21日 日本テレビ系列の最長寿ミニ番組 キユーピー3分クッキング 放送開始 0 3月0 5日 ハワイのKONAテレビとネットワーク協定調印 0 6月23日 7月7日 大相撲名古屋場所にて 初のTBSテレビと同一画面 アナは別 にて大相撲中継を実施 民放テレビ全局へネットする 0 8月0 5日 スタジオ契約を結んでいる後楽園ホールのカラー化が完成 これに伴い 同ホールで収録している 私のクイズ 歌のグランプリショー 底ぬけ脱線ゲーム 等がカラー化される 0 8月28日 開局10周年 10月 全日放送開始 10月0 7日 子ども向け番組 ロンパールーム 放送開始 11月22日 通信衛星リレー1号を利用して 日米間で初の白黒テレビの電送実験 放送中にケネディ大統領暗殺事件が発生し急遽別番組を編成 1964年 0 7月29日 世界初の深海作業船からの中継に成功 0 7月 多摩丘陵 よみうりランド内にカラー公開スタジオ NTVスタジオ 生田スタジオ が完成 0 8月28日 前述の NTVスタジオ の完成記念の特別番組がこの日 カラーで3時間放映される 0 9月30日 テレビ西日本がネットワークから離脱 これにより福岡地区の日本テレビ系番組の大半がRKB毎日放送に移動する 1969年3月31日まで 10月10日 東京オリンピック開催 これに関する自社制作におけるカラー放送を強化する 11月0 2日 音声多重放送の予備実験を実施 1965年 0 1月12日 パキスタンにテレビ受像機200台を寄贈 0 2月14日 民放テレビ全局46社ネットの小児マヒ救済テレビチャリティーショー いまぼくは空を見ることができる 放送 11月0 8日 平日に 早朝の子ども向け番組 おはよう こどもショー 及び夜遅くのワイド番組 11PM が共に放送開始 1966年 0 3月0 6日 世界初 カラーのスポットコマーシャル 日立製作所提供 の放送が開始される 0 4月0 1日 NNN 日本ニュースネットワーク 発足 0 5月15日 笑点 放送開始 0 7月0 1日 ザ ビートルズの日本武道館来日公演番組 ザ ビートルズ日本公演 をカラーで独占中継 VTR録画 し 視聴率は56パーセントに達した 10月10日 プロゴルフトーナメント試合カナダ カップの中継をカラーで行う 1967年 0 2月0 7日 米テキサス州ヒューストンのアストロドームで行われた 世界ヘビー級タイトルマッチを同時中継 0 2月17日 アンペックス社製のハイバンドVTR 型番 VR 2000A を導入 設置 0 4月 ニューヨーク支局を開設 アメリカ NBC内に特設スタジオを設置し 衛星中継による海外ニュースを放送 0 7月21日 福井近夫が社長に就任 1968年 0 3月31日 西本館竣工 0 5月10日 新宿区に独自の送信所を兼ねた日本最大のテレビ塔建設を発表 後に計画は中止 0 8月28日 開局15周年 0 9月30日 お昼のワイドショー 放送開始 1969年 0 4月0 1日 中京テレビ放送 CTV 福岡放送 FBS 他全国各地に開局したアナログUHF局とネットワークを組む 福岡放送はRKB毎日放送からネットワークを引き継ぎ 4年半ぶりに福岡地区での日本テレビ系フルネット局が復活した 10月0 1日 日本テレビ音楽 株 設立 10月0 9日 午前3時50分 当時の会長 正力松太郎が死去 10月11日 大蔵省の指摘により粉飾決算が発覚 過去数年分の有価証券報告書を訂正 11月10日 コンピュータ導入 第1世代APM で本格的な番組運行自動化を開始 12月0 1日 資本金を24億円に増資 1970年代 1970年 0 1月0 4日 NNNドキュメント 放送開始 0 2月10日 ユニオン映画 株 設立 0 4月 夜のゴールデンアワーが全面カラー化 全時間帯でのカラー化率が64 となる 0 5月20日 小林與三次が社長に就任し 読売色が一層強まる この頃より対外的に使用する社旗を 青地に社章 NTV ロゴを丸で囲った物 を白く抜いた物より 読売新聞の社旗を模した上から緑 赤 青色の模様の旗に変更 0 5月 那覇 ワシントン モスクワ ソウルに各支局を開設 世界ネットを強化 10月0 4日 紀行番組 遠くへ行きたい の放送開始 11月10日 同局の送信所を 麹町の本社社屋に隣接したテレビ塔から東京タワーに移行 1971年 0 1月0 3日 全国高校サッカー選手権大会を毎日新聞社に代わって主催し 独占中継権を得る 10月 自社制作の番組のカラー化率がほぼ100パーセントに達する 全放送時間の100 カラー化達成 いずれも日本の民放初 10月23日 アニメ ルパン三世 シリーズ ルパン三世 TV第1シリーズ 放送開始 1972年 0 4月0 5日 株 日本テレビサービス設立 0 5月21日 朝鮮中央放送委員会とテレビフィルムを定期交換する協定に調印 0 6月14日 系列18社によるNNS 日本テレビネットワーク協議会 発足 当時のネット局である名古屋放送 名古屋テレビ NBN と番組編成を巡って係争 この結果 12月に東海地区のテレビネットを中京テレビ放送 CTV へ翌年4月0 1日付で一本化することに決定 CTV開局後もNBNと2局並列でクロスネット加盟 当時CTVはNET中心の編成 であった 0 7月21日 刑事ドラマ 太陽にほえろ 放送開始 1973年 0 1月14日 ハワイで行われたエルビス プレスリー ショーを独占衛星生中継 0 3月19日 アメリカのABCニュース社と ニュース提供と衛星中継に関する契約を締結 0 4月0 1日 東海地域の系列局がこの日から中京テレビ放送に一本化され 同局は日本テレビ系列のフルネット局となる ただし1983年 昭和58年 9月にテレビ愛知が開局するまでの間 一部東京12チャンネル テレビ東京系番組の放送も続けていた のと同時に NNN NNSに加盟する 0 8月10日 日本テレビ放送網 札幌テレビ放送 中京テレビ放送 讀賣テレビ放送 福岡放送の5社で 日本テレビ系5社協定 を発効し これらが日本テレビ系列の基幹局となる 0 8月28日 開局20周年 10月31日 日本テレビ系列愛の小鳩事業団設立 12月20日 読売新聞社 朝日新聞社 毎日新聞社の3社首脳間で日本テレビと東京放送 TBS の新聞資本を統一する合意が成立 1974年 0 1月0 7日 石油危機による電力節減のため 郵政省が民放各社に深夜の放送自粛を要請したのを受け 在京5社の申し合わせで この日から深夜0時30分で放送終了となる 0 1月 小林社長 バチカンでローマ教皇パウロ6世から勲章を授与される 0 3月31日 開局以来の3社ニュースの放送が 読売新聞ニュース に一本化される 0 5月 読売新聞社は朝日新聞社と毎日新聞社が持つ全ての日本テレビ株式を購入 これで日本テレビは完全に読売グループの傘下に入る 12月0 1日 資本金を37億2500万円に増資 1975年 0 4月0 2日 松田優作 中村雅俊主演のテレビドラマ 俺たちの勲章 放送開始 0 6月29日 NNNドキュメント 明日をつかめ 貴くん 4745日の記録 放送 翌年 日本のテレビ番組で初めて国際エミー賞を受賞 0 7月13日 UHF局 テレビ神奈川 へのプロ野球リレーナイター供給を開始 0 8月13日 ブルガリア人民共和国テレビ ラジオ委員会と協力協定締結 0 8月 バンコク支局開設 0 9月0 6日 同局の 愛の小鳩事業団 が日本で初めての 手話スクール を開講する 0 9月13日 ハンガリーテレビと協力協定締結 10月0 8日 15日 水曜ロードショー にて 名作映画 風と共に去りぬ がテレビで世界初放映される 8日が前編 15日が後編 11月16日 日曜 朝のニュース と広報番組に 手話通訳 を編成 12月20日 株式会社日本テレビエンタープライズ設立 1976年 11月25日 日本テレビ放送網文化事業団設立 フランス美術賞展 などの美術展を開催 1977年 0 2月0 3日 郵政省に テレビジョン音声多重放送実用化試験局 の免許を申請 0 3月20日 資本金を41億円に増資 0 6月20日 オーストラリアのナイン ネットワークと協力協定締結 0 8月31日 日本テレビ第一別館 完成 0 9月 パリ支局開設 10月20日 視聴者参加型大型クイズ番組 アメリカ横断ウルトラクイズ スタート 以後1992年まで毎年1回行われた 日本テレビ放送網のシンボルマーク 社章 1978年1月の制定から使用されている 旧麹町分室解体工事時に露出したシンボルマークの巨大レリーフNTVロゴ1978年 0 1月0 1日 開局25周年に伴い 統一シンボルマーク 社章を制定 民間放送局がシンボルマークを制定するのは初めてである 1977年以前にこれまで使用された NTV ロゴを丸で囲った物から 日本テレビの 日 と地球をメルカトル図法的にデザイン化した物へと変更された 従来の 日本テレビ のロゴの前にも このシンボルマークが付けられていた 放送では1992年いっぱいまで 社の封筒では2003年夏頃まで使用されていた 1992年以降は なんだろう のマスコットと一緒に 電子化以前の株券に使用されていたが 現在は社債のみに使用されている 0 1月30日 CMバンク稼働開始 0 4月0 1日 無償新株式 1 0 1 発行 資本金が45億1000万円となる 0 8月26日 24時間テレビ 愛は地球を救う スタート 以後 毎年8月に行われる 南本館竣工 0 8月28日 開局25周年 0 9月22日 テレビジョンの音声多重放送の実用化試験局の予備免許を取得 0 9月28日 テレビジョンの音声多重放送の実用化試験局の本免許を 放送局として初めて取得 取得直後の午前10時01分 ミセス amp ミセス の番組内で 世界初の音声多重放送実用化試験放送を開始 この日から 後楽園球場の巨人戦もステレオ放送になる この日は対広島戦であった 10月0 6日 水谷豊主演のテレビドラマ 熱中時代 第1シリーズ 放送開始 1979年 0 2月 四番町別館竣工 0 3月0 5日 ニュース 情報番組 ズームイン シリーズ ズームイン 朝 放送開始 0 9月0 3日 ルパン三世 TV第2シリーズ 第99話にて テレビアニメ初のステレオ放送開始 10月0 7日 この日投票が行われた 第35回衆議院議員総選挙 の開票速報番組 79総選挙にズームイン 開票速報 の二か国語放送の副音声にて 画面と関係ない開票速報や党派別当選者数を放送 これが後に当時の放送法違反とされ 翌年5月31日に郵政省から文書による厳重注意を受ける しかしこの事が後に 音声多重放送の2音声多重放送の開拓へと繋がる 12月31日 欽ちゃんの仮装大賞 スタート 1980年代 1980年 0 2月0 9日 緊急警報放送の実験放送を開始 VTRカメラが初めてエベレストに登る この登山のドキュメンタリー番組 生と死に賭けた36時間 これがチョモランマだ が高い評価を呼び 文化庁芸術祭テレビドキュメンタリー部門で優秀賞を獲得 0 2月26日 同局初の長時間ドラマ を テレビドラマでは日本初のステレオで放送 0 6月0 9日 前年10月0 7日の開票速報の電波法違反の厳重注意を受け この月の22日に行われる衆参ダブル同時選挙の開票速報番組に 音声多重放送の副音声を活用できる様に関係方面に働きかけた結果 郵政省は今度のダブル選挙のテレビ開票速報に限り 同放送の免許条件の枠を特例として認める方針をこの日に決定し 同月20日の同省の電波監理審議会の審議にて了承された 0 6月23日 更に前述の決定を受け この日放送された 衆参ダブル選挙 第36回衆議院議員総選挙 と 第12回参議院議員通常選挙 の開票速報にて 日本初の2音声多重放送を行う この日の開票速報は 特別番組だけでなく 一部の通常レギュラー番組も開票特番として放送し その種の特番は全て2音声多重放送で行った 0 6月29日 高木盛久が社長に就任 10月 北本館竣工 麹町Gスタジオ Kスタジオなどが完成 1981年 0 1月23日 この日 郵政省が条件付きでの2音声多重放送を正式認可したのを受け この日からNNN昼のニュースとNNN JUST NEWSの2つのニュース番組の副音声に日本語のニュース解説を入れたのを皮切りに レギュラー番組での同多重放送を開始する 0 3月26日 この日のプロ野球中継のオープン戦 巨人 阪神戦 於 後楽園球場 の中継にて プロ野球中継初の2音声多重放送を行う 1982年 12月17日 テレビ音声多重放送の本免許を取得 同本放送を開始 1983年 0 8月28日 開局30周年 正力松太郎会長の遺訓の中から社訓 信条を制定 0 9月0 7日 テレビジョン同期放送の実験放送を開始 12月31日 全国高等学校クイズ選手権 スタート 以後1985年まで毎年2回 1986年より毎年1回行われる 1984年 民放業界最大の規模のコンピュータグラフィックスシステムを完成 参議院選挙 衆議院総選挙などの報道で稼動 1985年 0 1月24日 資本金を70億8560万円に増資 0 5月20日 無償新株式 1 0 1 発行 11月29日 文字多重放送の本放送を開始 日本テレビニューヨークスタジオ開設 生放送スタート 1986年 日本テレビ初のミュージカル アニー スタート 1987年 0 1月0 2日 3日 東京箱根間往復大学駅伝競走 箱根駅伝 中継放送開始 10月0 1日 ケーブルテレビ局に向けて日本初となるニュース専門チャンネル NCN 日本テレビケーブルニュース の配信を開始 10月0 2日 お昼のワイドショー 放送終了 後番組は 午後は おもいッきりテレビ 10月0 5日 ズームイン 朝 にて SNG 日本テレビサテライトネットワーク の実験運用を開始する 10月 マイケル ジャクソンの横浜スタジアムでの来日公演を録画放送 1988年 クリアビジョン放送実験局免許取得 0 5月0 5日 エベレスト チョモランマ 山頂から世界初の生中継を実施し 成功 日本中にこの模様が中継された 開局35周年記念企画 チョモランマがそこにある 0 5月20日 無償新株式 1 0 04 発行 0 8月28日 開局35周年 10月0 3日 それいけ アンパンマン 放送開始 1989年 バチカンにあるシスティーナ礼拝堂の壁画修復に着手 そのために支援を行う 修復は1994年まで続いた 生田スタジオ竣工 0 6月29日 佐々木芳雄が社長に就任 0 7月0 7日 SNGの本格運営開始 0 8月24日 クリアビジョン放送の本放送を開始 10月0 4日 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで 放送開始 1990年代 1990年 0 5月21日 無償新株式 1 0 05 発行 0 8月0 1日 1単位の株式数を100株から10株に変更 0 8月 第3回世界陸上競技選手権東京大会 のホストブロードキャスターを担当 1992年 0 8月 開局40周年を機に宮崎駿デザイン スタジオジブリ制作によるマスコットキャラクター なんだろう が誕生 なんだろう の使用期間は当初は1年間の予定だったが 日本テレビのシンボルマークとして 企業ロゴが変わった現在でも使用されている 11月0 6日 SNGデジタル伝送実験局免許取得 氏家齊一郎が社長に就任 1993年 0 8月28日 開局40周年 1994年 アール エフ ラジオ日本の株式を取得し 持分法適用関連会社とする 11月24日 アナログハイビジョン実用化試験局免許取得 BS9チャンネル アナログハイビジョン実験専用のNHKと民放の合同チャンネル 第1回 流転の海 ほかを放送 12月21日 日本テレビ郵便爆弾事件発生 1995年 0 1月0 2日 視聴率年間三冠王獲得 1994年 0 7月13日 ワイドクリアビジョン本放送開始 インターネットに日本テレビ公式webページ https www ntv co jp を開設 1996年 0 4月0 3日 CSデジタル放送 CS 日テレ の委託放送業務認定取得 同年8月28日に放送開始 報道局にNNNニュースチャンネルを設置 情報番組倫理ガイドライン 完成 1997年 0 2月24日 CSデジタル放送 トライアルサービス 委託放送業務認定取得 0 3月0 2日 民放初全日視聴率100週連続トップ獲得 NCN 日本テレビケーブルニュース の24時間化に際し チャンネル名を NNN24 NTV NONSTOP NEWS24 と改称 2005年12月1日に日テレNEWS24と名称変更 1998年 照明業務と電源 空調の運用業務を関連会社2社に業務移管 NNN24が本放送を開始 技術展 NAB 98 で国際優秀賞を受賞 BS準備室の新設 ビーエス日本創立総会が開かれる 0 6月 29か月連続月間四冠王民放新記録達成 0 8月28日 開局45周年 1999年 キャンペーン 日テレ営業中 がJR東日本ポスターグランプリ 99 駅サインボード部門 金賞 受賞 視聴者と直接意見の交流 日テレ式フォーラム 開催 民放初の試み 小林與三次本社取締役会長が死去 2000年代 2000年 汐留新社屋建設工事地鎮祭 インターネット事業会社 フォアキャスト コミュニケーションズ 設立 日本データ放送株式会社 略称NDB BSの940ch 設立 視聴者と直接意見の交流 日テレ フォーラム2 開催 視聴者とテレビの信頼回復を目指す CS準備室開設 NTT ME NTT東日本とともに テレビ番組 アニメなどの映像コンテンツをインターネット上で流通させるための市場 B Bat構想を発表 高木盛久本社最高顧問 元社長が死去 12月0 1日 午前11時 系列のBSデジタル放送 BS日テレ デジタルBS4ch 放送開始 12月16日 ライブハウス SHIBUYA AXオープン 2001年 株式会社シーエス日本創立総会開催 21世紀型高機能放送発進 創業以来の大機構改革構想発表 CEO COO制の導入 取締役会 執行役員会の二本柱で新しい経営体制の下 新世紀の活動をスタート 氏家齊一郎代表取締役社長が代表取締役会長兼グループCEO 間部耕苹専務取締役が代表取締役副会長兼グループEO 萩原敏雄専務取締役が代表取締役社長兼COOにそれぞれ昇格 BS日テレ新聞広告が読売広告大賞で金賞受賞 NNNニュースダッシュ のリアルタイム字幕放送を開始 BS日テレは2004年10月から 2001年 0 9月28日 ズームイン 朝 終了 後番組は ズームイン SUPER 0 9月30日 開局以来 同局の放送開始 終了または1日の起点時間に放送していた 鳩の休日 を休止 2002年 0 3月 シーエス日本が東経110度CSデジタル放送を開始 日テレロゴ 2003年から2012年 2003年 0 4月 新本社ビル 日本テレビタワー 竣工 0 7月 CIを導入 通称名を 日本テレビ NTV から 日テレ NIPPON TELEVISION へと変更 ロゴマークも なんだろう を継承しながら デザインを一新した 略称 NTV の国内での使用も停止し 国内での対外愛称は 日テレ に統一した 0 8月 汐留に本社移転 0 8月28日 開局50周年 10月25日 同局プロデューサーによる視聴率不正操作が発覚 翌月18日 取締役会において代表取締役3名の自主的降格および自主的役員報酬返上が承認される これにより氏家齊一郎会長がグループCEO辞任 間部耕苹副会長がグループEO辞任 代表取締役社長へ降格 萩原敏雄社長が代表取締役副社長へ降格 12月0 1日 午前11時 地上デジタルテレビジョン放送を開始 12月 10年連続視聴率四冠王達成 2004年 0 2月29日 開局50年を機に放送センター 本社スタジオ機能が汐留に移転 地上デジタルテレビジョン放送 BSデジタル CSデジタルを問わず全ての放送メディアにおいて 生放送のほとんど全ての番組がハイビジョン制作になる 当初は東名阪エリアのみ アナログ放送はサイドカット放送 同時にCS放送 NNN24 についてもハイビジョン制作率を大幅に拡大 NNN24のハイビジョン制作の映像は 地上デジタル放送とBS日テレで見る事ができる 同時にアナログ デジタル統合マスター NEC製 の運用を開始 なお 汐留新社屋移転後も麹町の旧社屋は麹町分室として継続運用される これにより 番組の送出マスターは地上波が汐留新社屋 BS CSの衛星放送は麹町分室からの送出体制となった 汐留からの最初の番組は 午前5時25分の 24時間テレビリポート 提供クレジットも平成角ゴシックW5から キヤノン角ゴCa Bに変更した なお当初はデジタル放送開始直前の2003年10月12日に汐留からの放送開始を予定していたが 大幅に遅れて当初の予定日から4か月遅れでの放送開始となった 11月0 5日 読売新聞グループ本社がマスコミ集中排除原則により 歴史的に第三者名義で実質保有してきた日本テレビ株につき 有価証券報告書を同グループ名義へと訂正 同社株は一時 監理ポスト に割り当てられた 同年11月22日まで 2005年 0 6月29日 間部耕苹代表取締役社長が代表取締役相談役に 久保伸太郎が代表取締役社長に就任 10月27日深夜 インターネットを利用したビデオ オン デマンドサイト 第2日本テレビ がオープン 12月0 1日 NNN24 を 日テレNEWS24 に名称変更 2006年 0 3月0 1日 G SPORTS amp NEWS を 日テレG に名称変更 ロゴマークは変更なし 0 4月0 1日 地上デジタルワンセグの本放送を開始 0 4月0 3日 サービスエリアである関東地区内の報道取材がほとんどハイビジョン化される 0 4月12日 ポッドキャスティングでの動画配信に参入 0 9月29日 全民放中の最長寿番組 NNNきょうの出来事 が終了し 52年の歴史に幕 後番組は NEWS ZERO 2007年 0 4月0 2日 日本テレビの制作子会社4社の事業再編を実施 統括持株会社 日テレ グループ ホールディングス と技術 制作 イベント 美術の4事業会社によるグループ体制を開始 2008年 0 4月0 1日 2001年9月30日まで 同局の放送開始 終了又は1日の起点時間に放送していた 鳩の休日 が CG使用の15秒ショートバージョンで新たに復活する 地上波デジタル用はハイビジョン制作として初登場する 0 5月19日 地上デジタル放送に於いて 海賊版防止 著作権保護の観点による画面上にCIを使用した画面右上にウォーターマークのを行うようになった 0 8月28日 開局55周年 2009年 0 3月16日 細川知正が社長に就任 0 4月0 6日 開局以来初めてゴールデンタイムに生放送の帯番組 サプライズ を編成 2010年3月12日に終了 2009年 11月0 1日 祝10周年 今夜嵐巻き起こせ 驚きの嵐世紀の大実験 学者も予測不可能SP amp 奇跡呼ぶ実験的生ライブ にて 嵐が行ったライブの一部をアナグリフ方式による3D立体映像として生放送 地上波における3D立体映像の生放送に日本で初めて成功した 2010年代 2010年 0 3月11日 放送衛星 BS によるセーフティーネットに基づく 地上デジタル放送難視聴地域向けの補完サイマル放送 BS294 を5年間の期間限定で開局 0 4月0 1日 台湾の旺旺集団 大手メディアグループ 中国電視 CTV 地上波テレビ局 中天電視 CTI ケーブルテレビ局 と包括的な協力協定を締結 0 4月0 5日 地上デジタル放送の完全移行を前提に 生放送の情報 報道番組を除く全ての番組がアナログ放送においてレターボックス化される 0 7月0 5日 生放送の情報 報道番組を含めた全ての番組がアナログ放送においてレターボックス化される 完全レターボックス化 0 8月21日 巨人戦中継史上初となる3Dハイビジョン放送をCS放送 スカチャン3D 169 にてノースクランブルで行う 10月19日 中国国営新華通信社と放送分野での相互協力を目的とした協力協定を締結 12月0 1日 ビデオ オン デマンド事業 日テレオンデマンド 配信開始 2011年 0 2月18日 アニメーション制作会社マッドハウスによる第三者割当増資の全額約10億円を引き受け 連結子会社化した 0 3月10日 中天電視との台湾での合弁会社 黒剣電視節目製作 黒剣テレビ番組制作 設立について合意し 合弁基本契約書に調印した 6月に営業開始 0 3月11日 東日本大震災の発災に伴い 11日14 57から14日4 00まで一切CMを放送しなかった 0 3月28日 当時の会長 氏家齊一郎が死去 0 3月31日 ズームイン SUPER が終了 直接の後継番組は ZIP ズームイン 朝 から数えて32年の歴史に幕を閉じた 土曜版の姉妹番組 ズームイン サタデー のみ継続 0 6月29日 大久保好男が社長に就任 0 7月24日 正午にアナログ放送を終了 平成23年7月24日AM11 45から特別番組 シューイチPRESENTSテレビ60年 これまで これから カウントダウン を放送した そして12 00になるとアナログ放送終了のお知らせ画面が表示され PM23 58からは 鳩の休日 の特別版を放送し 23 59にアナログ放送停波 デジタル放送に完全移行した 0 8月15日 創業家一族の正力亨元取締役が死去 10月0 3日 デジタル放送化に伴い 地上波放送と日テレNEWS24 同日4 00以降 における編成上全ての番組をステレオ放送 一部はモノステレオ放送 に変更した 2012年 0 1月0 2日 2003年以来8年ぶりとなる視聴率年間三冠王獲得 2011年 0 3月29日 認定放送持株会社体制に移行すると発表 0 4月26日 日本テレビ分割準備株式会社 設立 0 9月18日 総務大臣による放送持株会社設立の認定を受ける 10月0 1日 旧 日本テレビ放送網株式会社の商号を 日本テレビホールディングス株式会社 に変更 同時に日本テレビ分割準備株式会社が 日本テレビホールディングスより放送免許を含む事業部門を継承し 商号を 新 日本テレビ放送網株式会社 へ変更 2013年 0 1月0 1日 開局60周年キャンペーンがスタート ロゴマークを 0テレ に変更 使用されるロゴタイプは文字のゼロを意味する貫通しない斜線が書かれたものである fや空集合と類似しているがそれとは異なる 又 日 を意図したロゴタイプでもない 0 1月13日 上記に伴い 画面右上のロゴの透かし ウォーターマーク 並びに地上デジタル放送の放送局アイコンを変更 0 2月0 1日 2月0 2日 テレビ放送開始60年を記念して NHKとのコラボレーション番組 TV60 NHK 日テレ 60番勝負 TV60 日テレ NHK 60番勝負 が放送された 2月1日深夜はNHK総合テレビ 2月2日深夜は日本テレビ系列30局で放送され 中居正広 SMAP が共同MCを務めた 0 5月0 5日 松井秀喜の引退セレモニー 長嶋茂雄と松井秀喜の国民栄誉賞授与式 始球式の模様を東京ドームから独占生中継した 0 5月31日 午前9時から東京スカイツリーからの送信を開始 0 8月28日 開局60周年 12月0 9日 放送局アイコン 白抜きに黒文字 とウォーターマーク 0テレ の下に NIPP0N TV の一部表記を変更 2014年 0 1月11日 日本テレビで放送された番組をパソコンやスマートフォンで放送後7日間無料で視聴できる 日テレいつでもどこでもキャンペーン を開始 0 1月29日 株式会社タツノコプロの発行済み株式54 3パーセントを株式会社タカラトミーから取得し 子会社化すると発表した 0 2月28日 Huluの日本市場向け事業を継承し 定額制動画配信事業に参入すると発表した 11月21日 サントリーホールディングス子会社のフィットネスクラブ運営会社ティップネスの全株式を取得した 12月29日 2011年以来3年ぶりとなる視聴率年間三冠王獲得 2014年 2015年 0 3月31日 正午をもってBSセーフティーネットによる難視聴地域向け補完サイマル放送終了 0 4月27日 過去最高となる13週連続三冠王を達成 1月26日 4月26日 0 6月15日 20週連続三冠王を達成 1月26日 6月14日 2016年 0 9月0 5日 民放歴代1位となる全日帯143週連続トップを記録した 11月28日 同局最高記録となる21週連続三冠王を達成した 12月0 1日 インターネットイニシアティブと合弁で動画配信プラットフォーム提供会社JOCDNを設立 12月19日 年間47回目となる週間視聴率三冠王を獲得し 民放新記録を達成した 2017年 0 1月0 2日 2016年において年間49回目となる週間視聴率三冠王を記録した 0 3月0 6日 民放歴代新記録となる35週連続週間視聴率三冠王を獲得した 11月0 6日 全日帯視聴率において204週連続視聴率トップを記録した 2018年 0 1月0 1日 制作著作クレジットの表記を開局65周年仕様 共に 0テレ の下に 65th Anniversary に変更 0 7月30日 在京民放歴代新記録となる56ヶ月連続月間視聴率三冠王を達成した 8月 日本テレビ 番町スタジオ 竣工 0 8月15日 YouTube内チャンネル テレビバ 開設 0 8月28日 開局65周年 0 9月22日 テレビ放送開始65年を記念した NHK 日テレコラボデー を実施した 10月0 1日 在京民放歴代新記録となる58か月連続月間視聴率三冠王 63か月連続月間全日視聴率三冠王を達成した 同日より 前述のYouTubeチャンネルを発展させて 無料短編動画中心配信サービス テレビバ を開始 配信先は 日テレTADA チルテレ 他計8箇所 YouTubeを含む残る三箇所では アニメ専用チャンネルと分割している為 計6箇所になる 2019年 0 1月29日 麹町分室隣接地に建設された新スタジオ棟 日本テレビ番町スタジオ が稼働開始 これに伴い旧来の麹町分室のスタジオは完全に運用を終了し 順次解体される 2020年代 2020年 10月0 1日 全番組の提供クレジットから黒い縁 白テロップ表記を撤廃し 各社提供 ネットセールス ローカルセールスを含めてカラー表記に統一 系列局もカラー表記に統一させた 2021年 0 4月0 1日 日テレNEWS24 日テレジータス の運営を 従前から 日テレプラス を運営してきたCS日本に移管 一本化 10月0 2日 同日19時から 日テレ系ライブ配信 の正式サービスを開始した 民放5系列局の中で同時配信を常時実施するのは初めてとなった 11月12日 電子書籍の配信を行っているビーグリーとの間で資本 業務提携契約を締結 12月29日 株式公開買付けにより ビーグリーの株式を議決権所有割合ベースで25 43 取得 ビーグリーは日本テレビホールディングスの持分法適用関連会社となる 2022年 0 4月0 1日 日テレ系ライブ配信 のサービス名を 日テレ系リアルタイム配信 に変更 2023年 0 1月0 1日 製作著作クレジットの表記を開局70周年仕様 共に 0テレ 0を貫通する形で7が串刺しになっている の下に NIPPON TV 70th Anniversary に変更 ウォーターマークも変更されたが クレジットの表記とは少し異なり ロゴの下に NIPPON TV のみの表記となっている EPG Gガイド で表示されるロゴも開局70周年仕様 紫色を基調としたもの に同年1月中に変更された 0 3月12日 同日から同月19日まで テレビ放送70年 NHK 日テレ コラボウィーク を実施 0 5月19日 ファッションECサイトを運営しているla belle vieの全株式を取得し 完全子会社化した 0 8月28日 開局70周年 0 9月0 5日 eスポーツイベント制作会社のJCGの株式を取得し 子会社化した 10月0 6日 アニメ制作会社のスタジオジブリの株式42 3 を取得し 子会社化した 10月10日 ニュースサイトを 日テレNEWS NNN に改題 リニューアル 社史 記念誌 日本テレビでは 以下の2冊を発行している 2024年3月時点 大衆とともに25年 日本テレビ放送網株式会社 編 1978年8月発行 全2冊 沿革史 写真集 テレビ夢50年 日本テレビ50年史編集室 編 2004年3月発行 全9冊 経営編 データ編 番組編1 6 DVD ROM編 歴史開局前後の経緯 日本テレビ放送網は1953年8月に放送を開始した 正式社名が 日本テレビ放送網 であるように 元々は一社で日本全国にテレビネットワークを形成することを計画して設立された 1951年9月に読売新聞社の正力松太郎によって日本テレビ放送網構想が公表され 日本各地に直営局を持つ放送 通信網 テレビ放送に限らない多重通信網 マイクロ中継網 が想定されていた 正力構想 1952年7月に電波監理委員会から予備免許を付与されたが 免許方針ではさしあたり東京に2 3局 他の都市では1 2局を置局するとされた 本放送開始後も正力はマイクロ中継網を諦めてはいなかったが マイクロ回線を専用線として貸し出す方針を示していた電電公社や テレビ事業への進出を検討していた新聞業界から反発 1953年9月の新聞社69社の反対声明 を受けた さらに1954年12月に衆参両院の電気通信委員会が民間へのマイクロ回線業務を認可しないとする決議を行ったことで正力構想の実現は困難となった マイクロ中継網については建設のための巨額の経費や公衆電気通信法による第三者への賃貸禁止などの問題もあった こうして関東広域圏の放送局としての方向性が定まった 開局当日の番組編成 1953年8月28日 11 20 放送開始 第一声は JOAX TV こちら日本テレビでございます 11 20 記念式典 の実況中継 当時の内閣総理大臣 吉田茂が開局の祝辞を述べた 11 50 祝賀舞踊 寿式三番叟 12 00 精工舎 現 セイコーホールディングス 提供の正午の時報CMが放映される予定だったが 人為的ミスで映像が裏返しに映り 無音の状態で放送された テレビCMの第1号であり 放送事故の第1号となった 12 00 歌の祭典 12 30 記録映画 上代の彫刻 13 00 NTVニュース 天気予報 ここで一旦 放送休止 テストパターン画像が放送された 17 30 放送再開 日本南方民謡集 17 40 テレビ浮世絵 17 55 リサイタル 18 10 国際ニュース 18 20 週間テレニュース 18 40 記録映画 天竜川 19 00 精工舎 現 セイコー のCMが放送された 12 00とは異なり 今度は無事に放送された これが実質的なコマーシャルの第1号 19 00 花競祝写絵 19 45 劇場中継 ニューヨーク幻想曲 会場 帝国劇場 21 00 記念式典 の録画中継 21 15 テレニュース 21 30 放送終了開局から1980年代まで 開局当初 テレビ受像機のない家庭が殆どであったため 広告媒体としての民放テレビをアピールすべく 首都圏の主要箇所に街頭テレビを設置 テレビ普及に役立てた また 麹町局舎横のテレビ塔を展望目的に一般へ公開 東京タワーができるまでは観光名所となっていた 開局2日目にして 巨人 阪神戦 の中継を行なったプロ野球やプロレス プロボクシングの試合中継などのスポーツ番組や なんでもやりまショー などのバラエティー番組に強みを持ち ラジオ東京テレビ 現在のTBSテレビ 開局後も営業成績では上回っていた 特に後楽園スタヂアム 現在の東京ドーム と同社施設の独占中継権を掌握していたのが有利に働いた 1956年 午前6時台からの早朝放送開始 1957年には放送時間を23時まで延長 一日約10時間のレギュラー放送となる 日本民間放送連盟には当初加盟しておらず 日本テレビの加盟は開局から5年後の1958年3月であった 電波の送信もNHKや他の民放とは異なり 東京タワーではなく自社鉄塔からの送信を継続した 正力タワー 構想と対抗して計画された2案の NHKタワー 東京タワーより低い麹町の自社鉄塔からの送信は 局舎周囲に高い建物が増加するにつれ難視聴地域を拡大させた このため 正力は新宿区東大久保一丁目 現 新宿六丁目 に用地を確保 東京タワーの333mより高い550mの高さを有する 通称 正力タワー を1968年に構想する タワーの下には100階建てと200階建てのビルを数棟建てる予定であった ところが 正力タワー 構想発表後の翌1969年3月5日には 当時内幸町 東京放送会館 に位置していたNHKが渋谷に計画していた現在のNHK放送センター敷地内に 正力タワー よりもさらに高く 現在の東京スカイツリーの高さに匹敵する600m級の 当時としては世界最大の電波塔となる予定であった 当時の世界最大の電波塔はオスタンキノ タワーの537mであった NHKタワー の建設計画を発表した いわゆる 渋谷案 が この構想は 正力タワー と同様に頓挫した 渋谷案 は同年7月に建設計画が発表され 高さ200mまでは鉄骨の四本足で支え そこから高さ550mまではステンレスで覆った直径15mの円筒形になり さらにこの上に直径212 5m 長さ50mのアンテナを取り付ける また 重量はオスタンキノ タワーの約4分の1の7000 8000tと軽量なタワーとする という計画であった なお これとは別の案として 同じく同年7月にはNHKは代々木公園の敷地内に 渋谷案 および 正力タワー よりも低いものの それでも当時は相当な高さの電波塔計画であった 高さ488m 最大直径40mの電波塔を建設する計画 いわゆる 代々木案 もほぼ同時に打ち出した こちらも NHKタワー の名称とする計画であった この 代々木案 では総工費は65億円で 最上部の展望台は4層構造 300人収容できる回転レストランを併設する計画であったが こちらも頓挫した なお 代々木案 が 渋谷案 と大きく異なるのは 渋谷案 では純然たる電波塔で計画されていたのに対し 代々木案 では付帯設備としてレストランを併設した施設として計画していた点であった この対抗的に出された NHKタワー 計画に 正力は 同じようなものは2本 正力タワー と NHKタワー とを合わせた数 も要りません と言い放ち さらに 最近になって計画らしいものを出し まだ建築申請書も出していない NHKタワー と 正力タワー とを 一緒にされ 競合などとするのは筋違いではないか とNHKを非難した これに対してNHK側も 正力さんの 正力タワー は観光塔じゃないですか NHKタワー でも 代々木案 が付帯設備を設けているものの 計画では主な利用目的を電波塔としての位置付けとしていた と批判 また NHKが民間放送に対して恒久的に施設を借りた例は今までにない そんなことをしていては視聴者に対しての責任が持てない と正力の批判に反論した 西大久保に建設予定であった 正力タワー に対抗するかのように 有力候補地を2案出していた NHKタワー は 東京タワーを使用していたNHK教育テレビ用のアンテナと当時紀尾井町に位置していたNHK総合テレビ用電波塔 高さ82m より電波を送っていたNHK総合テレビの電波塔を NHKタワー へと移転統合する計画であったが NHK局舎の内幸町から渋谷への移転までに計画は立ち消えとなった 正力は1969年10月9日死去 正力の没後 正力タワー の建設計画の消滅 およびそれに関連しての東京タワーへの送信所移転が行われた 正力タワー を予定していた用地は後に日本テレビゴルフガーデンとしてオープンした 正力没後の改革 当時読売新聞社主であった正力が社長を務めていたことで 大阪の完全系列局である読売テレビの開局が 大阪読売新聞 の部数増に繋がったことなどの事例もあったが いくら強いコンテンツを持っていても 読売色 を警戒する地方局が多く ネットワーク形成ではTBSの後手に回った このため報道が手薄になり かつ番組販売も芳しくなかった これはTBS自身が新聞社の色を薄め 結成当初から特定の新聞との関係を持たないようにしてネットワーク形成を構築したためである 加えて上記の通り難視聴地域が増加したこと さらに肝心の自社制作番組そのものが不振となり 1960年代半ばから業績は下降した 正力の没後 粉飾決算の公表もなされた一方で 名古屋地区の中京テレビへの単独ネット化 読売新聞への完全系列化 ラジオ日本との提携など 正力の娘婿である小林與三次の手で改革が行われ 一連のバラエティー番組が気を吐いて視聴率は持ち直す その後 朝枠に ズームイン 朝 などの情報番組を投入し 夕方の報道番組も強化した しかし ようやく持ち直した視聴率も1980年代当時 軽チャー路線 で成功し視聴率三冠王に輝いていたフジテレビの後塵を拝し 番組制作現場では どうすればフジテレビに勝てるのか を常に研究していたという 1990年代以降 日本テレビは とにかく視聴者が興味を持つ内容を番組制作や内容に盛り込むことで 高い視聴率を確保しようとし 番宣バラエティ番組として平日の なんだろう 大情報 週末の TVおじゃマンボウ TVおじゃマンモス を それぞれ1993年から開始することで 視聴者へのPRを行った 1990年代は1980年代末に発足した社内チーム クイズプロジェクト によって バラエティ番組 クイズ世界はSHOW by ショーバイ マジカル頭脳パワー が登場 早朝5時台に あさ天5 を立ち上げ ジパングあさ6 や ズームイン 朝 などの報道 情報番組が人気コンテンツとなる 1993年夏頃から バラエティー番組や巨人戦中継などの人気番組を持つ日本テレビはフジテレビを追い抜くと その勢いも次第に強まっていった 1994年から2003年に10年連続 年間視聴率四冠王 1994年度から2002年度に9年連続 年度視聴率四冠王 ゴールデンタイム プライムタイム 全日に更にノンプライムを加えての表現 を達成した 更に 月間四冠王 を史上最高となる46か月連続で達成し 2000年には史上初となる機械式視聴率調査を行っている26局の系列局すべてが年間 年度視聴率三冠王を達成するなど一時代を築いた また 他局に先駆けて時代劇の制作 放送からいち早く撤退し 2004年の正月に放送された 丹下左膳 を最後に 時代劇の制作から一切手を引いている しかし2003年度には 視聴率買収事件の発覚や巨人戦中継の視聴率低下によるプライムタイムでの視聴率低迷の結果 プライムタイムが2位になりフジテレビに抜かれ 2004年度 2004年4月 2005年3月 の調査では 全部門で2位となり 三冠王 のタイトル全てをフジテレビに奪われた 2000年代前半には 長寿番組や人気番組が続々と終了した スポーツ番組 全日本プロレス中継 2000年夏 を皮切りに 午前の帯番組 ルックルックこんにちは 2001年春 ズームイン 朝 2001年秋 ドキュメンタリー教養番組 知ってるつもり 2002年春 情報バラエティ番組 特命リサーチ200X 2004年春 サスペンスドラマ枠 火曜サスペンス劇場 2005年秋 夕方の報道番組 NNNニュースプラス1 2006年春 昼の生活情報番組 午後は おもいッきりテレビ 2007年秋 民放テレビ局最長寿の報道番組 NNNきょうの出来事 2006年秋 といった番組が次々と打ち切られた結果 2000年代前中盤の数年で日本テレビのタイムテーブルはほとんど塗り替えられた また 一部のバラエティ番組も視聴率が低下傾向にあったため 2009年春改編で19時台に帯番組 SUPER SURPRISE を新設し 改編時点で 開始10年以上経過していた番組は全て20時台に移行 集約させた 移行後も番組の人気は安定しており 月 木曜の20時台番組は全て開始20年を越す長寿番組となっている 2000年代終盤以降はスポンサーニーズの高いコアターゲット層 T層 F1層 F2層 を意識した番組編成が功を奏し 全時間帯での視聴率向上に成功している 2008年 2009年には2年連続でノンプライム帯での年間 年度視聴率首位を獲得した 2011年には8年ぶりに 年間視聴率三冠王 2011年度には9年ぶりに 年度視聴率三冠王 をそれぞれフジテレビから奪還した 2013年12月第2週 12月9日 15日 から2017年11月第1週 10月30日 11月5日 には歴代新記録となる204週連続 週間全日トップ を記録した 2013年7月から2018年9月には在京局歴代最高記録となる63ヶ月連続 月間全日帯視聴率トップ を獲得した また 2013年12月から2018年9月には在京局歴代最高記録となる58ヶ月連続 月間視聴率三冠王 を獲得した 2014年には3年ぶりに 年間視聴率三冠王 2014年度には3年ぶりに 年度視聴率三冠王 を奪還 また 放送収入 地上波放送におけるタイムCMとスポットCMの年度売上高の合計 でもフジテレビを追い抜き 民放トップに躍り出た 2015年1月第5週から6月第2週には歴代最高記録となる20週連続三冠王を達成した 2015年には年間売上高でも3000億円の大台を突破して前年まで31年間首位だったフジテレビを追い抜き 民放トップに躍り出た 2016年には 週間視聴率三冠王 を年間で49回獲得し 1991年にフジテレビが記録した年間46回の記録を抜いて民放新記録となった 2016年6月第4週 6月20日 26日 から2017年3月第1週 2月27日 3月5日 には民放歴代新記録となる35週連続 週間視聴率三冠王 を獲得した 2019年には6年連続となる 年間視聴率三冠王 2019年度には6年連続となる 年度視聴率三冠王 を獲得した また それまでKPI 重要業績評価指標 としていた 世帯視聴率 を より正確に誰にどれくらい視聴されているかが分かる 個人視聴率 に全面的に移行させた 2021年には11年連続となる 年間個人視聴率三冠王 7年連続となる 年間個人視聴率五冠王 9年連続となる 年間コア視聴率三冠王 8年連続となる 年間コア視聴率五冠王 をそれぞれ獲得した 2021年度には歴代最長の9年連続となる 年度視聴率三冠王 個人 を獲得した 2022年には12年連続となる 年間個人視聴率三冠王 を獲得した 特徴日本テレビの中継車日本テレビの中継車 新春スポーツスペシャル箱根駅伝中継の場合 箱根駅伝の先頭を走る日本テレビの中継車 日本テレビは日本のテレビ業界において 新しい放送媒体 放送形式を積極的に早く導入し 導入するや否やその媒体を用いた放送を定着させてきた事で有名である 放送免許取得や民間資本による開局 本放送開始はもちろんのこと コマーシャルの放送 カラー放送 音声多重放送 世界初 ワイドクリアビジョン放送 洋画の日本語吹き替え放送 L字型画面 データ放送 ワンセグ放送独自番組放送 非サイマル放送 3D立体映像での生放送 ネット動画配信サービス 放送中のドラマ全話無料配信も日本の民間放送では日本テレビが初めてであった スポーツ中継についても プロ野球中継におけるバックスクリーン横 センターカメラ の導入 王貞治のための ホームランカメラ の導入 審判カメラ の導入 完全3D映像による中継の実現 サッカー中継におけるゴール内部への小型カメラの設置など 他局に先駆けて新たな中継技術を開発した また 第3回世界陸上では世界で初めて写真判定を中継に取り入れた 選挙特番における出口調査を全国規模で導入したのも日本テレビ報道局が最初である 2000年代頃から環境問題に関して積極的に取り組んでいる 2003年3月に 日テレ エコ委員会 を発足させ 在京民放キー局として初めてISOの環境マネジメントシステム規格ISO 14001の認証を取得したほか 2004年から毎年6月5日の世界環境デーを含む1週間を 日テレ系ecoウィーク と題し 期間中は番組やイベントを通して環境問題を提起している テレビ放送の開始年が日本テレビと同じ1953年で共通している日本放送協会 NHK と連携する機会も多く 2010年には つなげよう ecoハート 2021年には 国際ガールズ デー などをテーマに同局とコラボレーションして啓発キャンペーンを繰り広げた また 2013年 テレビ放送開始60周年 と2018年 テレビ放送開始65周年 2023年 テレビ放送開始70周年 には共同で特別番組も制作し 両局にて放映している 宮崎駿率いるスタジオジブリとの関係が深く 同社の作品をほぼ独占的にテレビ放映する権利を持っている また 日本テレビのマスコット なんだろう も宮崎駿が手掛けたものである 2023年10月に同社の株式4割超を取得し 子会社化することを同年9月に発表した 2021年現在 民放キー局の中では唯一時代劇や2時間ドラマの制作を行わず 再放送枠も設けていない そのためドラマ番組は自社系の衛星放送 BS日テレ 日テレプラス での再放送がメインとなる バラエティ番組については土曜 日曜の14 16時台に当該番組の宣伝も兼ねて再放送されることが多く ドラマ番組も同枠で集中方式で再放送を実施することもある かつては 他の民放キー局に比べて収入全体に占める放送収入の割合が著しく高い状態であったが 現在は映画事業 通販事業 イベント 文化事業などによる放送外収入も広げている 全日本仮装大賞 や そっくりスイーツ といった自社制作番組のフォーマット販売も積極的に行っており 海外事業による収入も増加しつつある なお 海外販売で最も大きな売上を占めているのは2000年代前半に制作 放送された マネーの虎 でこれまでに番組フォーマット輸出された国は2024年3月の時点で50か国に上る 映画事業に関しては スタジオジブリ作品や 名探偵コナン シリーズ 細田守監督作品などのアニメ映画のほか デスノート 20世紀少年 シリーズ カイジ シリーズ GANTZ など少年漫画 青年漫画の実写化がある データ放送では鉄道運行情報を表示しており JR東日本線の運行情報をJR東日本公式で表示しているテレビ局である また 歌スタ は在京キー局の中で深夜番組としては最初にデータ放送を導入した番組である インターネット インターネット事業に関しては積極的に展開している 一例として ウェブサイトの充実にも取り組み 公式ウェブサイトアクセス数も在京民放テレビ局の中で首位を獲得している ビデオ オン デマンド VOD 事業にもテレビ局としては早く参入し 日本初のテレビ局主導のインターネット動画配信サービス 第2日本テレビ を運営していた 2012年10月から 日テレオンデマンド ゼロ に改称 完全無料化も功を奏し テレビ局が運営するVODサービスの中で再生回数トップを誇り 2009年1月には単月黒字化に成功した 2010年12月からは有料動画配信サービス 日テレオンデマンド の運営も開始した 2014年には一部の番組を放送後7日間パソコンやスマートフォンで無料視聴できる 日テレいつでもどこでもキャンペーン を開始した 2014年には Hulu から日本市場向けの事業を継承し 定額制動画配信サービスにも参入しており 最終的にはVOD事業はHuluに統一が採られている なお Hulu以外の定額制動画配信サービスとの提携や自社制作番組の供給も行っており 2021年10月にNetflixと提携し 日本テレビが制作したドラマやバラエティー番組など 30作品を日本と中国を除くアジア各国への配信を開始したほか 2022年3月にはバラエティー番組 はじめてのおつかい を世界190以上の国と地域に配信した 2023年3月には初の同サービスとの共同制作番組となる 名アシスト有吉 も世界配信した また 2022年3月10日にウォルト ディズニー ジャパンとの間でも戦略的協業に関する合意書を締結し 同年4月から放送された 金田一少年の事件簿 をウォルト ディズニー カンパニー傘下の定額制動画配信サービスであるDisney でも日本とほぼ同時期に世界配信を行った 2024年4月にはAmazon comとの協業により 同月から放送予定の ACMA GAME アクマゲーム を同社傘下の定額制動画配信サービスであるAmazon Prime Videoでも見逃し配信並びに世界配信を行う予定となっている 2020年10月からは日本の民放テレビ局で初となるテレビ番組のインターネット同時配信サービスである 日テレ系ライブ配信 現 日テレ系リアルタイム配信 を試験的に開始し 同年12月30日でいったん終了 2021年10月2日より本格運用を開始した 本社 支社 支局東京 汐留にある日本テレビタワー日本テレビタワー 新橋駅方向より 本社東京都港区東新橋1丁目6 1 日本テレビタワー 通称 汐留 麹町分室 番町スタジオ 旧本社 東京都千代田区二番町14 5 通称 麹町 生田スタジオ神奈川県川崎市多摩区菅仙谷3丁目20 1八王子支局 既に閉局 別地域に移転 東京都八王子市本町24 8 読売八王子ビル横浜支局横浜市中区長者町5丁目85 三共横浜ビル 旧明治安田生命ラジオ日本ビル 4階前橋支局群馬県前橋市大手町3丁目7 1 読売新聞前橋支局関西支社大阪市北区堂島2丁目2 2 近鉄堂島ビル14階名古屋支局名古屋市中区栄3丁目14 7 RICCO栄6階那覇支局沖縄県那覇市久茂地1丁目3 1 久茂地セントラルビル5階設備組織図 監査役協議会 取締役会 ICT戦略本部 グループ推進本部 社長室 総務局 メディア戦略局 海外ビジネス推進室 コンプライアンス推進室 人事局 経理局 営業局 事業局 編成局 情報 制作局 スポーツ局 報道局 技術統活局スタジオ汐留 日本テレビタワー 詳細は 日本テレビタワー を参照 ゼロスタジオ日本テレビ麹町分室 旧本社 日本テレビ番町スタジオ 汐留の日本テレビタワーの本社スタジオ機能は2004年2月29日に稼働し 生放送の報道 情報番組と一部のバラエティ番組が制作されている 以前は19階は日テレグループ各社や韓国SBSなど海外テレビ局の東京支局 20階から24階には一般企業が入居していたが 現在はすべて日本テレビグループの企業が入居している 20階には準キー局である読売テレビと系列局の南海放送の東京支社も入居している 旧本社 南本館にあったマイスタジオの名称は汐留移転後も使用されている S1スタジオ 13階 211坪 S2スタジオ 13階 138坪 上記2スタジオはバラエティ 報道 情報番組番組向けの収録 生放送対応スタジオ S3スタジオ 9階 148坪 S4スタジオ 9階 148坪 上記2スタジオは報道 情報番組向けの生放送対応スタジオ NEWSスタジオ 5階 130坪 隣接する報道フロアからも放送できる SVスタジオ 13階 71坪 バーチャルスタジオとして使用される SKY1スタジオ 15階 31坪 SKY2スタジオ 15階 31坪 タワートップスタジオ 32階 上記3スタジオは共に都心の眺望が特徴 マイスタジオ 2階 92坪 ゼロスタジオ 1階 22坪 汐留AX 1階 旧 テレビバ 上記3スタジオはオープンスタジオ ゼロスタジオはサテライトスタジオでもある 麹町分室 詳細は 日本テレビ放送網麹町分室 を参照 汐留 日本テレビタワーに本社が移転された後も 旧社屋は麹町分室 日テレ麹町ビル として北本館にある2つのスタジオと南本館にある貸しスタジオに限り 引き続き使用していた 日本テレビで最大面積のGスタジオがあることから 主に観客入れや出演者が多い番組が収録されている また制作部門の一部デスクは分室に留まった また 日本テレビグループ企業の本社が入居し CS日本 以前はBS日テレも の本社と送出マスターもここにあった 周辺には バップなど日本テレビの子会社 関連会社が入居する別館群がある 旧西本館は一般テナントビルとして使用されていた 麹町社屋は 西本館 南本館 北本館 カラーセンター の4棟から成り立っており カラーテレビ放送開始に伴い建設された カラーセンター が後に新築された南本館と合体化された しかし旧 カラーセンター 棟は老朽化が激しく 棟内にあったHスタジオとJスタジオは本社移転を契機として使用を中止した 2019年1月 北本館隣接地に新築された番町スタジオの運用開始に伴い使用を完全に終了 旧社屋は順次取り壊されている Kスタジオ 北本館5階 167坪 バラエティ 音楽番組向けの収録スタジオ Gスタジオ 北本館1階 250坪 バラエティ 音楽番組向けの収録 生放送対応スタジオ Vスタジオ 北本館5階 70坪 当初はバーチャル専用スタジオとしてKスタジオの美術倉庫の一部を改装して作られた 本社機能が汐留に移転した後も主に小中規模の番組の収録で利用されていた STUDIO NiTRo CUBE 南本館4階 65坪 NiTRoが運営する貸しスタジオ バラエティ 通販番組向けの収録スタジオ 旧本社時代はEスタジオと呼ばれていた 番町スタジオ 旧社屋である麹町ビルの老朽化が進んでいるため 4K放送などの新しい機能を備えたスタジオとして 麹町ビルの隣に建設された 地上11階 地下5階 高さ59 9m 鉄塔含む高さ99 9m 延べ面積33 600 のテレビスタジオ 2016年2月着工 2018年8月竣工 全体の竣工は2020年12月 2019年1月29日運用開始 名称は公募で選ばれた 住所の 二番町 が由来になっている C1スタジオ 265坪 C2スタジオ 265坪 上記2スタジオは日本テレビでフロア面積最大のスタジオとなる 収録 生放送 4K放送対応 C3スタジオ 124坪 C4スタジオ 38坪 新社屋 旧社屋の扱いについて 2004年に日本テレビの本社機能はデジタル放送に対応するため 開局以来本社を置いていた千代田区二番町 通称 麹町 から港区東新橋 通称 汐留 に移転した しかし 移転後に本社機能 番組収録を全て旧社屋から新社屋にシフトしたTBSやフジテレビとは違い 日本テレビは麹町社屋がさほど老朽化していなかった事や 新社屋の敷地面積が他の在京民放の社屋より狭いことなどから 本社機能と報道 情報番組制作 一部のバラエティ番組制作が 日本テレビタワー にシフトし バラエティ番組の多くが汐留に本社を移した後も2019年1月まで 麹町分室 で制作されており BS CS放送の番組送出は麹町で行っていた こうした機能分散の例はテレビ朝日六本木ヒルズ完成前の時代 アークヒルズのスタジオ建設や本社機能移転 などがある 2019年1月に麹町分室北本館隣接地に新築された番町スタジオへとその機能が引き継がれたが 今後も麹町の地での番組制作を継続する 麹町分室 番町スタジオ ともに 番組収録については各副調整室でVTRなどに収録した上で編集作業などを行い放送されていたが 生番組について 麹町分室 では 日本テレビタワー 以後 本社 と表記 の主調整室と映像 音声や各種制御系回線が直接接続されていなかったため 本社内の副調整室 所謂 受けサブ を開き そこで一旦回線を受けCM出しなど制御系の調整を行ってから主調整室へ送る必要があった それに対し 番町スタジオ では館内に 回線室 を設け 各副調整室と本社主調整室の映像 音声や各種制御系回線を接続できるようにした これにより本社側に副調整室 所謂 受けサブ を開かず 番町スタジオ 内の設備のみで直接生放送ができるように改められた 麹町分室 時代は BS CSの主調整室 送出マスター が分室に置かれていたため 本社で制作された番組を光回線で送り 分室から放送されていたが その後本社内にBS CSも統合した主調整設備が完成し運用開始したことにより 2021年時点では番町スタジオで制作された番組は地上波 BS CSすべてが光回線で本社へ送られている 本社主調整室から地上波は東京スカイツリー 東京タワーは予備送信所 で関東一円へ ネット向け回線で全国のネット局へ さらにBS CSはそれぞれの衛星へのアップリンク施設を通じ送られ 放送に至っている 汐留 麹町間はスタッフ専用のシャトルバスで結ばれている 六本木再開発時代のテレビ朝日も同様 生田スタジオ 詳細は 生田スタジオ を参照 スタジオ技術は子会社のNiTRo 旧NTV映像センター が請け負っている 災害時の送出機能も備えている 第1スタジオ 260坪 第2スタジオ 200坪 上記2スタジオはドラマ制作用スタジオ 第3スタジオ 200坪 バラエティ番組制作用スタジオ 番組編成ニュース 報道番組については 日本テレビ 報道局制作番組の分野別一覧 を スポーツ 情報番組の具体的な番組については 日本テレビ スポーツ 情報局制作番組の分野別一覧 を 上記以外の番組については 日本テレビ制作局制作番組の分野別一覧 を 報道特別番組については 日本ニュースネットワーク 報道特別番組 を参照 ワイドショー 情報番組が多く制作されており ノンプライム帯に占める生放送の割合が高い 現在 月曜日 木曜日は午前4時30分から午後7時まで一部のミニ番組を除き生放送番組が連なっている 読売テレビ制作の 情報ライブ ミヤネ屋 を含む この分野を得意としている日本テレビはゴールデンタイム プライムタイム 全日に加え ノンプライムも視聴率の1つの区分として重要視している スポーツ中継 巨人戦のプロ野球中継は開局当時から ドル箱番組 として日本テレビの番組編成の中心となっていたが 2002年を境に視聴率低迷が続き 2006年には年間平均視聴率が1桁を記録 これにより視聴率とスポンサーの点で特に大きく依存してきた日本テレビは大きなダメージを受けた その後はゴールデンタイムのレギュラー番組を優先する編成方針から 東京ドームの巨人主催試合の放映権をNHKや他局に譲渡 あるいはBS日テレへ移行させるなどした結果 2009年以降の巨人戦の地上波中継は年間20試合前後にまで削減された 中継は週末デーゲームが中心で ナイター中継は年間5試合程度となっている 詳細は DRAMATIC BASEBALL を参照 メジャーリーグベースボール MLB については放映権料の高騰を理由として 代理店との間で放映権の契約を交わしていないため 原則として 2009年から同リーグの中継を行っていない また 同年から2022年シーズンまで 同リーグの試合映像の配信も受けていなかったため 日本テレビ系列のニュース 情報番組でMLB関連の話題を報じる際は現地の新聞社や通信社などから提供を受けた写真 静止画 を使用していた なお 同年以降もMLBの公式戦を日本の東京ドームにて行う際はMLBとの間で個別に放映権を購入した上で生中継を行っている 野球以外では1987年から箱根駅伝の中継権を獲得し 新春スポーツスペシャル箱根駅伝 として完全中継を実施しており 毎年20 以上の高視聴率を記録する正月の人気番組となっている サッカーは 全国高校サッカー選手権 の幹事局であり 系列局29社およびTOKYO MXを除く全国独立放送協議会12社 宮崎放送 JNN 沖縄テレビ FNS と中継の共同制作を行っている Jリーグ中継は 2009年まで当時親会社となっていたヴェルディ川崎 東京ヴェルディの主催試合を深夜枠中心に放送した 過去には開局当初から日本プロレスの試合中継である 三菱ダイヤモンドアワー 日本プロレス中継 を編成して人気を博し 1972年に 全日本プロレス中継 に移行したが2000年で終了 その後は プロレスリング ノア中継 に移行したが 視聴率低迷を受けて2009年3月末を以て終了 以降地上波でのプロレス中継は行われていない 他のキー局に比べて国際試合の中継数は少なく ジャパンコンソーシアムが放映権を保有している国際大会を除き 2022年現在放映権を保有している大会はFIFAクラブワールドカップ 2005年大会から ラグビーワールドカップ 2007年の第6回大会以降 とFIBAバスケットボール ワールドカップ 2023年開催予定の第19回大会 のみである かつては世界陸上やワールド ベースボール クラシックの中継も実施していたが いずれも他局に譲る形で撤退している バラエティ番組 1960年代から1970年代に掛けて 光子の窓 シャボン玉ホリデー 巨泉 前武ゲバゲバ90分 などの名番組を制作 1980年代には 久米宏のTVスクランブル や 天才 たけしの元気が出るテレビ といった話題作はあったものの 全体的には視聴率も低迷 1990年代以降は クイズ世界はSHOW by ショーバイ マジカル頭脳パワー や土屋敏男演出番組 電波少年シリーズ ウッチャンナンチャンのウリナリ が人気を博し その勢いを取り戻した 一時期までは ロンパールーム や カリキュラマシーン などの教育番組にも取り組んでおり 2021年現在は 所さんの目がテン が制作 継続されている 1966年から放送されている 笑点 は全国ネットで放送されるバラエティ お笑い番組ではギネス世界記録を持つ長寿番組であり 日曜夕方の放送ながら現在も視聴率15 前後を叩き出す人気を誇っている 他局と比較してゴールデンタイム プライムタイムで放送されているバラエティ番組の本数が非常に多い 2023年現在 月 木曜の20時台で放送されているバラエティ番組は全て放送開始から20年を越す長寿番組となっている 日曜日に至っては15年以上続く長寿番組が集中していており 特に2007年の イッテQ がゴールデンタイムに進出後は 笑点 から おしゃれ シリーズの番組編成が15年以上続いている また 一部のバラエティ番組は情報エンターテインメント局で制作されている 番組の開始時間を00分の定時ではなく 55分や57分などのいわゆるフライングスタートをキー局でいち早く導入した局である ドラマ 開局当初の麹町旧本社屋はドラマ撮影に対応可能な広いセット設備を持たなかったことから ドラマ製作にあたっては日活や大映など各映画会社の撮影所を使用し フィルム撮影によるテレビ映画の製作に力を入れていた この制作方針は 自局製作によるスタジオドラマを得意としていたライバル局のTBSとは対照的なものであった とりわけ国内の映画産業が斜陽化した1970年代から1990年代初頭にかけては東宝や石原プロモーションなど外部の映画製作プロと提携し 現代劇では 青春とはなんだ おひかえあそばせ 傷だらけの天使 俺たちの旅 大都会 刑事貴族 時代劇では 伝七捕物帳 子連れ狼 新五捕物帳 桃太郎侍 長七郎江戸日記 などを放送 特に刑事ドラマはその国産第1号とされる ダイヤル110番 以来同局の十八番と言われ 1972年にスタートした 太陽にほえろ は最高視聴率42 5 ニールセン調べ を記録 レギュラー放送期間も15年近くに及ぶ人気番組となった 1980年代後半には あぶない刑事 がヒットし 令和以降も断続的ながらスタート当初のキャストのままでシリーズ展開が行われるなど 世界的にも類を見ない長寿コンテンツとなっている 生田スタジオの運用開始以降は自局製作による一般ドラマも積極的に手掛け 前略おふくろ様 熱中時代 天まであがれ 妻たちの課外授業 家なき子 金田一少年の事件簿 などをヒットさせている この他 二丁目の未亡人は やせダンプといわれる凄い子連れママ に始まる 長いタイトルシリーズ などのユニークな試みも行っており 七丁目の街角で 家出娘と下駄バキ野郎の奇妙な恋が芽生えた は日本のテレビ番組史上最も長いタイトルとされている 現在 プライムタイムで放送されている全国ネットの連続ドラマ枠は 土ドラ9 土ドラ10 日曜ドラマ の3本 これは他局並みの数だが ごくせん 家政婦のミタ あなたの番です などヒット作も数多い 土ドラ9 は女性層 土ドラ10 はファミリー層 もしくはティーンエイジ層を意識した作品を放送している 日曜ドラマ は 大人の男性も楽しめて 月曜日へ弾みになるドラマ をコンセプトとして近年では1年に1本必ず学園ドラマ それも多くが高校が舞台のものである が編成されている 2017年度以降は3枠とも開始時間が22時以降となっており 全国ネットでは最も遅い編成を組んでいる また キー局では唯一 21世紀以降に20時台にテレビドラマ枠を編成したことがない そして 2024年春改編で土曜21時枠にドラマ枠 土ドラ9 を新設し 土曜22時台の 土曜ドラマ は 土ドラ10 に改名され 日本テレビの土曜日で2時間連続のテレビドラマ枠が組み込まれることとなる なお 上記に挙げられている現在放送中のプライムタイムの連続ドラマ枠では すべてステレオ放送 文字多重放送 連動データ放送を実施しているほか 2017年10月期以降に放送される作品にはそれらに加え 解説放送も随時実施している 更に 2019年度以降に放送される作品は原則として初回 最終回などの放送時間拡大を廃止し 通常放送時と同様の放送時間になっている また2018年から断続的に ZIP 内で連続短編ドラマを展開するなど 放送枠の概念を超えた試みを積極的に行っている アニメ 特撮 トムス エンタテインメント 旧 東京ムービー との繋がりが強く 自社製作では ルパン三世 シリーズ それいけ アンパンマン 読売テレビ製作では 名探偵コナン などを放送 また スタジオジブリ制作のアニメーション映画作品にも参加するなど アニメ史上重要な映画作品を多数製作している 1973年には ドラえもん を現在放送中のテレビ朝日版に先駆けてアニメ化した実績も持つ 特撮番組は円谷プロダクションの初期の代表作のひとつである 快獣ブースカ をはじめとして ファイヤーマン 流星人間ゾーン スーパーロボット レッドバロン 星雲仮面マシンマン 電脳警察サイバーコップ などを放送 1978年には開局25周年記念作品として製作された 西遊記 がヒットした 1980年代 1990年代前半は日曜午前や平日夕方に数多くの自社制作の30分連続テレビアニメ枠が存在していたが 2022年現在は 自社製作の30分連続テレビアニメ枠は金曜午前に それいけ アンパンマン を持つほか 金曜ロードショー でも長編アニメを放送する この他 いわゆる 深夜アニメ もキー局としては黎明期から積極的に放送しているが 他キー局と比べて時おり休止したり 放送曜日の変動が激しい傾向がある 詳細は 日本テレビの深夜アニメ枠の項 を参照 一部の深夜アニメ作品についてはHuluで日テレでの本放送より早く配信を行っている 子会社としてアニメ制作会社 マッドハウスやタツノコプロを保有しているため この2社が作った深夜アニメを放送する事も多い 系列局の制作番組 他系列に比べ 系列局が全国ネットの番組を制作する機会が多い 現在 読売テレビは土曜日17時台後半のアニメ 名探偵コナン 土曜日18時台 秘密のケンミンSHOW 秘密のケンミンSHOW極 木曜日21時台 ダウンタウンDX 木曜日22時台 木曜ドラマ 木曜ドラマF モクドラF 木曜ドラマ 金曜日0時台 木曜日深夜 2020年以降の一部の 日曜ドラマ 日曜日22時台後半 23時台前半 情報ライブ ミヤネ屋 月 金曜日14時 15時台 ウェークアップ 土曜日8時台 9時台前半 遠くへ行きたい を制作している 中京テレビは ヒューマングルメンタリー オモウマい店 火曜19時台 こどもディレクター お笑い4コマパーティー ロロロロ 木曜日0時台 水曜日深夜 オードリーさん ぜひ会ってほしい人がいるんです を制作している かつては深夜のバラエティー枠 ZZZ を系列局に開放し 札幌テレビ 爆笑問題のススメ など 山口放送 三宅裕司のドシロウト など テレビ岩手 フライデーナイトはお願い モーニング 広島テレビ 松本紳助 など 福岡放送 新型テレビ など が制作に参加した また 1970年代には基幹局以外でも北日本放送がゴールデンタイムのテレビドラマ ゲンコツの海 を 山梨放送がプライムタイムのバラエティ番組 田宮二郎ショー プラザ47 を制作した 夏期 冬期には 土曜パラダイス などの放送枠で各系列局制作の全国ネット番組が相次いで放送される 年に1 2回のペースで全国ネットの単発番組を制作している系列局も多い 制作局2011年7月に発足した部署 2006年に従来の編成本部が制作局と名称を変え その中の部署も一新された 実質 その編成本部の前の編成局が復活したようなもの 新しい部署として ドラマ制作部 CP班グループ 業務部 が作られた また 新たに スポーツ 情報局 が発足し スポーツ番組や情報番組はこのスポーツ 情報局の担当となった 2009年7月の組織改正により制作局が廃止され バラエティー局とドラマ局に分割されたが 2011年7月の組織改正で再び統合され 制作局の下にバラエティーセンターとドラマセンターが置かれた さらに2012年6月からはバラエティーセンターとドラマセンターが廃止され制作局に移管した 具体的に制作されている番組の種類は次の通り バラエティ番組 ヒルナンデス 世界まる見え テレビ特捜部 踊る さんま御殿 ぐるナイ 笑点 世界の果てまでイッテQ ダウンタウンのガキの使いやあらへんで ザ 鉄腕 DASH など クイズ番組 THE突破ファイル など 教養番組 世界一受けたい授業 音楽番組 バズリズム 日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト THE MUSIC DAY など ドラマ 土ドラ9 土ドラ10 日曜ドラマ など アニメ ルパン三世シリーズ それいけ アンパンマン など ミニ番組 読売新聞制作番組 スペシャル番組 24時間テレビ 愛は地球を救う 欽ちゃん amp 香取慎吾の全日本仮装大賞 など その他 日本テレビ制作局制作番組の分野別一覧も参照のこと 情報カルチャー局 スポーツ局制作局と共に2006年に スポーツ 情報局 として発足した部署 従来の編成本部の制作していたスポーツ番組や情報番組がこの部署の制作担当となった その後 2007年7月の組織改正により 情報エンターテインメント局とスポーツ局に分割された スポーツ局には CP班グループ と スポーツ企画推進部 情報エンターテインメント局には CP班グループ がそれぞれ作られた 2012年12月より情報エンターテインメント局は情報カルチャー局に改称された 具体的な制作番組は以下の通り 情報番組 ZIP ズームイン サタデー DayDay シューイチ など バラエティ番組 ザ 世界仰天ニュース など クイズ番組 全国高等学校クイズ選手権 など 料理番組 キユーピー3分クッキング など 教養番組 所さんの目がテン 紀行番組 ぶらり途中下車の旅 スペシャル番組 はじめてのおつかい 7男2女11人の大家族石田さんチが大騒ぎ など スポーツ番組 Going Sports amp News DRAMATIC BASEBALL 箱根駅伝 ゴルフ日本シリーズ 全国高校サッカー選手権 東京マラソン 隔年 ワールドプレミアムボクシング など その他スポーツ 情報番組のスペシャル番組 その他 日本テレビ スポーツ 情報局制作番組の分野別一覧も参照のこと 報道局報道局は 政治部 経済部 社会部 国際部 映像取材部 総合ニュースセンター ライブソリューション部 NNN事務局 解説委員会 業務改革推進部 報道審査委員会の11部署からなり 汐留 日テレタワー5階の報道局を中心に業務を行っている 報道フロア 340坪 2012年6月1日付の組織改正で 民放では珍しい生活文化部が設置されていた 海外の放送局を模して レールカメラを配置した報道フロアをはじめ パーマネントセットを配置した放送スタジオも完備している CS放送 日テレNEWS24 旧NNN24 のスタジオもここにある この報道局内設備もすべてHDに対応している ニュース映像素材は最近ではHDカメラによる取材や現場からの中継も行っており 民放キー局としては報道取材におけるHDの導入が早く 今では日本テレビの放送エリア内の取材は ほぼ全面的にHD化されている 地方局が取材したニュースについては取材した系列局のテロップを NNN と併記して表示する 連名で表示する場合もある 重大な事件 大規模な事故 災害の取材の際 地元局以外の系列局の支援を受け共同取材する場合や 高校野球等系列各局が集結して取材を行う場合は NNN取材団 と表示する この表示は地上波放送各種ニュース番組 日テレNEWS24ともにおこなわれている 報道スタジオは5階報道局に隣接して置かれ サブは3つある 主にNEWS1サブでは地上波 NEWS2サブは日テレNEWS24で使用される この他に素材収録用の簡易サブもある ニュース映像の収録 編集は4階のCVセンター テロップ CGなどの制作は4階のテロップセンターで行われている NNN系列各局や海外メディア配信へのニュース配信を行う ニュースチャンネル が6階にあり ニュース配信を行う送出設備のほかVTR編集室 カメラ1台の顔出し設備がある 具体的に制作されている番組の種類は次の通り 報道番組 Oha 4 NEWS LIVE NNNストレイトニュース news every news zero 真相報道 バンキシャ 皇室日記 ZERO 選挙 など ドキュメント番組 NNNドキュメント など その他 日本テレビ 報道局制作番組の分野別一覧も参照のこと 役員 社員 Category 日本テレビの人物 も参照 現在清水潔 新潮社記者を経て入社 写真週刊誌 FOCUS 記者時代の1999年 桶川ストーカー殺人事件 における一連の警察不祥事をスクープ 成田真由美 パラリンピック競泳選手 1996年に嘱託社員として入社 過去青山和弘 政治部記者 NNNワシントン支局長 解説委員等を歴任 退社後は政治ジャーナリスト 石原伸晃 報道局記者として大蔵省や外務省 首相官邸等を担当 1990年から2021年まで自民党衆議院議員 10期 片岡英彦 報道記者 報道番組ディレクター 広報局番組事業宣伝部 退社後は民間企業勤務を経て 企画家 コミュニケーション 戦略PRプロデューサー コラムニスト等として活動 川端裕人 記者として南極海調査捕鯨船に同乗取材した記録を出版したことがきっかけで作家に転身した 岸田雪子 報道デスクニュースキャスター 記者 社会部 政治部 解説委員等を歴任 退社後はジャーナリスト 國弘正雄 解説委員待遇で報道番組 討論番組の司会を担当 翻訳者 同時通訳者 日本社会党 新党護憲リベラル参議院議員 1期 菅賢治 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで のプロデューサー 通称 ガースー 退社後もテレビプロデューサーとして活動 真山勇一 報道記者 ニュースキャスター 報道局解説委員長を歴任 退社後は調布市議会議員 1期 参議院議員 2期 を務めた 丸岡いずみ 北海道文化放送アナウンサーを経て 入社後は報道記者 ニュースキャスターを務めた 退社後はフリーアナウンサー タレントとして活動 水島宏明 札幌テレビ放送社員時代 NNN海外特派員に 入社後は NNNドキュメント チーフディレクター 解説委員を務めた 用語 ネットカフェ難民 の考案者 上智大学文学部新聞学科教授に就任 森川亮 LINE代表取締役社長 C Channel株式会社代表取締役社長らを歴任 森澤恭子 報道記者として2004年アメリカ合衆国大統領選挙などを取材 退職後に森ビル社員などを経て東京都議会議員を務めた後 2022年に東京都品川区長に当選し 就任 矢追純一 超常現象 オカルト番組ディレクター 退社後は疑似科学 UFO評論家として活動 アナウンサー 日本テレビのアナウンサー一覧 を参照イベント日本テレビでは以下のように 汐留 日テレプラザ 日テレタワー敷地内 および周辺にて年数回開催される総合イベントをはじめ ズームイン SUPER などの番組主体のイベントも開催しているほか ミュージカルや美術展などにも力を入れている また ラジオ日本で放送している日本テレビ提供の番組 でもイベント情報を紹介している 総合イベント 毎年開催されているイベント超 汐留パラダイス 毎年7月に日テレプラザで開催するイベント 2015年 過去に開催されたイベントGO SHIODOME X mas 冬の汐博 の前身 2004年 2009年 GO SHIODOME お正月 2004年 2006年の12月末 1月初めに日テレプラザで開催されたイベント 世界縁起のいいもの博覧会 2004年12月26日 2005年1月6日 ごくせん神社 移動屋台が展示された 春の日テレ祭 おフランスざ んす 2005年3月19日 4月3日 スピードガンチャレンジや瑠璃のいえ 歌スタ の公開オーディションなどのイベントが開催された 日テレ系ecoウィーク 2004年 2012年 毎年6月5日の世界環境デーを含む1週間に開催されたイベント 2004年 2009年 2012年は日テレプラザおよび周辺 2010年 2011年はSHIBUYA AXで開催 7daysチャレンジTV 6月上旬に日テレプラザで1週間開催されたイベント 2013年 2014年 日テレ黄金週間 毎年ゴールデンウイーク 4月下旬 5月上旬 に日テレプラザおよび周辺で開催されたイベント 2005年 2014年 GO SHIODOMEジャンボリー 毎年夏 7月中旬 8月 に日テレプラザおよび周辺で開催されたイベント 2004年 2009年 汐博 毎年夏 7月中旬 8月 に日テレプラザおよび周辺で開催されたイベント 2010年 2014年 冬の汐博 毎年12月に日テレプラザで開催されたイベント 2010年 2014年 聖 汐留パラダイス 2015年12月に日テレプラザで開催されたイベント その他の主催イベント ズームイン サタデー全国うまいもの博 不定期 日本各地の百貨店で開催 丸美屋食品ミュージカル アニー 1986年 ディズニー オン アイス 毎年夏から秋にかけて全国で開催 毎年7月 8月に逗子海岸にオープンする海の家 期間中は日本テレビの各番組内でロケや中継が行われる 汐留AXライブイベント その他 東京都現代美術館や横浜美術館などで 日本テレビ主催の美術展が多数開催されている 過去には関東地区で開催される トミカ博 の主催も担当したことがある 映画製作現行シリーズ作品 それいけ アンパンマンシリーズ あぶない刑事シリーズ 劇場版名探偵コナンシリーズ ヱヴァンゲリヲン新劇場版 僕のヒーローアカデミア THE MOVIEシリーズ キングダムシリーズ ザ ファブルシリーズ 1970年代 ベルサイユのばら ルパン三世シリーズ 1980年代 転校生 誘拐報道 テラ戦士PSBOY アイドルを探せ BU SU 敦煌 魔女の宅急便 1990年代 天と地と 流転の海 おもひでぽろぽろ 遊びの時間は終らない エンジェル 僕の歌は君の歌 紅の豚 学校シリーズ スーパーマリオ 魔界帝国の女神 免許がない 平成狸合戦ぽんぽこ 四十七人の刺客 家なき子 大夜逃 夜逃げ屋本舗3 耳をすませば ガメラ平成シリーズ3部作 Shall we ダンス 金田一少年の事件簿シリーズ 香港大夜総会 タッチ amp マギー もののけ姫 金田一少年の事件簿 上海魚人伝説 卓球温泉 ホーホケキョ となりの山田くん 2000年代前半 回路 ナトゥ 踊る ニンジャ伝説 サトラレ 千と千尋の神隠し 犬夜叉シリーズ 明日があるさ THE MOVIE 仄暗い水の底から 模倣犯 たそがれ清兵衛 猫の恩返し 魔界転生 茄子 アンダルシアの夏 天使の牙B T A 赤い月 キューティーハニー 着信アリシリーズ イノセンス SURVIVE STYLE5 ロード88 出会い路 四国へ 約三十の嘘 隠し剣 鬼の爪 ハウルの動く城 2005年 Tokyo Tower MAKOTO 阿修羅城の瞳 戦国自衛隊1549 いらっしゃいませ 患者さま 妖怪大戦争 逆境ナイン フライ ダディ フライ メゾン ド ヒミコ タッチ SHINOBI HEART UNDER BLADE ALWAYS 三丁目の夕日 ブラック ジャック ふたりの黒い医者 2006年 小さき勇者たち ガメラ かもめ食堂 DEATH NOTE前後編 花田少年史 幽霊と秘密のトンネル ラフ ROUGH LOFT ロフト 劇場版 どうぶつの森 ゲド戦記 2007年 僕は妹に恋をする 愛の流刑地 東京タワー オカンとボクと 時々 オトン 俺は 君のためにこそ死ににいく パッチギ LOVE amp PEACE しゃべれども しゃべれども 舞妓Haaaan ピアノの森 めがね ALWAYS 続 三丁目の夕日 マリと子犬の物語 2008年 陰日向に咲く L change the WorLd Sweet Rain 死神の精度 隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS 崖の上のポニョ スカイ クロラ The Sky Crawlers 20世紀少年3部作 252 生存者あり K 20 怪人二十面相 伝 2009年 ヤッターマン おっぱいバレー MW ムウ ごくせん THE MOVIE サマーウォーズ 劇場版 ヤッターマン 新ヤッターメカ大集合 オモチャの国で大決戦だコロン カイジ 人生逆転ゲーム 僕の初恋をキミに捧ぐ なくもんか ウルルの森の物語 2010年 BANDAGE 猿ロック THE MOVIE 書道ガールズ わたしたちの甲子園 FLOWERS フラワーズ 借りぐらしのアリエッティ 明日やること ゴミ出し 愛想笑い 恋愛 BECK 君に届け インシテミル 7日間のデス ゲーム ゴースト もういちど抱きしめたい 2011年 GANTZ前後編 太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男 コクリコ坂から DOG POLICE 純白の絆 カイジ2 人生奪回ゲーム 映画 怪物くん 2012年 ALWAYS 三丁目の夕日 64 逆転裁判 ホタルノヒカリ おおかみこどもの雨と雪 桐島 部活やめるってよ ひみつのアッコちゃん 劇場版 ミューズの鏡 マイプリティドール ツナグ 009 RE CYBORG 劇場版 私立バカレア高校 綱引いちゃった 映画 妖怪人間ベム 2013年 劇場版 HUNTER HUNTERシリーズ 脳男 藁の楯 風立ちぬ NMB48 げいにん THE MOVIEシリーズ ガッチャマン 謝罪の王様 豪華3本立て トミカ プラレール映画まつり 潔く柔く 劇場版 BAD BOYS J 最後に守るもの かぐや姫の物語 ルパン三世VS名探偵コナン THE MOVIE 2014年 劇場版 仮面ティーチャー 魔女の宅急便 悪夢ちゃん The 夢ovie MONSTERZ モンスターズ 思い出のマーニー 宇宙兄弟 0 ホットロード 近キョリ恋愛 トワイライト ささらさや 寄生獣 2015年 映画 ST 赤と白の捜査ファイル ジョーカー ゲーム 花とアリス殺人事件 風に立つライオン 寄生獣 完結編 イニシエーション ラブ ストレイヤーズ クロニクル バケモノの子 ヒロイン失格 俺物語 杉原千畝 スギハラチウネ 2016年 人生の約束 黒崎くんの言いなりになんてならない ちはやふる 上の句 下の句 結び あやしい彼女 オオカミ少女と黒王子 MARS ただ 君を愛してる 任侠野郎 DOCUMENT OF KYOSUKE HIMURO POSTSCRIPT HiGH amp LOWシリーズ ルドルフとイッパイアッテナ レッドタートル ある島の物語 真田十勇士 金メダル男 デスノート Light up the NEW world 海賊とよばれた男 2017年 一週間フレンズ ひるね姫 知らないワタシの物語 PとJK LAST COP THE MOVIE 22年目の告白 私が殺人犯です こどもつかい 兄に愛されすぎて困ってます メアリと魔女の花 お前はまだグンマを知らない トリガール 散歩する侵略者 斉木楠雄のPS難 We Love Television DESTINY 鎌倉ものがたり 2018年 劇場版Infini T Force ガッチャマン さらば友よ ママレード ボーイ 50回目のファーストキス 羊と鋼の森 未来のミライ ちいさな英雄 カニとタマゴと透明人間 3D彼女 リアルガール 億男 旅猫リポート かぞくいろ RAILWAYS わたしたちの出発 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 2019年 十二人の死にたい子どもたち 劇場版シティーハンターシリーズ 九月の恋と出会うまで PRINCE OF LEGEND 居眠り磐音 パラレルワールド ラブストーリー 町田くんの世界 女の機嫌の直し方 Diner ダイナー アルキメデスの大戦 ドラゴンクエスト ユア ストーリー ブラック校則 ルパン三世 THE FIRST 2020年 カイジ ファイナルゲーム AI崩壊 貴族誕生 PRINCE OF LEGEND 水曜日が消えた 今日から俺は 劇場版 青くて痛くて脆い 小説の神様 君としかかけない物語 ドクター デスの遺産 BLACK FILE 新解釈 三國志 2021年 劇場版 奥様は 取り扱い注意 竜とそばかすの姫 そして バトンは渡された あなたの番です 劇場版 2022年 ノイズ 鹿の王 ユナと約束の旅 極主夫道 ザ シネマ メタモルフォーゼの縁側 線は 僕を描く 劇場版 転生したらスライムだった件 紅蓮の絆編 かがみの孤城 2023年 金の国 水の国 映画ネメシス 黄金螺旋の謎 ゆとりですがなにか インターナショナル 愛にイナズマ 映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ MY K NIGHT 屋根裏のラジャー 2024年 劇場版 君と世界が終わる日に FINAL 恋わずらいのエリー 夏目アラタの結婚 あの人が消えた 劇場版 ACMA GAME 最後の鍵 聖 おにいさん THE MOVIE ホーリーメン VS 悪魔軍団 日本テレビが製作 出資に関わる映画は 製作委員会方式 による作品が主流である 準キー局の読売テレビ 親会社の読売新聞 基幹系列局の札幌テレビ ミヤギテレビ 静岡第一テレビ 読売テレビ 中京テレビ 広島テレビ 福岡放送などが制作委員会に名を連ねている作品が多い 歴代のキャッチコピーお茶の間のスター 日本テレビ 1970年代 1 2 3 ワン ツー スリー 4 ヨン チャンネルで楽しさ満開 1982年4月 読んでみる 4でみる 1982年10月 おもしろまじめに4チャンネル 1983年2月 1985年6月 小林完吾 徳光和夫 活火山です 4チャンネル 1985年7月 1986年2月 三宅裕司 元気が大好き4チャンネル 1986年2月 4月 わたしの好奇心4チャンネル 1987年4月 9月 この春 プラス1 1988年4月 ロマンリッチ4チャンネル 1988年10月 1989年9月 土 迫力 4チャンネル 1989年10月 3 14倍 当社比 の春です 1990年3月 中畑清 一秒ごとに 新製品です 1990年4月 ハートフルコミュニケーション 1990年10月 1992年8月 みんなのなかに 私はいます 1992年8月 1993年12月 開局40周年 Virginから始めよう 1994年1月 1995年3月 それって 日テレ 1995年4月 1996年7月 この頃から日テレのキャッチフレーズを使うようになり 2003年6月末からCIロゴして正式に使うようになった そんなあなたも 日テレちゃん 1996年8月 1997年7月 日テレちゃんパワー 1997年8月 12月 日テレ営業中 1998年1月 1999年8月 日テレ式 1999年9月 2001年3月 日テレブランド 2001年4月 2003年6月 日テレ 2003年7月 2004年1月 amp 日テレ 2004年2月 2006年3月 放送の情報だけ 番組のカタチがある 日テレ 2006年4月 9月 日テレちん 2006年10月 2009年3月 日テレ55 GoGo 2008年1月 2009年3月 開局55周年 NITTELE SPRING 2009年4月1日 4月30日 日テレダベア NITTELE DA BEAR 2009年5月 2012年12月 0テレ Go Next 60 2013年1月 12月 開局60周年 見たい が世界を変えていく 2014年1月 2022年12月 4月は0テレ系変 わるよん 2022年4月 超える 超え続ける 2023年1月 12月 開局70周年 心と未来に のこるもの 2024年1月 ロゴマークシンボルマーク 社章 NTV ロゴを丸い線で囲った物に日本テレビの初代ロゴ 1978年制定 使用開始の統一シンボルマーク かつては NTV ロゴを 真丸な線で囲ったものが使われていた 1978年1月の制定時から使用されているシンボルマークは 現在も単体で 社債のみに使われている 社名ロゴ 製作著作クレジット 1953年 8月28日 日本テレビ ロゴのみの表記 1978年 1月 統一シンボルマーク 社章制定を機に 日本テレビ に変更 1992年12月31日まで使われていた 単独制作クレジット表記にあたっては 1985年頃からこれまでの 製作 クレジット表記から 製作著作 クレジット表記に変更 1993年 1月 開局40周年を機に なんだろう 日本テレビ に変更 2003年 7月 CI導入に伴い ロゴマークを に一新 2008年 1月1日 開局55周年を機に 日テレ55 に変更 2009年3月まで使われた 2013年 1月1日 開局60周年を機に 0テレ の下側に Go Next 60 に変更 12月8日まで使われており 12月9日以降は 0テレ のみが残る 2018年 1月1日 開局65周年を機に 0テレ 下側に 65th Anniversary に変更 2018年12月31日まで使われていた 2023年 1月1日 開局70周年を機に 0テレ 0を貫通する形で7が串刺しになる の下側に NIPPON TV その下側に 70th Anniversary に変更 2023年12月31日まで使われていた 2024年 0テレの下側に NIPPON TV が追加された アパレルブランド2022年9月22日 郡司恭子アナ発案で アパレルブランド Audire アウディーレ を立ち上げた Wear the Voice をブランドコンセプトに 服を通じて女性の生き方に関する発信を行っていく 主なグループ会社日本テレビホールディングス株式会社 認定放送持株会社 株式会社BS日本 BSデジタル放送局 株式会社シーエス日本 110度CSデジタル放送局 株式会社日テレ テクニカル リソーシズ 旧NTV映像センター 日本テレビビデオ 技術会社 株式会社日テレアックスオン 旧日本テレビビデオ NTV映像センター 日本テレビエンタープライズ 制作会社 株式会社日テレイベンツ 旧日本テレビエンタープライズ 日テレ学院運営 イベント会社 株式会社日本テレビアート 美術会社 株式会社日本テレビ音楽 音楽出版社 株式会社バップ レコード会社 株式会社ティップネス フィットネスクラブ運営会社子会社 株式会社日テレITプロデュース 日本テレビグループ内におけるITインフラ インテグレーション事業 業務アプリケーション開発事業 パッケージアプリケーション開発事業 ASPサービス 運用アウトソーシング事業 株式会社日本テレビサービス 番組販売 グッズ販売 日テレ屋 横浜アンパンマンこどもミュージアム 保険代理業 住宅展示場を運営 株式会社日本テレビワーク24 警備業 ビルメンテナンス 人材派遣業 株式会社フォアキャスト コミュニケーションズ webサイト 携帯サイト制作 株式会社日テレ7 セブン amp アイ ホールディングスとの合弁 通信販売業 株式会社日テレグループ企画 地方制作プロダクションの経営指導業 NTV America Company NTV International Corporation NTV Europe 株式会社スタジオジブリ アニメーション制作会社 株式会社マッドハウス アニメーション制作会社 株式会社タツノコプロ アニメーション制作会社 株式会社ムラヤマ HJホールディングス合同会社 コンテンツ配信事業 株式会社アール エフ ラジオ日本 ラジオ中波放送局 非連結 株式会社JCG eスポーツイベント制作会社 株式会社ClaN Entertainment VTuber事業 他 関連会社 日活株式会社 映画企画 制作 配給 黒剣電視節目製作股份有限公司 黒剣テレビ番組制作株式会社 台湾 中国 東南アジア向けテレビ番組制作 販売 JOCDN株式会社 インターネットイニシアティブとの合弁 動画配信プラットフォームの提供 株式会社ビーグリー 他 出資会社 株式会社読売 日本テレビ文化センター 株式会社テレビ埼玉 埼玉県に次ぐ第2位株主 他 財団法人 財団法人読売日本交響楽団 公演事業 財団法人日本テレビ小鳩文化事業団 視聴覚障害者のための福祉事業 文化活動に関する各種展示 講演 出版 財団法人徳間記念アニメーション文化財団 三鷹の森ジブリ美術館における展覧会事業の企画運営 なお 国が許可した債権回収業 サービサー のニッテレ債権回収株式会社とは全くの無関係 スタジオ技術系協力会社株式会社ヌーベルバーグ 株式会社日放 株式会社ジャパンテレビ 通称 ジャパンさん ミジェット送信所 中継局本送信所 現在の送信所である東京スカイツリー東京スカイツリー 東京都墨田区押上1丁目1 13 予備送信所 東京タワー 東京都港区芝公園1丁目2 8 2013年5月30日以前は新宿センタービル 東京都新宿区西新宿1丁目25 1 が予備送信所として使われていた 主な中継局 全145局の送信所が存在する 東京都新島 25ch 伊豆大島 41ch 八丈 30ch 青梅沢井 25ch 八王子 25ch 新島本村 25ch 八王子上恩方 35ch 鶴川 36ch 小仏城山 37ch茨城県水戸 14ch 日立 14ch 十王 38ch 山方 34ch 常陸鹿島 25ch 日立神峰 25ch 竜神平 41ch 北茨城 14ch 奥久慈男体 25ch 大子 14ch 里美 14ch 御前山 25ch 水府 14ch 笠間 34ch 岩瀬 25ch 那珂湊 25ch 栃木県宇都宮 34ch 矢板 19ch 足利 25ch 今市 25ch 馬頭 25ch 日光清滝 36ch 鹿沼 14ch 足尾 37ch 那須伊王野 25ch 日光広久保 14ch 黒羽中野内 25ch 烏山神長 25ch 南那須志鳥 25ch 黒羽川上 33ch 群馬県前橋 33ch 沼田 25ch 利根 25ch 吾妻 14ch 下仁田 25ch 桐生 25ch 草津 38ch 片品 34ch 川場 25ch 沼田発知 14ch 桐生梅田 33ch 嬬恋田代 33ch 沼田沼須 14ch 倉渕 14ch 妙義 14ch 横川 25ch 嬬恋干俣 25ch 片品東小川 25ch 子持小川原 14ch 利根大原 25ch 白沢 14ch 松井田上増田 14ch 埼玉県秩父 25ch 小鹿野 55ch 児玉 25ch 鬼石 18ch 秩父定峰 30ch 秩父栃谷 30ch 風布 25ch 飯能上赤工 33ch 横瀬根古谷 30ch 飯能原市場 33ch千葉県銚子 25ch 東金 25ch 大多喜 25ch 君津 25ch 長南 33ch 市原加茂 33ch 勝浦 25ch 館山 25ch 小見川 25ch 佐原 25ch 下総光 25ch 丸山 33ch 勝浦総野 33ch 鴨川 44ch 神奈川県平塚 25ch 小田原 52ch 南足柄 32ch 湯河原 32ch 愛川 32ch 箱根湯本 32ch 横須賀武 32ch 相模湖 25ch 仙石原 29ch 山北 25ch 津久井 29ch 久里浜 32ch 逗子 32ch 秦野 32ch 横須賀鴨居 29ch 湯の沢 29ch 笹下 25ch 釜利谷 33ch 秦野菩提 41ch 中井 32ch 戸塚 25ch 鎌倉 32ch 衣笠 32ch 大船 32ch 箱根強羅 29ch 小田原東 52ch みなとみらい 52ch 藤野 32chアナログ放送概要2011年7月24日終了時点 標準テレビジョン放送 地上アナログ放送 JOAX TV VHF4ch 映像171 25MHz 50kW 音声175 75MHz 12 5kW 標準テレビジョン音声多重放送 JOAX TAM 標準テレビジョン文字多重放送 JOAX TCM 全97局の送信所が存在した 東京都大井町 70ch 八王子 35ch 多摩 51ch 新島 54ch 垂直偏波 八丈島 4ch 三宅島 4ch 小笠原父島 53ch茨城県水戸 42ch 垂直偏波 鹿嶋 33ch 日立 54ch 高萩 53ch 栃木県宇都宮 53ch 日光 54ch 矢板 36ch群馬県前橋 54ch 富岡 53ch 垂直偏波 桐生 53ch 沼田 53ch埼玉県児玉 熊谷 本庄 53ch 垂直偏波 秩父 16ch 千葉県成田 53ch 銚子 53ch 香取佐原 54ch 勝浦 53ch 館山 54ch 垂直偏波 神奈川県山下町 71ch 横浜みなと 54ch 久里浜 41ch 北方向は水平偏波 西方向は垂直偏波 平塚 35ch 垂直偏波 小田原 54ch 湯河原 53ch 70 71chは難視聴対策のためのSHF放送 区域外再放送長野県 静岡県の各一部地域のCATV事業者は各県に系列局はあるものの激変緩和措置として 区域外再放送をアナログ放送終了後3年間 2014年7月24日まで を限度として実施していた 山梨県郡内地方のCATV事業者でも アナログ放送時代にはその終了までアナログ放送でのみ実施していた なお 激変緩和措置の期間満了後は個別協議により次の通り継続実施していたが 2018年9月30日をもって当局を区域外再放送するケーブルテレビ局は無くなった 静岡県 2014年9月30日まで 東伊豆有線テレビ放送 下田有線テレビ放送 小林テレビ設備 2015年2月25日まで 伊豆急ケーブルネットワーク 東伊豆地区 2018年9月30日まで 伊豆急ケーブルネットワーク 熱海 伊東地区 東豆有線 伊東テレビクラブ情報カメラ設置ポイント現在 東京都 汐留 本社屋上鉄塔 羽田空港 第1ターミナル JAL機などが駐機 2010年以降 第3ターミナルを撮影する際もこちらが用いられる 第2ターミナル ANA機などが駐機 丸の内 丸の内三井ビルディング 東京駅 東京国際フォーラム 以前はその隣にある東京ビル旧建物 現 東京ビルTOKIA などに設置 渋谷 渋谷スクランブル交差点 浅草 浅草ビューホテル屋上 東京スカイツリー 第一展望台付近 地上375m地点 中央自動車道八王子IC付近 上野恩賜公園 不忍池 春季限定 東京サマーランド 夏季限定 八丈島 台風接近時 三宅島 神奈川県 藤沢市江の島 片瀬海岸 江の島ビュータワー 小田原市 鎌倉市 三浦海岸 千葉県 成田空港 館山市 鴨川シーワールド 銚子市 群馬県 館林市 つつじが岡公園 春季限定 草津町 草津温泉スキー場 冬季限定 みなかみ町 水上高原ホテル200屋上 秋季限定 茨城県 東海村 沖縄県 那覇空港 国内線旅客ターミナルビル 台風接近時 過去に設置 麹町 旧本社 旧麹町分室屋上鉄塔 東京湾アクアライン 海ほたるパーキングエリア 大磯ロングビーチ 大磯プリンスホテル屋上 夏季限定 築地 聖路加ガーデン 代々木 NTTドコモ代々木ビル 2016年 2021年 横浜市 ホテルモントレ横浜 など不祥事 事件 トラブル アクシデント郵便爆弾事件 視聴率買収事件 岐阜県庁裏金誤報事件 芸能 BANG の演出トラブルと打ち切り スッキリ における各種不祥事 ドラマ セクシー田中さん の脚本を巡るトラブル脚注 脚注の使い方 注釈 日テレ の略称はそれ以前から内部的に使われており 各局の番組で出演者が日本テレビを指す言葉の中に 日テレ を使うこともあった しかし ベテラン社員の中ではキャンペーンコピーに使われるまで 蔑称 という認識があったという 対外向けへ公式に 日テレ を使うようになったのはこの頃からである 2003年10月1日より それまでは ANB が使用されていた a b カール ムント米上院議員は VOA ボイス オブ アメリカ 構想を打ちたて 世界中で広まりつつあった共産主義の撲滅に乗り出した プロパガンダの雄 である ムントはCIAに正力松太郎を推薦した 正力松太郎は 1951年 大蔵大臣だった池田勇人を説得 さらに朝日新聞の村山長挙 毎日新聞の本田親男に働きかけ 3社でテレビ事業を行う約束を取り付ける 正力の仕掛けた3大紙協力体制のもと 受信機も無い時代に民放テレビは時期尚早 と反対する吉田茂総理の説得に成功する ベンジャミン フルフォード ステルス ウォー 講談社 2010年 ISBN 978 4 06 216124 4 Page238 241 その関係で 船橋競馬場では 社盃である 日本テレビ盃 が 9月下旬から10月上旬に開催されている ダートグレード競走特集 船橋競馬場ホームページ 此の時の開票速報の放送時間は投票日当日の午後9時25分から午後11時30分までと 投票日翌日の午前8時から午後6時まで 票数と当確 当選は新聞大手3社からの情報を基にして行われ スタジオに用意された手書きの候補者名札とハンコで押した候補者得票数が張られたボードをテレビカメラで撮影して行った 初めの同実験放送は 同局初のカラーフィルムによる番組 USIS映画 現代のカーボーイ 他 1時間に渡り行われた 同日17時20分からの20分間 当時の同社第4スタジオからの放送 カラー実験放送としては同社初の生放送であった 翌週の19日にも同番組が放送された 協力した5局は 日本テレビ 読売テレビ フジテレビ 関西テレビ 東海テレビ 中継車は日テレが5台 他局は各1台ずつ配備をした 中継拠点は 日テレが正田邸前 皇居前 半蔵門 ここのみカラー中継車を使用 四谷見附 麹町消防署 信濃町慶応大学病院前 青山学院 そして日テレ本社鉄塔上の計7地点 一部拠点は中継車を使わず 日テレ局舎からカメラを直接野外に出して中継 フジテレビが神宮外苑 読売テレビが東宮仮御所 関西テレビが警視庁 そして東海テレビが四谷三丁目前を各々担当した 尚皇居内は NHKが代表して取材を担当した 同中継車には他にも 3台のモノクロカメラも配置していた 値段は当時で約3千数百万円であった なお 毎日放送 MBS のアナログ放送チャンネルおよびデジタル放送のチャンネルは日本テレビと同じ 4 だが この当時のMBSは日本教育テレビ 現在のテレビ朝日 系列だった 13時15分からの 操三番叟 を皮切りに 13時45分からは カラー秋祭り 14時55分からは プロボクシング 世界フェザー級タイトルマッチ デビー ムーア 対 高山一夫 放送前月 8月 の29日 後楽園特設リングにて収録 16時15分からは アラスカの顔 が 17時まで連続して放送された これを受け 私のクイズ は同月0 9日放送分から 歌のグランプリショー と 底ぬけ脱線ゲーム は同月11日放送分からカラー化されている この特番の内容は 同スタジオからは 14時15分から30分間 雛鶴三番叟 を生中継で 15時25分から80分間 翌月 9月 からレギュラー番組となる グランドバラエティーショー のスペシャル版が 公開録画で放送された 更に 日本テレビ本社スタジオからは 14時45分から40分間 舞踊寿くらべ が録画で 最後に16時45分から40分間 明治座の8月公演からの録画中継で 東映歌舞伎 元禄春夜抄 が放送された RKB毎日放送もアナログ放送および地上デジタル放送のチャンネルは日本テレビ同様 4 だが RKBはTBS系列である 日本テレビは同年6月30日と7月0 1日の2公演分をカラーVTRにて収録している その経緯については ビートルズ 日本公演 を参照のこと 日本テレビは当時 この映画をテレビにて放映するために 放送権を6億円で購入したとされる 引田惣弥 全記録 テレビ視聴率50年戦争 そのとき一億人が感動した 講談社 2004年 130頁に記載されている ISBN 4 06 212222 7 製作著作クレジットでは背景の格子模様が無いことも多かった これと併用して関東ローカルなどではブラウン管を象った枠の中にチャンネルナンバーの 4 をモチーフにしたものが入ったロゴマークと社名ロゴタイプの組み合わせもシンボルマーク登場以前から使われていた こちらも なんだろう の登場を機に廃止している この日には キー局では日本テレビの他に フジテレビ テレビ朝日 そして東京12チャンネルが キー局以外にも 朝日放送を始め多くの音声多重放送実施局が 同開票速報にて 同多重放送を行った ルックルックこんにちは お昼のワイドショー 2時のワイドショー 11PM 2音声多重放送の副音声放送の条件は 放送中のテレビ番組と同時性があり 内容も関連していることである 又 災害に関する情報は 同時性 関連性が無くても認めている 主音声は従来の実況で 副音声は阪神ファン向けの実況及び解説となっており この日の副音声は 解説が村山実 実況は読売テレビのアナウンサーが担当している この項目では色を扱っています 閲覧環境によっては 色が適切に表示されていない場合があります 当初は緑色 の体に黒色 の線で縁取りしたものが使われていたが 2003年0 7月に新ブランドマークが導入され 現在は体を塗りつぶさず 線を金色 で縁取りしたものとなっている 現在このブランドマークは日本テレビのほか グループ会社のBS日テレ CS日本 RFラジオ日本 日テレ グループ ホールディングス 日テレイベンツ 日本テレビアートなどでも使用されている 理由は不明 青森放送で当時放送されていた ZIP FRIDAY の最後に流れる翌週月曜日の ZIP の予告でのロゴは 2019年時点でもこのロゴが使われた また ジャイアンツ球場のレフトポール際のフェンスに描かれているロゴも 2021年9月時点で このロゴである ただし 海外向けには NTV の使用を継続 ロゴも 日テレ の部分に 日テレ と同様の書体で NTV と表記 要出典 また 番組キャラクター グッズ商品の承認済シールに貼られている NTV は従来から使用している開局当時のロゴ File Nippon TV logo NTV svg を表記している CI導入当初はクレジットに 製作著作 日本テレビ 日テレ ロゴ と混乱防止の為に表記していたが 2005年10月より 製作著作 日テレ ロゴ という表記になり 新ロゴへの移行をほぼ完了した ぐるぐるナインティナイン あなたと日テレ などごく一部の番組は 製作著作 日本テレビ 日テレ ロゴ の表記が残っていたが 後述の 日テレ55 表記化に伴って現在は完全消滅した また 番組表など業務目的の略称としての NTV は引き続き使用されている なお 2008年1月0 1日から なんだろう が消滅し 日テレ55 のクレジット表記 ロゴの色は 日テレ 部分は青 55 部分は黒 に変更された これは 2008年8月28日に開局満55周年を迎えるためで 2009年3月までの限定使用となった ただし 東京ドームにある第2放送席の背後に書かれているロゴは 前代のロゴのままである 2008年8月26日の野球中継放送で確認済み また 読売ジャイアンツ球場のレフトフェンスに書かれているロゴも 前代のままである 日テレG で中継された 2014年の巨人イースタン中継から 汐留移転前はスタジオ内映像のみハイビジョンであったが 移転後はスタジオ内映像の他 社屋屋上のお天気カメラ 麹町旧社屋など既存の設置地点でも一部HD化 お天気情報などのCG画像 一部のニュース素材 月1回放送の ディリープラネット金曜発言中 もハイビジョン化された 最初の生放送番組は 午前6時45分の NNNニュースサンデー なお このバージョンも2013年12月31日をもって使用を終了している この試合は 地上波の日本テレビ及びネット局 BSデジタルのBS日テレ CS放送の日テレG でも放送されたが それらでは通常の2Dでの放送であった なお この3D中継に於いては 3D中継専用の中継車 専用カメラを5台手配し 実況 解説等のコメンタリーおよび画面表示もそれ専用とする等の特別体制で実施した なお BS日テレとCS放送の日テレG 日テレプラスではすでに開局当初から一部のモノラル二重音声番組を除き編成上全ての番組でステレオ放送 一部はモノステレオ放送 を実施している しかし 24時間テレビ 内のドラマ企画はモノラル二重音声放送のままであったが 2017年よりステレオ二重音声放送に変わった 一部企業を除く 読売テレビは翌2021年4月1日から 日本テレビ以外に 放送網 の字が入る放送事業者は 系列局のテレビ新潟放送網とケーブルテレビ局の香川テレビ放送網程度 放送収入がフジテレビの2013年度 233 316百万円 2014年度 231 121百万円に対し 日本テレビは2013年度 228 014百万円 2014年度 238 511百万円となり逆転した 年間売上高がフジテレビの2014年度 310 012百万円 2015年度 289 708百万円に対し 日本テレビは2014年度 290 460百万円 2015年度 307 077百万円となり逆転した このキャンペーンは後に毎年3月8日の 国際女性デー 前後に 国際女性デーだから 2023年までは 自分のカラダだから として 日本テレビ以外の在京民放キー局4局並びに東京メトロポリタンテレビジョン TOKYO MX も参加している 日本テレビ担当分は NNS系列局にもネットした 例外として アーヤと魔女 は日本放送協会 NHK での放映履歴がある これはNHKとその子会社であるNHKエンタープライズ NEP が同作品の製作に携わっているため かつては土曜12時台や平日16時台に再放送枠を設けていた ザ 鉄腕 DASH の正月特別番組である ウルトラマンDASH の1コーナー 後にフジテレビでも実施しているが日本テレビが業界初 他にも東京都交通局運営の都営地下鉄 日暮里 舎人ライナーの時刻表 都営バスの時刻表や接近情報も表示している 情報提供元はジェイアール東日本企画である 私鉄 地下鉄はが担当 中国本土を除く 設置当初は 読売テレビ本社 当時は大阪市北区岩井町 内に支社 当時は大阪支社 が置かれていた 出典 民間放送十年史 第2部の各社史録378頁 日本テレビ放送網 1995年まではゴールデンタイムでの全国中継も実施していた 同大会の事実上の前身で1981年から2004年まで日本で開催していたトヨタ ヨーロッパ サウスアメリカ カップ トヨタカップ から放映権を保持している NHK J SPORTSと共同で放映権を獲得 テレビ朝日と共同で放映権を獲得 1993年開始の ザ ワイド 日本テレビ よみうりテレビ共同制作 2004年度よりよみうりテレビ 読売テレビ 日本テレビ共同制作 が最初となる 2020年1月期及び10月期 2021年以降は毎年7月期に読売テレビが制作を担当している 過去には大阪の読売テレビ製作のシリーズ 第1 3シリーズ も存在したが 一般的には日本テレビの製作番組として扱われており 後のスペシャル版は一部を除きすべて日本テレビが製作を担当する 日本テレビ開局55周年 読売テレビ開局50周年記念番組として両局の共同製作で放送された ルパン三世VS名探偵コナン では ルパン三世 は日本テレビ側の 名探偵コナン は読売テレビ側の番組として扱われていた 日テレNEWS24 CS 制作の番組 月 金曜版は日テレNEWS24制作 CS の番組 調布市議時代は自民党に所属 参議院議員当選時はみんなの党に所属し 2022年に立憲民主党で任期を終えた 開始当初はテレビシリーズの制作局である大阪の読売テレビのみが制作に参加していたが 2002年から日本テレビも制作に参加するようになった 青森放送など一部系列局でも使われた この代からCMの最後3秒に番組出演者や映画キャストがフレーズを言うようになった 途中で廃止され 2020年現在はその前の12秒とは別の番宣を3秒入れている CMの最後5秒に番組出演者や映画キャストが も日テレ営業中 とフレーズを言っていた これを生かして ダウンタウンのガキの使いやあらへんで で浜田雅功が罰ゲームを行ったことがある 現 国立競技場着工時から2020東京オリンピック パラリンピック終了まで 旧ザ ホテルヨコハマ ザ ヨコハマノボテル 出典 a b c d e f 日本テレビ放送網株式会社 第12期決算公告 日本民間放送連盟 日本民間放送年鑑2023 コーケン出版 2023年11月30日 288 290頁 a b 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部 NHK年鑑 83 日本放送出版協会 1983年 78頁 日テレの人気番組がアジアでも毎日視聴可能に エンタテインメントチャンネル GEM 香港 タイ インドネシア カンボジアで10月1日放送開始 日本テレビ放送網株式会社 2015年9月10日作成 2019年6月2日 閲覧 日テレの人気番組がアメリカでも視聴可能に NIPPON TV Channel 始動 日本テレビ放送網株式会社 2019年5月29日作成 2019年6月2日 閲覧 戸部田誠 全部やれ 日本テレビ えげつない勝ち方 p 170 Research Aid Cryptonyms and Terms in Declassified CIA Files Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Disclosure Acts 日本テレビとCIA 関連年表 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 4ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 a b 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 5ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 6ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 a b c d 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 7ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 佐野眞一 巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀 文藝春秋 1994年 446 447頁 ISBN 4 16 349460 X ベンジャミン フルフォード ステルス ウォー 日本の闇を侵蝕する5つの戦争 講談社 2010年 241頁 ISBN 978 4 06 216124 4 有馬哲夫 日本テレビとCIA ー発掘された 正力ファイル 新潮社 2006年 248頁 ISBN 4 10 302231 0 a b c 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 8ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 a b c d e f 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 9ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 大衆とともに25年沿革史 日テレ社史 に記載の当日のタイムテーブルから参照 a b c d 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日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 109頁 NDLJP 11954641 67 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 117頁 NDLJP 11954641 71 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 22ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 2019年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ 2023 10 0 9閲覧 a b 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 116頁 NDLJP 11954641 71 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 23ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 116 117頁 NDLJP 11954641 71 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 110頁 NDLJP 11954641 68 a b c d e 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 24ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 111頁 NDLJP 11954641 68 a b 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 115頁 NDLJP 11954641 70 a b c 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 25ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 126 127頁 NDLJP 11954641 76 a b 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 26ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 a b 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 141頁 NDLJP 11954641 83 朝日新聞1959年4月10日朝刊5ページテレビ欄 ちなみに この番組の司会は三国一朗だった 朝日新聞クロスサーチにて閲覧 a b c d e f g 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 127頁 NDLJP 11954641 76 a b c d 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 27ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 朝日新聞1959年4月15日朝刊5ページテレビ欄番組表及び同記事 カラーの生ドラマ登場 色彩効果をねらう NTVが 赤い陣羽織 に記載 朝日新聞クロスサーチにて閲覧 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 127 128頁 NDLJP 11954641 76NDLJP 11954641 77 a b c d 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 大衆とともに25年 沿革史 日本テレビ放送網 1978年8月 129頁 NDLJP 11954641 77 a b c d 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 28ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 a b c 朝日新聞1959年11月22日朝刊5ページテレビ欄記事 カラービデオテープ 日本テレビで購入 に記載 朝日新聞クロスサーチにて閲覧 a b 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 29ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 30ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 31ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 a b c 日本テレビ放送網 株 大衆とともに25年 沿革史 1978 08 32ページ 渋沢社史データベース 2023年10月4日閲覧 読売新聞 1960年9月10日朝刊 P 5 テレビ欄 番組表 及び特集記事 カラー本放送記念プロ 読売新聞 ヨミダス歴史館 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jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム、モバイル、電話、Android、iOS、Apple、携帯電話、Samsung、iPhone、Xiomi、Xiaomi、Redmi、Honor、Oppo、Nokia、Sonya、MI、PC、ウェブ、コンピューター