この記事はなが全く示されていないか、不十分です。(2019年11月) |
オーストラリア総督(オーストラリアそうとく、英: Governor-General of Australia)は、オーストラリアの元首たるオーストラリア国王(イギリス国王と同一人物)の代理人である。
オーストラリア連邦 総督 Governor-General of Australia | |
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総督紋章 | |
総督旗 | |
地位 | 総督 (オーストラリア連邦元首代理) |
庁舎 | 総督官邸(キャンベラ) アドミラルティハウス(シドニー) |
所在地 | キャンベラ、シドニー |
指名 | 首相 |
任命 | 国王 (チャールズ3世) |
任期 | 陛下の仰せのままに |
初代就任 | ジョン・ホープ (初代リンリスゴー侯爵) |
創設 | 1901年1月1日 |
ウェブサイト | www.gg.gov.au/ |
概要
イギリス国王がオーストラリアに滞在しているときは、その地位はオーストラリア国王になるが、実際にオーストラリアに滞在していることは少ない。そのため、国王の代理として総督が派遣され、首都に滞在することになる。現在ではオーストラリア政府が指名した人物をイギリス国王が任命することになっており、首都キャンベラに常駐する。憲法上、幾つかの権限を有しているが、事実上は名誉職とされる。
連邦総督制度
19世紀までにはイギリスはニューサウスウェールズ、ビクトリアなど各植民地に6人の総督を派遣していたが、1901年に自治領オーストラリア連邦が発足すると「連邦総督」というポストが生まれた。なお、各州の「州総督」も存続することになった。
これは、貴族や国会議員、高級官僚のキャリアに大きく資するものであった。この連邦総督というものはイギリス国王の代理であり、イギリスの国家主権を代表する存在であった。そのため、「自治領オーストラリア政府」がイギリス本国に意思疎通を図るときは連邦総督を経由しなければならなかった。連邦総督はイギリス本国に対しては植民地省と協働し、イギリス本国の政策決定のオーストラリアへの伝達やオーストラリアの情報のイギリス本国への報告などをしていた。現状分析のレポートは毎月作成された。これらのレポートにはオーストラリアにおける最近の国情が政治・経済など多岐わたって記録されており、極秘扱いで植民地大臣の元へと送られた。これによってイギリスは、アメリカ独立の轍を踏まないように、巧みな植民地経営をおこなった。
オーストラリア人のオーストラリア連邦総督
1931年にはオーストラリア生まれのサー・高等法院(最高裁判所)長官が連邦総督に就任した(在任1931年-36年)。これはオーストラリア首相の推薦を受けたものであり、オーストラリアの自治が進むと同時にイギリスの面子が維持されることとなった。
アイザックス以降5人の連邦総督は再びイギリス本国から任命派遣されたが、1965年に元外務大臣がオーストラリア政府の指名によって連邦総督に就任すると、このオーストラリア政府が指名した人物をオーストラリア国王(イギリス国王)が任命するという形式が確立されて今に至る。
権限
オーストラリア憲法上は、オーストラリア首相の任免(同64条)、法案の裁可(同58条)、下院の解散権(同5条)、法案について上下両院異なる判断をしたときに条件付きで上下両院を同時解散(同57条)できる権限のほか、オーストラリア国防軍の最高指揮権を有する(同68条)。また、オーストラリア海外領土のココス諸島及びクリスマス島とノーフォーク島の行政官の任免権も有する。
総督、首相を罷免
第二次世界大戦後はイギリスのオーストラリアへの影響力が低下するに従い、連邦総督の名誉職化が進行する。だが1975年には上院での予算案の審議拒否を始めとする政治的な混乱を解決するためとしてジョン・カー連邦総督が憲法64条の規定に従いゴフ・ウィットラム首相を罷免し、野党自由党党首のマルコム・フレーザーを暫定首相に任命する事件が発生した。この後、フレーザーの助言に従って上下両院も解散され、総選挙が実施された。
首相の罷免は確かに憲法の条文に違反しないものの、総督が従うべきと考えられていた憲法的慣習にそぐわない行為であったため、その是非を巡って論争が行われる事となった。この過程で、いまだに植民地時代の憲法が効力を持っていることをオーストラリア人は再認識するに至った。
これを契機にオーストラリア政府は政治的野心の少なく穏健で、人々の尊敬を集めるような人物(退役将校や元裁判官など)を指名する傾向が強くなった。
「改憲、共和制」論争
ウィットラム首相の罷免劇に直面したオーストラリアでは憲法改正や共和制導入が議論されたが、いまだに連邦総督制度は残っている。
指名・就任手続き
総督の地位は、オーストラリア憲法第2条に規定されており、国王によって任命される。現在では、慣例によりオーストラリア首相の指名に基づいて、任命が行われる。
歴代オーストラリア総督
代 | 期間 | 人物 |
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1 | 1901年1月1日 - 1903年1月9日 | 第7代ホープトン伯爵ジョン・ホープ , KT, GCMG, GCVO, PC |
2 | 1903年1月9日 - 1904年1月21日 | 第2代テニスン男爵, GCMG, PC |
3 | 1904年1月21日 - 1908年9月9日 | 初代ノースコート男爵, GCMG, GCIE, CB, PC |
4 | 1908年9月9日 - 1911年7月31日 | 第2代, GCB, GCMG, GCVO, TD, PC |
5 | 1911年7月31日 - 1914年5月18日 | 第3代デンマン男爵トマス・デンマン, GCMG, KCVO, PC, JP |
6 | 1914年5月18日 - 1920年10月6日 | サー・, GCMG, DL |
7 | 1920年10月6日 - 1925年10月8日 | 初代フォースター男爵, GCMG, PC, DL |
8 | 1925年10月8日 - 1931年1月21日 | 初代, GCMG, DSO, PC, JP, DL |
9 | 1931年1月21日 - 1936年1月23日 | , GCB, GCMG |
10 | 1936年1月23日 - 1945年1月30日 | 初代准将, VC, GCMG, CB, DSO, PC |
11 | 1945年1月30日 - 1947年3月11日 | グロスター公ヘンリー, KG, KT, KP, GCB, GCMG, GCVO |
12 | 1947年3月11日 - 1953年5月8日 | サー・, GCMG |
13 | 1953年5月8日 - 1960年2月2日 | サー・ウィリアム・スリム元帥, KG, GCB, GCMG, GCVO, GBE, DSO, MC |
14 | 1960年2月2日 - 1961年8月3日 | 初代ダンロッシル子爵, GCMG, MC, QC, PC |
15 | 1961年8月3日 - 1965年5月7日 | 初代ド・リール子爵, VC, GCMG, GCVO, GCMG, PC |
16 | 1965年5月7日 - 1969年4月30日 | ケイシー男爵, KG, GCMG, CH, DSO, MC, KStJ, PC |
17 | 1969年4月30日 - 1974年7月11日 | サー・, GCMG, GCVO在任中の1970年5月29日に受章 |
18 | 1974年7月11日 - 1977年12月8日 | サー・ジョン・ロバート・カー, AK, GCMG, GCVO, GCVO, QC |
19 | 1977年12月8日 - 1982年7月29日 | サー・, AK, GCMG, GCVO, QC |
20 | 1982年7月29日 - 1989年2月16日 | サー・ニニアン・スティーヴン, KG, AK, GCMG, GCVO, KBE, QC |
21 | 1989年2月16日 - 1996年2月16日 | ウィリアム・ヘイデン, AC |
22 | 1996年2月16日 - 2001年3月29日 | サー・ウィリアム・パトリック・ディーン, AC, KBE |
23 | 2001年3月29日 - 2003年5月28日 | , AC, OBE |
24 | 2003年5月28日 - 2008年9月5日 | マイケル・ジェフリー少将, AC, CVO, MC |
25 | 2008年9月5日 - 2014年3月28日 | デイム・クエンティン・ブライス, AC, CVO |
26 | 2014年3月28日 - 2019年7月1日 | サー・ピーター・コスグローブ大将, AK, MC |
27 | 2019年7月1日 - 2024年7月1日 | デイヴィッド・ハーリー大将, AC, DSC, FTSE |
28 | 2024年7月1日 - 現職 | , AO |
関連項目
脚注
- ^ a b c d “How is the governor-general appointed and what is their role?” (英語). Parliamentary Education Office (2023年12月14日). 2024年6月23日閲覧。