- ポルトゥカーレ伯領
- Condado Portucalense (ポルトガル語)
Condado de Portucale (ポルトガル語) -
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←868年 - 1071年
1096年 - 1139年→
(国旗) (国章)
ポルトゥカーレ伯領(第二期)の位置-
言語 古ポルトガル語
モサラベ語
アル・アンダルス=アラビア語宗教 カトリック
イスラム教
ユダヤ教首都 ギマランイス(868年 - 1131年)
コインブラ(1131年 - 1139年)- ポルトゥカーレ伯
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868年 - 873年 1050年 - 1071年 1096年 - 1112年 エンリケ 1112年 - 1139年 アフォンソ・エンリケス - 変遷
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設立 868年 オーリッケの戦い 1139年
現在 ポルトガル
スペイン
ポルトゥカーレ伯領(ポルトゥカーレはくりょう、ポルトガル語: Condado Portucalense, Condado de Portucale)は、今日のポルトガル、ノルテ地方の沿岸部に一致するポルトおよびブラガ周辺に存在した諸侯領である。9世紀から12世紀までの間はレオン王国の封土であった。
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ポルトガルの歴史 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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概要
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ポルトゥカーレ伯領の誕生は、伝統的に866年の伯によるポルトへの国土回復運動(レコンキスタ)の目的で設置したことに求められ、レオン国王アルフォンソ3世によって成立したとされている。伯領はレオン王国内において、その自治の度合いを変えながら存続したが、ガリシア王国が短期間分裂していたさなかの1071年にがガリシア国王により敗死させられた。これにより伯領の独立は廃されてガリシア王領内に留まることとなり、続いてサンチョ2世とアルフォンソ6世が統治するレオン王国に再統合された。
ポルトガルを含むガリシア伯領は、アルフォンソ6世から婿のライムンドに継承されたが、1096年にアルフォンソ6世はポルトゥカーレ伯領を分離させ、別の婿のエンリケに与えた。エンリケは、アルフォンソの娘(庶子)テレサの夫であった。
後を継いだエンリケの息子アフォンソ・エンリケスは領土を拡大し、自身の王号は当然のことと考えるまでになった。アフォンソは1128年に権力を掌握し、のちには侵入した母テレサの軍勢をギマランイス付近ので撃破した。この戦いの後には十字と「ポルトガル」の文字を刻んだ印章を作成している。アフォンソは(ドウロ川・ミーニョ川間の地域)の貴族の支援を受けながら勝利しつづけ、1139年にオーリッケの戦いで勝利したことで「ポルトガル王」としての即位を宣言した。
最終的には、カスティーリャ国王アルフォンソ8世は1143年ので、ポルトガルの事実上の独立を認めた。ポルトガル王国の成立である。
歴代伯
- 初期
- (868年 - 873年)
- (873年 - ?)
- (924年頃 - 950年頃)
- (924年頃 - 950年頃)
- (950年頃 - 997年)
- (997年 - 1008年)
- (1008年 - 1015年)
- (1017年 - 1028年)
- (1017年 - 1028年、息子メンドの摂政)
- (1028年 - 1050年)
- (1050年 - 1071年)
- 第2期(ブルゴーニュ王朝)
- エンリケ(1096年 - 1112年)
- テレサ(1112年 - 1128年、息子アフォンソの摂政) 自身の称号はポルトガル女王
- アフォンソ・エンリケス(1112年 - 1139年) 自身の称号はポルトガル公
脚注
- 注釈
- 参考文献
- Barton, Simon (1997), The Aristocracy in Twelfth-Century León and Castile, Cambridge, England: Cambridge University Press
- Ferreira, João (2010), Histórias Rocambolescas da História de Portugal [Fantastic Stories of the History of Portugal] (6 ed.), Lisbon, Portugal: A Esfera dos Livros
- 金七紀男『ポルトガル史』(増補版第1刷)彩流社、1996年。